既にフォトブログのほうで写真をアップしているからアレなんですけれど、あらためまして20〜22日にかけて恋人と長野県に行ってきたのです。かねてより関心を寄せていた真田の郷を歩いてきました。

いやあ、素晴らしかった・・・

時期も時期でしたから、どこへ行っても桜が咲いていて、日本らしい見事な風景を拝ませていただきました。

旅の感想を長々と綴りたいところですが、重複して鬱陶しい感が自分でも否めないため割愛させていただくとして、ここからは旅も終盤の長野県をあとにしたその後のことを書こうと思います。

恋人は以前から富士山が見たいとやかましく言っておりました。この度ははるばる長野までやって来たことですし、「あなた明日も明後日も休みなんだから」という話の流れから、目指せ富士山というわけで急きょ車を山梨方面へと走らせました。

山梨に着いた頃には既に日も傾きかけていました。上九一色村を通った時はあの話になって、青木ヶ原の樹海を通った時もやはりあの話になって。

彼がまた言うわけですよ、「俺もそのうちここに来たりするのかなあ…」とかなんとかネガティブなことを。一言「うるさい」と言って返して終わりです。もうね、いちいち私も同情なんかしないんですよ。「なってしまったものは仕方ないじゃないか」と言ってガンガン突っ込んでいます。

結局、富士山は私たちが行った頃には既に雲隠れしてしまって影も形も見えなかったんですよね。周辺の山並みははっきり見えるのに、そこにあるはずの富士山だけが切り取られでもしたように無いものだから何だか胡散臭くてね。展望台に上がって「本当にあそこにあんの?」とか言ってみたり。

もう恋人が凹んでしまって、これまたなだめるのにひと工夫が要りました。

まあこんな感じでしたが、楽しかったというか、とても濃厚な旅でしたね。いろいろ話しました。後悔していること、未来への不安、まず自身がどうなりたいのかなど。

とりあえず、旅がしたいという意欲は大いにあるようだ。意欲があるならまだ大丈夫だと思いました。きっと、彼はいま人生のお休み期間なのだと思います。悪く言えば挫折なんですけどね、良く言って「休憩」みたいなね。

誰にでもそういう時期があるのかも分からない。少なくとも私にはあった。それこそ盛んに死ぬことばかりを思っていた頃は、青木ヶ原の樹海に興味を持ったこともありました。そういう動画を見たりだとか。

何だかよく分からないけど過去の経験が活かされているなあと思えた時でした。



今日は平成最後の出勤日でした。仕事がただただ忙しくて、走り回って、疲れて・・・。早く帰りたい気持ちしかなかったです。早く帰って缶チューハイをプシュッとしたいなあって。

私はギリギリ昭和の生まれですが、昭和の時代を生きていないのと変わりません。だから心惹かれて、関心を抱いて、ひとつキーワードを通して大正、昭和という時代を追究してきました。

平成という時代は始終生きたわけですが、時代は令和にうつり、では改めて平成を振り返ってみようと思っても、どうしてかそういう気持ちにはならない。少なくとも私はならない。人間やはり知らないから知りたくて追究するものなんだなあと思いました。

令和の時代に生まれてくる子供たちの中には将来、平成という時代に強い関心を抱き、追究する人だって当然ながら現れることでしょう。それを思うと面白いのです。