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京香

ここの人たちにとっての魔物とはなんだろうか。私はどうして魔物と思われてしまうのだろうか。私は何時までもこの世界にとっての異物であり続けるのだろうか。

「貴女は、本当に、シークではないんですね」

ヤンは困惑気味にそう呟いた。

シークって何?

「ヤン」

レオンは静かにヤンを呼んだ。その声はただの男性のものだったけれど、浮き世離れした妖しい睦言のように囁かれた気がした。

赤い髪と紅い唇が揺らめく。

人を惑わす怪異のように。

ヤンは謝意を示すように目を伏せて僅かに頭を下げた。それは彼らの主従関係を明かす厳粛なやり取りだった。

「……」

そういえば、彼らは誰だろう?

仕事は?

何処から来たの?

何故、いま私と居るの?

レオンがヤンの独り言を制したのは、ヤンの言葉の先に、或は裏に、何か重要なことが隠されているからではないだろうか。

『貴女は、本当に、……ではないんですね』

なんて言ったっけ?

ジク?

ジグ?

ジーク?

似たようなことを前にも聞いた気がする。いや、きっと聞いた。

『ジグ、』
『え?』
『あ、悪い。シークかジグトーだっけ?』

レオンが言った。

『貴女は、本当に、シークではないんですね』

同じことをヤンも思ったのだ。

嗚呼、そうか。

彼らは明確な意図を持って私に接触したのだ。私をほとんど確信的に“シーク”だと思って近付いたのだ。

彼らは私を知っていた。

私が知らないことを知っていた。

知っていると思っていた。

素知らぬ振りで私と出会い、会話し、親交を持ち掛けた。

その先にあるものは?

彼らの前提とは?

“シーク”とは?

知らないことが多くて、多過ぎて、私は知らないことから目を背けていた。眩暈さえ覚える無知な自分への不安と絶望は忘れたことにした。

そんな風に蒙昧にこの世界に馴染もうとすることは間違っていた。

“必然”は、存在する。

レオンとヤンの中の確信を知ることができたら、私を取り巻く必然をも理解できるのかもしれない。

智仁ではなく私だけが魔物となる理由は必ず有る。智仁は回避できたけれど私だけが二度も術に巻き込まれた理由が必ず有る。

必然は、存在する。

私はラゼルの言葉の意味を漸く噛み締めた。

京香/極上の魔物に惹かれた男

案内されるままに連れられたのは、ウォルターの所有するホテルのレストランだった。私が初めてウォルターと会ったホテルだ。

「これがヤン」

ヤンと呼ばれた人は眉を微妙に動かして私を見た。

「はじめまして、お嬢さん。私はヤン・ロウ・クリプスと申します」
「はじめまして。私は京香です」
「こちらの地方には珍しい名前ですね」
「そうみたいです」
「可愛らしいお嬢さんにピッタリの素敵な名前ですよ」

そう、ですか。

ここまで自然に当然に空気のように口説き文句を吐き出すことができるっていうのは、ある意味立派な才能ではないか。こっそり天然軟派先生と呼ぶことにしよう。

「はあ、どうも」

私が照れながら曖昧に返答すると、君のことは全て分かっているよ、とでも言いたげにヤンは微笑んだ。

無性に、照れる。

「京香ちゃんとは運命なの。スー・ロン・シーライが結ぶ最後の縁だったんじゃない?」

レオンは目を細めて言った。

スー・ロン・シーライというのはきっとこの世界の神様だか何かだろう。縁結びをしてくれるらしいし、ローラン・フルールみたいに悪い感じはしないから喜んで良いのかもしれない。

或はこっちで人気の占い師とか?

私は面白くなって笑ってしまった。

ヤンは私が笑うのを見て何か勘違いしたらしく、申し訳なさそうに苦笑いした。

「申し訳ありません。レオンはああいう迷信が好きなんです」
「私も好きですよ。縁を結んでくれるなんて、素敵じゃないですか」

日本では神様が集まって縁結びを取り決める神無月があったくらいだし。どの世界の人も、そういうものが好きなのだろう。

私は気軽に答えたけれど、ヤンは真剣な顔をして微かに眉を顰めた。

不味いことを言っただろうか?

ミクと食事した時にも宗教のことは余り話さないようにしようと思ったのに、またやってしまったのか、私は。

ヤンは重々しく口を開いた。

「それは、困った趣味ですね」

どういう意味ですか。

スーなんとかっていうのは、悪いことをするものなの?

