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呼び方

一部の人は基本的にコードで呼び合わなければいけない。ただ、それぞれの個人情報はほとんど抹消済みで、名前が知れることがそれほどダメージにならないと自分たちで分かっているから、本名で呼び合うことも多い。気分次第。

神城
リュウ 龍

神坂
ユウ 賢

入野
リノ 春

木崎
アヤ 文

室生
ヨル 夜

火鎧
シン 慎

鬼原
キハラ

登志
トシ


ミズ

栢野
ユズ

この辺の人たちは本当はコードを考える必要もないくらいに個人情報がない(実社会で生きていない)から、相当適当。

澤口はコードか苗字で呼ぶ。

「俺の片思いについて聞かねえの」
「……フラれたって顔に書いてあります」
「お前ね、遠慮がないね」
「すみません」
「いやいいけどね」
「……諦めるんですか」
「お前ね、ほんと遠慮がないね」
「すみません」

綜悟が毒を吐くことはほとんどない。つまりそれは、それが真実である時でさえも。

朝来

教師は誰でも綺麗好きで汚くて自分勝手で口先だけだと思ってた。あの人に会うまでは。

「こんにちは」
「……」
「約束したの忘れたかな。俺、窪町信って言うんだけど、昼飯一緒にどうですかって」
「……」

私は男の人も女の子も好き。そういう類の差別も偏見もしないけれど、でも、これは、違うと思う。

「いやいいけどね。ほんとは憶えてるんだろ、俺のこと」
「…女装…?」
「え?ああ、あれね。化粧だけな」
「女性かと思ったの」
「うん」
「…気付いてたの…?」
「そりゃあなあ」
「……」
「昼飯どうする?」
「食べるけど」
「一緒していいかな」
「……」

信先生は私の隣に座るとどこかで買ってきたらしい弁当を開いた。私は混乱していて、その先生の落ち着き振りにどうして良いか分からなくなる。

促されて私も昼食を広げるが、食欲はほとんどなかった。

「冴は何年?」
「……」
「てか高等部だよな」
「信先生、何がしたいんですか。からかってるのかしら」
「違う違う!」
「本当にあなたのこと女性かと思ったのよ」
「……ああ」
「からかってるのと変わらないじゃない」
「いや違うだろ!」
「私は冗談半分で信先生を口説いたわけじゃないわ。興味本位のお友達づくりになら、他を当たってください」

不快感をわざと声に滲ませながらそう言うと、信先生は私と目を合わせて数回瞬かせた。

「ごめん」

その謝罪の言葉は余りに軽々しく響いて私は酷く悔しい思いをする。

私が必死になっているのを、この人は嘲笑っているのだ。珍しいものを見るように私を鑑賞し、憐れんでいるのだ。

「私、戻ります」
「なんで!?」
「……」
「俺が男だから…?」
「……」

弁当を包み直して席を立つと、信先生は傷付いた顔をしていた。子どもの泣くのを我慢するような顔。

一体私は先生の何を傷付けたのかと、喉元まで出かけた。

ミツル

事情は聞いたがどうも事情が掴めない。チャップが嫌に優しく少年の世話を焼いていたが、俺にはその理由は分からなかった。

「寝てもらった」
「ふうん」
「…付き合わせてごめん」
「いや、まあいいけど」
「……」
「てかあれ何? 俺よく分かってねえんだけど」
「ダリアが節操なしってこと」
「え、あいつってそうだっけ?」
「見たでしょ、さっき」
「…そうな…」
「弱った少年に付け入って、最低」
「ああ、つうかそれで中まで連れてきたわけ?」
「ん?」
「あんなどこの人間かも分かんないガキ、よく連れ込んだなって思ってたんだけど」
「……」
「なんだ。愉しむ為か」

チャップの顔が酷く歪んでゆくのを見た。

チャップは俺からすれば少し清廉過ぎるところがある。その幼い容姿に違わず時々考え方が子どもっぽいのだ。結婚を誓った相手以外とはその手の行為ができないらしく、ダリアが何度となく不潔だと言われるのを見たことがある。

