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悲観するイデア・シュラウド/ツイステ夢

※15歳未満の人の閲覧を禁止します


※twstBL
※イデア夢
※イデア×モブ寮生♂
※notイチャラブ
※イデアが経験豊富っぽい描写があります




イデアは校内にあるベンチに腰掛けて、ゆらゆら踊るオルトを観察していた。授業にはタブレットが出席しており、イデアはヘッドホンでその音声を聞いている。“イデア・シュラウド”は天才であるので、2つのタスクを同時にこなすことくらい造作もない。イデアは実のところ脳の働きの97パーセントをオルトの不調の分析に割いていたが、魔法解析学の授業には残り3パーセントでもお釣りがきた。

オルトはこのところメモリ不足やCPUの発熱があり、イデアはその原因を調べていた。最近ギアを増やし過ぎたか。しかしスペックは十分なはず。

イデアはオルトが木の隙間を縫うように進みながら宙を舞う落ち葉に細やかな出力でビームを放つのを真剣に見つめていたので、第三者の足音が自分に向かっていることには気づかなかった。

「こんにちは」

その声に最初に気づいたのはオルトの方だった。

「あの……、ここ座るね」

その人物はイデアに無視されたので気まずそうにしながら、静かにイデアの隣に腰かけた。

イデアはなおも気づかずオルトを観察している。そのオルトがふわふわ浮かびながらイデアに近づいてきたのでようやく、おや、と思った。

イデアはヘッドホンを外して「どうしたの」とオルトに声をかけた。

「メル・ミュラーさん、こんにちは!」

オルトの目線の先には、知らない生徒がいた。手が届きそうに近い。いつからそこにいたのかイデアにはさっぱりわからない。

「ヒィッ!?」

驚きのあまりイデアはベンチから転がり落ちた。長い髪は不安定に燃えていつもより多く青い火の粉を飛ばしている。イデアは手を握りしめて「だ、だだだ誰!?」と叫んだ。

イデアはまず少年の頭にある目立たないがふわふわで可愛い耳を凝視した。ねこちゃんっぽい。しかしこのメルという少年のことは、見れば見るほど覚えがない。オルトがふわりと浮かんでイデアの元へ来て、背を優しく支えてくれたので、イデアはオルトの体にしがみ付いた。

「えっ、だ、メル・ミュラーさん!?」

イデアはようやく脳に届いた音を認識した。

「だ、誰……オルトのお友達……?」

イデアがオルトに隠れて小さい声でそう尋ねると、オルトは「そうだよ」と答えた。

「メル・ミュラーさんは、僕のアスレチック・ギアのテストに協力してくれた人で、記録にも残っているはずだよ、兄さん」
「あ、あのときの」
「うん。あの、驚かせてごめん」

メルはとても傷ついていた。こんなに何度も「あなた誰?」と言われることは想像以上に堪えるものだ。それも天才と名高いイデア・シュラウドに。

自分は詰まらなくて記憶する価値のない人間だと言われたようなものじゃないか。それに、当たり前に顔も名前も覚えてもらえていると思っていた己の自意識が恥ずかしい。

メルは羞恥に顔を赤くして頭を下げると、ふとイデアの骨張って神経質そうな手が見えた。先ほど地面に転がり落ちたせいで土で汚れている。

イデアが姿勢を変えて立ち上がろうとしたので、メルはイデアに手を差し伸べたが、すげなく手を引っ込め身構えられてしまった。

イデアの硬質な色の瞳がメルを品定めする。

べつに、イデアにとって差し伸べられた手を振り払うことは何てことない。そのせいでその相手が何か思ったとしても、どうだっていい。

イデアは今までたくさんの人に手を差し伸べられてきた。

優しい人もいたし、優しくない人もいた。

でも、どうだっていいことだ。

イデアは多少冷静になった頭で、一人でゆっくり立ち上がりながら、再度メルを観察した。オルトの様子からしても危害を加えるような人間には見えない。イデアより背は低くて魔力も力もそう強くはなさそうだ。しかしユニーク魔法の中には少ない魔力で強い影響を与えるものも存在するため警戒は怠らない。少年の頭には三角の小さな獣人の耳、自分の知らない特別な力を持っていてもおかしくはない。

