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卯月/冬に臨む

教室を離れていたことについて、先生は私を咎めることはしなかった。先生はあやめを先に教室に帰して今日あったことについて尋ねた。

若い人だな、と私は場違いなことを思った。



【冬に臨む】



「早く着いたので、校内を少し歩いてました。すみません。その時に落としたのかと思って慌てて探しに戻ったんですけど、さっき教室に戻ったらカバンに入ってました」
「それは、見付かって良かった。今日のは遅刻にしないけど、僕のクラスでは出席を取る時に教室にいない人は遅刻扱いにするから、気を付けるようにしてね」
「はい。すみません」
「あーあと、高階さんは菖蒲陽平君と知り合い?」

それは、確か。

陽平君って、彼だよね。

「さっき初めて話しました。先生が呼んでるって教えてくれました」

先生は特に顔色も変えずに「そうですか」と答えた。

陽平君は「先生に目を付けられた」と話していたけれど、私こそ先生に目を付けられた筈だ。平凡な高校生活を地味に在り来りに過ごしたいと思っていたのに、いきなりクラスで名前を売ってしまったのだから最悪だ。

陽平君にとって悪いことは喋りたくないけれど、何を言うべきで何を黙っているべきか分からない。

私自身にとってさえ、それは定かではない。

「分かりました。もういいですよ。47分には廊下に整列して欲しいので、高階さんも準備してください」

先生はそう言って愛想笑いした。

若いのだけれど、若々しくはない。

「はい。すみませんでした」
「いいよいいよ」

私が教室に戻るのを先生は淡々と見送った。それは父が今日私を見送ってくれた姿に似ている気がした。私情のない姿。仕事をする男の人の顔。

これから始まる新生活は楽しいものになるだろうか。

これから始まる高校生活は価値あるものになるだろうか。

これから始まる人間関係は得難い友情を築くだろうか。

私は不安だ。自信がない。牡丹さんだけが私の希求する光明であり感傷を呼ぶ愛着であり唯一の親友であり私の内情を知っているかもしれない人だ。牡丹さんと一緒にいる為に私はこの学校で何事もなく過ごしたい。目立たない存在でいたい。

例えるならば桜に見劣る梅の花。

私は私を見てくれる牡丹さんのためだけに咲きたい。

ああでも梅の花も可愛いから私には贅沢な例えかも。

教室に戻るとあやめと陽平君が明るく迎えてくれた。陽平君には先生に上手くは言えなかったことを謝罪した。あやめにはできるだけ優しげに微笑んでみた。特に上手くはいかなかったから自己嫌悪した。

トリック

※映画ラストステージのネタバレ含みます



山田はマジシャンだからトリックを見破って果敢に詐欺師や騙しに挑む。上田は時々全うな意見を言って山田を手助けるけれど、なんだか弱虫で間抜けな頭でっかちとして描かれている。

でもさ、上田さんはいつも山田を助けてくれる。
山田が罠にかかったり上田さんに置いて行かれたり逆恨みされたりとばっちり受けたり、とにかく危機的な状況に陥った時にはいつも上田さんが助けてくれる。馬鹿みたいなパワーで困難や壁を突破してくれる。
山田は知らずのうちにそんな上田さんを信頼しているはず。


ラストステージの時、上田さんは、後悔したと思うんだよね。いつもは上田さん、山田が死の恐怖を感じる前に助け出すのに、それができなかった。
死んだ、と思ったはず。
助けられなかった。助けたかった。と思ったはず。

だって上田さんは山田が自分を信頼していることを知っていただろうから。そんな自分を、上田さん自身も信じていただろうから。

超常現象なんて嘘だ。
トリックだ。
そう思っていたのに、その同士である山田は理屈も法理もないものの為にその気持ちだけで身を賭してしまった。

もし物理学では説明できないものがあるとしたら。
もし我々が魂を持つなら。
その魂は肉体の死すら超えるものなら。
もう、物理学なんて要らない。
お金も権威も要らない。
君だけが、欲しい。