かと思えばチーフにべたべたと触られても嫌な顔をしない。

「ミツルも女性を買ったりするの?」
「俺はしたけりゃ恋人つくるよ」
「……そう…」
「でも男なんだからいいんじゃね? お前だって一人で抜くより女にしてもらいたいだろ」
「……」
「あんまカリカリすんなって」
「カリカリとかじゃなくて、人権の問題なんだからもっと真面目に考えた方がいいと思うけど」
「おお、そうかよ」
「……」
「お子様だなあ」
「っ!! 最悪!!」
「はあ?」
「人間なら誰でもいいわけ!? 男も女も組み敷けば同じ!? 身売りするやつらには人権も自尊心もないわけ!? 大人より子どもの方がいたぶりやすい!?」
「ちょっと、何、」
「あんたらさいあく!」

チャップは少女染みた可憐な涙をぽろぽろ流し、しかしその表情は少しも醜く歪んではいなかったから俺はチャップを抱き締めた。体温の上がったチャップは心地好かった。

「…あの、ミツル、ごめん、ぼく…」
「あー、まあいいから」

ダリアの気持ちが分からなくもないなと思った。少年には欲情できないが、可愛い恋人にはなってくれるんじゃないか。

いや、銜えて貰うくらいなら。

「やっぱミツルは好き」

しかしそう言っていじらしくも照れて笑うチャップには、口が裂けても言えないなと苦笑いする。

「男はさあ、我慢できない時もあるんだよ」
「我慢するのが男でしょ」
「女のためならな」
「……」
「誰のためでもないのに我慢なんてしないって」
「……ミツルが言うなら、いいけどさ、」

ことの流れでチャップを腕の中に収めたまま、ことの流れで頭を撫でながら、俺はなぜだろうか男を庇っていた。男という生き物全体を。

俺は女が好きなんだけど。

「俺はダリアよりもチーフの方が、そういうことに関しては、道徳的にどうなのかなって思うことあるけど」

他人のことを言えた義理でもないけれど。

「……」

チャップはダリアに特別な感情を持っているのかもしれなかった。

ダリア

誤解なんていつものことだ。誤算なんていつものことだ。

いつもと言えるほど生きたっけ?

ダリア

「俺どうしたらいいか分かんなくてっ」

しまいに情けない声で助けを求めるから正面口まで行くと説明通りの状況が広がっていた。

「何これ」
「報告した通りですよ! 俺だってわけ分かんないっす…」
「あ、そう」
「ダリアさん〜」
「中入れていいんじゃねえの?」
「まじすか!?」
「……」
「じゃあダリアさん、連れて行ってあげてください!」

ぽんっと軽快な音でも聞こえてきそうなほど軽々しく俺の肩を叩くとあとはよろしくお願いしますと言って巡回に戻っていった。

薄着の少年が、そこにいた。

手を差し出すと、少年はじりじりと後退ってしまった。慌てて腕を掴むと大きく肩を揺らしその場にへたり込んだ。

「おい!」
「……」
「中入ろうぜ。寒いだろ」
「…い、やだ…」
「なんもしねえから。お前が大金持ってるようにも見えねえし」
「……」

寒いから早く中へ入りたいので苛立ってしまう。少年こそ寒そうなのに何故嫌がるのか。

「おら、行くぞ」

そう言って更に力を入れると少年はいよいよ抵抗を強め、俺は無理に連れていく他になかった。担ぎ上げると今度はごめんなさいと言い始めたので嫌悪感が込み上げる。

これではあの男と同じじゃないか。

そうか。ああいうことをされると思っているのか。

「うるせえ!! なんもしねえって言ってんだろうが! ほんとになんもされたくなかったら黙ってろ!!」

少年は硬直した。寒さにではなく恐怖に。

建物に入ると仲間は犯罪者を見るような目を寄越したが、それに抵抗する気力もなくなる。どうせ俺の少年愛は犯罪なのだ。

自分に対する嫌悪感が込み上げた。

仮眠室に連れていき、少年をベッドに下ろす。目立った外傷はなく、また、少し衰弱しているように思ったがあの暴れ方なら心配もいらないだろう。寒いだろうが震えてはいない。

