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陰陽師 現代パロディー/兆し

※夢枕版
妄想設定
※たぶん博雅はゲイ




秋が深まった。

庭の木からは風もないのに葉が落ちて、景色は寒々しくなりつつある。それを男が二人、何を見るともなく眺めている。11月のことである。

「なあ、晴明」

博雅は庭から目を離さずに尋ねた。

晴明は口に笑みを含ませて「なんだ」と答えた。手には酒の入った杯を持っている。

「秋になると葉が落ちて、草木の力もなくなり枯れていくけど、俺にはその中の奥の方では命が蓄えられているような、不思議な感じがするよ」
「ほう」

晴明はわざとらしく嘆息して博雅を見た。

「草や木も季節が巡るのを知っているのかな」

博雅はそう言って同意を求めるように晴明を見た。くっきりした意志の強そうな目元がなんでもしっかり見詰めるのを、晴明は面白そうに見返す。

「それは、博雅、お前が知っているからだろうな」
「俺が知っていたら草木も知っているのか」

博雅は納得がいかないような顔で首を傾げた。

「お前は季節が巡ることを知っているから、お前の目に写るものもそう見えるのさ。お前が知らなければお前の目に写るものも知らないということだ」

博雅は眉根を寄せて晴明を見た。

「それは『呪』の話しか」

晴明は笑って「悪いが、そうだ」と答えた。

博雅は隠さずにむっとした表情になった。

博雅は晴明とならどんなことでも楽しくいつまででも話していられるけれども、この『呪』だけは違った。『呪』の話題が出るとどうも風流な気持ちが吹っ飛んで頭の中がこんがらがる。

「わかった。この話しは、やめよう」

晴明がそう言うと博雅は不服そうに「ありがとう」と答えた。

もしお前が俺の気持ちを知ったら、お前は俺の目から見て変わって見えるのだろうか。「俺とただの知人である晴明」と「俺の気持ちを知っている晴明」は果たして本当に違うものなのか。

きっと同じだ、と博雅は思う。

晴明はこれまでと変わらず口に妖しい笑みを浮かべて「馬鹿め、信じたのか」と静かに言うだろう。

そのことを確かめてやりたい。

お前は間違っていると明かしたい。

俺はお前の嘘を見抜いたぞと言ってやりたい。

でもそれは叶わない。

「博雅」

その声はやけにはっきりと博雅の耳に届いた気がした。何か妖しい方法でも用いたかと思うほどだった。実際にそうして博雅を驚かせて楽しむ有難くない趣味が晴明にはある。

「なんだよ」

博雅の声は、自然と警戒の色を持っていた。

晴明は手酌しながら「これから人に会う」と言った。

博雅が驚きの余り「え?」と声に出したのも無理はないだろう。しかし晴明はそれさえ楽しむように酒をまた一口飲んでいる。

「博雅と約束があると言ったのだが、それであれば連れて来て構わないと言うから余程の用事なのだろう」
「それは、お前が“そういう顔”で言ったからだろう」
「そういう顔?」
「うん。自分は一歩も譲歩しない、って顔」
「俺はそんな顔をするかな」
「ああ。今もしている」

晴明は酒に濡れた唇で弧を描いた。

「先約はお前だったからそうと言ったのに、お前は俺を責めるのか?」

博雅は、はっとして眉尻を下げた。自分が悪いと思ったら黙っていられない男である。

「すまん」

晴明はふふんと鼻で息をして酒をまた飲んだ。

「その、それはどなたなのだ」

博雅が尋ねると、「お前は知っているか?」と晴明が切り出した。




【兆し】




ある男の話しである。

その男は名前を大泉逍遥と言い、よく名前の知られている大企業に勤めている。人当たりはよく友人も多いが、今まで長く付き合える友人ができなかった。

早くに両親を亡くして近くに身寄りの者がいない。寂しさを紛らわす為にインターネットに出会いを求めて身元のはっきりしない人間と遊ぶこともよくあった。

いつも孤独から逃れられず心から打ち解けられたと感じたことがない。

大泉はその日も夜中インターネットの動画サイトで新しい遊び相手を探していた。そしてある女と知り合った。

「あれは、人間じゃない気がするんです」

大泉は言った。

博雅は居住まいを正して大泉の話しに慎重に頷いた。

話しが決まると行動が早い二人である。晴明と博雅は早速大泉の家に向かって彼自身と対面した。博雅は遠慮がちに家の中に上がったが、大泉は全く気にとめていないような雰囲気だった。

「私はとんでもない“モノ”と関わってしまったんでしょうか?」

大泉はそう言って晴明を見た。

「それはまだ分かりません。詳しい話しを聞かせてくれますか?」

「はい」と大泉は頷いた。

「これを見てください」

それは預金通帳だった。ぱっと見ただけでもかなり高額の預金があるようで、博雅は目を丸くした。

「あの女性と知り合ってから預金が10倍以上に増えました。運がいいんです。でもこんなのおかしい」

大泉は通帳に目を落として溜め息をはいた。金が増えて困惑するというのも不思議な男だな、と博雅は思った。大泉が思ったよりも大分柔和だったのでだんだんと気を許し始めている。

「これからその金をどこかへ預けるという話しになっているのであれば心配ですが」

晴明は通帳を見下ろして冷静に答えた。

「そんな話しはありません」と、大泉は幾分憤慨した様子で返した。

大泉の心配事はそんなことではなかった。

大泉が言うには、その女、初めて会った時にはみすぼらしい格好をしていた。皺の寄ったシャツ、色の落ちたズボン、癖がついたままの長い黒髪、化粧っ気のない顔。大泉はそんな彼女だからこそ親しみを感じて近付いた。

女が変わったのと、大泉の『運気』が良くなったのとは、おそらく同時だった。

「悪魔に取り憑かれた、なんて。言っても誰も信じてはくれませんけどね」

大泉は自嘲した。

「質問をいいですか?」

晴明がはっきりとした声で言った。

「もちろんですよ」
「その女、あなた以外にも姿は見えていますか?」
「ええ。食事に行くこともありますから」
「声を思い出せますか?」
「だいたいは。普通の声ですよ」
「顔や姿形は思い出せますか?」
「思い出せます」
「その女は美人だと思いますか?」
「それは、私はそう思います」
「神社や寺などを嫌っていましたか?」
「いいえ。出会った頃に、一緒に初詣に行きましたよ」

大泉は何か思い出したのか優しげに微笑んだ。

晴明は「なるほど」と言って顎を撫でた。

「その女、普通の人間のようですね」

晴明がそう言うのを聞いて、博雅は信じられないような顔をした。晴明がいかにも何事か解決しそうなことを尋ねていたのに、結論が余りに在り来たりだったからだ。

大泉も同じように思ったらしい。がっくりと肩を落とした。

「私は今まで自分をそう幸せ者だとも思ってきませんでしたけどね、今はそんな人生でさえ、まだまだどん底に落ちて行くように思えるんですよ。大切なものを失いそうでとても怖い」

博雅は大泉の落ち込んだ姿を見て「そんなことはない」と思わず言っていた。

驚いたのは大泉である。

「僕にはあなたの幸せのことは分かりません。でも、先程おっしゃった考え方は違うと思います。『大切なもの』を得たから失いそうで怖いけど、本当にそれだけでしょうか。あなたは『大切なもの』を得て、幸せを感じてはいないのですか?」

博雅は切々と問い掛けた。

博雅は大泉とは初対面で、互いにはっきりと言葉を交わしたこともない。しかし彼が気落ちしているのを黙って見ていられるような男ではなかった。

「僕には、あなたの中に、『幸福への兆し』が感じられるんです」

博雅はそう言って、力強く迷いのない瞳を真っ直ぐ大泉にぶつけた。

なんの誤魔化しもない。

なんていい漢なんだ、と大泉は思った。

そして同じようなことを晴明も思っていた。相変わらず博雅は天才的な閃きとかけがえのない実直さを持っているな、と。

「私も同感です」と晴明は言った。

「その女に惚れましたな?」

晴明はその言葉とは裏腹に確信を持ったような不遜な表情をした。

博雅は「え?」と言って驚いた。

「あ、ああ、惚れたのか!」

そしてなにやら一人で納得して顔を赤くした。顔を赤くしたのは博雅だけではない。大泉も顔を赤くしていた。

「私が、彼女に……」

「身に覚えはありませんか?」と晴明が尋ねると大泉は否定することもできずに口ごもった。

「その女に気持ちを伝えることですね。そうすれば向こうの気持ちも知ることができる。互いの気持ちがわかれば、見え方も変わってくるものですよ」

晴明がそう締め括った。

大泉は顔を赤くしたまま、晴明と博雅を見送った。

外は雨が降っていた。強くはないが、体を凍えさせるには十分な雨だ。

「帰るか」

晴明が言った。

博雅は「うん」と言って頷いた。頭の中では先程のことがまだ巡っている。

晴明はどこまで分かっていた?

