「僕と付き合わない?」
「はい?」
「僕と、付き合わない?」
「あ、僕、え?僕とですか!?」
「うん」
「……」
「好きだから、魚住のこと」
「……」
「何?考える時間欲しいわけ?」
「……か、考えます」
「何を考えるの?」
「へ?」
「僕とキスして気持ちよくなれるかどうか?」
「な、き…!」
「気持ち悪くならないかどうか?」
「……ッ、どうして!どうしてそういうこと言うんですか…!」
「そういうこと?」
「気持ち悪いとか、そういうこと、僕は、」
「ああ、男なら誰でもいいんだっけ」
「……!」
「だってそういう顔、好きなんだもん」
「はい?」
「魚住のそういう顔、好きだよ」
「な、なに…」
「独り占めしたくなるんだよ、お前」
「……ッ」
「それに魚住の片思いって報われないじゃん」
「……」
「火守君ってすっごいフェミニストだし、男とは2人で食事に行くのも嫌がりそうじゃない?」
「……なんで、知って…」
「僕、それでも魚住と付き合いたいって言ってんだよ。お前が火守君のこと好きでも、付き合いたいんだもん。どれくらいの気持ちで熱烈にアプローチしてるか分かんないかな」
「……」
「答え、今聞きたいな」
「い、ま」
「……」
「あの、僕、分からないんです」
「……」
「好きって言ってもらえたことなんてないし、嬉しくて、舞い上がってて。でも、それで僕が慧弥先輩のために何かできるかって言ったら、何もできないような気もするから…」
「僕が魚住に求めてることは、魚住を独占できることだよ」
「どくせん」
「言ったろ?独り占めしたくなるって」
「……」
「ねえ、はいって言ってよ」
「……」
「付き合って?」
「……」
「……いいって言ってよ」
「……あの、あの、ええと、」
「うん」
「僕、僕でよかったら」
「……」
「僕と付き合ってください」
「うん。好きだよ。僕、魚住のこと好き。魚住のこと好きになってよかった」
傷付いた人間なら見慣れている。仕事場に転がる子どもたちがそうであるように。
セシカは商品ではなかったはずだった。他のどの客にもそう伝えていたし、パブロフの人間にもソロウの人間にも見付からないように細心の注意を払っていた。
しかし今なら分かる。
パブロフもソロウも変わらない。
少なくとも人間としては、扱われない。
なぜ中学生などを相手にしてしまったのだろう。若い貴樹には未来があって、俺が失ったものをたくさん持っている。道はどこまでも広がっていて、きっとそれを不安に思うことのあるくらいに、貴樹には果てしない可能性がある。
俺とは違う。
いつもふとした時に考えてしまう。貴樹はいつでも俺を捨てて新しい関係を築いていけるではないか。
生きてきた時間が倍も違う。
その焦燥に押し潰されて自棄になると、助け出してくれるのは必ず貴樹だった。俺はずっと年下の貴樹を心の拠り処にしているのだ。貴樹は俺の気持ちを知ってか知らずか、広く優しく包み込んでいく。そうして自分の愛情の浅はかなことを自覚させられる。
これでは可哀相なのは貴樹だ。
それまでつくった恋人たちは、貴樹と出会ってしまえば肉体関係のある友人みたいなものに思える。
大切にしたい。愛したい。
ずっと一緒にいられたらいいのに。
「好きだ」
「俺も。芹沢さんのこと、好きだよ」
「好きだ」
「……うん」
「好きだ」
「ねえ、ちょっと、」
「好きだ」
「離して、」
「好きだ」
「どうしたの?」
「好きだ」
「ほんとに離してっ」
「離さねえよ」
「……、」
「離さない」
「芹沢さん、どうしたの?」
「好きだ」
「どうしたのって言ってんじゃん!」
「……」
「俺、もう帰らなきゃ……」
「離さな「離れないよ!」
「……」
「離れらんないよ」
「……」
「言ったじゃん。俺、芹沢さんのこと好きだよ。だから芹沢さんがそんな風なのに置いて帰れるわけないよ」
「たか」
「なに?」
「……好きだ」
「……うん」
「それ以外言えねえんだよ」
「……」
「営業ならいくらでも言ってやる。求められてることを感じ取って、論理的にも感情的にも、心にないことも言える。でも、お前には、そんなことしか言えねえよ、俺」
「……うん」
「好きだ」
「……俺も、」
「好きだ」
「……」
「好きだ」
「……」
「仕方ねえだろ。それしか言えねえんだよ」
「……」
「……好きだ」
「……俺、芹沢さんに好き以外のこと言った?」
「ああ」
「だから自分も言わなきゃいけないの?」
「……」
「俺、十分だよ。たくさん伝わってるもん」
「いや、」
「好きって言ってくれて、そうだって実感できるようにしてくれて、それ以外って何?」
「……」
「それ以外なんてないよ」