なんてね。



山田はなー、なんかそんなにぐちゃぐちゃ考えてないと思う。本能の赴くまま。上田さんは一緒にいて疲れないしまあまあ面白いやつだぐらいに思っていそう。
ああ、でも子供の時から友達いなかっただろう山田にとって、変人とは言え上田さんが構ってくれることは感動的な出来事ではないだろうか。

なんで私に構うんだ。変なやつ。
なんで私以外の人と仲良くするんだ。裏切り者め。
上田さんって単純だなー。面白い。
でも上田さんが私のことなんて思ってるのかは分からない。なんでだろう。

好き?
好きなのかな。
誰が?
誰を?
好きなのかな。

私が死んで上田さんを助けるってのも悪くないなあ。理屈じゃないよ。助けられるんだから、助けるんだよ。私だけがその方法に辿り着いた。
上田さん、私のこと忘れないだろうか。
私が死んで、どんな顔するのかな。

まあいいや。

上田さん、足速いし助かるなら、まあいいや。


なんてね。
続きを読む

トリック

そういえば上田先生って上田次郎っていうくらいだから次男なんだろうなあ。理系至上主義なところは、実は文系の兄に対するコンプレックスだったりして。
山田を紹介する時は「中身はともかく見た目はまあまあだろう」とか微妙な自慢をかまして欲しい。

山田には、上田の兄が余りにまともであることに対して失礼で大袈裟な態度で驚嘆して欲しい。それで下世話な質問をして兄に初対面から引かれまくる。


という妄想。

トリック

上田先生のこと
山田のことを好きだと自覚していて、山田からも好かれていると思っている。山田は照れ屋で生娘で天邪鬼だから向こうから好きとか言われることはないだろうという認識がある。けじめを付けるなら自分からだろうなあと考えているが、このままの関係も悪くないと思っている。結婚したいと思ったこともあるが、今はどっちでもいい。お母さんと連絡取り合っていて、結婚は奈緒子さんの気持ち次第です、とか大真面目に話していそう。
山田が素直じゃないので面白くなく、時々いじめて楽しんでいる。マゾに見せ掛けたサディスト。
ラストステージの後、気持ちを表現することの大切さ(口で言ったり、文字で書いたり)を実感した。ついでにけじめを付けるのは自分であるべきで、山田の気持ちはもう分かり切っているのだから、山田になんと言われたって良い、と決意した。愛しています、宝はいらない、な状態。


巨乳で美人な天才マジシャンのこと
上田のことは好きではない、と思いたい。素直じゃない。上田から好かれているかもしれないと思ったり、そんなことあり得ないと思ったり、忙しい。理由は分からないけど何かあったら上田が助けてくれる気がしている。理由は分からない。



山田、俺と結婚するか。

そういえば上田さんって私が初めて会った時からずっと彼女居ませんよね。巨根過ぎてモテないんですね。へへへっ

はあ?

まあ、どうしてもって言うなら、私がお前を貰ってやらないこともない。その時は結婚費用は全部上田さんが出して、沢山の餃子と寿司を用意して誠意を表現してください。

何馬鹿なこと言ってるんだ。俺は暇じゃないんだ。帰る。

あっ。あ、冗談に決まってるじゃないですか!

冗談?

ぎょ、……寿司で手を打ちましょう。

YOU、寿司が食べたいのか。

え?

ふん、だったらそう言え。俺と暮らすなら少しは素直になれ。良い寿司屋を知っているから連れて行ってやるよ。

え、え?

最高の寿司屋だぞ。俺はそこで何人もの代議士と知り合いになった。中には大臣や首相や、或いはノーベル賞に最も近いと言われている…

ま、待ってください。本気じゃないでしょうね?

本気? 俺はいつでも本気だ。YOUこそ何故ベストを尽くさないんだ?

は、はあ?