いつから?

博雅は晴明に何か言われても「うん」と曖昧に答えて頷くだけだった。晴明は怒ることもなくそんな博雅を面白そうに眺めている。

晴明の家に着いてからも博雅はぼんやりしていた。

「あれは『呪』の話しだったのか?」
「あれ?」
「大泉という方の、恋の話しだ」

博雅が至って真面目に尋ねるので晴明はからかうこともできない。

「人とはそういうものさ。想い人が恋しい人にも見え、悪魔にも見える」
「なんだか悲しいな」
「よくあることだ」

博雅は晴明をじっと見詰めた。

晴明の言うとおりだった。

『恋しい人にも見え、悪魔にも見え…』

今は、どっちだろう?

「でもなあ、俺にはあの方の中には、確かに幸福の兆しのようなものを感じたのだよ。相手のことなど知りもしないのに、温かいものが秘められているような、そんなものが感じられたのだよ」

「あの枯れ木のようにか?」と晴明が庭の木を指差した。雨で更に葉が落とされている。

「うん」と博雅は木に目を移して頷いた。

「うまくいくといいな」

博雅が呟いたので、晴明はくつくつと笑った。

随分と年上の男の恋を応援する博雅がなんとも愛おしく思えたからだ。

「お前、また好きな女でもできたか?」

我慢できなかった。

余りにおかしくて黙っていられなかったので、晴明は仕方なくそんなことを尋ねた。博雅が顔を赤くしてむっとするところまで想像できる。

想像どおり博雅は顔を赤くした。

「なんでそんな話しになる?!」

これは強ち本当だな、と晴明は思った。

博雅が惚れっぽくて色んな女に恋をすることは前々から分かってはいたが、こうして顔を真っ赤にするのを見ると独占欲が頭を擡げてくる。からかってやりたい。泣かせてやりたい。

「今度は誰だ?」
「誰でもない」
「俺が仲を取り持とうか?」
「誰でもない!」
「顔に書いてあるぞ。『好きです』ってな」

博雅は「やめろ阿呆!」と言って立ち上がった。

博雅の顔は耳まで真っ赤で手は震えているのまで見えたので、晴明は流石に申し訳なくなった。

一回りも年齢が違う子供を相手にムキになってしまった。

「すまない、博雅」

晴明は立ち上がって博雅の近くまで歩み寄った。手を伸ばせば触れられる距離である。

震える手を握ってやりたい、と思った。

「博雅。許してくれ」
「うん」

博雅は素っ気なくそう答えて、その場に座った。そして気持ちを告白できない自分の弱さを呪った。
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陰陽師/現代パロディ/待つ者と追う者

※夢枕版 陰陽師
※晴明を好き過ぎる博雅
妄想設定




春が終わる頃のことである。

博雅は晴明の家に上がって窓から外を眺めていた。伸びた背中は定規でも差しているかのようにぴんと真っ直ぐである。

博雅の隣、いつも居る筈の晴明は居ない。昨日までに終わらなかったという仕事の為に休日を返上して働きに出てしまっているらしい。らしい、というのは、博雅はそのことをまだ晴明から確かに聞いてはいないからだ。

晴明の家に向かう途中、「晴明は居るかな」と呟いた時だった。

メールが届いた。

『仕事の都合で家を留守にしている。暫く待てれば、中に居てくれ』

博雅は思わず、そっと辺りを見回した。

晴明は時々そういうことをするからだ。遠くから眺めてひっそり笑っているような悪戯をする。博雅が驚いて顔を赤くするのを見るのが好きらしい。

「なんだ。偶然か……」

そういうことに、することにした。

博雅は晴明から預かっている鍵で家の中に入ると勝手知ったる様子でいつもの部屋まで真っ直ぐ上がった。手に持っていたカバンとジャケットを床に置いて出窓に腰を掛けると窓から外を眺めた。

約束をしていた訳ではない。

なんとなく来てみたら留守だった。

そうして今、桜を眺めている。

博雅は晴明と会うのに約束をすることが余りない。だから今日のように晴明が留守にしていることもあるし、博雅も晴明を待たずに目的を変えてその足で他の場所に向かうこともある。今日はなんとなく待つ気になった。晴明が来なくても良いとさえ思った。

「桜が散って、見事だなあ」

博雅の感嘆に応えるように桜がまたひらひらと散る。

桜吹雪。

晴明の家の庭にある桜はそう大きくはないが豊かに咲いて見事である。満開の見頃を少し過ぎた今でも大変美しい。

博雅は溜め息を吐いた。

「はあ。晴明はこんな日に仕事か」

それは博雅自身にとっても無意識の独り言である。晴明が居れば指摘されただろうが、今は本当に一人きりの独り言だったので桜の舞う空気の中へ悲しく溶け込むだけだった。

そんな独り言がいくつも零れた。

どれほどの時間が経ったのか分からない。

来客を告げるチャイムが鳴った。

博雅はその音を聞いてから、一晩過ごしてしまったかと思うほど、長い時間そこに居たように思った。あれほど散ったかと思った桜の花弁がまだ木に多く残っているのを見て、一晩は経っていないのかな、と思ったくらいだ。

「晴明は、いないよな」

博雅は部屋を出て居間などを覗きながら玄関に向かったが、晴明は見当たらない。

「どなたですか」

博雅という男は、躊躇しない男である。

相手が郵便や宅配の人間であれば出てしまう積もりだ。

「ミャオ」と、猫の声がした。

「猫?」

博雅は誰がチャイムを鳴らしたのかとも思わずに、直ぐに玄関の扉を開いた。

猫が居た。黒い、毛並みの艶やかな猫である。

そして、男もいた。

「こんにちは」

そう挨拶されると相手が誰でも挨拶せずにはいられない性分の博雅は、しまった、という顔をしながら「こんにちは」と短く返した。

男は名前を賀茂保憲という。

博雅はこの男を尊敬している反面、なんとも言えない接しづらさを感じもしていた。晴明は保憲に頭が上がらないが、それだけの理由を感じるところがこの男にはある。

「いま一人なの。晴明は?」

保憲はにっこり笑って尋ねた。

「あの、留守です。居ません。晴明に用事ですか」

博雅は猫をちらっと見てから答えた。

博雅の目線を感じた保憲は、同じく猫に目線をやった。黒猫は保憲の足に擦り寄って喉を鳴らしている。

「私を家に上げたら、博雅は晴明に怒られちゃうかな?」

博雅は少し考えてから首を横に振った。

「そういうことは、ないですよ。中にどうぞ」

恐る恐る、といった気持ちを押し隠して、博雅はなるべく堂々と接した積もりだ。

博雅の気持ちを知ってか知らずか、「ありがとう」と柔らかく言って、保憲は晴明の家の敷居をさっさと跨いだ。物腰は柔らかいのに、有無を言わさない雰囲気がある。

「こいつも良いかな」

保憲は黒猫を片手で持ち上げて尋ねた。

博雅はちょっと考えてから、晴明が前に猫を家に上げることがあると話していたのを思い出した。

「たぶん。良いと思います」

保憲は朗らかに笑った。

保憲は晴明に用事があったが、急いでいたかというとそんなことはない。電話一本入れれば済む用事だった。

今日、保憲がここまで来たのは、そういう勘が働いたからだ。

博雅が居る気がする。

博雅が自分を家に上げる気がする。

そのとおりとなった。

昔から保憲は『勘』が利く。泰然とした態度とは裏腹なその鋭い勘を、晴明も一目置いている。保憲自身はそのことを分かっているのかいないのか、周りからは判然としないところも保憲という男の特徴だった。

一つ許すと、全てを知られる。

見張っていると、微動だにしない。

博雅がじっと見ているのに気付いて、保憲は破顔して「触ってもいいよ」と猫を片手で拾い上げると博雅の前に差し出した。博雅はそれには答えずに慌てて目を逸らした。

「こっちにどうぞ。掛けてください」

博雅が言うより早く、保憲は客室のソファに深く腰を下ろしていた。膝の上で黒猫も寛いでいる。

保憲は穏やかに博雅を呼んで隣に座るように促した。

博雅は体が大きい方だけれども保憲はもっと大きかった。言われてソファまで歩み寄ったはいいが、博雅が座れば二人の距離が近くなり過ぎる気がして博雅は頭を掻いた。

「俺達にはちょっと狭いですよ」

保憲は首を傾げた。

「でも二人掛けだ」

話しが通じない。

投げた言葉のボールを手品でウサギに変えられてしまった気がした。

博雅は保憲に寄り添って座るのが憚られたので、「お茶淹れてきます」とはぐらかしてその場を離れることにした。保憲は特にそれに何か言うのでもなく、にこにこ笑って「うん」と頷いた。

