今日この日は、とある親戚のオバサンの命日であります。

今は亡き祖母が、そのむかし私の母親を身ごもってしまったときのことでした。娘を3人抱えての生活は苦しく、祖母は悩みに悩んだ末にこの命を諦めようとしました。その時、このオバサンが止めに入って祖母を説得したそうなのです。

彼女の一声が無かったら、母親も、そして私も存在はしていませんでした。

そんな、運良くも命拾いをされた4人姉妹の末っ子である私の母親ですが、4人の中で生活面、とりわけ金銭面で祖母を助け続けたのは私の母親でありました。誰が一番か?などのくだらない順位を付けたいわけではありません。ただ、もし私の母親がいなかったら、祖母はもっと苦労を強いられた人生であったと思うのです。

オバサンはどこか霊感というものが強い人であったらしく、「この子は将来あなたの面倒を見ていく子供だから」といって祖母を説得したと聞いています。

最初に生まれても、最後に生まれても、その命に与えられている役割というものがそれぞれにあって、それは生まれる前から既に決まっているのかも知れませんね。

オバサンは私が生まれた時にも見舞いに来てくれていたそうなのですが、まだ赤子であった私を見て、「この子は親の言うことを一つも聞かない我が道をいく子供になる」と言っていたそうです。 彼女には、いったい何が見えていたのだろう。

私は、オバサンの顔を知りません。これらのエピソードを知らされた時には、彼女は既にこの世の人ではありませんでした。

今朝、イトコ姉が2人目を出産しました。元気な男の子だそうです。命日と、誕生日。そして明日は私が誕生日です。

あの日、K氏と祝い合うことが出来なかった誕生日。まさか一週間前に亡くなるとは夢にも思わなかった。K氏が亡くなって、ちょうど3年が経ちました。

あれ以来、先にあるであろう楽しみを信じることは無くなった。その楽しみが確かに訪れるとは限らないことを知ったからです。もともとネガティブ思考でありましたから、先々に夢を描いて希望を抱くなんて事もあまり無かったんですけれども、それに輪をかけられた様な感じです。