バーン!
アメコミで言えばまさに悪者の登場シーンである。もっと現実的に考えると、不意で想定外の爆音が早朝の街に鳴り響いた。
バキバキ!
生け垣を打ち破って何かが俺の家の庭に侵入したと思しい不吉な音も伴っていた。悪夢、ではなく、現実である。
「いってぇぇぇ!!」
そしてその声は幼馴染みのものに違いなかった。
「うるっせぇぇぇ!!」
只今の時刻は午前5時。季節によっては空も白む前だ。
「いてててて、リョータ、助けて…」
「自力で出ろやぁ!」
「いたたた、ヤバいってこれ…」
ァアン!?
何がヤバいんじゃ、ドアホ!
幼馴染みを怒鳴り付けながら縁側から庭に出て事故現場を目に留めたとき、俺は言葉を失った。
「……」
密かに家庭菜園で育てているゴーヤを支える添え木が、紀勢の太股に不気味にぶっ刺さっていたのだ。裸足で画鋲を踏み抜いたことのある俺でも流石にその壮絶な負傷には顔が引き攣った。
「リョータ、」
紀勢の泣きっ面は少しも可愛くなかった。
普段の凶悪顔の方がまだ見ていられる。
しかしながら俺が紀勢との長い付き合いの中で彼の目に涙が浮かぶのを認めたのは初恋の文枝ちゃんに振られた時とこの時のたった二度である。多少の同情は、してやった。
いや、でもなぁ。
ゴーヤ、グチャグチャじゃん。
紀勢の顔も、グチャグチャ。
それが先週の出来事だった。紀勢はそれから入院していて、今日は明日には晴れて退院することが決まったという報告を受けたところだ。
「お前の生命力が怖いわ。ゴキブリ並だな」
「俺が元気になって嬉しい?」
「せやなー」
俺の心の篭っていない相槌に紀勢はへらっと笑った。
入院してたった1週間で院内を徘徊するに至った紀勢は一躍リハビリをしている人たちの人気者に成った。期待の星、希望の星、らしい。
馬鹿みたいなその話を初めて電話で聞いた時の俺の返答は、「まずその頭ん中を治してもらえ、ドアホ」だった。
そもそも紀勢がこう早く回復できたのは半分は俺のおかげだ。まず太股に突き刺さった添え木を力任せに抜こうとするのを制止して、変に曲がった腕を冷やして固定した。そして円滑に治療してもらえるように口利きを頼む根回しまでした。
ちなみに内科医に特別に応急手当てをしてもらい、言われた言葉は「警察呼ぼうか?」だった。
捕まるのは紀勢の方だけどな。
確かに紀勢は交通事故に巻き込まれた歩行者かリンチ遭った非行少年みたいに悲惨な格好だった。今も身体中に痣がある。
「俺はリョータみたいなダチがいて幸せだっつうのに」
痣だらけの紀勢のアホ面がだらしなく緩んだ。
「俺はお前みたいなトモダチ要らんわ」
「なんで!?」
「ゴーヤ、お前のせいでグチャグチャんなったんだぜ?」
どんどんツタが伸びていくのが面白かったのに。今はもう水もあげていない。
「ゴーヤぐらいで…」
ァア?
“ぐらい”ってなんじゃ。
ゴーヤ、“ぐらい”?
「小学生んときさあ、お前とダチんなると頭悪くなるって噂あったの知ってる?」
「ァア?」
だから紀勢は一匹狼だった。
もっと酷い噂もあったし、俺だってそれを信じた時期があった。
「今だって、変わんねえな」
「ァア!?」
「お前といると気分わりぃんだよ!」
俺の言葉をきっちり全部聞いてから、紀勢は勢いよくベッドから立ち上がって無傷だった脚で助走を付けてその脚で俺を蹴り倒した。
「何すんじゃぁぁぁ!!」
「うるっせぇぇぇ!」
「死に損ないはさっさと死ねぇ!!」
揉み合ううちに脚に痛みを感じた。
でもそれも長くは続かなかった。紀勢の腕は力なく俺を掴んでいて、はっきり言って女に縋られている時の方がまだ力入ってるだろと思えるくらい紀勢は弱々しかった。
それに、俺は至近距離で怒鳴り散らすこの弱々しい男に目が釘付けになっていた。
おい、紀勢。
お前それマジかよ。
「……、」
紀勢が泣くのを見たのは、長い付き合いの中でも、初めてだった。
目に涙が浮かぶってのはあったけど、こんな風に『泣く』ってのはなかった。確かに間違いなく一度もなかった。
日焼けした頬を、涙が濡らした。
「お前、泣いてんじゃん…」
マジ泣き?
「うるせぇ、見んな!」
なんで泣くんだよ。
死ねって言ったから?
「わりぃ、なんか」
俺の久しぶりの謝罪に紀勢の何かが余計に反応したらしく、声を抑えるのも虚しく可愛くもない嗚咽が病室にこだましていた。
少ししてから紀勢は小さな声で言った。
「文枝ちゃんも、そう言ったんだよ」
ああ、そっか。
お前が必死で泣くのを我慢したあの時の涙がいま出てきたのか。
『お前といると気分わりぃ』がまさかのクリティカルヒットだったわけね。
思いがけないことってあるもんだよな。
でも、いまそれどころじゃねえわ。
いてぇ。
俺の太股にはシャーペンがぶっ刺さっていた。太股を手で押さえたときに目の端に映ったのは、学校の教科書と汚い落書きしか描かれていないノートだった。
馬鹿が勉強してんじゃねえよ、ドアホ。
「紀勢、」
紀勢はすぐには俺の現状を理解できずに首を傾げて怪訝そうな目を向けてきた。俺とは大違いだ。
自力でシャーペンを抜いて水で洗ってから病室に戻ると、紀勢は何故か笑顔だった。
「同じとこに傷出来たね」
ぬかせ。
「やっぱお前みたいなダチは要らんわ」
「ハァ?」
「もう見舞いにも来ねえ」
「大丈夫、明日には退院だから」
最悪だ。
こんな男とは縁を切ってやる。
「死ね」
紀勢はアホ面を緩めて笑った。女が好きそうな甘いマスクというやつだ。
「俺たち、死ぬときも同じなんじゃねえ?」
曰く、“悪縁契り深し”。