博雅はキッチンをぐるりと見渡して取り敢えずお湯を沸かすことにした。たまたま電気ケトルが目に付いたからだ。そしてお湯を沸かす間、スマートフォンをポケットから出してじっと見てみた。

晴明。

帰って来い、晴明。

博雅は祈るようにスマートフォンをじっと見ているが、本人にその自覚はないだろう。

頼むよ、晴明。

そうだ。俺はお前に会いに来たんだ。

その時だった。

スマートフォンが震えた。画面には晴明の名前が映っている。着信だった。

「晴明!」

慌てて呼び出しに応じると、向こうで晴明がくすりと笑うのが分かった。あの赤い唇が弧を描くのが見えた気がした。

「どうした。そんなに慌てて」

晴明が笑う。

「慌てた訳ではない」と博雅は口を尖らせた。

「慌ててなければ、もっとおかしかったぞ。待ち侘びた恋人からの電話に出たような声だった」

晴明は、今度は声に出して笑った。

「そ、そんなことよりな、晴明。お前に客が来ているよ。いまお前の家に居るんだ。この間のことじゃないのか。晴明、言ってただろう。保憲さんが会いたがってるって」

博雅は辺りを見回しながらそう言った。晴明に見られている気がしたからだ。自分を見てほくそ笑む晴明が容易に想像できるのでちょっと怖くなっている。あり得ないことではない。

「保憲さんのことが嫌い?」

晴明が尋ねた。

博雅は考えてみる。保憲は確かに掴みどころがなくて不思議な男だが、嫌いかと聞かれると全くそんなことはない。

「嫌いじゃない。いや、俺はむしろ……」

その言葉は最後まで続かなかった。

「博雅」

その声は優しくて穏やかで、けれども確かに言い知れぬ圧力があった。それが晴明からのものなら良かったのに、と博雅は思った。声の主は保憲だった。

「遅いから心配になって来てみたんだ。電話してた?」

博雅の手にあるスマートフォンを見て保憲は尋ねた。

博雅は何故か後ろめたくて通話を切った。

「いえ。すみません、お茶淹れるの慣れてなくて」

慣れてない、なんて謙遜にもならない。まず急須も湯呑みも用意できていない。

晴明の自宅なので博雅が客をもてなすことがそもそも間違っているのだが、そのことには二人とも自覚がなかった。

博雅がキッチンの戸棚を開いて急須を探すと、保憲もそれを手伝った。

しかし、それらは結局見付からなかった。

博雅は気まずさから何度も同じ引き出しを開けたりした。

「ねえ。外に出ない?」

とうとうそう口に出したのは保憲だ。

「でも」と戸惑う博雅を強引に言い聞かせて、そういうことになった。こういう時に逆らえないのが博雅という男だ。どうしてもと言われると断れなかった。

二人で外に出掛けることになった。

何故こうなったのか、と博雅は思う。

部屋にあるジャケットを持って来ると言って保憲を玄関に残してその場凌ぎに逃げ出したが、遅くなるとまた保憲が来るような気もして落ち着かない。

スマートフォンを見てみるが、あれから晴明からの連絡は無い。

ちぇっ。

自分は晴明にとってはどうでもいいらしい、と博雅はむっとした。あんな風に一方的に通話が切られたら心配するのが普通だろう、というのが博雅の言い分だ。

ちぇっ。

開けたままだった窓を閉めようとサッシに手を掛けた。

ああ、桜だ。桜は悲しいくらい美しい。

ひらり、はらり。

くるくる、ひらり。

泉から湧き出るように桜の花が散って行く。

「はあ。これを見に来たんだよなあ」

博雅は一人呟いた。

晴明の仕事の都合で一番の見頃にはとうとう二人は会えなかった。晴明がいなくとも庭を眺めて桜を楽しめれば構わないと思っていたが、それは違った。

強がりだった。

桜の儚く散るのを見ていると自分の正直な気持ちを思い知る。

今日こそはと思ってここへ来たのだ。

それは例えばこんな風に。

晴明と二人で、何を話すともなく桜を眺める。博雅が時々溜め息を吐いては、晴明が酒で唇を濡らす。取り留めのない独り言が桜と一緒に零れ落ちる。

それだけ。

それで良かった。

博雅は名残惜しむように窓を閉めてその部屋を後にした。

博雅は、春は別れの季節、と思った。

靴を履いて玄関に立って待ってくれていた保憲は博雅を見るとにこりと笑った。大きい体に似合わず笑顔はとても穏やかだ。

「じゃあ、出ますか」

博雅が言うと保憲は「うん」と頷いた。

保憲は、人間的には、晴明より遥かにずっと素晴らしい人だと思う。ちょっと怖いような気がすることもあるけれど、晴明のサディズムに比べれば幾分かましだろう。

博雅はそんなことを考えながら靴紐を結んでいた。

靴紐を結ぶ博雅のすぐ近くに立つ保憲には、玄関のドアを開く少し前、とある勘が働いた。

少し残念な、でもとても愉快な。

「保憲さん?」

ドアの前に立って進もうとしない保憲を、博雅は不思議に見上げた。博雅からは保憲の大きな背中が見えている。

猫だ。

博雅はそのことに気付いた。

猫が居ない。

気付いてそれを指摘しようとしたら、なんと向こうから勝手にドアが開いた。

「晴明……」

現れたのは晴明だった。涼やかに微笑んで「もう帰るところでしたか」と尋ねられたので、博雅は漸くそれが夢や幻覚でないと思えた。

「博雅が居たから上がらせてもらってたんだ。これから二人でお茶でもしようかと話していたところなんだよ」

保憲にはなんとなく分かっていた。

晴明が現れる予感がしていた。

それが現実となっただけ。

保憲は博雅の頭に手を置いた。落ち着きがあってのんびりしている保憲は実際の年齢より年上に見られることが多く、博雅と並ぶと仲の良い甥っ子を可愛いがる親戚のようだ。博雅にもそんな風に思えたので特に嫌な感じはしなかった。

晴明は二人を見て、おや、と目を細めた。

「嫉妬させますね。お二人は随分と仲良くなったらしい」

博雅は「えっ」と声に出して驚いた。

嫉妬?

晴明が?

「いや」、と思わず口に出してから、博雅は言い淀んだ。否定するべきことではないと思い直したからだ。

「からかうなよ。保憲さんは、お前に用事があったんだよ。俺はもう帰るから二人でゆっくり話して良いよ。あと、あの桜、綺麗だな。たくさん見させてもらった。ありがとう」

博雅はそう言って足早に立ち去った。

せっかく晴明が来たのに。俺はばかな男だ。詰まらない男だ。

博雅は自己嫌悪した。

ちぇっ。

博雅は歩みを遅めて空を見上げてみた。青空は淡くて曖昧で、どんな独り言も吸い込んでくれそうに思えた。

「ちぇっ」

口に出して言うと、冗談めいておかしくなった。




【待つ者と追う者】
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陰陽師/現代パロディ/博雅と歌姫(後編)

※夢枕版 陰陽師
妄想設定

mblg.tv のつづき




金曜日の深更、博雅は晴明と学校に来ていた。博雅が学校で見掛けると言う女について知る為だ。

その女は博雅の目の前に不意に現れては、何処へともなく姿を消してしまうという。話し掛けても返事をくれないので声が出ないのではないか、と博雅は気に掛けている。その女が目の前に現れるということよりも、博雅にとってはそちらの方が困り事の種らしかった。

夜の学校はとても静かだ。

昼間の騒がしい分、余計に音が無い。

門扉は堅く施錠されていた。

晴明には丸で学校に拒絶されているように感じられた。かつて日々通った懐かしい筈の母校なのに、そこは踏み込み難かった。在学中は傍若無人に振る舞っても、卒業するとどんな人間にとっても居場所が無くなるのが学校らしい、と晴明は思った。

晴明は引き返そうとしたのだが、博雅がドアホンで用務員と話して、鍵を開けて校内に易々と進入してしまった。

「用務員とも仲がいいのか、お前は」

晴明は呆れたように言った。

博雅はどうという事も無げに「おう」と答える。晴明には、どうにも博雅のその誰にでも懐く性格が信用ならないと思えることがある。

「晴明。あそこから入れるよ」

晴明は博雅のその呼び掛けには答えず、校内をチラチラ窺い見ている。

博雅の頭の中は女のことでいっぱいだ。

彼女は居るだろうか。博雅にはこんな時間に彼女がまだ学校に居るとは思えなかったが、晴明が「まあ行こう」と言葉巧みに誘うので、こういうことになった。彼女が居るとは思えない、けれど、期待もしている。

「なんだか寂しげな夜だな」

博雅は誰にともなく呟いた。

晴明はふと博雅を見たが、博雅が気付くことはなかった。

博雅の前に、件の女が居た。

「待ってください!」

女に逃げられると思った博雅は何より先にそう叫んだ。これまで何度となく逃げられ続けたので、もう逃げられまいと必死だ。それでも逃げられるのがいつもなのだけれど、今日は違った。