「お前、名前は」
「りゅう」
「あ、そう」
「オニイサンは、名前は」

服装や容姿を見た時も思ったが、名前や言葉使いもそういう出身なんだと思わせる。

罪悪感なんてないけれど。

「ダリア」
「…あの、ありがとうございました」
「…服脱げ」
「え」
「服、脱げ。シャワー浴びろ」

リュウはベッドの縁に座る俺から遠ざかるように壁に向かう。反射的に腰を捻って脚を掴むと再び激しく抵抗し始めた。黙れと言えば余計に叫んで俺から逃れようとし、それに苛立つ俺は俺で余計に声を荒げる。

リュウの目からは涙が零れ落ちた。

身体を売っていたんだろう。今更怖がるのか。それとも余程の嫌な目に合って、それで逃げてきたとか。

俺は少年の目に、そう映るのか。

「シャワー浴びるだけだっつってんだろうが!!」
「やだああぁぁぁぁ!!」
「喚くな! 殺すぞ!」
「…ひぅっ、ごめんなさい……も、ヤだ…ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい…」
「……」
「…ごめんなさい、……痛いのは嫌だ…ごめんなさい、ごめんなさい、」
「うるせえ! 誰もてめぇになんか欲情しねえんだよ!!」

「へえ、そう」

冷めた声に振り返るとミツルとチャップが扉を開けて立っていた。ミツルは挙動不審に目線を泳がせ引き攣った笑みを浮かべている。チャップは綺麗に笑っていた。

怒っているらしい。

その目の余りに冷ややかなことから冷静になると、確かに弱り切って泣いてさえいる少年を羽交い締めにして殺すぞなどと言って身体の自由を奪ってシャワーに連れ込もうとしている少年愛の男は異常なのかもしれなかった。

誰にでも欲情するわけでもないのだけれど。

この少年は好みに違いないけれど。

一気に脱力してリュウを手放すと、恐怖に竦むリュウはその場に倒れながらも未だにごめんなさいと繰り返した。

「さいてー」

チャップがなんとかしてくれるらしいと思ってしまえば面倒を押し付けるようでもリュウを置いていくのが一番だと思えた。ミツルは精一杯の気遣いで「事情は聞いた。あとは俺がやるから」と去り際に言うのだった。

今日は頗る運が悪い。

ダリア

チーフはノックに平気で応じて人を通す。その無神経さに痛み入ることはあっても尊敬できる代物ではないなと思いながら煙草に火を点けると、既に煙で充満する部屋の奥で人の蔭が動いた。

「遅かったな」

いっそ穏やかにチーフが囁く。

「今日はソレ?」
「選り好みはしない」
「ははっ、寛大なんだな」
「そこにいるのはお前にやる」

床には確かにもう一人少年がいたが既にチーフに何やらされたらしく力なく倒れていた。そういった状態の少年を放っておけるチーフが病的に思えるが、少年にしか欲情しない俺だってチャップには病的に思えるのだろう。

「今日は一緒にヤんねえ?」
「断る」

ベッドに腰かけるとチーフが少年を愛撫しているところだった。少年はどこか怯えている。

「初モノ?」
「……」
「ねえ、そんなオッサンじゃなくて、俺とにしない?」
「寝取る気か」
「睨むな睨むな。無自覚な変態サディストにいたぶられているところを俺が助けて、これから甘いプレイをするんだよ。悪くないだろ」
「……」
「お、引くのか」
「……」
「怖かったよな。俺は変態なことはしないから」

チーフはあっさり立ち上がるともう一人の少年に近付いた。起きろと命令する姿は俺からしても迫力がある。そしてやはり病的だ。

怖がらせないと生きていけないらしい。

「おい、」
「おい! 弱ってる子ども蹴るなよ」

チーフは床の少年を蹴ってから無理矢理立ち上がらせていた。失禁したのかがくがく震える脚で立ち上がったその股座は汚れている。

「……」

俺の声には答えない。けれどそれ以上動こうともしない。

彼には自分と父以外のものは全てモノ同然なのだと思い出した。俺の好きな玩具を自分の力で手に入れ破壊する、それを咎めることは俺にはできない。

「猫が好きな人間の前で猫を虐待するな」
「これは虐待か?」
「……」

どさりと少年が崩れ落ちた。

「出て行け」

その声は間違いなく死命を制する支配者の声だった。

少年のおでこにキスをしてベッドから下りる。床に蹲っているもう一人の少年はごめんなさいと謝罪を繰り返しているから不快になる。君は悪くないのにね。

「……」

すると突然、無線が鳴った。ケントが慌てた様子で報告をあげている。

チーフは当然のように聞こえない振りで少年への暴行続けるつもりらしいので俺が無線に応えることになる。もう帰るつもりだったし声の感じからしてそれほど困った事態なわけでもないように思えた。

