弟が結婚しました。

ついに先を越されてしまった情けない私と、丸っパゲになりカツラ生活を余儀なくされている哀れな母親です。この季節、とにかく頭が寒いそうで。

母親の治療も後半に入っております。治療自体まだ終了したわけではないし、その後の結果だってどうなるかも分かりませんので現時点では何とも言えませんが、最終的には手術を受けることになるかと思います。

患っているのはトリプルネガティブタイプの乳癌です。乳癌の中でもタチが悪く、予後不良とされているトリプルネガティブ。割合も乳癌患者全体の15〜20%と少なめです。脇下のリンパ節にも転移が認められ、ステージは2bでした。ホルモン療法が効かないタイプのものであるため治療は抗がん剤、手術、放射線のみに限られてくる厄介なものです。

当初はとにかく泣きました。よりによってトリプルネガティブ。「どうしてウチの母ちゃんが?」と。「何かの罰なのか?」と。天罰なら下るべき人間が世のなか他にもいるではないかと。そう天を恨んだ。

それからは、泣いていても仕方がないので気持ちを徐々に持ち直していき、祈り、そしてひたすら働く毎日でした。治療にはお金がかかります。病院で受ける治療だけが治療ではないんですよね。体力と精神力を維持していくためのサポートにも多くの工夫が必要になってくる。そこに多額がかかってきます。

正直、この半年のことは自分でもあまり覚えていません。心境が複雑すぎて。その都度どう向き合ってきたのか覚えていないのです。とにかく苦しかった。心が折れかけてR氏の家にご厄介になったりもしました。さすがに自分ひとりでは抱えきれなくなってしまったんですね。この複雑な気持ちを、とにかく声にして吐き出さなければならないと思った。

長いこと、悩みがあっても誰かに相談をするということがほとんど無く、むしろ人に訴えることの方が苦痛になってしまっていた私は、自分はこれからもそうやって生きていくのだろうと思っていました。悪い言葉で「独りよがり」なところがあったんですよね。それに気づかされたというのか。

家族の者は、患者の心理と向き合いながら自身の心理とも向き合っていかなければなりませんから大変です。ほどよい距離感に悩むことも多々あります。心配のあまり構い過ぎても患者は負担を感じますし、かと言って放っておくことも出来ません。

たとえば私が何気なく「ああ今日も疲れた〜」と言えば、母親は「ごめんな、オカアが病気になってしまったせいで負担をかけてしまっているから・・・」と返ってきます。ほか諸々。

対応に困ってしまったときは、まず自分を相手の立場に置き換えて考えるようにしています。このとおり手探りの毎日です。

しかしながら、苦しくなったり悲しくなったりした時は、母親のハゲ頭を見ると意外にも元気が出てきます。まるで赤ちゃんの様で可愛いのです。体型もふくよかなものですから尚更。いつも頭を撫で回している。

とりあえず、自分に出来ることを精一杯やっていこうと思っている今日この頃。まだしばらくは精神的にも経済的にも厳しい日々が続くことと思うのですが、屈しないように。

考え様によっては、病の母親に生きて寄り添うことが出来るというのは不幸ななかでも実は有り難いことなのかも知れない。恐らく、前世ではそれを願っても出来なかったと思うので。