女は晴明を見て、博雅を見て、苦しげに顔を歪めた。

「何故辛そうな顔をするんですか。俺に理由を教えてはくれないんですか。俺はあなたの辛そうな顔ばかり見ている気がする。今日は何処へでもこの博雅が着いて行きます。だから、もう逃げたりしないでください」

博雅は真剣に説得した。

晴明は博雅の横顔をじっと見てから、優雅に女に視線を戻した。

女は色白で細身の美女だ。外国人の血が入っているのか、日本人らしからぬ顔立ちの美女だった。博雅が心を奪われるのも無理はない、と晴明は思った。

女の長く真っ直ぐな髪がさらりと肩から落ちる。

「まあ、急くなよ」

晴明は博雅にそっと言ったが、博雅は納得しない。

「しかし、」と声を大きくする博雅を、晴明は常と変わりない様子で宥める。

「博雅、こういうことは急くものではない。それはお前の良いところでもあるけどな。今日は時間が無い訳でもあるまい。あなたも、博雅にその声を聞かせてあげたらどうですか。さぞ美しい声をお持ちだろう」

晴明が意味深長にそう言って微笑んだ。

「声を持ってるなら、俺に聞かせてください」

博雅は晴明の言葉を聞きつつも、まだ必死に話し掛けている。

女は晴明を見てからゆっくり目を伏せた。

「姫、と」

そのか細い声は、酷く恥ずかしげに、心許なげに聞こえた。

「……」

博雅は女の声が聞けたことに感動してその内容までは聞こえていないらしい。

「姫、とはなんですか」

晴明は博雅の代わりに尋ねた。しかし晴明にはもう彼女の言いたいことも、こうなった事情も分かったような気がした。

晴明の口元は少しの微笑を浮かべて、何やら楽しそうである。博雅の浮かれ切った表情を面白そうに眺めて、またにやり、と笑みを刻んだ。晴明には博雅の子供らしい情熱が理解し難く、また愛しい。女に惚れっぽいところがまた面白くて、笑ってしまう。

いつもであれば博雅に笑うな、と咎められるところが、今日は違う。博雅は目の前の女に夢中だ。

「……博雅、さま」

女は上目遣いに博雅を呼んだ。

博雅はそれを顔を赤らめて聞いている。

「はい。なんですか」

それは実直な声だった。

博雅は自分が「様」を付けて呼ばれたことにも気付いていない。とにかく女が自分に話し掛けていることに飛び上がりそうなくらい喜んでいる。目はきらきらと輝いて、それは見ている者を笑顔にさせる。

そして博雅の声は、どんなものも受け入れてくれるような、しかし如何なる不正も許さないような、強くて真っ直ぐな声をしている。

博雅と話すと心が伸びる、と言う。

晴明も例外ではない。

博雅の純潔は疲労や憔悴を忘れさせる。今この時も漏れなくそうだった。

晴明は誰に気付かれることもなく、ふっと笑った。

「私のことを、私の『声』を、姫、と呼んでくれたから。私にはそれがとても嬉しくて。だから私の『声』は博雅様のものになってしまったんです」

女がそう言って、漸く博雅は何か考えるように首を傾げた。

「俺が、『姫』と?」

女は黙ったまま小さく首肯した。

博雅は何も覚えがないらしく、助けを求めるように晴明を見た。助けてくれ、と言わんばかりの目だ。

晴明は久しぶりに博雅と十分に見詰め合ってから、女に目を向けた。

「あなたの声は美しい。この博雅が姫と呼んで惚れてしまうのも無理はない。しかし、どうか許してやってほしい。この博雅はあなたのことをすっかり忘れているようだ」
「ええ。わかっています」

女は悲しげに答えた。

「あなたの声を博雅だけのものにするのは惜しい。それに、あなたの『声』が博雅のものになったとしても、あなた自身は博雅のものではないでしょう。どうかあなたの声を、自由にしてください」

女は伏せていた目を上げて晴明を見た。

「あなたはなんでもご存知なんですね」

晴明は、「そんなことはありません」と言って、しかし言葉に反して余裕たっぷりになんでも知っているという顔をしていた。

博雅は焦れて女に声を掛けようとした。

何故晴明とはなんでも話すのですか、俺とは話してくれないのですか、事情を教えてください、どうかあなたの力になりたいのです、俺になんでも話してください、と言おうと思った。

彼らは丸で知らない言語で語り合っている。

博雅には、二人の言葉がこんがらがって頭の中でぐちゃぐちゃに絡まっている気がした。それはきっと晴明にしか解けない。晴明の不思議な能力でしか、ダメだ。

博雅は、始めは女に話し掛けられて嬉しかったが、次第に疎外感も覚えていた。

何か言ってください。

叶うならば、俺にも分かる言葉で。

博雅は、そんな言葉が口先まで出かかって、しかし言えなかった。

彼女の瞳が切なく細められて、窓の外を見たので、博雅も釣られて外を見たのだ。長い髪がまた一房、その細い肩から落ちた。

窓の外には、雲間から無数の星々が見えた。

夜にはまだ冬の寒さが残る中、空が高くて何処までも深く星の世界が続いているように思えた。

それは宇宙だった。

果てし無く、途方もなく遠い、もの寂しいものだった。

「なんて。綺麗だなあ」

博雅はついうっとりとそう呟いた。

晴明の返事が無いのは何時もと同じだが、今夜は違う。彼女が居る。同じ夜空を見た彼女に同意を求めるように博雅は目線を戻した。

「え」

声が詰まった。慌てて視線を彷徨わせたが無駄だった。

彼女が何処にも居ない。

「晴明、居ない!」

晴明はまだ窓越しに夜空を眺めている。

「なぜ。晴明、彼女は、一体……」

晴明は漸く博雅を見て博雅の頭を撫でてやった。博雅は嫌がりもせずに晴明に縋るように目を向けている。

「説明が必要なら、うちへ来るか」

晴明がにやりと笑ってからそう言うと、博雅は少し悔しそうに頷いた。

晴明と二人、タクシーの中で、博雅は待ち切れずに尋ねた。

「なあ、晴明。どういうことか話せよ」
「家に着くまで、もう10分もかからないだろう」
「そういうの、ちょっと意地悪だと思わないか。俺は彼女に何かしたのかな。それで彼女は帰ったのか。なあ、早く教えてくれたっていいじゃないか」

博雅は殆ど泣きそうな声を出していた。

晴明は博雅の切ない表情を見て思わず「すまん」と謝罪した。博雅のその顔は宇宙を旅して迷子になった子供みたいだ、と思った。果てし無い孤独の中で震えている子供。その子供は今にも泣きそうな顔をしている。

晴明にとって、博雅をからかって遊ぶのは楽しいが、彼が心底落ち込むのは見ていて辛い。

晴明は内心ちょっと慌てて説明し始めた。

「あの子は合唱部の子だよ。実は合唱部の一人が歌わなくなったという話しを前から聞いていたんだ」
「合唱部?」

博雅には益々なんのことやら分からない。

「合唱部が歌うのを聞いて、最近、綺麗な声だと思ったことはなかったか」

晴明に尋ねられて、博雅は首を傾げた。

「あったかな」
「あったさ」

晴明が念を押すように言うので、博雅もあることを思い出した。

「そう言えば、女の子が何人かで歌っていたのを聞いたな」

博雅はその時のことを思い出して言った。生徒が数人で歌っていたのを通りがかりに聞いたことがあった。その中でもソプラノの声はとびきり綺麗だった。

「それで、お前は『姫よ、綺麗な声だなあ』と呟いたんだな」
「え?」
「覚えがなくてもそうさ。それで彼女はお前に惚れたんだ」
「え?!」
「『声』をお前だけのものにしたくて、歌うのを止めてしまったんだろう」

晴明はすっかり事の次第を理解しているようだが、博雅は違う。

「そんなこと、あるか」と半信半疑だ。

「お前の独り言があの女に『呪』をかけたんだ」
「はっ?」
「博雅、あれは『博雅の姫』だよ。『博雅の声』だよ。お前の為だけに歌ってくれる女とは、なかなか健気な話しだが、当の本人がこれでは可哀想だな」
「それで帰ってしまったのか?」
「それはまた少し違う理由があるだろうさ」
「何故だ」