「サーセン。勝手に驚いたのは拙者の方ですしむしろ忘れていただきたい。はー、初対面でこれってオルトのお友達なのに拙者の印象悪すぎか? 拙者のことは嫌いになってもオルトとは今までどおり仲良くしてね。じゃ」

イデアがぶつぶつ呟いて立ち去ろうとしたのでオルトが引き止めた。

「兄さん、僕のデバッグは終わり?」
「え。あっ、そうそうそうだった。終わってないし原因まだわかってないし。でもせっかくお友達がいるのに兄ちゃんがいたら邪魔でしょ」

オルトは「うーん」と唸ってから、メルを見た。

メルはまだ恥ずかしそうに顔を赤くして目線をさまよわせている。イデアに顔も名前も記憶されていなかったことが相当堪えているらしい。それでもその場に留まっているのは少しでもイデアの近くにいたいからだ。

もっと話したい。自分のことをちょっとでも特別にしてほしい。俺の名前を呼んで。もっと近くで体温を感じさせて。

いつからかそう願うようになっていた。

こんな機会は二度とないかもしれない、そう思ったらどんなに恥ずかしくても自分から彼の元を離れるなんてできなかった。

メルはイデアのことが好きだった。憧れと言っていい。オルトといる時にイデアに声をかけられたこともあったが、この様子だとイデアにはすっかり忘れられていそうだ。

「メル・ミュラーさんは、兄さんに用事があったんじゃないの?」

オルトはメルにそう尋ねた。

たまたま同じ時間に授業をサボっていたから運命だと思って話しかけた、とはとても言える雰囲気ではない。

「オルトがいたから様子を見に来ただけ……。デバッグって? どこか調子悪いの?」

メルは仕方なくそう答えた。

「詳しいことは言えないけど。時間あるならしばらくオルトとその辺で遊んでくれない?」

イデアは愛想の悪い顔で言った。メルとは目を合わせないし姿勢も悪い。どうしたらこのおかしな人間を好きになることがあるのかと、メル自身も不思議になるくらい印象の悪い男だ。

でも好きだった。

「もちろん、いいよ。時間ならある」

メルは自分の一番いいと思う笑顔をつくった。

好きな人とならどんな理由であっても一緒にいたいじゃないか。それにオルトといることを許されたのが嬉しかった。イデアにとっては一定の合理性があるから許可されただけだとしても。

イデアは、遠くからメルとオルトがくるりと回ったり魔法で火花を散らして遊ぶ様子を観察するうち、メルの名前を再び忘れていた。自分のとった失礼な態度などもなかったことになっている。天才とはなんだったのか。

イデアに再び名前を忘れられているとも知らず、メルはオルトと体を動かしながらときどきイデアを盗み見ていた。

オルトに恋愛感情はわかるだろうか。

それはイデア次第だろう。

イデアがヘッドホンで何の音を聞いているのか、メルにはさっぱりわからない。でもそんなイデアのことを何度も何度も見てしまう。メルにはイデアに関することすべて、ただ考えるだけ、ただ想像するだけで楽しい。

イデアのことをもっと知りたい。

イデアの心の中、その奥深くまで。

それは贅沢過ぎる願いだろうか?

イデアは何よりオルトを優先している。でもイデアを彼の閉鎖された世界に閉じ込めているのはオルトではないとメルは感じている。もっと大きな強い運命の力にイデアが引きつけられているような、そういう不気味な引力を感じるのだ。

イデアはこの学園の生徒に興味がないように見える。卒業して別れてやがて忘れ去られるのを待ち望んでいるかのように。

あの手この手でイデアに近づいても、彼はクラスメイトの名前はおろか、かつてのルームメイトの名前も覚えていないという話しである。

触らぬ神に祟りなし。

俺だってはじめはそうだった。

でもね、だんだん我慢できなくなるんだ。彼に知ってもらえたら、彼に触れてもらえたら、それはなんて甘美なことか。人の欲望に限りはない。今日はそのことを嫌というほど思い知らされる。

