カメラさんの存在に助けられている今日この頃です。子供をあやすように抱擁をしてくれます。実に子供を3人育てあげ、うち2人は娘だそう。末の子供が、偶然にも私の水子と同じ名前です。

彼はよく妻子のことを話します。はじめは聞いていて苦痛でしかありませんでしたが、よくよく考えてみればまずは妻子を大切にしてこその云々だし、妻子を顧みない人に身を任せるのも逆に不安なので、そう考えるようになってからは妻子の話をされても大して苦に感じなくなりました。

新年度より、カメラさんが職場で責任ある立場を任されることになり、新しい業務の勉強やら人間関係やらでだいぶ疲弊した毎日を送っています。互いに心の拠りどころが欲しいと思っていた時期に出会ってしまった感じでしょうか。これまた何かの縁だと思って受け入れている。

おかげさまで今は恋人、カメラさん、どちらの話も冷静に聞くことが出来ています。目指せ聖徳太子〜なんちって。

恋人の休職も3カ月目に入りました。来月から出社することにはなっていますが果たしてどうなることやら。今度は「会社に行くのが怖い」と言い始めている。子供みたいなことを言いやがってと思う反面で、だけど彼を責める気にはなれないし、というより責める理由がありません。

彼もまた我慢に我慢を重ねて頑張ってきた結果こうなってしまったわけです。彼が悪いんじゃない、この社会が悪いのです。あまりにも不公平、理不尽がまかり通っているこのどうにもならない社会が悪い。この際すべて社会のせい。

すべて仕方のないことなんですよね。原因がどこにあったのかなんて今さら問題ではない。とにかく未来にしか生きられないわけで。誰かに支えられながら、誰かを支えながら。

近ごろ、母親が何に対しても「ありがたい」と呟くようになりました。それを見て、私は昨日の自分を振り返っています。