まあいい。寿司を食って、婚姻届を書くぞ。

馬鹿言わないでください。婚姻届出したら結婚したことになっちゃいますよ。

寿司食ったら結婚するって言ったのは君の方だ。

ばんな、そかな。

それは俺の言葉だ。無断借用するなら結婚してからにしろ。

お、お前。そんなの要らん!

そういえば、お前、山田じゃなくなるな。

そうですよ。美人天才マジシャン山田奈緒子として名前が売れているから名前が変わるのは困ります。上田さんが山田になってください。

なんだ結構乗り気じゃないか。まあ、お母様には婿養子になっても良いとは伝えてあるがな。

え、お母さんに結婚のこと話してるんですか?

当たり前じゃないか。

なんで私より先に!

ん? 当たり前じゃないか。

酷いですよ。こんなのお断りします!

じゃあ寿司はいいのか。さいっこうの寿司だぞ。俺は一人でも行くぞ?

……

……


という妄想をした。

卯月/あやめ

教室に戻ってみることにした。入学式まで時間がないからだ。このまま帰るには私は余りに無実だと思う。突然見知らぬ人に絡まれて眼鏡を奪われて思わず逃げ出してしまったけれど、向こうがごめんと言って引き留めに来るでもない。あの人の名前も知らない。顔も見なかった。これでは余りにあんまりだ。

私が入学式まで放棄することはないだろうと思う。

しかし酷く惨めではある。

教室の前に来ると騒々しくて、明るくて、私はとても悲しくなった。

出席はもう取ったのだろうか。

私は遅刻ということになるのだろうか。

「あっ!!」

その女の子の声は、明らかに私に向かっていた。教室のドアから先への敷居が高く感じられて足を踏み出せずにいた私には嬉しいものだった。

「あの……」
「良かった! 先生が来て、タカシナさん居ないから、あの男の子が話してくれて、もう入学式だから身だしなみをって言われて、あ、トイレもね、向こうにあるんだけど場所分かる?」
「うん。トイレは大丈夫」
「良かった! あ、ボタンは留めた方がいいみたい」

彼女は忠実忠実しく私のブラウスのボタンを留めた。

「遅れた理由をね、話さなきゃだと思うの。最初の日だから、その時は私はいなかったから、私が説明できたら良かったんだけどね、でもあの前の席の男の子が話してくれたから大丈夫。心配だけどね、私、一緒に先生のとこ行こうね!」

うむ。

なんだか如何にも女の子然としたクラスメイトに気遣われているようだけれど、話していることが要領を得ない。

教室を見回してみる。

男の子と目が合った。

「あ、タカシナさん。戻ってたんだ」
「はい、すみません」
「なんか災難だね。朝来てた先輩達、学校では結構有名な人らなんだよね。先生にタカシナさんのこと説明しづらくて、校内に何か落し物したみたいだって言っといたよ」
「ありがとう」

男の子はちょっと疲れたように笑った。

「俺の方は先生に目付けられちゃってさ、タカシナさんも上手いこと言っといてよ」
「え?」
「いや、いいや。『落し物』ってのは本当なんだよな?」

『落し物』には、覚えがある。

「タカシナさん、落し物したの?!」

女の子が心配そうにそう言った。悲鳴みたいな声だった。

「いや、大丈夫。それよりさ、名前聞いてもいいですか」
「あ、私! 下遠野菖蒲。あやめって呼んで!」
「あやめちゃん、色々ありがとう」

あやめは照れ臭そうに破顔した。

「俺は菖蒲陽平。陽平でいいよ」
「ありがとう。助かりました」

陽平君はやはり疲れたように笑った。

「私、先生のところに行ってくるね」
「うん!」

職員室に向かうと何故かあやめが自然と付いて来た。来るなとも言えない私は親に付き添われているようで妙に気恥ずかしかった。

「ピンあげよっか」
「え?」
「これ! 私よくピン失くすからさ、ポケットのとこに留めてるの。ピンってすぐ失くなっちゃうんだよね。だからこうしてさ、無いと不便だしね」