「メル・ミュラーさん?」

オルトに呼びかけられてはっとした。イデアのことが気になって、ぼうっとしていたらしい。

「ごめん。ぼうっとして」
「メル・ミュラーさんのバイタルを確認しますか?」

機械的なオルトの声がしたので、あわてて「大丈夫。必要ない」と断った。

「オルトの方は、どう?」
「兄さんが調整してくれるから、大丈夫。僕の兄さんに不可能はないよ!」

オルトはにっこり笑った。口元は見えなかったけど、目元が優しく細められたので彼が笑っていることはよくわかる。

イデアはオルトを「弟」だと言う。

オルトの燃える髪、神々しい瞳、病的な青白い肌、それらはイデアとそっくりだから、誰もオルトが弟であることを否定しない。イデアにとってオルトは家族に違いないのだろう。たとえオルトが魔導式ヒューマノイドだったとしても。

メルはときどき、イデアの弱い部分を抉ってやりたいと思う。

美しく煌めく薄氷の下にある彼の真実を知りたいと思う。

でもそれよりもっと、彼には悲しい思いをしてほしくないとも思う。

「あの、ども。もういいよ。ありがと」

いつの間にか近くを飛んでいたイデアの端末から声が聞こえた。イデア自身はベンチに座ったままである。ヘッドホンを外して、何か深く考え込むような感じで、こちらのことはちらりとも見ない。

メルは不安そうにイデアを見つめた。

余計なことをしただろうか?

役に立たなかっただろうか?

「あのー、聞こえてますか?」

その声はやはり端末から聞こえた。

イデアはようやく顔を上げてメルを見て、目が合うとゆらりと立ち上がった。

メルは端末から聞こえるイデアの声と幽鬼のごとく自分の方へ向かってくるイデアの体と、どちらに集中すべきかわからず困惑した。陽の光りのもとでもイデアの髪は美しく輝いている。

「なに?」

イデアの近くにいることを喜ぶくらいは許されるだろうが、へらへら笑うのも印象が悪い気がして、メルは緩みそうになる頬を一生懸命引き締めた。イデアの声を聞けただけで喜んでしまうのだから恋とはおそろしい。

イデアはいま自分の言葉を待っている。その事実にメルの心は痺れた。

「俺がさあ、シュラウドのこと好きって言ったら、俺のこと嫌いになる?」

それは、普通なら我慢できただろう。偶然会った好きな人と雑談をして、好きという気持ちに少し気分が昂った、というだけのことだった。

でも恋に「普通」なんて言葉は野暮である。

今まで2年以上の月日をかけて、イデアとこれほど長く面と向かって話せたことはない。断言できる。おそらくこれから先もそんな機会は皆無だろう。数学的に無視できるほどの確率、ほとんど奇跡に思えた。彼が自分を見て、自分も彼を見ている。血圧は上がって心臓が脈打ち交感神経が優位になって緊張して獲物は目の前にいる。

だから告白した。

一方イデアは余りに突拍子のないことだったので趣味の悪いジョークだと思うことで納得した。イデアほどの天才であると、このくらいのイベントは何かの冗談であると瞬時に判断できるものである。

「……そスか。じゃ、拙者はこれで……」
「え、待って!」
「いやいや待つわけないでしょ脈絡なさすぎ怖すぎでしょ。好きとか嫌いとか以前の問題ですわ。イグニハイドに恨みがあって拙者に何かしようとしてるとか? どっちにしてもこわいから拙者はもう帰ります」

メルはすがるようにオルトを見た。

「オルト! 俺、オルトのお兄さんのこと好きなんだ! 二人で話せないかな!?」

イデアは大きな声で「ハァ!?」と叫んだ。それはメルの声よりずっと大きくて、メルとオルトを驚かせた。

「なんでオルト巻き込むの!? ヤメて!」
「だってシュラウドが俺から逃げようとするから!」
「いやあれで本気と思う方がどうかしてるよ! 拙者のこと好きって言ったね? 色んな意味で趣味悪すぎ!」
「好きなんだから仕方ないだろ! 好きな気持ちに趣味が良いも悪いもない!」

