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笠木 征治

恋人とラブホに行って、ヤりたくないと言われる。

これってよくある出来事なのだろうか。

喧嘩して雰囲気が悪かったことは認めるけど、それをセックスでチャラにするのがむしろお決まりの展開ではないのか。そう思うとどうしても苛立って、紘平を見る目に力が入る。

その紘平は。

「なに泣いてんの」

紘平の目には涙があった。

俺は煮え滾っていた怒りを忘れ、酷く情けない気持ちを抱いた。

紘平が泣くのを初めて見た。それは嬉し泣きでも悲しみに泣いたのでもなく、恐らく俺に暴力を振るわれたことに因る。

「泣く程嫌だったのかよ」

そうなのか?

俺のことを嫌いになったか?

不撓不屈の風紀委員長が男に押し倒されて泣いている。笑えるね。

仰向けで俺にマウントポジションをとられている紘平は、それでも俺から1ミリでも逃げようと上半身を捻って抵抗している。必死じゃん。しかも泣いてる。

年下の恋人をこんな風に泣かせてしまった自分自身の情けなさに、笑えるね。

手で掴んでいるさらさらした紘平の黒髪を強く引っ張ってやると、紘平は顔を歪めて長い睫毛を涙で濡らした。

「舌、出せよ」

なんでそんなことを言ったのかと言えば、そんなのはただ振り上げた手を下ろせなくなっていただけのこと。殴る素振りを見せて結局殴らないのは格好悪い。

誰かがこれ以上は止めろと止めてくれたら、素直に聞いてやらないこともなかったけど。

「小学生の時のこと、話しましたっけ」
「は?」
「僕が小学生の時、いじめられてて」
「慶明生に?」
「塾の人に」

なんだ、急に。

紘平は如何にも惨めな顔で話し始めた。

紘平はなんでも熟す優等生だったし中等部役員を務めて悪いところを探す方が難しい典型的な良い子だった。忍野先輩とのことでは意見が別れるけれど、風紀委員長になった紘平はなかなか好評であるというのが大勢的意見である。

いじめなんて初耳だ。

「それで」

続きを、早く。

「それで……、ホモかもって思ったんです」

何言ってんの、こいつ。

ちょっと頭おかしいところは前からあったけど、こういう怖い系のおかしさではなかった。紘平は自分がゲイだとけっこう簡単に明かした。そういう時には確かに普通じゃないとは思うけど、今はなんか違う。

紘平は目を伏せた。

紘平は手だけじゃなく声まで震わせている。

「悪い風が吹けば、良い風も吹く。悪いことは起こるけどきっと良いことも待ってる。僕はそう思って今までやってきました。ねえ、笠木さん、今から起こることの先にどんな良いことが待ってますか」

紘平の頬には涙。

俺の頬にも涙。

この先?

そんなの知らねえよ。

なんかすげームカついた。紘平の人生はまだ15年も経ってないのに、全部分かった様なことを言いやがって。

でもそれが痛いくらい心を突き刺す真に迫る言葉だったから、心を打ったんだろう。

貰い泣き。

格好悪いよな、俺。

俺はさらさらした黒髪を手離した。それは滑りがよくてあっさり手から零れ落ちてしまった。

紘平は上半身をうつ伏せてそれ以上何も言わなかったし、俺も同じだった。

真正面から吹き付けていた向かい風が止んだ気がした。
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ルカ

神様だって痛いに違いない。

千切れた指は悲しげに、真っ赤な血の涙を流している。それはなんとなく、俺が女なら自分の子供なんだろうと思った。

「綺麗な血。私が全て食べられたら良いのに」
「じゃあ、舐めれば?」

這いつくばって、その艶かしい舌でさ。

クラリッツは俺をじっと見てから床の方に視線を移した。綺麗な顔は悩みや逡巡の色を表さなかったけれど、膝を折った瞬間この男が本気で床を舐めようとしたのが分かった。

「失礼、返事が無かったから」

扉の前にはセネカが立っていた。ノックを忘れる様な人間ではないから、俺達がすっかりそれに気付かなかっただけだろう。

クラリッツは何事でもない様に黙って立ち上がった。

「お客様はお帰りになったので、私も楽しもうかと」
「ご勝手にどうぞ」

セネカはチラッと俺の指を見てから顔を顰めた。俺には興味がない様だったので嫌悪されただけでも進展かもしれない。それが俺の手を離れた指であっても。

「クラリッツ、申し訳ないんだけど、警備の担当者とちょっと話して欲しいんだ。いつならいい?」

セネカはもう部屋を出るらしく、扉の前でそう尋ねた。

「今いらしてるのですか」
「ああ、そうだよ」
「では只今向かいます」

クラリッツは俺にしっかり拘束具を与えた。

瞳の中に青い焔が揺らめく。

「私は今貴方に祈りを捧げたい気分です」

そーかよ。

神様に祈るっていうのは怖いからだ。彼らは俺のことを理解できないし俺自身にしたって自分のことなんて分からない。

願いが叶うべくもない。

破壊と再生を繰り返すものが神なのか。創造と輪廻を司るものが神なのか。美しく清純なものが神なのか。清廉で潔白なものが神なのか。全知の者が神なのか。無知で罪無き者が神なのか。

祈りたい気持ち、それは畏怖だ。

怖ろしく、それ以上に超然的。輝かしく、それ以上に恫喝的。

クラリッツは赤い舌を俺の手に這わせた。それから上品に口元を拭いてシルクを紅く染めた。

クラリッツは偽者の神様に傾倒しているけど、その絶世なる美貌は確かに神様に愛されている証拠だ。窓の無いこの部屋でもきらきら光って神々しく佇んでいる。

俺は兎に角うんざりした。

クラリッツが拘束具で俺の身体の自由を完全に奪う頃には、痛みも消えていた。

人は却って怖れることを望む。

何か良いことはないか。

新しくなくても良いし、全身が震える様な歓喜である必要もない。どれ程些細な出来事でも、それで心が弾んで足取りが軽くなる様な、思い出しては誰かに話したくなること。ほんのり笑えること。