あやめの手にはヘアピンが摘ままれている。

「前髪かかっちゃうでしょ。入学式だと何度もお辞儀したりして邪魔になっちゃうから、ヘアピンあったらいいと思うんだ」
「ありがとう」

勢いに押された。

なんとか有耶無耶にして断りたいところだったけれど、あやめは立ち止まって私の前髪を留めてくれた。

「ありがとう」
「いいよ! あのね。実はさ、タカシナさんすごい可愛いなってね、ずっと思ってたの」
「は?」
「教室でタカシナさんの隣空いてなくてさ、私ちょっと遅刻しそうだったから、前の方しか空いてなくてさ、だから席はすごい遠いんだ。でもこうして友達に成れてすごい嬉しい」

私の目にあやめは本心から照れて嬉しそうな表情をしていた。私がこの高校の入学試験に合格したことが分かった時でもこんなには嬉しそうにしなかったと思う。

あやめこそ可愛い女の子だよ。

「タカシナさん、名前なんていうの?」
「うめか」
「うめか! 可愛いね!」
「ありがとう」

じっと見詰められた。

「あ、やっぱり、あの、前髪ないと顔見えてさ、やっぱ可愛いね」

あやめが赤面したので釣られて私も顔を赤くした。

なんか恥ずかしい子だな、と思った。



【あやめ】

藤ヶ谷 かんな/Queen's Smile

高校生って言っても周りに居るのはついこの間まで中学生だった連中だからやっぱりどうもガキっぽい。だから先輩達が来てくれて良かった。丁度良い退屈凌ぎになる。

「一年の女の中じゃ、かんなが一番可愛いよ」

中学が同じで知り合いだった久保田先輩がそんなことを言ったお陰で他の先輩達が興味を持ってくれたらしい。入学式を控えているというのに『一年で一番の美少女』を見る為にさっきから何人もの先輩達が私を囲んでいる。

「あ、久保田さんみっけー」

そう言って近付いて来た人は中々レベル高い顔だ。可愛いジャニーズ系の顔。

「こっちこっち。こいつが『かんな』。可愛いだろ」
「あ、噂のかんなちゃん? まじだ、すげー可愛いっすね。つーか俺らかんなちゃん探すのにクラス間違えてなんか面倒なことになっちゃったんすよね。あ、俺は猫島ってゆーの。よろしくねー」

猫島先輩はにっこり笑った。

なんか女装させたいくらい可愛い顔だわ。

「お前、手伝いに来て面倒起こすなよ」
「藤瑚がなんとかしてくれるからいいんですよ」

猫島先輩はいい笑顔で久保田先輩にウィンクした。

「久保田さん、設営の人が探してましたよ」

そう言ったのは猫島先輩と一緒に来た人だ。かなり長身でいい男だけど私には興味無さそうなのが伝わってくるからこっちもその気にはならない。

「じゃあ俺行ってくるわ。かんな、そっちのデカい方の男には気を付けろよ。捨てられた女に刺された傷が身体中にあるって噂だから」

大丈夫でしょ。

こいつは私に興味無いだろうし。

久保田先輩はそう言って教室を出て行った。

「連絡先教えてよ、ね」

猫島先輩は早速そう言った。人懐こい笑顔でそんなこと言うから許せちゃうところが罪だわ。いつもにこにこ近くで笑ってくれたら癒されそう。

ヤバいのはこっちでしょ。

猫島先輩は自分の武器を自覚している人だ。

「ちゃんと連絡くれるんですか」
「今度ハクと花見するから、一緒にどう?」
「お花見いいですねえ」
「そうっしょ?」
「じゃあ、花見、絶対ですよ」

連絡先を交換すると猫島先輩はあっさり帰っていった。猫島先輩もそれ程私には興味無いらしい。

程良く時間も潰せたところで、私は近くに座っている女の子に声を掛けてみた。先輩達とのやり取りを聞いてはいたらしく、そのことを話すと喜んで食い付いてきた。

高校生活もちょろいわ。

笑ってれば上手くいくんだから。

退屈な高校生活が、しかし思い通り順調に滑り出したことに私はほくそ笑んだ。



【Queen's Smile】

卯月/浮き雲

目をじっと合わせてからの、シカト。

私のぎこちない「おはよう」を不気味に感じたに違いない。せっかく声を掛けてくれたのに、私はなんて失礼なことをしたのだろうか。これから1年間、或いは3年間は同じクラスで過ごす可能性だってある人なのに。