私の考えが読み取れたかのようにレオンは答えてくれた。

「スー・ロン・シーライは、悦ばせて誑して奪って支配する。賢くて魅力的で愛情深い極上の魔物だよ」

「そうだろう?」と同意を求めるレオンに、私は苦笑いしか返せなかった。

また魔物?

そんなもの、好きじゃない。

「でも、魔物は、良くないよね」

私は明白に手の平を返した。驚いて言葉をなくしているレオンは見ないようにして、ヤンに私の趣味は間違っていないことを強く主張する。

何度も頷く私に、ヤンはまた苦笑した。

困った子どもをあやすように。

「お嬢さんは不思議な人ですね。眩惑されてしまいます」

ヤンは眉尻を下げた。

違うよ。私はヤンを困らせたり惑わすつもりはなかったんだよ。

「スー・ロン・シーライみたいだ」と言って歯を見せて笑うレオンのことは無視して、私はヤンに精一杯申し訳なさを表現することにした。

はい、ごめんなさい。

でも私は魔物ではありません。

レオンだけが楽しそうに笑っていた。


【極上の魔物に惹かれた男】

呆れが礼にくる

チャイムが鳴ったのでドアを開けると、綺麗な人がそこに居た。

「御田さんは、」

その声は男のものだったけれど、彼の女性的な美しさに影が差すことはなかった。白くて細い首筋やしなる腕は姉貴とは違うけれど色っぽいと思った。

姉貴は美人だけど、魅力的だとは思わない。

「今出掛けたところなんです。直ぐに帰って来ると思うので、中で待ってて下さい」

その人は少し迷ってから中へ上がった。男物のカジュアルな革靴がその細い脚にはアンバランスで、妙に、目が、奪われる。

兄貴に電話してみたけれど、着信音は部屋の中に騒々しく響いただけだった。

「あの、今日はきちんと約束してた訳じゃなくて…」

俺がお茶を出すと遠慮がちに言われた。

約束をしていても平気で破りますからどうぞ気にしないで下さい。

心の中ではそう思ったけれど兄貴に恨まれるような真似を自分からすることもないだろうと思い留まった。兄貴は自己評価が高くて、自分を攻撃する人間には容赦が無いのだ。

「貴方が来れば、約束なんてしてなくても、あの人は喜びますよ」
「そんなことは、」

綺麗な人。

友達に欲しいな。

「大学の知り合いなんですか?」
「……あ、はい」
「じゃあ頭いいんですね」
「あの、」

綺麗な手。

手入れされた指先。

「はい?」

大きい瞳。

切れ長の目。

「御田さんとは、一緒に暮らしてるんですか」

赤い唇。

顰められた眉根。

なんで不機嫌そうなんだろうか。

「いいえ。今は、もう、」

俺が「違います」と答えるのと同時に兄貴が帰って来た。ビニール袋とドアの閉まる音が乱暴に鳴った。

兄貴を見てから美麗な客人はそっと告げる。

「ごめんなさい、勝手に」

兄貴は形の良い唇から聞こえてきたその消え入りそうな謝罪に気付くと、俺の手を引いて玄関まで押しやった。ビニール袋は鈍い音を立てて床に投げ捨てられた。

「あの人さっき来たんだけど」
「お前もう帰って」
「は?」
「荷物持って来てた?」
「いや、俺が居ると都合悪い訳?」
「じゃあもう帰れ」

何それ。

「帰ってもらうこと無いよ」

俺の気持ちを代弁するように、その人は言った。不機嫌そうな表情には怒りや不満も滲んでいる。

「は、何考えてんの」
「何時か私もそうやって追い出されんじゃないかなって、考えてる」

何言ってんの。

もしかして。

「2人って、」

付き合ってんの?

兄貴は、何に対して怒っているのか、とにかく眉間に溝の深い皺を寄せて、俺をたたきに突き落とした。

「帰れ」
「なんでそんなに冷たくするの?」
「波多野さんには関係ねえだろ」
「ある」

波多野って名前なの?