メルが今にもイデアに掴みかかろうかというとき、オルトが二人の間に割って入った。

「兄さん!」
「ヒィッ、ハ、ハイ!」

イデアは元気よく返事した。

「ケンカしないで!」
「ハイ!」
「じゃあ僕は行くから。僕のデバッグは急がなくていいんだから、二人でちゃんと冷静に話し合ってよね」
「ハイ……」

残された二人は静かに見つめ合った。くだらないことで言い合ってしまったことが恥ずかしい。二人は黙っていても、お互い冷静ではなかった、という共通の認識があった。

「興奮してごめん。でも好きなのは本当だよ。シュラウドと付き合いたいとも思ってる。こんな機会はもうないと思うから、返事もほしい」

メルは優しい声でそう言った。

「いいよ」

イデアはそう答えた。

いいよ。それだけ。

メルは信じられないというようにイデアを睨んだ。あれだけ真剣に告白したのに、まだ本気と思われていないようで、いっそ悲しくなった。

「いいよってどういう意味?」
「え? 付き合うってことでしょ? 君が言ったことなのですが……」
「こんな場所で、こんなこと俺も言いたくないんだけど。期待して、失望して、あとでまたケンカになりたくないから言うんだけど」
「はい……?」

イデアの態度は、メルにはいまだに他人事のように見える。

「友達からとかじゃなくて、付き合うってことでいいの? 付き合うって、俺、男だけど、体くっつけたりとか、そういうこともしたいって意味だけど」

こんなこと、太陽光きらめく昼日中に言いたくはない。少しずつ親密になってから、お互いの合意を形成していければそれでよかった。メルだって、今すぐ裸でイデアと抱き合えなどと言われたら正直喜べるかわからない。それでも、イデアの長い指がメルに触れることは何度も想像してきた。

イデアにその気持ちが理解できるとは、メルには到底思えなかった。

イデアは、しかめっ面のメルを眺めてから腕を広げた。

「わかってるよ。こっち来る?」

イデアは低くてぼそぼそとした声でそう誘った。タブレットは介していなかったので、彼の話す言葉、彼の厳かな声は、いま自分だけのものだとメルにははっきりわかってしまった。

心臓が止まった、とメルは思った。

興奮で早鐘を打っていた心臓は、ただでさえいつもより働き過ぎていたので、ついに止まってしまったのだ、と素直に思った。そうだとしたら短すぎる人生である。さすがに恋によっていま死ぬことは親不幸が過ぎる。心臓が痛い。でも目の前には好きな男がいる。

これは現実だろうか?

イデア・シュラウドとの邂逅は、焦がれた末の幻想だろうか?

「…………嫌なの?」

嫌なわけない!

止まったと思った心臓は、次にどくどくと、止まっていた分を取り戻すように動き始めた。

これは現実だ!

こっち来る、とは?

緩く広げられた腕の意味、とは?

決まっている!

メルは息を荒くしてイデアの手を凝視した。顔は見られないので。目が合おうものならいよいよ心臓は永遠に動きを止めるであろうと思われたので。

すすす、とメルが少しずつイデアに近づくあいだ、イデアは妙な気分でメルを見ていた。そわそわするような、落ち着きのない、浮ついた気分だ。魔力が供給されたイデアの燃える髪は、ぼぼぼ、と不安定に揺れて桃色に染まった。

イデアはそのまま静かに自分の腕に収まったメルを楽しんだ。目前にもふもふとした耳がある。至福である。

「ぼぼ、ぼ、僕のこと本当に好きなの。君、かか変わってるね」
「そんなことないと思うけど」
「変わってるよ」
「シュラウドだって変わってるよ。だから俺のこと好きになって」
「ええ、わがまま言うじゃん」
「……わがままだよ。ねえ、シュラウドのこと、イデアって呼んでいい? それで俺のことはメルって呼んで欲しい」