努めて笑顔で。

笑え、私。

「おはよう、ございます」

とりあえず隣の席の人に言ってみる。

「私、あの。ええと、緊張しますね。あの、これから同じクラスだから、あの、よろしくお願いします」
「……、そっすね」

これは失敗した。引かれた。しかも名乗り忘れたら向こうも名乗ってくれなかったし距離を置かれた気がする。

男に声掛けたからか。女の子は女の子同士で集まっているみたいだし、私もあそこに入らないと。今から入らないとこれから先はもう居場所がなくなる。

どうしよう。周りに私みたいな人が居ればいいのだけれど、見回してみれば教室の最後列には強面の男しかいない。後は私と似た様な雰囲気の女の子が携帯をいじっている。あと本を読んでいる男もいるけれどあの人はもう友達作る気ないんだろうな。

ああ、でも。

『友達なんて無理して作る必要ないよ。うめにとっていい友達をゆっくり探せばいいんじゃないの』
『緊張しないで、リラックス、ね』

牡丹さんのくれた言葉だ。

そうだ。

何を気張る必要があるのか。

如何にも授業をサボっていそうな男に愛想よく話し掛けなくても良かったんだ。

私は周囲をきょろきょろ見回すのを止めた。ぼーっとしてみる。リラックスしてみる。なんか落ち着いてきた。トイレに行ってこようかな。トイレが綺麗だといいな。花なんか飾ってあったりして。

「こんにちは」
「あっ、こんにちは!」

声を掛けられた。その人は机越しに私の目の前に立っていた。

笑え、私。

「うーん。やっぱり違うと思うんだけどなあ」

何、何が?

「でも顔よく見えねーし。ねえ、髪にちょっとホコリ付いてる」
「えっ」

その人が私の方へ手を伸ばしたから私は反射的に椅子を引いて逃げた。なんか変じゃないかな、この人。顔は、なんて言うか可愛くて愛嬌があるのに、やってることが突拍子もないから警戒してしまう。

「逃げないで。取ってあげるから、ね」

もの凄く好感度の高い笑顔でそう言われると無下にはできないものである。あと、この人がさっき言った『取ってあげるから、ね』って言い方が牡丹さんに少し似ていた。

親切な人なんだ。

突拍子もないけど。

私は少し俯いて目を閉じた。

「うああ、なんでっ。駄目!!」

私がデカい声で叫んだことには理由がある。突拍子もないことに、眼鏡を取られたからだ。

教室が静かになったことが分かった。

「あー、ごめんごめん」

何、何?!

何これ?!

顔を見られたくなくて、私は顔を下げた。眼鏡を返して欲しくて手を差し出したのに、その人は私の前髪を触って来ただけだった。驚いて私は仰け反ったのだけれど、それだけで済まずにすっ転んでしまった。