何か良いことはないか。

そんな気持ちで毎日を生きて、そんな気持ちで人が死ぬのを見送ってきた。

「美味しいです」

リノは遠慮がちにそれだけ言った。ケーキを極小さく切って少しずつ少しずつ食べていたので好きではなかったのかと心配した。

「それは良かった」

リノは必ず適格者になる。間違いない。学院を卒業すれば職業能力者になり長く生きることになる。

誰かの力に成りたい。そう思ったから司書庁に就職した。そして今また同じことを強く思った。

力に成りたい。

誰かを支えたい。

ずっと傍にはいられないから、せめて今だけでもありがとうと言われたい。役立つ人間でありたい。平和で穏やかな世界である為に何かをしたい。

君の為に、何か良いことをしたい。

「もっと食べていいよ。もしかして気分悪いの」
「いえ」

リノは小さな欠片を口に運んだ。

「無理しなくていいよ」
「いえ」

リノはまたケーキを少し切ってフォークを口の方へ運ぼうとした。俺はその手を止めた。

相変わらず、細い腕。

「いいよ、食べなくて」
「食べたいんです」
「でも無理してる」
「してません」

リノはフォークを反対の手に持ち替えてケーキを大きく切った。そこに乱暴に突き刺して食べようとしたので俺もまた反対の手で押し留めた。

「君に無理させる為にここへ来た訳じゃないよ」

リノは苦しそうに眉根を寄せて眉間に皺を作った。

「食べたいんです」

メープルシロップ色したショートヘアーは彼女の顔に陰を作らない。凛々しい顔立ちは毅然としている様で、しかし何時でも容易に脆く崩れ去ってしまえる不安定さを隠している。

「ケーキ、ぐちゃぐちゃだ」
「ごめんなさい」
「何かあったの。今日はいつもと違うよ」

俺が手の力を緩めるとリノはフォークを皿に置いた。すっかり形の崩れたケーキは余り美味しそうには見えない。

「あの」

リノは顔を俯かせて言った。

「なに」
「何かしてますか」

リノは指で洋服を触りながら言った。緊張しているらしいのが伝わってくる。

『何か』?

しているさ。

「変なんです、確かに。佑さんの中が全然視えないんです」

その方がいいと思ったんだよ。

違うのか。

「何か、してるんですか」

リノは最後の方は本当に小さな声で言ったのでその声はケーキ屋の和気藹々とした空気の中に消え入った。自問する様なその声は疑問というより不安を表している。

「ごめんね、不安にさせて。こういうの、訓練でできるようになるんだよ。嫌かな」

リノはチラッと俺を見てからまた俯いた。

「『訓練』?」
「誰でもできる訳じゃないし、リノが視ようとすれば簡単に視られると思うけど」
「やっぱり心を読まれるのは嫌?」

リノの目には涙が滲んでいた。

「なんでそんなこと聞くの」

当たり前だろう。心を読まれるのは気分が良い話しではない。でもそれをそのまま言える訳もない。

「ごめんなさい」

君に謝られると悲しくなる。胸が締め付けられて苦しくなる。息を吐こうとすると途中でつっかえる。呼吸もままならない。俺だって泣きそうになる。

それでも、そうまでしても、俺は君と居たかったんだ。

最初は綺麗な子だなと思った。

力に成りたい。

手助けしたい。

そういう気持ちは気付いたら恋に変わっていた。好きになっていた。好きな人に邪な感情を知られたくないと思うのは当然だろう。

だから知られたくなかった。

リノと居ると嬉しくなる。リノの力になれることが嬉しい。リノが苦しむ程、藻掻いて助けを求める程、俺は嬉しくなる。

こんなこと、許されない。

「能力のこと、忘れることなんてできないよ。一度得たものは簡単には離れて行かないよ。リノはこれから先ずっと能力者で在り続ける。でも、俺は、それだけでは満足できなくなった。分かるだろう?」

リノは能力を使わなかった。

何か言いたげに視線を泳がせて、少し開いた口からは意味を成さない音ばかりが漏れている。

「貴女のことが好きです。能力が嫌なんじゃない。気持ちを知られるのが怖かったんだよ」

何かないか、誰かいないか、そうやってずっと探して来たものが、リノだと知った。

心が落ち着く。

心が安まる。

眠る様に、君を想う。

「聞かないで、視れば良かったのに」

リノにはそれができる。人の心を読んで苦手なものを避けられる。

「嫌われてるのかと、思ったの」

リノは声を震わせて呟いた。

「好きだよ」

俺はその時、色んな言葉を飲み込んだ気がした。履歴を追って、探して、接触して。リノはその輪の中から生まれたのにその輪から遠い場所で泣いている。

輪から飛び出す為の合言葉が、きっとそれだった。

「好きだよ」

眠る様に、君を想う。

夢から醒めた様に、君を想う。

木之下 綾夏

リュウは私の前で時々笑う。冷たい氷細工の様な顔が綻ぶのを見るとドキドキする。

「明日も走行訓練だって」

リュウはタオルで髪の水滴を払うようにしながら言った。金色に近いはずの髪色は黒っぽく艶めいて水を垂らしている。男装するリノよりも長い髪は昔はリュウを女の子みたいに見せたけど、今はそうは思わない。