へえ、そう。

「うぜえ」

兄貴がそう言うとスイッチでも入ったかのように波多野さんは卑屈っぽく笑った。綺麗な顔は、その時ばかりは普通の人と同じように醜く歪んだ。

「恋人同士で罵り合って、馬鹿みたい」

ばっかみたい。

俺ならもっと、大切にする。

いい歳して、下らない。

嗚呼、詰まんねえ。

兄貴は小さく、「元凶が何言ってんだ」と呟いた。誰に言ったのか、どういう意味なのか、俺には分からなかった。

意味不明、だ。

呆れて物も言えねえわ。



曰く、“呆れが礼にくる”。
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空き家で声嗄らす

七窪は友人に会うと決まって仕事の心配をされた。

七窪は何についても飽きっぽくて忍耐強くないからどの仕事も長く続かなかった。顔が広く人に好かれるので何時も誰かが世話しようとするのだが、それを断っては生活の心配をされた。

モデルにスカウトされたのはそうしてフリーターをして居た時だ。

「リョウ、これ着て」

それがどういう風向きからだったか今はこうして戸川のマネージャーをして居る。

七窪は近頃ふと考える。

自尊心が強くて努力家で負けず嫌いで自分を愛しまた愛されることを望み他人を愛し一直線に生きる戸川は、七窪と丸で正反対の人間である。

だから、好きなのだ。

だから、成功させたいのだ。

七窪は持って居たスーツをラックに掛けた。

今回受けた雑誌の取材は画と音を別々に取るもので、音から取るという予定が変更されて撮影からになったのだ。

「お、カッコイイね」

戸川はスケジュールが変わったことを気に留めていないのか、直ぐに衣装へ着替え始めている。

長い腕が袖に通された。

「三郷了との共演なのに、機嫌良さそうじゃない」

戸川は同業者の三郷を目の敵にして居る。つい先日も三郷が交通事故に遭ったのを不謹慎にも喜んでいたところだ。

七窪が揶揄するように言うと戸川は不敵に笑った。その表情は他人からは酷く不遜に見えて反感を買うことも多いが、それはそれだけ人の心に強烈な印象を残す芸能人としての長所にも成って居る。

「あいつ、俺のことブログで褒めてたんだよ」
「へえ、良かったじゃない」
「最近はあっちと間違われることもないし、俺はもうそんな小さいこと気にしてねえの」

確かに、三郷と戸川が混同されることは少なくなった。

七窪は冷ややかな表情で戸川の話を聞いて居る。

「それで、演技の勉強は進んでるの?」
「あー、そっちはまだ」
「ツイッター更新してる?」
「あれなー」
「ファンレター読んだ?」
「まとまった時間ねえんだよ」

七窪はあれこれと戸川に売れる為の方策を伝授しているところだが、七窪にとってもまだ手探りな部分が大きく結果は出ていない。この結果の分からない努力は、戸川の苦手とすることだった。

「時間なくても何かしないと駄目でしょうが」

七窪は呆れて言った。

「だから三郷のブログ購読したりエステ行ったりはしてるって」

戸川は身体を伸ばして答えた。撮影の為に場所を移動するので荷物も簡単に纏めて居る。

戸川は努力家である一方、他人からあれこれと指示されるのは嫌いで、それが原因で家を出たという経緯が有る。七窪のことは信頼して居るのである程度の指摘は受け入れるが、そうでない時も多い。

そして聞き流す体勢の戸川には何を言っても無駄だった。

七窪は戸川のそういうところは好きに成れないで居る。それをはっきり同族嫌悪と自覚して。

七窪は深く溜め息を吐いた。

「そういうの、なんて言うか知ってる?」



曰く、“空き家で声嗄らす”。
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京香

「京香ちゃん」

声を掛けられて振り返るとレオンがいた。

「あ、この間の、」
「覚えてくれてたんだ。ありがと」
「覚えてるよ、もちろん」

真っ赤な髪は相変わらずで、忘れたくても網膜に焼き付いてしまっている。首筋にある入れ墨も忘れられない。

レオンは趣味を兼ねた仕事でここへ来ていると言っていた。

「前にもこの辺りで会ったね。家が近いの?」
「ここはアルの勤務先の近くなんだよ。家はもう少し向こう側かな」
「アル?」
「私がお世話になってる人」

他人でもない、友達でもない、恋人でもない、家族でもない、支配者でもない、雇い主でもない人。智仁は私の生活にとってはなんでもないけれど、私の人生にとってはとても大切な人だ。