博雅はすっかり混乱している。

博雅は頭を抱えて「そんなこと、あるか」ともう一度呟いた。

「そんなものだよ、我々は」

晴明は博雅を優しく見て言った。それはゆったりと穏やかでもどこか確信めいた声音だった。

博雅はタクシーの窓から外を見た。

時間は深夜だというのに車とビルが溢れ返って余り寂しい気持ちにはならない。不思議な力で優しく包まれたような、温かい気持ちになっている。

「晴明。お前、いま俺に『呪』をかけたか」

博雅は外を見たままそう言った。

晴明はふっと笑って答えた。

「お前は、かかり易い質だからな」
「どういう意味だ」
「お前は良い男だという意味さ」
「全然意味が分からない」
「勘ぐるな。そのままの意味だ」

博雅がむっとして晴明を見ると、ひどく甘い目で自分を見ていたので、反論の言葉は飲み込んでしまった。

ちぇ、と優しい舌打ちが、車内に響いた。




【博雅と歌姫(後編)】
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陰陽師/現代パロディ/骨抜き

※夢枕版 陰陽師
妄想設定
※晴明が好き過ぎる博雅




好きだと伝えたらどう思われるのだろうか。

「晴明」

俺が声を掛けたって、到底晴明の心を動かすことはできない。晴明は何時も平然として涼やかに微笑むだけで俺の助けなど必要としていない。

晴明に彼女が居たことを、俺は知らなかった。

「なあ、晴明」

俺はできる限りのんびりとした声で晴明を呼んだ。晴明は呼ぶ声には『呪』が在るのだと言った。

かかれ、と思ってかけられるものならば、今頃俺は晴明を骨抜きにしているに違いない。でも現実は違う。俺は只の高校生で、晴明は自立した大人で。俺は短慮で未熟な子供で、晴明は経験豊かな社会人で。

「もう夏に成るんだな」

仕方がないから俺は独り言の様に呟いた。

窓の外では通り雨に濡らされた草木が乾かず未だに水を湛えている。梅雨が明けた後の通り雨はどっさりと湿度を保ってからあっという間に降った。

真っ赤な夕焼けを素直に綺麗だとは思えなかった。どこか不気味で長く見ていたくはない。

「いや。もう夏に成ったのか」

溜め息が出るのも仕方がない。

気が重いのも学校が詰まらないのも晴明の家に居て息が詰まることがあるのも仕方ない。

仕方がないんだ、もう。

「何かあったのか」

晴明がやっと返事をした。

クソ。

晴明がその綺麗な目で俺を見るとさあ、飛び付きたくなるんだよね。二人きりの時にだけ見せるお前の砕けた態度は俺にとって二人の時間を最高に特別なものにしてくれるって分かってんのかな。

「無いよ」
「そうか」

無いから、辛いんだ。

「何も無い時に何も無いことが侘しいんだよ」
「ほう」
「同じようにさ、夏を迎えて草木が茂るのを見ると、俺はなんだか侘しくなるんだ」

生きているものは、いつか死ぬ。

いつか死ぬというのは、それは、誰も報われないということではないか。

晴明は静かに酒を一口飲んだ。

「彼女でもできたのか」

晴明は水滴の垂れるコップを布巾で拭いながら尋ねた。俺はそのしなやかな仕草に見惚れてしまう。その指が誰かに触れることを想像してしまう。

「何言ってんの」

なんでそうなるの。馬鹿じゃねえの。ふざけてんの。

彼女がいるのは晴明の方だ。

「何言ってんの」

俺は繰り返しそう言った。

「すまない、博雅。俺はお前を傷付けたか」
「違うよ」

俺はお前の言葉に怒ったのかもしれないよ。それが態度に出ていたのかもしれない。

それは傷付くのとは、違う。

晴明は事が深刻であると感じたのか真面目な顔で俺の方へ歩み寄った。その唇には微かな笑みが浮かんで赤く濡れているのだけれど、常とはどこか様子が違う。

晴明は俺のすぐ近くに座った。

「なんて顔してるんだ」
「は?」

ひょっとして、晴明は、俺が失恋したと思っているのではないか。失恋したのに『彼女でもできたのか』と尋ねられたので俺が傷付いたり怒ったりしていると感じたのではないか。

俺はとことん報われない男だ。

「俺、どんな顔してる?」

俺が尋ねると晴明はにやりと笑った。

「泣きそうな顔だよ」

そんな。

そうか。

そうかもしれない。

晴明の顔が近付いて俺の顔のすぐ目の前にあった。俺達が男と女だったら互いに愛していると目で語り合っているところだ。

「お前が人間じゃない気がしたんだ」

俺が言うと晴明は驚いたのか一瞬動きを止めてから不敵に笑った。

端整な顔立ちの晴明が笑うと堂々として不遜な態度に思われる。言い訳の積もりで言った自分の言葉のなかなかの的確さに我ながら感心だ。

「またそんなことを言ってくれるな」
「だってそう思ったんだ」
「お前がそう言うと、呪がかかってそう成ってしまうかもしれないよ」

呪で?

「それは困る!」

俺は思わず大きな声を出してしまった。晴明は面白そうににやりと笑んだ。切れ長の目が細められて弧を描いている。

なんで困るんだ。

それは。

それは。

「それは、お前の彼女を、悲しませてしまうから。だから……」

なんて言い訳だ、と俺は自分で自分が情けなくなった。しかし晴明の方は特にこれに就いて言及することはなかった。

晴明は俺から離れて壁に凭れ掛かった。

晴明の表情からその心の内を読み取ることは極めて困難で俺には到底できそうにない。

「博雅」
「なんだよ」
「保憲さんがまた一緒に飲もうと仰っていたよ」

保憲さん?

「加茂の?」
「ああ。お前のことを痛く気に入ったらしい」
「なんで」

晴明は立てた膝に片腕を預けた。引っ張られた袖の下から、日に焼けた俺の腕とは対照的な白磁のように白い腕が露出して目が奪われる。

「人を気に入るのに理由があるのか?」

ああ、それは。

そんなものは、無いだろうね。

魂が惹かれる。

理性なんて残らない程、熱く、惹かれて、目を奪われて、心を奪われて、魂の全てで熱望して、熱く、だから、ぐつぐつと焦燥する。

「俺がお前を好きなことにも、理由は無いよ、博雅」

晴明はなんという事もなげにそう言った。

なんてことを言うんだ。

俺は自分が赤面したのを自覚した。日焼けした黒い顔でもきっと晴明には分かってしまったかと思うと余計に恥ずかしくなる。

「なんだ。照れたのか」

晴明の追撃に更に赤くなってしまう。

「保憲さんと、いつ会うの」

俺が話しを逸らしても晴明が面白そうに俺の赤い顔を眺めていることには変わりない。意識するなと思えば思う程、晴明に見られている気がして落ち着かなくなる。

「俺は仕事が忙しくて、暫く時間が取れないんだ。お前、保憲さんと二人でもいいか」
「それじゃあ、向こうが詰まらないだろう」

なんで俺が保憲さんと二人で。

晴明は口元に笑みを浮かべたまま腕で頬杖を付いた。

「お前と居るのに、詰まらないことはないよ」

赤面。

赤面の上からまた赤面。

「俺は……」

俺だって、晴明が居ないと詰まらない、と言えたら。晴明のように、なんてことのない風に、言えたら、世界は変わるのだろうか。

「俺はお前を信じているよ。お前が信頼する人なら、俺は、会うのに嫌ってことはないよ」

それは丸で。

『呪』に掛けられたみたいに。

俺は晴明が好きだ。この失礼極まりない人間離れした男が好きだ。博識で冷静で判断力に優れたこの男に惚れている。




【骨抜き】
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陰陽師/現代パロディ

※夢枕版 陰陽師
※現代パロディでゲイパロディ
※精神的にR15
※15歳未満は読まないでください
妄想設定



「動くなよ?」

闇の中に妖しい香りが漂っている。晴明が口元に浮かべた微笑を、縛り上げられ視界を塞がれた男はそれでも気配で察して晴明に服従を示した。晴明もまた男が目隠しされたその奥で哀願の目をしているのが分かって微笑んだ。



博雅は制服のまま床にゆったり座った。強い南風のある日で朝に家を出た時よりも昼間の今は7度も暑く、そのためブレザーのジャケットは脱いで博雅の隣に置かれている。

「学校は?」

晴明が聞くと博雅は背伸びをしながら答えた。

「午前だけ行った。統一試験だったから」

晴明は博雅が以前そんなことを言っていたのを思い出して「ああ」と気の無い返事をした。

「晴明がいてよかった。お前、土日も仕事で家にいないことがあるから」
「議会があったり、出張があったりするからなあ」
「今日は?」
「休み。たまたまな」

博雅は晴明を怪訝な目で見た。

「お前、俺が来ることが分かっていたのか」

博雅の突飛な発想に晴明は始め驚いたけれど、すぐにおかしくなって笑った。ははは、と少しわざとらしい笑い方が博雅はけっこう好きだったので晴明を責めずに睨むだけにしておいた。