「じゃあ、私はヨルと組むのかな」
「そうなのかな」

リュウは今まで任務だった筈だから、明日の訓練は午後から参加するのだろうか。どうなんだろうと思ったけれど、リュウはちょっと疲れて見えたのでそれ以上は話し掛けなかった。

「おつかれー」

声の方を振り返ると雨宮さんが居た。その後ろに里見さんとヨルが居る。里見さんは白衣を着ていたけれど汚れて白いところは余り残っていない。雨宮さんと里見さんは二人とも服も髪も全体的に汚れているのに肌が艶々しているところが逆に怖い。

「見てよこれ」

雨宮さんは手に持っていたものを掲げた。

「じゃん」

筒状のものがスイッチを押して長刀に変わった。新しい武器だ。それは光沢のない黒い刃を持っているからなんだか安っぽくて殺傷性を感じさせない。

「ヨルにって思ったんだけど、アヤにいいんじゃないかってヨルが言うから。使う?」
「ありがとうございます」

持ってみると可成り軽い。使い方を聞いて刃をしまったりしてみたけど不気味な仕掛けも有りなかなか面白い武器だった。

「ヨルも長刀欲しがってなかった?」

私が尋ねるとヨルはゆっくり首を振った。

「澤口さんに銃に慣れろって言われて、今は銃器とナイフ使うようにしてるから」

銃は殺す為の武器だから、ヨルは使いたくないのかと思っていた。長い刀は場所を選ぶので使い勝手が悪い上に相手に武器を見せてしまうので私達の仕事には向いていない。銃やナイフは違う。

ヨルは前に警戒されないと攻撃できないと言っていた。

「そっか」

私は他に言葉が見付けられなかった。

それが戦争だ。

私達はテロリストを殲滅する為に働いている。彼らのうち最後の一人が息絶えたその時に絶滅が完成する。

そんな日は来ないのに。

リュウを見ると彼は私達を見て優しげに笑った。

澤口司令、すみません。

私は戦争しているのに男の人を好きになってしまいました。
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あの声でとかげ食らうか時鳥

待望の週末だ。

水曜日に告白して翌日に返事を貰い、土曜日は予定があるとのことだったので日曜日に終にデートの約束をしたのだ。

本日は快晴。

待ちに待った日曜日である。

如何にもルーズで遅刻して来そうな野口だったが、思いの外、彼は時間通りに現れた。

「仁志。もう来てたの?」

野口はカジュアルだけれどシンプルで小綺麗な服装をしていた。細い縁の眼鏡と藍色のピアスが馬鹿で軽率な彼を知的に見せるのがなかなか面白い。

「今来たところだよ」
「そっか良かった」

野口はへらっと笑った。

「プランは特に無いんだが。飯は食ったか?」
「朝と兼ねて済ませちゃったわ。なんか食いたい?」
「いや。だったら買い物に付き合って欲しい」

野口は気軽に同意して、そんな風にデートは始まった。

本日の感想。

こいつ慣れてるな、ということ。

ちょっと休もうと入ったオシャレなカフェに野口はもう何度が来たことがある様だった。野口は俺が好きそうなコーヒーを幾つか挙げて選ばせた。

それで俺は気付いてしまった。俺は野口と友達に成りたい訳ではないということに。

これは決定的な事実だ。

野口が如何に遊び慣れているかは友達とさえ碌に遊ばない俺にでもはっきり分かる。それが友達と遊ぶのに慣れているのか女と遊ぶのに慣れているのかはよく分からないけど、その相手が男か女なのかは大いに問題になってくる。

「野口、彼女はいないのか」
「彼女?」
「大事なことだろう」
「大事っつうか。いや、彼女はいないけどさ。問題はそこじゃないっつうか、ね」
「問題?」

問題が有るのか。

何の問題が有ると言うんだ。

「怒ることないっしょ。目が怖いって」

野口は眼鏡を外して俺を見た。捨てられた子犬の目は潤んで憐れを誘う。きらきら光る瞳は彼が汚れていてもやはり純粋なものの様に輝いた。

「別に、怒ってないだろう。彼女がいなくて何が問題なのかと聞いただけだ」
「その前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「それはお前の言う『問題』と関係あるのか」

野口は下を向いて唸った。

「もー、突っかかんないでよ」
「突っかかってない」
「じゃあ聞きたいことあるんだけど。いい?」
「ああ」

野口は何か考えようとしたけど頭が付いて行かないのか深く考え込む様子はなく話しを切り出した。

「彼女のことなんで今になって聞いたの?」
「なんでだろうな」
「切っ掛けとかあるっしょ」

切っ掛け?

お前がデートに慣れていたからだ。

女にするみたいに、俺をエスコートしたからだ。

「言いたいことがあるのか」

俺は醜い感情を抱いていると知られないようにごまかした。野口はどうしても俺に『切っ掛け』を言わせたいらしかったけれど、俺はむしろ意地でも言いたくはなかった。

「逆に、仁志って彼女いる?」
「いない」
「いたことある?」
「それが野口にとっては大事なことなのか?」
「そうじゃなくてさ」
「なんだ」
「コレ、見てどう思う?」

音を立てて机に叩き置かれたのは野口の手だ。俺は黙ってそれを見下ろした。

「コレ、意味分かる?」

焦れたのか野口は手を俺の目の前に差し出した。手の甲を俺に向ける不自然な動作に、俺は漸く彼の言わんとすることが分かった。

「指輪……」

野口の指には指輪が嵌められていた。正確には、野口の左手の薬指にシルバーの幅が広めの指輪が嵌められていた。

「服とかアクセに興味ないのは分かってたけど、もしかしてコレの意味分かんない?」

左手の薬指に指輪。

「どういう意味だ」
「恋人います。結婚してます。婚約してます」
「そうじゃない。なんで今日それを付けて来たんだ」

彼女はいないと言ったのに。わざわざ見せ付ける様に指輪を付けるとは、どういう神経をしているのだろうか。

俺は思わず席を立っていた。

「でも言われるまで気付かなかったじゃん」
「そうだな」
「仁志って俺のことどう思ってんの?」
「どうって」
「だってこれじゃあバカみたいじゃん」
「何故そうなる」
「こういうの、『ないがしろ』って言うんじゃねーの」

