教師と生徒の禁断の・・・という文句に惹かれて視聴している「純愛ディソナンス」。

正直、演技はクサいし、ストーリーも個人的にはちょっとイマイチで、何だかなあ〜と思いながらも、だけど結局見ているドラマである。明日いよいよ最終回なので、何だかんだで最後まで見ると思います。

けれどもこのドラマ、挿入曲が好きでして。メインテーマもそうなんだけど、劇中で流れるピアノ曲がとにかく好きで、これまたネットで落として車でも聴いています。それまでは過去「中学聖日記」の挿入曲を聴いたりしていましたが、それにプラスして、という感じ。

ちなみに中学聖日記は、未だ尾を引いているほど見応えのあるドラマでした。

改めて、ピアノ曲って良いもんですね。音色に癒されます。ピアノ曲といえば、昔から加古隆さんの曲はずいぶんと聴いてきましたが、その他はというと、クラシック音楽を含めてもほとんど触れることはなかったです。




このあいだの連休のことでしたが、旦那さんは2日とも寝っぱなしだったんです。そして休み明け、出勤の朝もいつまでも居間でゴロゴロしてなかなか立ち上がらなかったんですね。

台所で朝食の準備をしていた私は何だかイライラしてきて、「仕事に行かないの?」と少し強い口調で問いかけると、旦那さんは「鬱のせいかも。体が動かなくて」と言いました。続けて「鬱病になったことがない人には分からないよ」とも言った。

私には、どうにも言い訳にしか聞こえませんでした。単なる怠慢だ、と。しかし、実は本当に調子が悪かったようだ。

次の日、生理前で情緒が不安定であった私は寝起きからイライラしていて、ひとつ物を置くにも音を立てながらで、旦那さんを困らせてしまいました。男には、女のいろいろは理解できませんよね。

旦那さんに対しては鬱病だからと甘やかすのは違うなあと思ったけど、一方で自身も生理前を言い訳にこうして相手を振り回すのもまた間違っていると、そう気づかされました。

確かに私は鬱病を患ったことが(おそらく)無いので、患っている人の気持ちは理解できません。本人だって自分でもどうしたら良いのか分からない、出口の見えない苦しみだと思います。

世間で言う常識や綺麗ごとは通らないし、一緒にいて言動を否定したくもなければ、また肯定もしたくないという微妙な状況の中。

一緒にいる人はこういう時、「自分に何ができるだろう?」と考えるものですが、できることなんて限られていて、ただ隣りにいることだけだと思うのです。何より対話をすることに尽きるのですが、やはり否定も、肯定もせず話に耳を傾けて、ときおり質問を投げかけてみる。

だけど、自身にゆとりが無いときは優しくできないこともしばしばあるので、そのバランスを取ることが今はまだ難しい・・・。自身ももっと成長できたらなと思うのですが、なかなか。




最近は朝晩とめっきり冷え込むようになりました。最近というか、本当にここ数日の。暑さ寒さも彼岸までと、昔からの言葉にもあるとおりですね。

寒暖差が激しすぎて体が対応しきれていません。とにかく湯に浸かっていたい気分です。