1月の下旬に、三陸沿いを南下して被災地を訪れました。甚大な被害を受けていた町々は現在も更地のままで、海抜のかさ上げ工事が行われているのみでした。

今では、あらゆるところに防波堤が築かれているか、あるいはその建設途中で、せっかくの三陸らしい風景を堪能するのには残念ながら規模が狭められつつある感じです。2年前に訪れたときは工事の気配はあれど今ほどではなくて、まだ開放的であったような気がします。

前回は南三陸町の防災庁舎まで、今回は大川小学校まで足を運んでみたんですけれども、行ったあとで言うのも何ですが行ったことを少し後悔しました。

その人の性格にも因るのでしょうが、私はしばらく引きずってしまいましたので。母親が闘病中ということもあってか色々と考えさせられたところもあり、だから心境的にはだいぶ複雑でした。

後半に、伊達政宗ゆかりの地である松島を訪れたほかは、ほぼ石巻市内に留まって港を中心に被災地を歩いていました。



先日、母親が手術を受けました。現在は入院中です。術前の抗がん剤治療でリンパ節転移は消失し、原発巣も当初は2センチ弱あったものが3〜4ミリほどに縮小しまして、主治医からは温存も可能だと言われていたんですけれども、母親は最終的に全摘を選択しました。

手術当日は、母親の姉たちも駆けつけてくれました。手術室へ運ばれていく母親を皆で囲んで、それぞれ激励をして 。叔母の一人が、呆然と立っている私の手を引いて「ほら頑張れって言ってやれ」と小突いてきましたが、私にはとても頑張れとは言えませんでした。

半年にわたる抗がん剤治療に苦しんだ挙句に乳房を削がれる哀れな母親に、ひとことも言葉が出なかった。手を握るのが精いっぱいでした。

よく、テレビでそういう場面を見るじゃないですか。それは他人事なんですよね。自分の身に現実に起きてみないと分からないものだと思った。

術後の説明にて、摘出した乳房とリンパ節をこれから詳しく病理検査し、まだガン細胞が残っていれば再び抗がん剤治療を検討、残っていなければ経過観察となるそうです。

少しだけ髪の毛が生えてきて「ジョリジョリしてる」と笑っている母親に、二度と抗がん剤を受けさせたくはないです。

生存のために可能な限りの治療を受けて欲しいと願う気持ちと、だけどこれ以上苦しめたくはないという気持ちの狭間で、考えるとどこまでも苦しいです。子宮ガンを患っていた祖母に抗がん剤を継続して受けさせるか否かで頭を抱えていた当時の母親の心理がよく理解できました。

それにしても、母は強しなんですよね。自身にガンが発覚したときは、私に「お前じゃなくて良かったよ」と言い、手術後には、まっ平になった自身の胸を触りながら「祖母ちゃんが亡くなった後で良かったよ」と言いました。私の母親は、こういう人です。