お前は蔑ろの意味を知らない癖に、蔑ろの字を書けない癖に、どうして俺がお前に責められてるんだろうな。お前が俺を『蔑ろ』にしたことはあってもその逆は無い。決して。

なあ、違うか、野口。

「デートに誘ったのも、告白したのも、俺なのに、蔑ろにしているのは俺の方だって言うのか?」

野口は何に頭を悩ませているのか難しそうな顔をして、時々俺のことを見上げては視線を反らすことを繰り返している。

「そー言えば、ホワイトデー」

野口は独り言みたいに呟いた。

「なんで1日遅れたの」
「は?」
「指輪も気付かないしさ」
「なんだ、急に」
「今頃彼女いるかとか。なんか実際どーでもいいって感じじゃん」
「そんなことないだろう」
「なんか、別世界だわ」

それは、俺も思うよ。

でも、それがなんだ?

「例え別世界の人間でも、地球外の人間でも、俺はお前が好きだ」
「え」
「どの指に誰のどんな指輪を嵌めても良いが、俺以外の人間に『好き』って言ったら許さない」
「え」
「バレンタインだかクリスマスだか、俺はそんなのどうでも良い。でも新しい年に今年も宜しくって言って貰えないのは悲しい」
「必ず言うよ、おれ」

野口は身を乗り出して答えた。

俺は野口を真っ直ぐ見た。席に座り直して、野口の左手を取った。彼の薬指にある指輪を触ってみると思ったより軽い感触がした。

「俺の見た目が悪いのが、嫌か?」

俺が尋ねると野口は黙って首を振った。深海の色をしたピアスは光を受けてキラキラ輝いた。

「俺は流行りなんて分からないし、お前にとって普通じゃないと感じることも多々有るだろうな。でもそれは俺だって同じだ。野口のことを本当は宇宙人なんじゃないかってよく思うよ」

俺が冗談めかして言うと野口は少し戸惑った様子で困った様に笑った。

「なあ、その指輪は、そんなに大事なことなのか?」

俺たちにとって本当に大事なことは違うんじゃないか?

なあ、野口。

「ごめん、違った」
「大事なのは、今は互いに大切に思ってるってことだろう?」
「うん」
「何か『問題』あるか?」
「ない」

野口は破顔した。

「俺たち、同じとこもあるよ」

野口は嬉しそうに微笑みながら話し始めた。

「何処?」
「俺は宇宙人かもしれないし、お前も宇宙人かもしれないってとこ」
「なるほどな。そうかもな」
「あと、もう一つ」
「うん」
「俺以外の人間に好きって言ったら、絶対許さないから」

野口はにこにこ笑って言った。

野口は凄いなと思う。

人好きのする軽薄な笑顔の奥に秘められていたのは現実離れした残虐性だった。それは俺の本能を直に擽った。人を虜にして逃がさない強迫性の愛は完全に俺を捕捉した。そして俺はそれを歓待する。

野口は凄いなと思った。



曰く、“あの声でとかげ食らうか時鳥”。
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京香/教授のご推察

教授はじっくりと私を観察した。何度か話し掛けられるのに対してしどろもどろに返答したけれど、それ程個人的な質問はなかったので安心した。

「ふむ、なかなか謎の多いお嬢様だ」

教授は楽しげに言った。

その謎は、是非とも謎のままにして欲しいものだ。

ラゼルのこともあり私は色々と質問されても平気な顔をしている自信はなくなっていた。出身地について聞かれたらここを追い出されたり警察に突き出されたりするかもしれない。

私は顔を引き締めた。

「まず君は、親しい学士がいるね」
「はい?」

いきなり核心を突かれた気がする。キリッとしていた私の顔は可成り動揺してしまっていた。

「それに」
「それに?!」

まだあるの?!

「君には仕事があるね。しかし学士ではない」

辺りが静かになった。その意味がどういうものか部外者の私には全く分からない。この世界で女の子が働くっていうのは身体を売るということなのだろうか。

この街へ来たばかりの時にもあった。

何かとんでもない誤解があったら困る。

物凄く困る。

私は教授とへスターの視線を集めた。

「素晴らしいですね。京香は確かにウォルフェレストで働いていますよ」

口火を切ったのはへスターだ。

「弟の仕事で私とも知り合ったんです」
「学士についてはどうですか、お嬢様」
「知っている人はいますが、親しくはありません」

迷ったけれど、そう答えた。

智仁は学士ではなかったはず。

「そうか、やはり貴女は謎が多いね」

教授は笑った。教授が和やかに笑ったので私たちも釣られて笑った。へスターは満足したのかそれ以上の言及はしなかった。ゴアは面白い話題を求めて私たちの方へ近付いたけれど、それ以上話が進むことはなかった。