イデアは戸惑った。

イデアにとって名前で呼ばれるのは何も特別なことではなかったし、イデア自身も人を名前で呼ぶことが多い。ナイトレイブンカレッジでもそのように過ごしてきて2年以上が経っている。

「名前なんて、好きに呼べばいいんじゃない」

自分のことを特別に好きだと言われるのは心地いい。気分がいい。イデアは誰かに好意を向けられれことが好きだ。でもそれ以上に、理由のない好意や要求はこわいと思う。

なぜ自分なんかを好きになるのか?

たとえば魔導工学が好きだとか、耳や尻尾のような獣の部分を撫でられたいとか、ゲームやアイドルが好きだとか、イデアにしか頼めない願いがあると安心できる。イデアはその好意や要求に見合った報酬を得られる。イデアにとっての報酬は、だいたいの場合は性的な欲望を満たすことだった。

でも「名前を呼ばれたい」という要求は“少な過ぎる”。

イデアは途端にメルを不審に思った。

「ねえ、名前なんか付き合わなくても呼んであげられるけど。僕にして欲しいことってそれだけ?」

イデアは腕の中に収めていたメルを突き放した。

イデアにとってはにっこり微笑みかけられたり、目を合わせて名前を呼ばれたり、手をつないだりするだけなら、推しにしてもらうのが一番いい。現実の知り合いにそれらのことをしてもらっても、推しに敵うわけがない。交際が無意味だと言うのではない。きっちり役割を分けて楽しんでいるのだ。

「あー、あのさ、もしかして男と付き合うの初めて? 悪いけど、それなら相手は拙者じゃない方がいいのでは?」

イデアに言われてメルは目を見開いた。

まさか付き合って数分で別れを切り出されるとは。

「ごめん。変なこと言ったかも。呼び方はなんでもいい。イデアがいい。イデアが嫌なことはしなくていい。たしかに男と付き合うのは初めてだから、イデアが教えて。イデアの言うことちゃんと聞くから」

イデアは片目をすがめていやらしく笑った。

「フヒヒ。へえ、そうですかあ? 拙者の言うことちゃんと聞けるの? ハジメテなんだからもっと優しくしてくれる人がいいのでは? 拙者は効率重視ゆえ全然優しくないでござるよ。それでもほんとにいいの?」
「うん。いい。それがいい」
「デュフフ」

それが二人の関係を決定付けた出来事となった。


 **


その日、メルとイデアは久しぶりにナイトレイブンカレッジの外で食事をした。

イデアは人混みを嫌って寮に引きこもっているが、寮内だから常に快適というわけでもない。寮長室と言えど部屋にはトイレや水道設備がないのでときどきは部屋から出る必要があるし、そう頻繁に誰かを寮長室に連れ込んで長いあいだ二人きりというのも変な噂が立ちそうだし、寮生が急に訪ねてくることもあるし。

幸いメルはたまに外に出かけるのをとても喜んだ。

利害が一致している。

一つの行為で二人以上が楽しめるのは効率的だ。イデアは効率的なことが好きだった。だからその日もイデアは、自分たちの付き合い方は効率がいいと考えて口元だけでにやりと笑ったりしてメルに気味悪がられた。

そう、イデアはそんな風に傍から見れば機嫌が良さそうだったので、メルは油断した。

メルはイデアの長い指が器用にスマホをいじるのを眺めるのが好きだ。急ににやにや笑ったりするのはいつものことなので、ちょっと気味が悪いと思うか、機嫌が良さそうだと思うくらいですんでしまう。学外のレストランで彼と同じテーブルについていることの感動は何もかもを凌駕してしまうから恋とはつくづく面白い。

