グレゴリオ・アレグリの「ミゼレーレ」を聴きながら横になっていたら、ほろり泣いてしまった今日この頃です。

パイプオルガンの音色であったり、こういった類の音楽に触れながら空想に耽るのが好きで、若い頃はよく聴いていました。中でもこの曲には思い入れが深い。エンヤの「カリビアンブルー」と、これと、みたいな。

夜ともいわない、明け方か夕暮れの薄暗いときに聴くのが好きです。

三線音楽でも癒されるし、二胡音楽でも癒されるのだけど、やっぱり最後はここに収まります。心がリセットされるような、本来の自分に戻るような、そんな感じがするのです。

今では目の前にある現実が全てという感じで、それが全てではないことは頭では分かっているが、まあそんな感じで、若い頃のように意味もなく空想に耽るなんてことをしなくなっていたことに気づいたり。

一方では心の中のアジールを守ろうとする自分と、一方ではそれを否定したがる素直じゃない自分とが混在しているのかな。




志村けんさんの訃報は、残念でありました。これほど国民にショックを与えた芸能人の訃報があったろうかと。私には覚えがなくて。

こういうことって、ふだん外部には話さないんですけれども、実は志村さんがコロナに感染する少し以前からなぜか彼の顔が脳裏にチラつくようになったんですよね。義父が大腸ポリープ除去の手術を受けたあたりからだったろうか。頭の中で何かが「志村、志村」と言うんですよ。

これまでも度々こういうことがあったにはあった。間もなく不祥事をおこしてニュースになったりだとか。今回はだいぶ自身のショックも大きかったもので、この場でのみですが吐き出したくなりました。

本当に残念でならない。前回の記事の重複ではありませんが、幼い頃から当たり前のように慣れ親しんできたものが無くなるのはつらいです。