「怖いですね」
「何がですか?」
「こうして会話すると、その人の心が読めるんですか」
「おや」

教授は片眉を上げた。

デューリトリは気付いたら居なくなっていた。

「私は人の心など読めません」

教授は私の目をじっと見た。

「貴女の過去が、見えるんですよ」

その紳士的で優しげな声は、私の心を緩やかに脅迫した。術士とかいう人間が人をワープさせてしまえる奇妙な世界の中では教授は余りに常識的だったから忘れていた。

私の正体なんて直ぐにバレてしまうんた。

隠せない。

見られたんだ。

私はこの黒い瞳が教授が過去を覗くのに邪魔になればいいなと思った。


【教授のご推察】

フォルテ

ジャックは酷く窶れて戻ってきた。何処で何をしていたのか聞きたかったけどできなかった。

「いい加減、授業出た方が良いよ」
「ん、そうだな」

ジャックが素直に頷いたことが、僕には悲しかった。

シバ

そうか、この少年は。

10歳までに造った23体の人形で全世界の芸術を席捲したという、あの少女だったのか。少年だと思っていたから思いもしなかった。

その人形屋は余りにも精巧な人形を生み出したので人身売買の疑いを掛けられ店には業務停止命令が下された。終いに少女が生存権の侵害容疑で逮捕されてからは人形造りは行われなくなったと聞いたが、まさかこんなところで会えるとは驚きだ。

「テンマを捜してるの?」

ノクスは呆れた様な面持ちで尋ねた。

テンマを捜しているのかと聞かれれば、その通りだ。私たちはテンマに会いたくて旅している。

「知っているんですか」

この旅はこれで終わりになる。テンマが今何をしているのかを知り、テンマに会いに行く。レルムは壊れて世界を遺伝子の世界に戻す。IMROの全てをテンマに渡して俺はまた消える。

世界が終わるなら、テンマの手で。

本当にそうだろうか?

テンマにレルムを渡して私はまた消えてそれで世界が元通りになって、それで私の気持ちは収まるだろうか。アンドロイドの世界が終われば前と同じ生活に戻るだけ。問題はない。それが私の望んだことだろうか。

「知ってるよ」

ノクスは言った。

教えてくれ!

テンマの居場所を!

「テンマの、」

テンマには敵わなかった。ジキルとハイドじゃないんだ、私たちは。私はテンマに追い付く為にここに来て、そしてこれからも。

「先生?」

レルムは不安そうに私を見た。

レルムは何年もずっと変わらない姿をしている。成長しないし老いることはない。その瞳が濁ることはない。髪は付け換えることができるだけで伸びることがない。

私はまだレルムと旅をしたいと思った。

「私たちはテンマを捜している」
「そうだよ」
「もう少し、一緒に捜しても良いかな」

レルムはにこにこ笑った。

「勿論です、先生」

いつかは手放さなければいけないと思う。しかしそれは今ではない。

「すみません。もう暫くは、自分たちで捜してみますよ」

私が言うとノクスは嬉しそうに頷いた。少年にしか見えない人形屋の彼女が人間と一緒に絵を描いているのは、なんだか素晴らしいなあと思った。

穴があったら入りたい/その後

逃げる様に立ち去る野口がすれ違い様に見せた顔は真っ赤だった。そしてほんの一瞬合わされた目はちょっと涙目だった。

意外っつうか。

友人のガチな告白シーンを拝めるとは思っていなかった。しかもその友人ってのがいい加減でテキトーで誠意や忍耐とはかけ離れた元彼っていうところがレア度をぐいぐい押し上げている。

野口を追おうかとも考えたけど、それは仁志に声を掛けられて阻まれた。

「こんにちは」
「どーも」
「お前、野口と仲良いのか?」
「まあね、そーかもね」

ケツの穴を許すくらいにはね。

「さっきの、聞いてただろう」
「うん」
「俺は仁志肇。これからよろしく」

よろしくされても困るって。

元彼だってバラそうか?

俺はそんなことも考えたけど、仁志のクソ真面目な顔をみてそんな考えも萎えた。からかい甲斐のなさそうな奴だと思ったからだ。

だいたい見た目もなんかダサい。

「よろしくっつっても、俺らが付き合うわけじゃないっしょ」

お前みたいなの友達に欲しくねー。

俺は言葉の裏にそんな気持ちを忍ばせた。頭良さそうだし、鈍感そうだけど、たぶん気付くだろう。

仁志はムカついたのか俺を睨んできた。

「お前さ、仁志クン、苦労するよ」
「……何がだ」
「あいつはホモじゃないし、ヤリチンだし。こんなとこで求愛するバカだし」

仁志はさらにキツく俺を睨んだ。

「何が言いたいのか分からない」

そう?

じゃあはっきり言うわ。

「仁志はイケメンだろ。金持ちだし。あいつ時々スゲー嫌われるけど基本的には好かれてんじゃん。利用されてもいるけど決定的にハブかれたりはしねーよ。でもお前は違う。嫌われて嫌がらせされて野口が飽きたら捨てられて、最後は一人になるよ」
「お前は、自分は違うと思ってるのか?」
「は?」
「俺がホモだと知られればイジメに合うだろうから手を引けって意味か?」
「ああ、まあそーね」
「お前、気付いてないのか」

何に?

「お前、嫉妬だろう、それは」

仁志は薄っすらと笑った。それはなんていうか全然似てないけど性格を悪くした野口って感じがした。

「嫉妬じゃなくて事実っしょ」
「野口を取られて悔しいんだろう。それが俺みたいな人間で悔しいか?」
「はぁ?」

野口は俺に歩み寄った。

「悪いが俺はマゾなんだ」

マゾって。

なんかこいつヤバイだろ。

「醜いと思われるのが好きなんだよ。ダサいと思われるのが好きなんだよ。見た目に気を遣うのは御免被る。お前みたいな人間に嫉妬されるのは気分が良いからな」

野口は声を小さくした。

「お前はその他大勢なんだよ。お前は冷静な傍観者でも野口の例外でもない。野口のアクセサリーなんだよ。野口が簡単に俺を手放すと思うなら、それまで指を咥えて見てれば良い」

