昔から好きであったドラマ「R−17」のDVDを、時間をかけまして、中古品ではありますが先日ようやく全5巻を揃えました。

このドラマのDVDは、今やレンタル業界にですら存在しません。もうだいぶ前に廃盤になってしまったもので、もう一度見たいと思ったらネットで探して購入をするしかありませんでした。

このドラマにハマっていた最盛期は、私はまだまだ多感な学生でありました。あの頃は自分も幼かったし、価値観でも何でも、とにかく自分だけがこの世の悲劇のヒロインであるような、それこそ多感な思春期の少女の目線からこのドラマを見ていました。

今では対する大人の目線からこのドラマを見ているところが、あの頃の自分とは大きく違うところです。より深いところまで理解できるというのか、まあ年を取ればそれなりに経験も増えるわけだから当然のことなんでしょうけれど。今見ても、とても良いドラマです。



今日はお寺に行って参りました。去年の暮れの水子の供養以来、改まったお参りに行っていなかったもので。本堂から離れて少し茂みを上っていったところに、ひっそりと八角のお堂が建っていました。そこにお地蔵様が安置されているのです。

溶け残りの蝋燭と燃え残りの線香に、重ねて新たにそれらを立てたとき、同じ運命にあった子供と母親というのが、世の中にはたくさんいるのだということを強く意識しました。そのとき切なさを感じたと同時に、自ずと気持ちが楽にもなりました。

その後は本堂で、ひときわ静かな中でしばらく気を休めてから帰りました。

道中には何件か道の駅もありますから、立ち寄って安い野菜を買ったりなどして、いつになく有意義な時間を過ごしました。ふと咲き乱れる紫陽花を眺めていたとき、自分の心は、自分が思っている以上に豊かであることを実感した。

心が豊かであること、心が平穏であること、少しでも長くそう生きていけることを願うばかりです。