リュウと出会う直前にチーフの少年への暴虐を見ていなければ俺は彼をこの要塞へ招き入れなかったかもしれない。チーフを責めるつもりは微塵もないけれど。

歯車はずっと前、例えば俺が少年愛に目覚めてから、もしくはチーフが父を見初めてから疾うに回っていたのだろう。

チャップ

少年はチーフの部屋に消えていく。

「おい、ミツルは?」
「おつかい」
「あ、そ」
「本当だよ。チーフの、大人の、おつかい」
「へえ」

ダリアが明白に興味を持つから嫌になる。僕はそういうことが好きになれない。

どうして恋人だけでいられないんだ。

「でももう帰って来てるかも」
「俺もチーフに交ざろうかな」
「ミツルに会わないの?」
「ああ、チーフんとこの方がそそる」
「……」
「チャップは相変わらずだな」
「……」
「お子様だなあ」
「そっちの方がお子様だと思うよ」
「お、真剣」
「心外だから」
「侵害?」
「ヤることしか頭にないダリアと同じレベルだなんて、心外だなって」
「ああ、そう」

ダリアの顔には余裕が受かんでいるから余計に苛立つ。

お金で人間を買えると彼らは本気で思っているのだ。そうしてお金を支払う自分たちを上位に置いて、平気で他人を見下せるのだ。人間を、人間とも思わないことができるのだ。

悔しい。

ミツル

引き受ける他になかったとは言え、こういうことはもう頼まれたくないなと思う。そうして今回は自分が悪いからと幾度となく呟き、小さく溜め息を吐いた。

街のしかるべき場所に辿り着くと、それらしい人物に声をかける。

「どうも」
「……」
「あの、オモチャ箱の人ですか」
「お、すまないね。お客さんか」

そうして「ずいぶん若いんだな」とその男が独り言をするのを聞いて、更にげんなりとする。若い男が用になるところではないらしい。

「ご注文は」
「子どもが良い。男でも女でもかまわないから、子どもな。あとたくさん積むから、それだけの覚悟のあるのを寄越してくれ。時間は1泊、できれば2人」

そこまで捲し立てると、男はニヤリと笑った。

「いい趣味してるね」
「どうも」
「帰ってこないと困るんだけど」
「それは大丈夫」
「派手な傷も困るよ」
「ああ」
「……よし、今夜届けよう」

俺はチーフに言われただけの金を差し出すと、紙に何か書いていた男はそれを手早く受け取り目立たないように手元で数える。すると男は、本当にいい趣味してるねと、再びニヤリと笑った。

最悪だ。

ミツル

「チーフに起こしてって頼まれてた人いるー?」

その声で血の気が引いた。弾かれたように立ち上がると仲間の視線が痛い。

「お、俺だわ」

時計を見ると約束の時間を1時間以上も回っている。どんな罰が待っているのかと考えると気温のせいだけじゃない寒気に襲われる。チーフは猟奇的なサディストだと聞いたことがある。