野口は俺の肩に手を置いた。それは重くて身体が一気に疲れた気がした。

「お前、蛍路クン、少しは苦労した方が良いよ」

そうか、この感情は嫉妬だったのか。

俺は授業が終わるまで廊下に座り込んだ。捨てられたのは自分の方だと漸く知った。
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小説中の美人

以下、雑談。


私はかなり頻繁に小説中に眉目秀麗な『美人』を登場させている気がします。男も女も。それははっきり言うと登場人物に一目惚れさせる為です。
現実的に「実は君のこと好き」と言われるより、「綺麗な顔してるよね。一度話してみたかったんだ」と言われる方が嬉しいので、そういった私個人の趣向からです。


美人にも色々いますね。

上の下
「自分が醜いとは思わないけれど、特別美しいとも思っていない」程度の美人。化粧や服装で上の中にランクアップすることがある。グループに時々居る。
私はこの類の美人が好きです。

上の中
「自分はけっこう美人だとの自覚があり、良いことも悪いことも経験してきた」程度の美人。大規模なグループに数名いる。会社では美人ということで有名になる。
頭が良かったり、とても性格が悪かったり、ちょっと理解し難い性癖を持っていたり、オプションが付くことが多い。

上の上
「美しいことが前提」程度の美人。物心付いてから美しいことを否定されたことがない。希少なので存在価値が高い。誘拐やストーカーの被害に合う。
一般人はテレビや画像でしか知らないレベル。


まあね。美人かどうかなんて時代にもよるし、主観的要素も強いし。
本当はどっちでもいいんですよ。

ただ、私は美しい人や富裕層が凡人を愛するというシチュエーションが好きです。不釣合いなカップルの葛藤と言いますか。美しいが故に近付き難かったり、敬遠されたりとか。

あと劣等感のない人が好きっていうのもありますね。
容姿が優れたものが、内面も優れているというのは、書いていて気分いいんですよ。

容姿について触れないこともよくあります。童顔とか、金髪とか、白い肌とかだけ書いてるときは、たぶんそいつはどっちでもいいんです。不細工かもしれないし、美人かもしれない。どっちでもいいや。そんな感じ。

逆に見た目が普通とか微妙だとかってかいてるのは特段不細工だという意味はありません。ある人からすれば『けっこう美人』かもしれない。
「俺?私」視点で書く小説のちょっと曖昧なところですよね。

先に小説に頻繁に美人を登場させているとは書いたのですが、それは上の分類で言えば上の下くらいなんですよね。本当に圧倒的に美しいと書いてるのは、無垢の罪状のクラリッツぐらいだと思います。あとSPACEの神城慧丞。
オバケを見たらの真井京平なんかは綺麗とか何度も書いてるけど、実際はまあ知り合いのかなり美形な人ぐらいの積もりです。


そんな訳で、私の文章で美人とか出てきても、軽いアクセサリーと思ってください。

モンハン学園/天使の居る世界

俺はナルガを探して校内をウロついたけど、なかなか見付けられずにいた。ナルガのクラスも覗いてみたが授業には出ていないらしかった。

「どこにいんだよ…」

クソ、つまんねえ。

俺は最後にナルガに会った体育館裏へ行ってみることにした。恋の落雷に撃たれた場所でもあるので、居なければ、まあそれはそれでいい。

喫煙者が持ってきたのかそこには教室に置いてある様な椅子が2脚あった。木の部分は朽ちている。

座ってみると青空が見えた。

タバコ、吸いてえ。


【天使の居る世界】


「……あ、」

ゆっくり目を閉じてから開くと、そこには天使が居た。

「お前、ほんとに禁煙してんだな」
「そっすよ」

ナルガは俺の隣に椅子を寄せて、そこに音も無く座った。そして浮かべられた表情は天使そのものだった。

「偉いじゃん」

俺は天国を見た。

ここは俺の知っている世界とは丸で違う。天使がいる。俺が『偉い』ってのはあり得ない。偉かったことなんて一度もない。けど、ナルガが『偉い』って言えば、俺の人生の全てが報われる様な気がした。

兄貴が嫌いな訳ではない。

叔父貴への恩を忘れた訳ではない。

でもここでは清く正しいものこそが正義なのだ。人を蹴落として這い上がった場所が、そこもやはりどん底である絶望は存在しない。

学校はクソだと思っていた。

社会に出たら、俺はクズだと気付かされた。

『偉い』奴らに踏み付けられて俺はクズで薄汚れたゴミなんだと思い知らされた。

「偉くないっすよ」

俺が言うとナルガは笑った。

体育館裏のじめっと淀んだ空気はぱっと天国のそれに変わった。

たぶんイった。

精神的に。

2回ぐらい。

宇津木 紘平

捨てられた経験はないけど、こんな感じなんだろうと思った。笠木さんは凄く怒っていて、その原因は間違いなく僕なのだけれど、何が悪かったかと思い返すと特に思い当たらない。

「笠木さん」

呼んでも振り返らない。

「笠木さん」

僕はきっと捨てられたんだ。

「僕とは別れたいってことですか」

もう嫌だ。面倒だ。笠木さんは良き理解者なのだと思っていたけれど、そうではなかった。

僕が湊さんと変な噂を立てられたからか、委員会の仕事を優先していたからか、それとも性癖の不一致とか、考えられる原因は多々ある。他にも、笠木さんはこれから進学のことで一段と忙しくなるし、最近の昼食を一緒に取るだけのままごとの様な関係に嫌気が差したとか。

「分かりました」

こういうことばかりだから。

付き合って互いに嫉妬するなんて経験がない。

「別れたいなんて言ってねえ」

顔を上げると笠木さんが居た。別れたくないと言ってもその表情は可成り険しい。寧ろぶっ殺すとでも言われた方が納得できる。

「でも凄く怒ってますよね」

笠木さんはまた眉間に皺を寄せた。

「お前は、どうしたい?」

どうって。

言われても。

「分かりません」
「は?」
「笠木さんが別れたいって言うなら、僕には引き止める権利はありません」
「権利?」
「だから、別れるなら、そう言ってください」
「俺はお前にどう思うんだって聞いてんだよ」
「どうって」

分からない、そんなもの。

「セックスしたい」

そう言うと笠木さんは僕の胸倉を掴んだ。殆ど殴るみたいに掴みかかられたから勢いで一歩後ろへ下がってしまった。

その鬼の形相を見ながら、僕の内心は暢気だった。

最後にヤったの何時だっけ?