「俺を超能力者の様に言うなよ」
「そういうつもりじゃなかったんだけど。お前はそういうところがあるだろ」

晴明は片眉を上げて目を細めた。

かたん、と音が鳴った。

「なんだ?!」

驚いたのは博雅である。晴明は何も聞こえていない様に振舞っているが博雅には確かに上階から物音が聞こえた。

博雅は耳が良い。

博雅は自分の耳を信じているし晴明の危険に対して無頓着なところをよく認識している。

「聞こえなかったか、今?!」
「何が」
「音。物音がした」
「そう?」
「誰かいる」

博雅が怯えるのには理由がある。

博雅にとっては炊事や洗濯などの家事は家政婦を雇ってやってもらうものであり、家人が居ない間は彼らが家に居て留守を任されている。その上でセキュリティ会社に警備を任せている。ところが晴明は昼も夜も留守がちで家政婦もやとわずセキュリティ会社とも契約していない。

博雅は無意識の内に膝を付いて立ち上がる準備を整えた。その目は見えない敵への恐れと正義感に溢れている。

不自然に感じる程には確かな音だった。

誰かが、居る。

「猫かもしれない」

晴明は珍しくポーカーフェイスを崩して言った。物音を警戒する余り博雅は気付かなかったが、傍から見ればそれは焦りの表情だった。

晴明には音の原因がわかっている。

「猫?」
「餌をやったら懐かれて、時々家に上がらせているから」
「お前が猫を?」

晴明は博雅の気持ちも十分に理解しながら「おかしいか」と尋ねた。

博雅は少し考えてから何かに納得したような顔をして言った。

「なんだ。そっか」
「何が」
「何って。晴明、お前、俺に遠慮してんの?」
「『遠慮』?」

自慢にはならないが晴明は博雅に対して『遠慮』などという奥ゆかしい態度で接したことはない。思ったことで言いたいことは言いたい時に直ぐに言う。そんなことは博雅自身が一番分かっていると思っていた。

博雅は脱いで横に置いたままになっていたブレザーのジャケットを取って立ち上がった。

「誰か居るんだろう?」

晴明は返すべき言葉が見付からなかった。

「いいよ、別に。俺はお前のプライベートを詮索する積もりじゃないからさ。休みの日に悪かった。今度はゆっくり会える時にまた会おう」

博雅はそうと決めたら行動が早かった。晴明が弁明しようかと迷う間もなく部屋を出てしまった。晴明はその後を黙って追い掛けている。

「彼女がいるなら、そう言えよ」

博雅は玄関で靴を履きながら言った。

晴明は「違う」とは言わなかった。人が居るのは確かだ。しかし博雅になんと説明すれば良いか分からなかった。

「じゃあ。仕事頑張って」

晴明がそれに答えるのを待たずに博雅は早足で立ち去ってしまった。



晴明は男の前に仁王立ちした。

「動いただろう?」

男を縛る麻縄がみしりと鳴った。男は頷いて土下座して許しを請いたかったけれど縛られて身動きを奪われていたから非を認めることも拒否した。

いつもなら、これだってプレイの内だ。

血が出るまで鞭に打たれるだけが悦びではない。痛め付けられるだけなら機械に鞭を持たせればよいのだ。でもそうはしない。鞭を打つ方だって打たれる方と同じくらい快楽を感じるから互いをパートナーとして認め合うのだ。

晴明は男がいつもと違うのを感じた。

晴明自身も遊びを続けられる心境ではなかった。

晴明にとっては博雅は世界にただ一人の存在であり、博雅がいるから生きていけるのだと思っている。博雅に敵うものはなく、迷いなく自分の生命よりも博雅を選ぶと自覚もしている。

博雅が帰ってしまった。

単なる遊びの為に。

快楽への期待も悦楽も興奮も何処かへ行ってしまった。気持ちが冷めてしまった。男もそうなのだろうと思う。

晴明は男の目隠しと口枷を外して縄を丁寧に解した。ゆっくり静かに解していった。

「風呂に湯を張るけど。使う?」

男は晴明を睨んだ。

「安倍さんって、ヒロマサ君と付き合ってるの」
「付き合ってない。もう服を着てもいいよ。終わりにするんだろう?」
「『終わり』って?」

晴明は麻縄や口枷をベッドに放って部屋を出た。

男は裸のまま晴明の後を追って行く。

「『動くな』って言われてたのに、俺は動いたんだよ?」

丸でその罰を望むかのように男は言った。

「わざと、動いたのか?」

晴明が男にそう言った時、その口元には笑みがなかった。赤い唇にも涼しい目元にも感情が無いことに男は初めて気が付いた。そんな顔は初めて見た。

「ほら、正直に、言え」

晴明は男の唇に人指し指を当てて言った。そのまま徐々にその指を口内に沈めていく。

「違いますアレは本当に……!」

男はなんとかそれだけ言った。

男は晴明との行為が好きだった。自分の他に何人もパートナーが居ることは知っている。鞭で打たれた場所が真っ赤に腫れ上がって燃えるように痛くなることもよくある。こんな苦しい行為はもう止めようと思うこともある。

でも、また会ってしまう。

晴明と会えない時だって、思い出して一人で慰めてしまうこともある。

パートナーに対する気持ち以上のものが生まれていることに男は今日気付いてしまった。博雅というただの高校生に嫉妬したのだ。博雅が自分より優先されることが許せなかった。こんなのはもうプレイではないと思ってしまった。

動いたことも無意識に身体がそうしたのかもしれない。

男は自分では気付かなかったけれど殆ど泣きそうな顔をしていた。

「お前はかわいい男だな」

晴明は小さな声で呟いた。切れ長の目がほんのり細められている。

「か、か……」

男は驚きに目を見開いた。晴明には身体を褒められることはあるし言い付けを守ればなんとなく褒美を貰うこともある。しかし今のように言われたことはただの一度もない。

男はだから余りに吃驚して言葉が出なかった。

晴明はマゾが好きだ。

晴明は確かに受け入れる側になったこともあるし今だってどうしても無理とまでは思わない。しかしマゾの思考については全く理解できない。

思わぬ時に思わぬことを言われることがある。

なんでそんなことができるんだ?

晴明はそう思いながらも彼らを愛しんでしまう。

「何時まで裸でいる積もりだ。湯が溜まるまでまだ時間がかかる。それまで、どうする?」

晴明が誘うように言った時、男のそれはぞくぞくと反応し始めていた。
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陰陽師/現代パロディ/博雅と歌姫(前編)

※夢枕版 陰陽師
妄想設定




晴れている。月の光が真っ直ぐ伸びて、博雅は淡い光の道で月と繋がれていた。

「梅が咲いたな」

博雅はしみじみと言った。視線は外へ向けたままで、同じ部屋に座る晴明に言ったわけではない。晴明もそれをわかって特に返事を返すこともない。

「季節って本当に不思議だよな」

博雅は溜め息のようにそう呟いてから、今度は「ああ、困った」と漏らした。

「何が」

晴明は面白そうな顔で空かさずにそう言った。面白そうな顔と言っても晴明の口元には常と変わらない微笑が浮かぶくらいで傍から見れば特に変わりない。しかし博雅には確かに『面白そうな顔』と見えた。

「何がって?」

博雅は平静を装って言ったが晴明には博雅の動揺が楽しくてならない。

「お前が『困った』と言ったから、『何がだ』と尋ねただけだ」
「そう。俺そんなこと言った?」
「今日はそのことでうちへ来たんだろう」
「それは、まあ、それもあるね」

博雅は言い難そうにしている。

「お前が花やら月やら綺麗だと言う時はさ、大体、」
「待て、ちょっと」

博雅が晴明の言葉を遮って晴明を見ると、晴明が『面白そうな顔』でいるのが見えた。晴明はその顔で、しかし器用に怪訝そうに片眉を上げて博雅の言葉を待っている。

「その続きを言うなよ」

博雅は慎重に言った。

「俺がなんて言おうとしたかわかったのか?」
「わからない。しかし、言わなくて良い」
「『花やら月やら綺麗だと言う時は』、」
「言うなよ!」

博雅が声を荒くしたので、晴明は流石に口を閉じた。

「すまない。つい……」

博雅は丸で自身が誰かに怒鳴られたように項垂れた。眉尻を下げて申し訳なさそうに晴明をちらりと見上げて、「こうなるから言うなって言ったのに」と拗ねた子供のように呟いた。

「それで、つまり、話しとはなんだ」

晴明は優しげに言った。

「人が、来るんだ」
「ほう」

博雅は言い難そうに言葉を詰まらせて、「今のところ、俺には覚えのない人なんだけど」と付け加えた。

「知らない人だったからさ、俺も最初の時は名前を聞いたんだけど、何故か返事をくれない」

博雅はそんなことを話し出した。




【博雅と歌姫(前編)】




ことの始まりは1月も前のことである。誰から聞いたのか、博雅が持つプライベート用の携帯電話に送り主のわからないメールが届いた。内容は空欄だがタイトルに『昨日は、誠にありがとうございました』とだけ書かれていた。

「どなたですか」と返信をしたが、再びメールが来ることはなかった。

数日して博雅は校内でよく知らない人に挨拶されていることに気付いた。はっきり目を合わせて微笑みかけられるので自分のことを知っているだろうとは思ったが、思い返しても覚えがない。

博雅はなんとなくメールのことが頭に浮かんだ。

「俺にメールをくれた子?」

思い切って、尋ねた。

博雅は思ったら直ぐに行動に移すタイプの人間だ。この時もメールのことが頭に浮かんでそれと同時に声を掛けていた。

「大変申し訳ないことに、俺、あなたの名前をちょっと思い出せなくて。お名前をお聞きしてもいいですか」

博雅は子供の頃から物覚えは良い方で、人の名前や顔を忘れることは余りない。特に美しい女性の名前は忘れられないものだ、と博雅は目の前の女の子を遠慮がちに見ながら思った。

女は博雅の1学年上か、2学年上のように思われた。

俺は最低だ。

博雅という人間は、そう思っていることが顔にそのまま表れる男である。そんな博雅の馬鹿正直な感情表現を見た女は柔らかく笑って口を開いた。

え?

