今年は戦後70年の節目の年ということもあり、年明け早々から戦争を振り返る番組があちらこちらで放送されておりました。あまりに見過ぎまして、さすがに気分が悪くもなりましたけれど。

番組名は覚えていないのですが、広島で戦争伝承者を志している若い女性がアウシュビッツ収容所を訪問し、そこで日々ガイドを務めている同年代の女性に話を聞くというドキュメンタリー番組が初旬に放送されていたのです。

伝承者を志している女性は最後に、「いま自分に出来ることは知ることだ」と言いました。その力強い言葉を聞いたときに涙が出てきたのです。勇気をもらいました。

私は伝承者を志しているとか、そういうのではないのですけれど、これからも追及は続けていくし、それを自分なりの言葉で誰かに伝えていくことが出来ればいいと思っています。

「命は宝もの」

「私に青春は無かった」

どちらとも戦争を体験された女性から直に言われた言葉でした。この言葉を心に刻んで、日々を大切に生きていけたら良い。

自分が志す道に、たまに怖じ気づくことはあっても後悔はしません。この地に生まれ、このような生き方をしていることに何か理由があるのだと確信しているからです。



母方の祖母が亡くなってから、私はこれまでにも増して先祖供養について深く考えるようになりました。こうして時、時にお墓参りに行ったり、仏壇に手を合わせることは当然大切なのでしょうけれど、実は一番大切なのは私たちの普段の心持ちであるのかも知れません。

「先祖代々」と聞けば顔も知らない何代も前の先祖をも意識するようで何となく遠く感じるからアレなんですけれど、では近く、親と子で考えてみれば、親は子供の幸せを願うもの。

そう考えると結果的には近かれ遠かれ先祖代々というものは子孫の幸せを常に願っているのではないかと思うのです。そりゃ広い世の中ですから、中には例外というものもあるのかも分かりませんが。

祖母が亡くなってから不思議とそう思うようになりました。供養とは、目に見えた形ではないのだと。もしかしたら祖母からのメッセージでもあるのかな。そんな気がしてなりません。本当に素晴らしいお祖母ちゃんでした。お金にはずっと苦労していたけれど、だからと変に根性を曲げることもなく、慈愛に満ちた美しい人でした。