「ここで犯すぞ、てめぇ」
「それはちょっと不味いと思います」

笠木さんは僕をど突いた。

僕は2歩、3歩と後ろに下がり、最後にコンクリートの塀にぶつかった。受け身を取ろうと突いた手にはざらざらとした不快な感触がある。

「ヤりたいんだろ?」

それは、まあ。

笠木さんは恋人を扱う様にキスしたり抱いたりするから、僕は幸せを感じられた。欲望だけではないセックスはもう笠木さん以外とはできないと思う。笠木さんぐらい優しい人としか。

「すみません」
「何がだよ」
「やっぱりもう帰りましょう」

笠木さんは僕を塀に押し付けた。

苦しい。

息苦しい。

僕はそこで笠木さんとセックスしたくないと思い直した。

何時もは優しく触れるその手で、今日はきっと殴られる。愛おしそうに舐める舌で、今日はきっと唾を吐かれる。快楽を与えるてくれるそれは、今日はきっと僕を引き裂く。

乱暴に抱かれたら僕は立ち直れない。

笠木さんはにやっと笑った。

「俺はお前とヤりたくなってきた」
「じゃあ、ホテル行きますか」

笠木さんは僕を引き摺ってホテルへ行った。時間が早かったからかけっこう部屋は空いていた。笠木さんは前に入ろうとして諦めたSMプレイのできる部屋を選んだ。

僕は強烈に彼と仲直りしたいと思った。

部屋に入るとバッグをその辺にやって僕はシャワー室に放り込まれた。

服に手を掛けると、掌には砂が付いていて、ブレザーもけっこう汚れていることに気付いた。のろのろと服を脱ぎながら僕は未だに笠木さんとの仲を戻す方法を模索していた。例えば彼と一緒にシャワーを浴びて謝れば今日のことは全て水に流せる気がする。

尻を触ろうとして、止めた。

笠木さんが来てくれたら、笑って僕に触れてくれたら、焦らしながらも愛のある強引さで昂らせてくれたら。

僕は身体を軽く拭いて部屋に戻った。

笠木さんは目も合わさず無言で入れ替わりにシャワー室に入った。

望みはなかった。

現実は今この時だ。

僕は一人でベッドに寝転んだ。鏡張りの天井には腰にタオル一枚を掛けただけの惨めな男が写っていた。

ここで何をしようって言うんだ。

別れることになっても良い。今日は笠木さんとヤりたくない。仲直りなんて不可能だ。

帰った方が良い。

僕は慌てて服を集めた。

シャワーの音が止んだので急いで下着に足を入れてシャツに腕を通した。ズボンを履こうと屈んだ時、ぐんと後ろに押し倒された。

「何やってんの」
「あ、すみません」
「帰んの?」

笠木さんは僕を見下ろした。

怖い。

「帰った方が、良いんじゃないかと思って」

笠木さんは僕の上に跨った。そして2つだけ留めてあったシャツのボタンを寛げようとした。

僕はその手を掴んで制止した。

「手が、震えてんな」

笠木さんに言われた通りだった。僕の手はぶるぶる震えて握力も余りない状態だ。

「シャツ着たままじゃ乳首舐めらんねえよ? 」

笠木さんは不遜に笑った。

「それとも、“初めて”って設定でヤりてえの?」

僕は言い返す言葉も見付からず、笠木さんから逃れようと身動きした。上半身を捻じってベッドを這ったけれど、笠木さんにがっちりホールドされた下半身が自由に動いてくれる訳がなかった。

「『大丈夫、最初はちょっと痛いだけ。優しくシてやるから』」
「笠木さん、」
「『うん、うん。大丈夫だよー』」

笠木さんは僕の首筋に噛み付いた。

痛い。

なんで。

こんなの、違う。

「も、嫌だ……!」

違う。

違った筈だ。

「もう、」

止めてください。

お願いです。

髪を掴まれて笠木さんの方を向かされた。顔が上を向いた時、眦から涙が流れた。

こんなことで泣くなんて。

僕は、自分は哀しかったのかとぼんやり思った。

ルーセン

部屋にはグリーンが居て、俺を見ると力無く笑って出迎えた。身体は疲労していた筈なのにそれを見たら疲れが取れたような気がした。

「仕事、やっぱりあったの」

無かったけど、無理矢理入れた。

「急に居なくならないでください。探したんですよ?」
「ごめん」

グリーンの居ないこの部屋はもう前とは違ってしまった。がらんどうで空虚な安いアパートは一人で居るには余りに詰まらない。きっとグリーンを招き入れた日から、変わってしまった。

「何処に居たんですか」

昔の恋人と会ってたのは知っている。

今回のことがなければ調べたりはしなかったのに、知りたくないことを知ってしまった。

「バーだよ。軽食屋さん」
「行き付けの?」
「そんなこと聞くなんて、珍しいね」

グリーンは視線を彷徨わせていかにも挙動不審だ。

俺が全て知った上で聞いているとは思っていないだろうけど、何も知らない訳ではないとも気付いているだろう。どこまで知っているのか、それを探る様な会話は、グリーンが俺に叶う訳がない。