テーブルの上には一人分の食事がある。それはもちろんメルの分だ。イデアは飲み物だけ頼むことが多く、今日も例外ではなかった。

「これ美味いな。海鮮の味が染みてる」

メルが食べているのは日替わりメニューのパスタだった。シーフードがたっぷり入っている。ナイトレイブンカレッジが建っているのが海に囲まれた賢者の島なので、島のレストランで提供される魚介料理はどれも格別に美味しい。だから、イデアも食べればいいのに、という気持ちがつい言葉に乗ってしまうのも仕方がないことだった。

イデアはそういう押し付けを鬱陶しがる。

「料理は化学する芸術ですからな。拙者は専門じゃないけど、凝るひとの気持ちはわかるかも」

イデアはそう言ってレストランを見回した。

そういう見方もあるのか、とメルは感心した。

イデアとは何度も二人で食事する機会があったが、彼があまりに関心なさそうにしているからよく話したことがなかった。このことがメルの気持ちをさらに油断させた。

「イデアも食べてみる? オルトもきっと喜ぶよ」

その言葉は、言わないようにしていた言葉のひとつだった。

オルトってなに?

その髪ってなに?

ゲームの時間減らしてもっと寝たら?

もっと外に出たら?

もっと人と触れ合ったら?

もっとご飯食べたら?

もっと、もっと、もっともっともっと。

それはイデアを気づかう振りをした自分自身の利己的なアドバイスだと、普段ならしっかり自覚して自粛しただろう。でも今は、ずっとずっと好きだった憧れの人と付き合って、デートして、レストランで彼を独占して、視線を集めている。そんなときに自分を律して慎むなんてできるわけがなかった。

イデアといるときはいつもそうだ。特別なのはイデアなのに、自分が特別であるかのように勘違いする。イデアにとって自分が無二であるとは、思えたことは一度もないのに。

イデアの許可なく彼の世界に土足で踏み入ることのないよう、十分注意を払ってきたのに。

メルがイデアを伺い見ると、彼の薄暗い瞳と目が合った。

「はああああ、そういうこと言われるのめんどくさ。食べたかったら自分で勝手に注文してるし、そうじゃなくても一口ちょうだいって言えるくらいの仲でしょ。美味しそうに食べてるとこ悪いと思うから言ってないだけでそういうの食べたいと思わないし価値観押し付けられるのも虫唾が走るっすわ。こういう人の多いとこ出てきてるだけで君のために頑張ってるのにこれ以上を求められるの無理すぎ。オルトが喜ぶ? 会ったこともないくせに。だいたい今はオルト関係ないだろ……」

イデアの棘のある言葉がメルに刺さった。敵意剥き出し、悪意、嫌悪、恋人からかけられた言葉とは思えない憎悪に満ちていた。

そしてイデアはメルから目を逸らし、それからは何を聞かれても生返事しか返さなくなった。

レストランを出て寮に戻る途中、メルは激しく後悔していた。せっかく食べた美味しかったはずの魚介のパスタも、そんなはずはないのに食べ過ぎたみたいに胸焼けしている。

イデアが追い払わなかったので、メルはイデアの部屋までついて来てしまった。

「僕の言葉で傷ついたって顔、やめてくれない?」

メルがイデアの言葉で顔を上げると、イデアが目の前に立ち塞がっていた。立ち塞がると言っても、イデアはひどく姿勢が悪いので、自分より背が高いはずなのに同じくらいの高さに顔があった。だから妙に顔が近くて緊張する。

「違う。さっきは、俺の方が、ごめん」

メルがこわごわイデアを見ると、いまだにどこを見るでもなく顔を俯かせている。少しも機嫌が直っていなかった。

「あああ、無理無理ほんと無理」

大きなイデアの手がメルの頬を包んだかと思うと、急に口付けられた。キスと呼ぶには性急すぎる口付けだったからメルはそれを楽しむよりも驚いた。

「ん、んっ」

口を離すとイデアは長い腕をメルの体に回して密着し、「外泊届出してるの?」と事務的に尋ねた。その声は笑ってもいないし優しくもなかったけれどメルの欲望を心地よく刺激した。メルは何度も頷いた。