二度目の時にはっきりと思った。

繰り返すなら、智仁がいい。

レオンは興味を持ったのか「どこで知り合ったの?」と重ねて聞いてきた。

「昔からの知り合い?」
「そうだね。だからずっとお世話になってるんだ」

この世界では間違いなく最も古くからの知り合いだろうね。私のことを智仁よりもっと前から知っているのは、お父さんとお母さんとほのかぐらいだろう。

「俺も世話になってる人がいるよ」

レオンは照れたように笑った。その仕種は何処か女性的で首筋の模様もしなやかに揺らいだ。

「どういう人?」
「厳しいかな」
「じゃあアルとは逆だ」

レオンは笑った。

「時々交換しようか」

私はその申し出を快諾した。

レオンは和山さんに似ていたのだと気付いた。和山さんも同じことを言っていたことがある。

『俺、血圧低いから血管見え難いんだよな』
『私のはよく見えるよ』
『じゃあ打つ時だけ取り替えようぜ』

うん、悪くないね。

「いいよ」

京香

「ダラスってウォルターと働くように成ってどのくらい経つの?」
「そんなに長くない」

ダラスは記憶の奥から引き擦り出すように答えた。

私は彼の独特な声が好きだ。

「本職は護衛なんですよね?」
「なんでそんなこと聞くんだ」
「ウォルターの言うこと割となんでも聞いてるから」

ダラスは表情を変えずに答えた。

「何でも屋って訳じゃない」

その声は私の脳に直接響いた気がした。輪郭はぼんやりとしていて少し離れただけで聞き取れなくなってしまうのに、隣にいるとはっきり分かる。

職業病というやつか。

むしろ特殊能力か。

「悪い意味じゃないですよ。初めて会った時、ダラスは私を殺せる人なのかと思ったけど、今はそうでもないのかなって思うんだ」

バイアスに感じたものとは違う恐怖。

バイアスは生身の人間であるが故に主張して苦悩して嬲って執着して憤って激情して誓願した。私は嫌でも彼の感情と情動に触れることになった。

ダラスは違う。

彼はあの時、確かに人間ではなかった。

「今だって、同じだ」

ダラスは鬱屈とした気持ちを吐き出すように呟いた。吐き出すように、押し込めるように。

私にはそれこそがダラスの人間性を証すように思えた。

ほのかと同じだ。

自分から遠ざけて拒否して孤立して、けれどその目はいつも誰かを探している。

「だったらいいな」

初めて会ったあの時から変わらずダラスがただの人間だったら、人を殺すことを知らずに護る為だけに居るなら、もしそうだったら、いいね。

「お前はよく分からないな」

ダラスの声はじんわりと脳を侵食した。

いいよ。

私は分かってるよ。

「迷ったら、私のことは殺してね」

殺すことを躊躇うダラスになら、殺されてもいいや。

京香

ウォルターはダラスに指示してお茶を用意させた。

実際にお茶を運んで来たのは小さな男の子だ。太陽の光そのものみたいな黄金のブロンドをしていて、露出している脚は私よりずっと艶やかで白かった。

いい趣味してるね。

しかしこんな子どもでも働かなければ生きていけないなんて、悲しくなるな。私の居た世界では、子どもはただ生まれてくるだけで喜ばれた。

いや、そうでもないか。

『あいつらも殺せば良かった』

和山さんの狂気は和山さんの正義には適っていた。法の求める正義に忤ったけれど、私は和山さんを“非社会的”だとは思わなかった。

彼は私を代弁してくれた。

『死にたい』

子どもだから、苦しいこともある。

思い出したくないことにまで考えが及び、私は憂鬱になった。

私の考えていることなど知らないウォルターは差し出されたお茶を優雅に持ち上げて私を見た。

「仕事は好きかい?」
「はい。学ぶことが多くて、やり甲斐は感じています」

私は反射的に答えた。

雇い主であり上司であるウォルターに聞かれたら仕方ない。嫌いです、転職を考えています、とは答えられない。

「今の仕事は不満かい?」

ウォルターは重ねて尋ねた。

私は勿論「いいえ」と答えるだけだ。口が裂けても不満だなんて言えない。

「あの、なんでそんなこと聞くんですか」

自分で気付かない内に不満に溢れた態度で仕事をしているとか、内心の不平が声に成っているとか。そんな恐ろしいことが現実だとは思いたくないので、自分では思い当たらない理由を探ろうとウォルターに聞いた。

「それは、私には責任があるからだよ」

成る程。

「そうですよね」

アルバイトしか経験のない私は“仕事”というものを分かっていなかった。雇って身体を壊されたからと“さようなら”と簡単に切り捨てる訳にもいかないのだろう。

労働についての倫理観はかなり高度らしい。

ウォルターだからかもしれないが。

「私は神でも神に使わされた者でもない」
「ああ、さっきの…」

ウォルターは真剣に私に語り掛けた。

「君の私生活は私の与り知らぬことだが、仕事に関わることは全て私が管理しなければならない」
「はい、分かります」
「“神の目”を持っていれば別だが、残念ながら私は地上の凡人だ。君が痛みに耐えて孤独に悲しんでいても、言われなければ分からない」