「好きですから。グリーンと初めて会ったのもバーでしたよね」
「あー、ああ。そうだったっけ」
「あの時は記憶なくす程飲んでましたよね」
「俺はあんまり覚えてないや」
「今日もたくさん飲みました?」
「え、いや。全然」
「そうですか?」
「酔ってないよね、俺」

グリーンはテーブルから離れて寝室の方へ行った。

逃げるのか。

この状況から。

俺から、逃げるのか。

「酔ってるのかと思いましたよ」
「そんなことないよ。シャワー浴びる?」

俺はグリーンを捕まえた。腕を強めに掴んで優しく身体を抱き締めた。グリーンの鼓動は早鐘を打っていて緊張が伝わって来た。

「駄目ですよ、俺以外とは」

グリーンの耳元に口を寄せて囁く。それはいつもはグリーンを甘やかす為のものだけれど、今回はそれでグリーンを責めている。グリーンは分かり易く動揺して小さく身体を震わせた。

「駄目ですよ。もう記憶を無くすほど飲むのは」

俺はこの男が好きだ。

なんでだろう。

「おれ、ルーセンが好きだよ」

グリーンは情けない声で言った。泣いているだろうと思った。そのズタズタな姿はなかなか同情を誘う。

その声で、俺の知らない男へも謝ったのだろうか。俺の知らない頃のグリーンを知る男と。

嫌がる素振りで。

家にも上がるなんて。

それはとても憐れで健気で愛おしいだろう。

俺はグリーンの知り合いを端から順番に殺すこともできる。家族や級友から元恋人まで全て。調べて殺すまであっという間に終わるだろう。そしてグリーンは俺だけのものにして、閉じ込めればいい。

そうしないのは、グリーンに嫌われたくないからだ。

誰を殺しても、何人殺しても、どんな叫び声を聞いても、グリーンに触れると忘れられる。

ルカの言う通りだった。

人を殺して良い訳がない。どんな愛情や欲望からも人を嬲って殺すのは許されない。そんな当たり前のことを俺は知らなかった。

「じゃあ、可愛い声を、聞かせてね」

幸いここは寝室だ。

グリーンはあっさり服を脱いで俺に絡んできた。

俺はあっさりグリーンを抱いた。

ルキ

タキは渋い表情で紅茶を飲んだ。タキがティーカップをソーサーに置く所作には何処かの貴族と言われれば納得する高貴さを感じる。しかし今日はそれが少しばかり雑だ。

「なんかあった?」

タキはそれ程表情豊かという方ではないけれど、今はいつもよりもっと不機嫌な顔で溜め息まで吐いている。憂いた吐息が紅茶の湯気と共に漂った。

しかしながらそれはそれで頬杖を付くのも様になっているから羨ましい話だ。

「女に迫られたとか?」

俺が言うとタキはむっとした顔で俺を見た。

タキが生まれた時、彼らはとても喜んだ。病弱だった頃はそれほどでもなかったけれどタキが4歳の誕生日パーティーを開いたら花嫁候補の女が山ほど集まったのには笑った。

因みにタキが女だったらもっと大変なことになっていただろう。

トキが良い例だ。

俺の知らないところでタキは余程えげつない方法で女に迫られたトラウマでもあるらしく、その手の話題はある種のお決まりのネタになっている。必ずタキがむっとするので俺は楽しいのだ。

「そういえばお前、ロスのとこに行ってたんだって?」
「誰に聞いた?」
「風の噂」
「あの人は話題に事欠きませんね……」
「お前って階級主義なのにロスのことは大好きだよな」
「は、何だそれ」

タキのハスキーな声で凄むとけっこう怖い。

「それで俺のことも好きなんだろう?」

こうして話し相手になってくれる程度にタキは俺に心を許していると思う。俺は貴族にも名士にもなれないけど彼らも怖れる化け物にはなれた。

理解者っていうのも悪くないだろう。

「本当は階級なんてどうでもいいんです。私が見下しているのは学も力もない低俗な者です」
「俺には力がある?」
「ルキは……」
「俺は?」

タキは黒い瞳で俺を見た。

タキが貴族らしい白い肌に紅茶の赤を映して気品ある妖艶な獣の様になるのが私は好きだった。赤い獣は愚か者を喰らって生きる。貴族も庶民もみんな喰っていくところが貴族の中でも騎士階級に生まれたタキらしいところだ。

「ルキは少なくとも愚か者ではない」

そうか、ありがとう。

お前に言われると嬉しいよ。

「俺は愚かだよ」

タキは怪訝な顔をした。それを見て本当に俺を愚かだとは思っていないらしいことが分かった。

それでも俺は彼らと居るとしんどいんだよ。いつまで経っても彼らが俺を見下している様な醜く貧しい気持ちを否定できないでいる。大体お前が生まれる前の惨めな俺をお前は知らないじゃないか。

これは卑屈ではない。

真実だ。

俺は能力で彼らを蹂躙する以外にこの貧しい嫉妬を克服する術を知らない。

「俺はロスとは違う」

俺の言葉にタキは紅茶をテーブルに戻した。真剣に俺の話を聞こうということだろうけれど、俺にはこれ以上話すことはない。

俺とロスは違う。ロスは貴族でなくても市民ではあった。俺はそれ以下の賤しい動物だった。

忘れられない。

人間に蔑まれるあの感覚を。

赤い獣は俺のことを慎重に見た。気品あるその獣は俺のことを喰い破るべきか見定めながら舌舐めずりしていた。
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