おかしい人間だと思われた。

きっと変人だと思われた。

私は居た堪れなくなって教室から逃げ出した。

最悪だ。

目立ちたくないのに。

教室にどうやって戻ろうか。どんな顔で戻ろうか。だいたいあの人はなんだったのか。誰だったのか。クラスメイトだったら私はまたしても失礼なことをしてしまった。

でも他人の眼鏡を取るっていうのは普通じゃない。

あんな笑顔で誤魔化しても私が驚くのも無理はない。皆にそう理解してもらえていたらいいのだけれど。

ああ、でも。

周りの人からしたら、私が急に叫んで教室を飛び出したってだけだから、私をおかしい人間だとしか思わないかもしれない。

「(もう嫌だ。)」

私はなるべく人の気配の無い方向を探して歩いた。

こんなのって無いよ。

牡丹さんに会いたい。

早く今日が終わって、牡丹さんに会えたらいいのに。

私はその場にしゃがみ込んだ。

溜め息しか出てこない。

最悪だ。

目の前には大きな窓がある。窓から見える青空には純白の雲が優雅に浮いている。仲間外れの雲が見えた。形が違う。きっと浮いている高度も全然違うのかもしれない。あれは、私だ。

私の目には涙が滲んでいた。



【浮き雲】

卯月/登校

目覚ましが鳴って起こされた。朝の支度はさっさと済んで予定より少し早く家を出た。風の強い日だった。

制服姿の私に牡丹さんは喜んで写真を撮った。牡丹さんに本当のことを言えないでいる私は適当に笑ってそれに応えた。溜め息は白く濁って広がる。

私は幸せだった。

夢に見た生活。憧れた生活。

家に居る間、学校に行くまでの間、私はその幸せに浸ってより絶望を深くした。



【登校】



新学期、私は今直ぐ消え去ってしまいたい様な暗い気持ちでいた。

私は父の車に乗っている。右手には父がいて、助手席には母がいる。彼らは二人とも牡丹さんの様には喜んでいないことが妙に心細い。

「式の後は一緒に食事をとろう」

父が提案した。

「新入生は少しオリエンテーションがあるって。だから直ぐには合流できないと思う」
「そうか。そうしたら、私達はホテルで待っているから、お前はこの車で後から来なさい」

父は仕事の約束を取るみたいな口調でそう言った。

「わかった」

私の返事に父は黙って頷いた。

私はこの春、今日この入学式の日を迎えて花の高校生になる。憧れていた志望校の真新しい制服に身を包んで。派手過ぎない、でも華やかな、可愛い、私には不釣合いのブレザー。

「(きっと嫌になる。)」

私は心の中でそう思った。

帰るなら今じゃないか。でも高校を卒業できなかったら牡丹さんとの約束が果たせない。今日を耐えられなければ、卒業なんて夢のまた夢だ。

約束を破れば私はまた、……。

車が速度を落としたので顔を上げると、そこはもう校門の前だった。真っ白い下地に“入学式”の文字が書かれた看板が一際眩い輝きを放っている。

一緒に車を降りた母が右手を挙げて「行ってらっしゃい」と言った。その上品な仕草を父が愛おしそうに見ていたのを私は知っている。

牡丹さんの家族とは違う。

何かが決定的に違う。

私は父母に背を向けて一歩踏み出した。足は酷く重くてその場に座り込みたい衝動に駆られる。

ああ、なんてことだ。

もう引き返せない。ここまで来たら後はもう教室に入ってあの閉鎖的で嫌に明るく健やかで賑わいと緊張と喜びの満ちた空気を吸うことが義務付けられてしまう。

目が合った。

たぶん上級生だ。

「おはようございます」

その笑顔が嫌だった。作り物みたいに整い過ぎた笑顔は私の心を写す鏡に思えてならないから。

私は逃げる様に早足でその場を離れた。

会釈をした積もりだったけれどそのまま下を見て歩いたからそうは思われなかっただろう。私の長い前髪が目にかかる。

「おはようございます」
「おはようございます!」

後ろからまた上級生の声が聞こえた。そして女の子の挨拶も。

ああ、あの子はちゃんと挨拶を返したんだ。こんな当たり前のことなのに私にはできなかった。入学式には基本的に新入生しか出席しないらしいから、あの上級生は何か役職のある人だったのだろうか。だから挨拶すべきという訳ではないけれど。

切り替えよう。

学校では違う自分になるんだ。

挨拶もしよう。

作り物で何が悪いと言うのか。美しい造花を愛でる人だって沢山いる。或いは写真や絵画が現実をより写実的に見せることさえあるのだから、作り物の笑顔が悪いということもない。