凡人って感じでもないよ。

話の腰を折る訳にはいかないので、美しい金髪と翡翠の瞳と傷一つない白い肌を見詰め返して私は素直に頷いた。

「はい」

ウォルターは私の頭を撫でて言葉を続ける。

「私にはなんでも話しなさい」
「はい、そうします」
「君が痛みを告白することで、凡人である私の苦しみをも救うことになるんだよ」

超然とした物言いと計算され尽くして出来たような容姿の美しさとが相俟って、振興宗教の教祖のようだ、と思った。

「ありがとうございます。そうさせて頂きます」

私が言うと、ウォルターは微かに破顔した。

その神聖な雰囲気に私は圧倒された。

秋の鹿は笛に寄る

※レズビアンとノンケ




昨日、彼氏と別れた。私と彼の関係を付き合っていたと評価するかどうかは人によると思うけれど。

「お兄さんがレベル高いから、誰と付き合っても不満になるんだよ」

芽衣は肘を付いて投げ遣りに言った。

「そう言われても……」

私の言葉に益々芽衣は等閑な態度を取った。返事をするのも面倒そうに、「ほらやっぱり」と溜め息を吐く。

私は芽衣の倦怠な雰囲気が好きだった。

芽衣とは高校で初めて会った。暗黙の内に公然と喫煙所に成っていた教具室に彼女は居て、一応私の彼氏だったような先輩と仲が良かった。

彼女は倦怠そうに「可愛いね」と囁いた。

芽衣の煙草臭い指先が好きでよく匂いを嗅いでいたけれど、今は禁煙して感じのいいハンドクリームの匂いがする。

芽衣の手を取って鼻に近付けた。

「何。手にキスしてくれんの?」
「違うよ。いい匂いがする」
「私も佐和子の匂い好きだよ」
「え。私無臭じゃない!?」

芽衣は真顔で「無臭の人間て人間じゃないでしょう」と言った。私は芽衣を無臭だと思っていたので笑ってしまった。

自分は人間じゃないのかよ。

『サワちゃんはいい匂いがする。真っ白い匂い』

そういえば、いつか付き合った男が言っていた。エッチの後だったからお互いに汗臭かったと思うけれど。

気持ち悪い。

そもそも3週間で別れた彼を“彼氏”と呼ぶのならだけれど。

「別れて辛い?」

芽衣が聞いた。ぶっきら棒に言った割に、私には彼女成りの愛情が伝わってきていた。

そういうところ、好きだな。

芽衣がどんな男と付き合うのかは分からない。全く想像できない。けれど、2人して倦怠そうに愛を育てて、倦怠期なんて恐れずに真っ直ぐ歩いて行きそうだな、と私は思うのだった。

「宮田くんには私は必要なかったんだよね。そう思うと、悲しいかな」

好きだって言ってくれたことあったっけ?

お兄ちゃんとは違う人。

お兄ちゃんより好きだとは思わなかった。

芽衣は正しいのだろうか。

「私には佐和子が必要だから、落ち込むことないよ。佐和子可愛いし、相手は怖じけ付いたんでしょう」
「あー、そう?」
「可愛いよ。私、佐和子の顔はけっこうタイプだし」

芽衣の大きい瞳は伏せられていて、長い睫毛がよく見えた。

「私も芽衣のこと好きだよ」

今もダルそうに頬杖突く姿がいいなって思ってた。日焼けした肌が化粧に合っていてカッコイイ。美人でスタイルが良くてセンスが良くて、独りが好きだけれど顔が広くて、横暴で不器用だけれどとても優しくて、“お兄ちゃんより完璧”だと思った初めての人。

芽衣は私の目を見た。

「佐和子、私と付き合う?」

え?

「なんで?」

芽衣は私との距離を10センチまで縮めた。近くで見ても綺麗な肌で見蕩れてしまう。

「逆に、拒否する正当な理由があるなら断っていいよ」

正当な理由?

「そのようなものは、ございませんが…」

芽衣は不敵に笑った。

「よかった。これで私らも晴れて恋人同士じゃん」
「晴れてって」
「私のこと好きなんだよね?」
「それは、まあ」

お兄ちゃんより完璧だとは思うよ。

「よかった」

芽衣は私の頭を撫でた。男とは違う軽い感触がした。

まあ、いっか。



曰く、“秋の鹿は笛に寄る”。
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