部屋で待ってるってさと言うチャップの言葉を聞き終わらない内に走り出していた。

謝罪するしかない。謝罪するしか。

部屋の扉をノックすると、ほぼ同時にチーフがそれを開いた。予想外の出来事に俺が取り乱して飛び退けると、後ろにいたらしいチャップに激突した。

「わ、悪い…! 大丈夫!?」
「いたた」
「驚いて、俺、すまん」
「僕は別にいいんだけどさ」

そう言われて勢いよく振り返った。チーフは床に転がる俺たちを無表情で見下ろしていて、薄ら寒くなる。事態は益々悪化しているのだ。

「あ、あの、起こさなきゃいけなかったのに、俺、ほんとすみませんでした!」
「ああ」

チーフは表情を変えずに俺から目を逸らし、チャップに「大丈夫?」と言った。居た堪れなかったけれど立ち去るわけにもいかない。

「あ、悪いっ、大丈夫!?」
「全然」

へらりと笑うチャップは場違いに思えた。

そのチャップを手招きすると、チーフは頭を撫でたのだった。チャップの緊張が伝わってきてこちらまで気恥ずかしいが、チーフの抑揚のない声に現実に引き戻される。

「で、ミツルだっけ? 起こしてって言ってあったのって」
「はい! 本当にすみませんでした!」
「ま、いいんだけど」
「いえ、本当にすみませんでした!」
「いいから、そういうの」
「…っ、はい、…すみません」
「まあゆっくり眠れて俺もラッキーだし、な?」
「…はいっ……!」

チーフが微かに笑ったように見えて、俺は心底安心した。

チャップ

チーフはそこに長い脚を投げ出して座っていた。単に眠っているようでも見ている僕は緊張する。

酷く威圧されるのだ。

暖房が効いて生暖かい室温なのに、嫌に乾燥していて喉が渇く。部屋は締め切られているから煙草の煙が充満していた。視界が悪くチーフの蔭はぼんやりと揺れる。

チーフはこの部屋の全てでもって人を拒絶するのだ。

いかにも身体に悪いだろうこの場所に、一日横になって過ごしているチーフを思うと、知らずに眉根を寄せてしまう。この四角いだけの空間には、腐乱するための養分すらないだろう。

「チーフ」
「……ん…」
「生きてます?」
「ああ、うん、…生きてるよ……」
「死んでます?」
「…うん…、大丈夫…」
「僕とチューする?」
「…うん、そうだな」
「チーフ」
「…どうした…?……何かあったか」

ウェーブのかかった髪が指で梳かれるとチーフは漸く瞼を開いた。薄目に僕を捉え、髪を触る腕を優しく払ってから溜め息みたいな深呼吸をする。

「なんだ」

寝起きのチーフは優しい。僕だけが知っている。

しかし寝入っている時は、あるいは目が醒めてしまえば、チーフは途端に外気を下げて世界を遠ざける。僕はそれに憧れもするし畏れもする。笑いかけるのさえ憚られるなんて、少し、寂しいけれど。

「いいんですか、時間」
「良いってことはないな」
「……」
「遅刻だ、遅刻」
「ですね」
「誰だったかなあ。起こせって言ってあった気がするんだけど」
「……探してきましょうか」
「ああ」

チーフはすこんとライターを鳴らすと深く煙りを吐き出した。また煙が濃くなって、チーフとの距離も開いた気がした。

ダリア

「チャップ、交代」
「ああ、じゃあ、よろしく」

チャップは小さくしていた身体を起こすと、へらりと笑った。鼻と頬が赤くなり愛嬌が増している。

「この寒さ、外と変わらないんじゃないか」
「外は風があるからもっと寒いよ」
「ああ、そう」

チャップは俺の悪態に苦笑いすると、ゆったりと椅子から立ち上がった。

古びた椅子は小気味よい音を立てるから笑いを誘う。武装したテロリストの拠点をアナログに守る厳冬の要塞と、そのギャップに、思わず気が抜けるのだ。

「いつまでここでやっていくつもりなんだろうな」
「僕らが全滅するまでかな?」
「こっから出られるなら、今すぐにでも俺が皆殺しにしてやりてえよ」

チャップはそれにふふんと笑うと、細い指で俺の頬を摘む。そして「チーフに言い付けようかな」と、童顔を更に幼い無邪気な表情にした。

チャップの指は冷え切っていたけれど、じわりと温かみが伝わったような気がした。

ダリア

始めは名前なんてなかった。呼んでくれる人もなかった。

それで良かったんだ、本当は。

だから彼を汚すつもりはなかった。彼と別れる気はしていたけれど。だから彼を捨てるつもりはなかった。彼に呼ばれている間は。

少年が現れたのは冬だ。強く吹雪いて痛い程の寒さが肌を穿つ。

どれほど憎しみが生まれても、愛していた時の記憶は消せない。素直に伝えれば良かった。素直に尋ねれば良かった。知らない振りをして、気付かない振りをして、欺瞞に安心していたのだ。

台無しだな。
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