イデアにはサディストの気がある。痛いこと、苦しいこと、汚いことを強いて興奮する。セックスでは道具を使って拘束したり体を叩いたりする。イデア以外に経験のないメルでもイデアとの行為が一般的ではないことはわかった。天才というのはセックスもふつうと違うのかもしれない。

イデアは靴を脱いでベッドの上に座り、靴下をベッドの端に放り投げた。おそらく後でオルトが片付けるのだろう。

「こっち来て」

イデアに呼ばれたメルは顔を赤くしてベッドの近くまで寄って行く。指示がないので床にも座らないしベッドにも乗らない。早く触ってほしくて堪らなかったが、そんなことを言えるはずもなく、心許なげに視線をさまよわせた。

イデアは焦らすようにメルをじっと見てから体をベッドの縁までずらし、メルを挟むように両足をベッドから下ろした。そしてメルの腰に添えた手を動かして体を撫でていく。

メルは耳まで顔を赤くしつつ、イデアの端正な顔を見つめた。

イデアの顔をこんなに間近で見ていられるなんて、付き合っている者の特権なのだから、とメルは遠慮せずに見てしまう。普段なら「なに見てるの」と嫌がられるだろうが、こういうときくらいは許してくれるのも嬉しい。

イデアの左手がじょじょに上半身を上って、メルの胸の敏感な場所を探り当てた。

ああ、気持ちいい。

精密機器を扱うから、こういうことも得意なのだろうか。メルはそんなことを思って少し笑った。特に利き手の左手はそうだ。

メルはイデアの手が好きなのだった。

大きくて、繊細で、でもがさつで、メルのいいところを簡単に暴く。強引で、傲慢で、臆病で、優しい、イデアの心をそのまま表している。

メルが目を閉じて脚を震わせると、腰に添えられただけだったイデアの右手がメルのベルトを掴んで、一気にベッドの上に引き倒した。イデアにそんな力があるわけがないから魔法を使ったのだろうがどんな魔法だったかメルにはわからなかった。

イデアはメルの上にかぶさり膝でメルの股ぐらを押し上げる。

強すぎる刺激にメルは「あっ、」と声を上げた。

「痛がらないで。手は上」

イデアが無茶なことを言う。

でもメルはイデアの期待に応えたくて、懸命に快楽を拾おうとした。腕は頭上に置いて、動かないよう拳を握りしめて痛みに耐える。

イデアは膝でいじめるのを止めると、左手をメルの服の中へ滑り込ませた。頭を下げてメルの耳元にこすりつけるとイデアの燃える髪がメルの顔にかかった。

「……ハァ、ハァッ……」

はじめはイデアの息が荒くなるのを、メルは興奮して聞いていた。

しかしイデアはしばらくして動くのをやめ、「うぅ、ううぅ……」と唸った。

泣いている、と気づくのには、だいぶ時間がかかった。

「イデア……?」

メルが腕を下げてイデアに触れても、イデアに咎められることはなかった。ふだんならあり得ないことだ。行為中に言いつけを破り、無断で彼に触れるなんて。

「イデア?」

メルはイデアの髪に触れ、彼の痩せた体を優しく抱き締めた。何があったかは皆目わからないが、イデアが泣いている原因は自分にある気がして恐ろしかった。

はっきりイデアの涙を見たわけではない。でも少なくとも彼のこんな態度は初めて見た。

苦しそうにうめいて、震え、泣いている。

イデアが落ち着いた頃、ようやく「ごめん」と返事があった。

「あ、スマソ。拙者今日勃たないかも。口で抜くだけでもいい?」

メルは驚き過ぎてすぐには返事ができなかった。

こんなことは今まで一度もなかった。もともとイデアがメルの中に挿入することは基本ないのだが、二人とも十代の若者であり、セックスすれば互いに一度は射精する。普通のセックスが何かわからなくても、互いに性的な興奮を得て射精に至るのでメルはそれをセックスと呼んでいる。