新入生のクラス分けで自分の名前を確認して、私は覚悟を決めて教室に入った。

そこは明るい場所だった。どこまでも明るい、未来ある場所だった。

私は笑ってみた。

気持ち悪くなった。

早く来過ぎたのか教室には数人しか居ない。彼らは元から知り合いなのか既に打ち解けて話している。

私は一番後ろの席に座った。黒板に大きく『自由席』と書かれていたから教師の目に付かなそうな座席を選んだ。一番後ろの廊下から二番目の特等席だ。自由席というのは予想外だったけれど早く登校した甲斐があった。そこに座ってまた教室を見回してみる。

「(馴染めない気がする。)」

余りに暗いことしか考えられなかったから、私は牡丹さんのことを思い出してみた。

優しい声で「おはよう」って言ってくれた。髪を梳かしてくれた。温かいお茶を淹れてくれた。制服に変なところがないか確認してくれた。玄関まで来て「行ってらっしゃい」って言ってくれた。牡丹さんの笑顔は少しも嘘っぽくないから安心できた。

牡丹さんに来て欲しかったな。

仕事があると言っていた。

日曜日なのに?

お願いすれば来てくれただろうか。

分からない。

「おはよう」

そう声を掛けられた時には、座席の殆どが埋まっていた。慌てて「おはよう」と答えたけれど、上手く笑顔を作れたかどうか自信がない。

私は後戻りできないことを深く自覚した。
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EIGHT DAYS A WEEK

Eight Days A Week/The Beatles

LENNON, JOHN WINSTON / MCCARTNEY, PAUL JAMES


Ooh I need your love babe,
Guess you know it's true.
ああ、僕には君が必要だ
わかるだろ?
Hope you need my love babe,
Just like I need you.
君も僕が好きだといいな
僕が君を好きなように
Hold me, love me, hold me, love me.
抱き締めて、愛して
抱き締めて、愛して
I ain't got nothing but love babe,
Eight days a week.
愛してくれればそれでいい
週に8日ほどね

Love you every day girl,
Always on my mind.
日々、君を愛してる
君の虜だ
One thing I can say girl,
Love you all the time.
僕に言えることはこれだけ
どんな時も君を愛してる
Hold me, love me, hold me, love me.
抱き締めて、愛して
抱き締めて、愛して
I ain't got nothin'but love babe,
Eight days a week.
愛してくれればそれでいい
週に8日ほどね

Eight days a week
I love you.
週に8日、君を想うよ
Eight days a week
Is not enough to show I care.
週に8日、
それだけじゃ僕の気持ちを伝え切れない

Ooh I need your love babe,
Guess you know it's true.
Hope you need my love babe,
Just like I need you.
ああ、僕には君が必要だ
わかるだろ?
君も僕が好きだといいな
僕が君を好きなように
Hold me, love me, hold me, love me.
I ain't got nothing but love babe,
Eight days a week.
抱き締めて、愛して
抱き締めて、愛して
愛してくれればそれでいい
週に8日ほどね

Love you every day girl,
Always on my mind.
One thing I can say girl,
Love you all the time.
日々、君を愛してる
君の虜だ
僕に言えることはこれだけ
どんな時も君を愛してる
Hold me, love me, hold me, love me.
I ain't got nothin'but love babe,
Eight days a week.
抱き締めて、愛して
抱き締めて、愛して
愛してくれればそれでいい
週に8日ほど

Eight days a week.
Eight days a week.
Eight days a week.