博雅は女の言葉を聞き逃したものだと思ったが、違う。女は息を吸って口を開いたが何も言わなかった。

「どうしたの。大丈夫?」

女の少し悲しげな、苦しげな表情を見て博雅は心配そうに尋ねた。

声を失った女と同じように、博雅もまた苦しげだ。

「大丈夫?」

もう一度尋ねたところで女は何処かへ消えていった。廊下の先、何処かの教室にでも入ったのかと思って覗いてみるが見当たらない。その女は博雅から探しても全く探し当てられないのだが、向こうは不意に現れては消えてしまう。

そんなことが数度あった。

害がないので放っておいて今日まで1月も続いている。

「そういうことだ」

博雅はぶっきらぼうに事の経緯を話した。

晴明はにやりと笑った。

「やはり女の話しか」

博雅は顔を少し赤くして「だから言い難くなると思って、あんな風に怒鳴ったんだ。お前が悪い」と悪態をついた。

「俺はもっと、ちょっとした出来事として話す積もりだったんだ。お前がからかうから、余計に、変な話しをしたようになった」
「ごめん、博雅」
「分かっててやってるのに、お前は酷い」
「そう言うなよ。その話し、どうにかしたいんだろう?」

博雅は眉間に皺を寄せて晴明を睨んだ。

「悪意があるとは思えないし、だからどうにかしたいって程ではなくて」
「女につれない態度を取ったんじゃないのかなあ」
「そんなことない」
「いいや。お前のことだから気付かないでやったんだろう」

博雅はいじけて口を尖らせた。

「やはりお前は酷い」

晴明は博雅の肩に手を置いて耳元で囁くように謝罪した。

「ごめん、ごめん、博雅」
「酷い」
「俺も少し考えるから、ほら、拗ねるなよ」
「もう良い。困ってない」

晴明は博雅に身体を近付けた。ほとんど顔と顔とがくっつく距離である。

「お前が困ってなくたってなあ、そんな風に困った顔をされたら、放っておけないだろう」

晴明は赤い唇に薄く笑みを浮かべている。

「お前が色んな女に片思いするから、嫉妬したんだ。ごめん、許してくれ、博雅」

博雅は顔を赤くして晴明から距離を取ろうと試みた。晴明の細い身体に手を突いて。晴明の涼しい目元を睨み付けて。

博雅の力ならばちょっと押せば簡単に晴明を突き飛ばしてしてしまえる。

「お前は、酷い」

しかしながら博雅は、そう力無く言って、脱力した。



つづき mblg.tv
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陰陽師/現代パロディ/摂理

※夢枕版 陰陽師
※妄想設定
※晴明に片想いする博雅




「やっぱり月は見えないな」

博雅は窓枠に切り取られた景色を見上げながら言った。止んだ雨が未だ霧のように漂って辺りを霞ませる夜である。窓が開かれているため博雅の服や頭髪までしっとりと水気を含んでいる。

晴明は口元に笑みを浮かべて博雅の言葉を黙って聞いている。そして音もなく酒を一口飲んだ。

「いくつに成ってもお前とこんな風に会えたら良いな」

博雅は誰に言うともなくそう呟いた。

開いた窓から冷えた風が吹き込んで博雅は身震いした。もう11月も終わる頃である。サッシに手を掛けると外気よりも冷たく思える。

「寒いか、晴明」

博雅は気遣うように晴明に振り返った。そう言う博雅の方が指先も可成り冷たいのだが、当人は気にしていないようである。

「冬は寒いものだ」

晴明は血を舐めたように赤い唇に再び酒を運んで答えた。確かに鼻先を赤くする博雅よりは、寒いと思っていないらしく見える。

博雅は晴明をじっと見てから再び夜空を見上げた。

「秋も終わって、もう冬だなあ」
「そうだな」
「先生方がまたお前の噂話をしてたよ」
「ほう」
「お前は愛人との関係をどうにかするのが上手いとか言っていた」
「ほう」

晴明が笑っているのを見た博雅は顔を顰めた。

「褒められてるのに。嬉しくないのか」

晴明は酒を飲む手を止めて博雅を見た。切れ長の目が迷いなく博雅を真っ直ぐに見ている。

「『アレ』は褒め言葉とは違う」
「だったらなんだ」
「呪だよ」

晴明の目は妖狐のように細められた。

博雅には晴明のする『呪』の話しがよく分からない。それは薄ぼんやりと理解できることもあるが、しかしその次の瞬間には何処かへ消えてしまう幻影のように不確かな理解でしかない。

「お前は素直じゃない」

呆れたように博雅が言っても、晴明は素知らぬ顔でまた酒を呑むだけだ。

「晴明」

博雅の声が突然真剣味を帯びた。晴明は「なんだ」と答える替わりに視線を寄越す。

「時々は素直になれよ」

博雅の声には迷いも飾り気もない。いつも実直で他人にも自らにも偽るところのない博雅らしい声音だ。真っ直ぐで泰然として聞く者に安心感を覚えさせるその声には、それ故に博雅の思いに反して責めるような語気を含むこともある。

晴明は言葉にできない後ろめたさを感じた。

「お前のように?」

晴明は苦し紛れに茶化してそう答えた。

博雅は晴明がいつものように話しを逸らしたのだと気付いてむっとした。最近では博雅は自らの気持ちを隠さなくなった。しかし晴明が博雅の気持ちに答えようとしない理由もよく理解している。

「誰か来るの?」

博雅は窓を閉めながら進展の見えない話しを終わらせて机に無造作に置かれたワインに目をやった。

「ああ、これ」
「良いワインに見えるけど」
「うん。お前と飲もうと取っておいたものだからなあ」
「それで。誰か来るのか」

博雅はある少女のことを思い浮かべた。

いつも男物の服を着ている少年のような少女だ。外見が丸で少年だったので彼女を初めて見た時博雅はすっかり彼女を男だと思い込んで世の中には美しい男が居るものだなと驚嘆した。

後に彼女が女であることを知る。

晴明の口から聞いたのだから間違いない。

知らない方が良かった、と博雅は思っている。彼女は完璧に晴明の好みだからだ。晴明はあの女に惚れたんだ、とふと思ったりする。

彼女は名前を露子と言っていた。

身上確かなご令嬢なのに飾り気がなく雑草が伸び放題になっている晴明の家の庭を「好きだわ」と言って散策していた。博雅の知らない草木や虫の名前もよく知っていて晴明も嬉しそうに彼女と話していた。

露子様が来るのか。

自然と博雅の表情は固くなった。

「来ると言えば来る。来ると言っていたからな」

晴明は何か思い出すように曖昧に答えた。勿体振った物言いはいつものことだけれど博雅にはいつものことでは済まされない。

「ならば俺は帰る」
「は?」
「お前はその酒を、その人と飲め」
「何か用事でもあるのか」

博雅は少し考えてから「あると言えばある」と答えた。

「そうだったのか。では日を改めてまた呑もう」

晴明の提案に博雅は言葉を詰まらせた。

「いつにする」

晴明は素知らぬ顔で言葉を続けている。

「本当は今日が良かったが、仕方ない。お前が駄目なら仕方ないな」

博雅は胸が苦しくなった。きっといつものアレを言われるのだと分かったからだ。博雅は晴明のその自覚があるのかないのか分からないところを恨めしく思うこともあるがその一言で舞い上がる程嬉しくなる自分の単純さを知ってもいた。