イデアに顔も上げないままベルトに手をかけられたところで、メルは慌ててイデアを制止した。

「しなくていいよ!」

恋人が泣いているのに口淫させようとは思えない。たぶんしてもらったら勃ってしまう気がするのも情けなかった。

「俺が言ったことのせい? なら本当にごめん……」

何がイデアをこうも傷つけたのかメルにはわからなかった。それでも黙ってイデアを放っておくこともできなかった。

「君が言ったこと? 本質的には全然違う」

イデアは外しかけたベルトを元に戻すとメルから離れたところで膝を抱えて座った。イデアの大きい体は折り畳まれて小さくなって、そのほとんどが彼の燃える青い髪に隠された。

「ごめん……」

メルに謝られるとイデアは顔を膝の間に隠した。そしてしばらくすると再びうめいてまた泣き出した。その声が余りに苦しそうだったので、メルを辛くさせてもらい泣きを誘うには十分だった。

「オルト……、」

メルに聞き取れたのはそれくらいだった。

「オルトって、弟の?」

メルがそっと近づいてイデアの背を撫でてもイデアに嫌がられなかったので、手を振り払う気力もないのだと思えて余計に悲しくなった。

「弟は死んだ。だから、お、おると、……うぅ、オルトは……、」

メルはベッドの上に置いてあったティッシュの箱を引き寄せて、イデアの足元に差し出した。

イデアはティッシュに気づくとそろりと顔を上げて、ティッシュを一枚取って鼻をかんだ。それでも足りなかったのかまた一枚取って鼻をかんで、三枚目は顔を拭くのに使った。

メルはイデアの泣き顔を、不謹慎にも可愛いと思って眺めた。目元にきらめく涙の滴は電子の光と彼の燃える髪に照らされて、イグニハイド寮生の魔法石のように輝いていた。まつげが濡れて束になり、普段より彼の目元は儚く見える。自己肯定感が低いくせに強気で自分本位なイデアらしくもなく、俺なんかに慰められて。

『弟は死んでいる』というのは、実のところメルには予想できていた。

オルトは死んでいる。

魔導ヒューマノイドの“オルト”とは別の存在。

イデアはオルトについて何か打ち明けるということはなかったが、かといって事実を隠して秘匿することもなかった。「今のオルトならできる」とか、「今のオルトは知らないけど」とか、魔導ヒューマノイドの“オルト”ではない存在を感じさせることはよくあることだった。

でもイデアにとってのオルトとはなんだろう?

本当のところは何もわからない。

彼らのことをもっとよく知る日が来るだろうか?

メルはイデアの小さく丸められた背を撫でながら、きっとそんな日は来ないだろうと思った。

そうとしか、思えなかった。

「イデア。俺帰った方がいいかな」

メルは「引き留めてくれ」と強く願ったが、叶わなかった。

「うん」

それだけ。

俺のことなんてどうでもいいんだろう。

まあ、失恋とはそんなものだ。

イデア・シュラウドという男は、案外なんでも言いたいことを口にする。独り言だから聞かなくていいですよ、という体で悪辣なことを言う。その男が何も言わずに帰れと言うなら、これから百年待ったって彼は何も言わないに違いない。

失恋をした。

でもメルはそれほど悲観しなかった。

イデア・シュラウドは天才だが性格に難があり恋人としては最悪な男だった。

イデア・シュラウドはサディストでメルに対して悪趣味な性感開発をおこなったが愛ある交接は行わなかった。

イデア・シュラウドはちょっと信じられないような引きこもりで校外でのデートはほとんどなかった。

イデア・シュラウドは弟を深く愛したがメルのことは愛さなかった。

それだけのこと。

これから数えきれない人と出会ってそのうち何人かとは恋愛関係になるのかもしれない。でもイデアほど弟を愛する男と出会うことはないだろう。

イデアを知るほど、イデアは弟しか愛せないのだと思い知る。

あんな失礼で引きこもりで口の悪い男、何も惜しくはない。

何も惜しくはない。

何も惜しくはないが、メルはただ、イデアが弟以外の誰かを愛して、その人に同じだけ愛してもらえる未来があればいいのに、と思った。
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