ノイウェンス ハウゼン/死刑囚

首を絞められる夢を見た。

僕は泥沼に半身を埋めていて手を伸ばすと熱い彼の手が支えてくれる。けれども彼のもう一方の手は無情に冷酷に容赦無く僕の首を絞めていた。



【死刑囚】



先生が僕の腹を撫でる。その手つきに僕の胸は高鳴るから僕の心臓は痛い。何時間も一緒に居るのに、その間僕の心臓はずっと痛い。

好きだから、これまで触って貰えなかった時間にもずっと想像してしまっていた先生の手だから仕方がない。想いが通じる前より増して僕の心は先生に囚われているのだから仕方がない。

ここには僕と先生の二人だけしか居ない。

僕は独りで世界を彷徨って先生の手を探し続けてきた。

それがこの手。

先生の熱いこの手。

愛撫して、嬲って、昂らせて、解き放って。それは世界で唯一僕を孤独から救うもの。愛なんか無くていい。僕が先生を好きなのだから、それだけで二人の人間が愛し合うのに必要な感情を満たすに違いない。

腹を撫でていた先生の手が徐々に迫り上がって胸に届いた。

拍動が伝わってしまう。

それは何故だか困る。

先生は何時も何も言わずにいるから僕には分からないけれど、僕のこの拍動を先生は嫌がる気がする。先生に嫌われたくない。

心臓が痛い。

心臓が止まってくれたらいいのに。ほんの1時間だけ、それだけでも僕の心臓はとても安らぐだろう。

心臓が痛い。

先生の心臓も痛いのだろうか。

触れてみた。先生の胸に触れると確かに脈を感じる。熱い肌から伝わるそれはゆっくり力強く脈打っていて僕はとても安心した。

「せんせ」
「何だ」
「心臓が痛い」
「……、病気か」

馬鹿。

恋煩いとは言うけれど。

「先生の心臓は規則正しくて安心する」
「そうでなければ病気だろう」
「病気じゃないよ」
「ああ、なんだ。緊張してるのか」

当たり。

「好き、ですから」

僕はあっさりそれを認めた。先生を好きなことは隠すことではないし、そうでなくても僕は先生に逆らえない。

緊張しているかと尋ねられれば、こう答えるより他にない。

『好きだからです』

先生は突然手の動きを止めた。普段血色の悪い僕の頬はあり得ないくらい真っ赤に染まっていたから、それをそれこそ病気かと疑ったのかもしれない。

「顔が赤いな」
「はい」
「照れてるのか」
「はい。いま凄く恥ずかしいですから」

無視して聞かなかったことにして立ち去りたいような内容の質問でも先生が相手なら僕は自白剤を飲まされたかのように本音を隠さずつらつらと答えてしまう。それで呆れられても嘘で嫌われるよりは良い。

「聞かせて。ノイ」

先生は胸をひと撫でしてそこに耳を当てた。

心臓が痛い。

心臓が痛いよ、先生。

「せんせ、やだ」
「何故?」
「心臓が痛い」
「……、病気じゃないよな?」
「病気みたいなものだよ」

こんなの、おかしい。

先生は楽しそうだし元気そうだし仕事が落ち着いたらしく生活も整っていて笑顔が多くなった。僕が想うようには先生は僕を想っていないと考えるのも無理はないだろう。

先生は僕の胸に耳を押し当てたままその手で僕の腕を掴んだ。

僕は本能で身じろいだ。

心臓は痛いし先生は怖いし緊張しているから身体が震えている。このまま先生に触れられていたら心臓がどうにかなってしまう。

「おい。動くな」

無理。

身体が勝手に動くんだ。

「糞、おい。なんで逃げるんだ」

理由なんて無い。

「先生が、迫るから」
「迫られるのが嫌なんですか」
「え。ええと」

先生は真剣な顔をしていた。

そんなことないのに。嬉しいのに。僕の身体はその余りの喜びを避けてしまう。

「ノイ」

心臓が痛い。

僕はこのまま先生に殺されてさまうのではないかと思うくらいだった。そのくらい心臓が痛い。痛い。痛いよ、先生。僕は丸で先生への恋心に囚われた囚人だ。

そして、このまま絞め殺される。
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卯月(卯の花が咲く)

藤波の咲く春の野に延ふ葛の
下よし恋ひば久しくもあらむ
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