「博雅が居なければ詰まらないからなあ。あのお方にはお帰り戴くことにするよ」

晴明はそう言って酒を一口飲んだ。

赤い口元は平静と変わりなく微かに微笑している。

「詰まらないな。今日はお前と一緒に見たいものがあったんだよ。素晴らしいものだからお前と一緒にと思っていたんだけど」

晴明は確認するように博雅を見た。

博雅はこういう時に確信する。

季節が巡るように、人が生まれて死ぬように、自らの感情も自然の摂理なのだ。

博雅は晴明に惚れていた。

「嘘だ」
「は?」
「さっきのは嘘だ。悪かった」

博雅は心底申し訳なさそうに言って頭を下げた。

晴明は博雅の下げられた頭を眺めてくすりと笑った。博雅の謝罪の意図は分かるような気もしたが本当のところは分からなくても答えを知る必要はないだろうと思った。

晴明は博雅の実直なところを尊敬もし羨みもしている。

「いいさ。それより行こう」
「何処へ」
「良いところだ」
「え」
「なんだ。行かないのか」
「そうは言ってない」
「ならば行こう」
「おう」
「行こう」
「行こう」

そういうことになった。

博雅は複雑な心境だったが、楽しげな晴明の表情を見てそんなものは何処かへ行った。博雅は晴明に惚れていたからだ。




【摂理】
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陰陽師

「お前には好いてる女はいるのか」
「どうした、急に」
「俺は好いている女とうまくいかないことがあるが、お前なら上手に立ち回るんじゃないかと思ってな」
「そうでもないさ」

「昨夜、徳子殿が来ていたよ」
「あの、生成りの」
「お前の言うことをよく聞いていれば、こうはならなかっただろうな」
「お前はあの女を救ったさ」
「しかし生成りとなってしまった。そして自害を。晴明、俺はお前にも加担させてしまった」
「鬼に成らずに済んだと思え」

「戻らない人の心とは、徳子殿の心も同じことだったのかな、と思うよ」
「ほう」
「きっと憎みたくはないと思っていても、憎しみを消すことはできなかった」
「お前の心だって同じだろう」
「俺の心もか」
「そうだ。あの女を知る前には戻れまい」
「はあ、こういう時のお前の励ましは真面目だな」
「心外なことを申すな」

「俺もいつか鬼に成るだろうか」
「それは誰にも分からん」
「鬼になったら、俺を祓うか」
「それが仕事だ」
「友人としてはどうなのだ」
「それはなあ」
「うむ」
「お前が鬼に成る時は、この私とて人ではなくなっているのではないか」
「そうか」
「うむ」

「お前を祓える陰陽師はおるのか」
「さて、おるかな」
「いなければ京が滅びてしまうではないか」
「そうだろうな」
「お前、京が滅びてもよいのか」
「その時には私は鬼に成っておるのだから、滅びたとて構うことないだろう」
「俺はいやだぞ」
「そうか」
「当たり前だ。俺のせいで京が滅びたとあっては、武士として申し訳が立たぬ」
「そうであれば簡単な方法がある」
「なんだ」
「お前は鬼に成らぬことだ、博雅」

「お前が鬼に成ったら、俺も鬼に成るだろうか」
「ならないさ」
「ならないか」
「うむ」
「そうか」
「お前は武士だからな」
「そうだな。俺は、鬼に成った相手がお前とあっても太刀で斬ってしまえそうな気がするし、そうでなければならないと思っているよ」
「それでよい」
「そうか」
「そうだ。だからその時は迷うなよ」

「なんだかすまないな」
「すまなくないさ。そうでなければ京が滅びるのだろう」
「お前、俺は笑い話しの積もりでしゃべっていた訳ではないのに」
「俺だってそうさ」
「そうか」
「そうだ」
「うむ。ならよい」
「お前は良い漢だな」

「お前やはり笑っておるではないか」
「元からこの顔だ」
「お前はいやな漢だな」
「哀しいことを言ってくれるな、博雅よ」
「お前が俺をからかうからだ」
「からかっていないさ」
「いいや、からかっている」
「私が鬼に成った時は迷わず斬れと言うことが、からかうことになるのか」
「それは、ならないさ」
「では、そういうことだ」
「そうか」
「そうだ」
「はぐらかされた気がするのだが」
「ほら、酒を飲め。今宵は月が綺麗だ」
「うむ」

「真に月が綺麗な夜だ」
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陰陽師/円と線の交点

※ゲイパロディ




【円と線の交点】




縁には二人の男が座している。ひとりは酒に酔っているのかやや頬が赤い。しかしその背は板でも当てているかの様に真っ直ぐ伸びている。名を源博雅と言う。博雅は逞しい腕で自らの杯に酒を注いでいる。

「お前は私のことが好きなのか」

もうひとりの男は柱に背を預けて庭の草木を見ながら言った。この家主である安倍晴明だ。晴明は紅を引いた様に赤い唇を弓形にしている。

風がなく、しんと静かな夜である。

「ああ、そうだな」
「なんだ。随分と簡単に認めるのだな」

晴明はくくっと笑った。

「本当のことだからだ」

博雅の言葉に晴明は楽しそうに笑っている。

「博雅、私は揶揄ったのだよ」
「何がだ」
「分からないか。お前が男色で、私に興味があるのではないかと、そういう意味で言ったのだ」

博雅は真面目な顔のまま実直な目を晴明に向けた。

「分からないな。どうしてそれで揶揄うことになる」

博雅の言葉に、晴明は思わず素顔に成った。その一瞬を博雅は見逃さなかったが、晴明の言葉の意味はまだ分からないようだった。

「お前は本当に良い漢だなあ」
「なんでそうなる」

博雅は少しむっとして杯を口元にやり、揺れる酒を一気に流し込んだ。

「私はお前のそういうところが好きだ。お前はずっとそのままで居ろよ、博雅」

そう言われた博雅の頬が赤く成った。酒に酔ったのか褒められて照れたのか、晴明はそれを横目に面白そうに見た。

「お前の言っていることは俺にはさっぱり分からない。ちゃんと説明しろよ、晴明」

博雅は瓶子を持って酒を注いだ。むっとしながらも晴明の杯にも酒を足してやっているところが、また晴明にはおかしかった。

「本当に知りたいか、博雅」

少し低くなった言葉に、博雅は晴明を見た。

晴明の白い肌に、赤い唇がよく映えている。晴明の顔に浮かべられる微笑は底知れぬ妖物のそれのようであった。

博雅はぞっとして左手で太刀の鞘に触れた。

「なあ、知りたいか、博雅」
「恐ろしいことを言うな」

博雅は晴明から目を離さない様にして答えた。

自分たちの他には生命の気配が全くない静寂の宵闇に、晴明の声が不気味に反響した。博雅にはその声が頭の中に直接届いた気さえした。

「俺はただ、知りたいかと尋ねただけさ」

晴明は品の悪い笑い方をして、白い歯が覗かせた。声はいつもの調子に戻っている。

「脅かすなよ」

博雅は身体から力を抜いた。掌はじわりと湿っていた。

「俺には余り恐ろしいことを言うなよ、晴明。俺はお前をいつか斬って仕舞いそうだ」

晴明は「その方が恐ろしいではないか」と言って笑った。

博雅は一口酒を飲んだ。その口はいつも以上に真面目に引き結ばれている。

「なあ、晴明よ」

博雅は晴明を見て言った。

「なんだ」

晴明は捉えどころのない表情で庭を見ている。

「なあ、知っているか」

博雅は少し強調して言った。振り返ろうとしない晴明に、「晴明よ」とまた呼び掛けている。

「何をだ」

晴明は微笑して言った。その目は飽くまで庭の方にある。

博雅は仕方なく話しを続けた。

「お前は美しいそうだ」
「なんだ、急に」
「男だってお前を好きになるさ」

博雅は何故だか息が苦しくなった。

「俺だって……」

博雅は言葉を詰まらせた。

晴明が博雅を見ると、鋭く武人らしい目元に薄っすら涙が浮かぶのを見た。

「どうしたのだ、博雅よ。悪かった、もう恐ろしいことは言わぬから」
「違うよ、晴明」
「分かった。すまなかった」
「謝るな、晴明。違うのだ」

晴明は瓶子を持って博雅の手にある杯にそっと注いだ。

「そうだな。呑もう、博雅よ。お前と呑む酒は美味いんだ」

博雅は黙って杯の酒を一口に飲んだ。

「酒を足して来る」

晴明が瓶子を持って立ち上がった時、博雅がまた「晴明よ」と呼んだ。今度は晴明はしっかりとその目で博雅を見ている。

「俺はお前のことが好きなのだよ」

風が出て、庭の草木がさわさわと鳴った。

晴明は黙って家の中へ行った。酒を杯に足して戻ると、縁には博雅の姿はなかった。

「博雅」

晴明はそう呟いて静かに縁に座した。式神がその隣に座り酌をしている。

「俺もお前が好きだよ、博雅」

風に揺れる草木だけが、晴明の言葉に優しく答えた。
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