先日、弟が誕生日を迎え25歳になりました。前日の晩から彼女と外泊なんかしちゃっていたらしいです。若いって良いですね(笑)

自分の頃は、ちょうど鹿児島県の知覧にいましたっけ。当時ケータイの待ち受けにしていた特攻隊員の出撃日と、自分の誕生日が偶然にも同じであったものですから、知覧に行くのは誕生日だと定めていました。

隊員らの遺影と血書と、多くが出撃前に故郷に別れを告げるべく振り返り見たと伝えられている開聞岳を見て、「ああ、ここから沖縄に飛び立って行ったんだなあ」とか、まあ複雑な心境で手持ちのノートに色々とメモ書きをしながら歩いていたのですが、どうしてか心は疑いもなく安らいでいたのを覚えています。

少し言葉が悪いかも知れません。きっと、自分はそういう場所を歩くのが好きなのだと思います。声なき声が聞こえてくるようで。母親と別れるのは本当に苦しかったろう。



昨日、帰宅をしたら玄関に飲食品が詰め込まれた袋が置いてありました。母親が部屋の合鍵を持っていますので「ああ、お母さんだなあ」と。

朝に、ストーブの灯油が空で音楽が鳴っていましたから、家に帰ったら灯油を詰めなければならないなあ、面倒くさいなあと思いながら車を走らせていました。その灯油も詰められていて、なんだか思わず泣けてきたんですよね。真面目に泣きました。

「こういうのテレビで見たことあるわあ」と思いながら涙を拭ってですね。

本当、家を出るまでは母親の偉大さは分かりませんでした。少なくとも分かったような気でいたのです。これで自分も子供を持って母親にでもなれば更に分かることも多くあるんだろうけれど、今でも十分に思い知らされていますね。

何か苦しいことがあって行き詰まりを感じたときに、決まって自分のことを生きる価値が無いダメ人間だといって卑下にしてしまうんですけれども、我に返って頭を冷やせば、やはり母親に申し訳ないと思いますよ。

誰彼も皆さんそれぞれ同じことを思っていることでしょうが、自分の母親がどこよりも一番の母親です。そう素直に思えるような母親に育てられたこと自体が、まず人としての第一財産だと思うんです。

母親は、「なんでお前と離れて暮らさなければならないんだべえ、お前が家を出るのは嫁に行くときだと思っていたのによ〜」と、たまに嘆いたりしていますが、私は自分のためにも、やはり出て正解であったと思っています。

実はこの数日、恋人に対して募らせていた不安と不満が爆発してしまい、ことに昨日は酷かったんですよ。

彼はだいぶ年上で、仕事が忙しい人なんですよね。とりあえず連絡は取り合っていても、そう頻繁には会えないという。そうなれば女は不安と不満を感じるようになり、一人で狂い出すじゃないですか。

前進する気力が無い、かと言って諦めて後退する勇気も無い。同じ境遇にある女性なら分かると思うんです、この答えが出ない迷いの苦しいこと。昨晩はそれでなかなか眠れなくて、深夜2時頃に酒に頼ってようやく眠りについた感じでした。

心の中は荒れ放題。同じく外も台風の真っ最中で荒れ放題でした。もう風が凄くて凄くて。

前進も後退もできないなら一体どうすれば良いのか。ただじっとしているしかありません。心の中の台風が通り過ぎていくのを静かに待つしかないのです。晴れれば川の水のように人の心も透明に戻りますから、また冷静に考えられるようになるのではないかと。たぶん。

とりあえず、まだ完全に立ち直れていないから何とも言えないんですけれどね。