「……」
「これ以上なんてないよ」
「……たか」
「なに?」
「好きだ」
「うん、よかった。俺も芹沢さんのこと好き」
「……」
「これ以上ってある?」
「……」
「……好きだよ。芹沢さんよりずっと俺の方が好きだよ」
「馬鹿」
「ねえ、もっと言って?」
「馬鹿」
「
そっちじゃないよ」
夜中にバーから出てきたのを同い年くらいの人に目撃されて、その人が自分と同じ学校の制服を着ていることに気付いて、剰えそのバーっていうのが女性お断りのいかがわしい店であったら、ふつうどうするだろう。
どうすればよかったって言うんだ。
世界は詰まらないことばかりだ。
苦労して努力して積み上げたものは膨大で、今更になって下の下で下敷きになっているものの過ちに気付いても遅い。遅すぎて笑える。
突き崩して積み直す気には到底なれない。それに間違えていてもそういう自分まで愛してしまえば簡単に遣り過ごせる。
世界は手応えのないことばかりだ。
適当に手抜きの仕事をしても自分でも驚くような成果を得られる。懸命にこなしたことほど評価されないから嫌になる。
そういう理不尽さまで貪欲に求めてしまえば時間は足りないばかりだけど。
笑えるけど楽しくない。
どのようにして逃げ出したのかは今でも分かっていない。厳重に堅く守られた要塞は、特に中から逃げ出すことの方が困難なのだ。
私は後悔した。
クラリッツを一日中でも傍に置いておけば良かったのだろうか。もっと厳しく拘束して呼吸以外の動きを許さないような、例えばそれ自体が苦痛になるような捕縛をすれば良かったのだろうか。
セシカはその言葉通り消えてしまった。
消えて、失せた。
信頼したわけではない。セシカが完全に私たちの味方だと思ったことは一度としてない。
彼は誰のものでもない。
神に等しい存在。
そもそも厳重に監禁していたことに変わりはないし、あの日もそれは同じだった。手足の自由も声の自由も奪っていた。
可能性は、ゼロだった。
どうやって失踪したか分からないけれど、それ以上にいつ失踪したのかも分かっていない。
セシカは天才だと認めていたけれど、それは彼の力を手放しで讃えていたのではない。何がどのように優れていたのか、私たちは調べ尽くすつもりだった。
それももう手遅れ。
セシカは孤独だっただろうか。
逃げ出したいほど、苦しんでいただろうか。
或は神への冒涜の、罰か。
私は何も分かっていなかった。彼の能力や才能だけではなく内面をも知るべきだったのだと痛感した。
セシカは髪も肌も瞳も色素が薄いけれど鮮やかだ。
きらきらと煌めく。
不健康そうな中に垣間見える紅はそのコントラストが現実離れしていて美しいと思う。私の髪もブロンドだけれど、セシカの髪とはまったくの別物であるような気がした。
「私はあなたのことが好きらしいです」
「そう?」
「驚かないんですね」
セシカは首を傾げた。
「驚いたように見えない?」
にこりと微笑む顔には一切の歪みもない。セシカはいつも同じように笑う。喜楽以外の感情は拾った傍から捨てていく。しかし笑っていても楽しそうではない。
セシカの身体を撫でると冷たかった。
「もっと驚かせたい…」
私の冷えた指より更に温度の低いセシカが高ぶることもあるのだろうか。そしてどう色を変え、染まっていくのだろうか。
「あなたといるのが嬉しいんです。あなたが好きです」
この手で、もっと。
「ねえ、」
セシカは微笑んで言った。グレーの瞳が鈍く光る。
「はい」
首筋を這うように流れていた血は乾燥して固まっていた。指で触るとかりっと剥がれていく。
「そういうの分かんないから、もう言わないで」
ああ、あなたが好きです。
血を剥がして中から現れたのは、相変わらずの穢れない肌だった。何にも染まらない。
きらきらと煌めく。
少しも歪みなく笑うセシカは俺には手の届かないところにある綺麗な輝きみたいなものだった。その一筋の光に手を翳せば、途端に全てが闇の中へ落ちていく。
彼自身さえ、きっと。
拒否された悲しみはない。
楽しそうに笑う彼がいればそれでいい。嫌がられても私は傍に立ち続ければいい。
「ずっと一緒ではいられませんから、理解されなくてもいいんです」
限られた時間を自分のものにできれば。
「……」
セシカはふふっと笑った。
それのどこが面白いのか分からなくて笑えずにいると彼と目が合った。私が彼を捕えて離さないのではなく、彼が私を支配しているのだと思い知らされる。
澄んだ灰色の瞳は限界まで色をなくしているのに、その表情は色彩豊かに変化した。
いつか彼の中に感情が湧き上がるなら、それを私は見ていたい。
「私の声だけ聞いていてください。好きです。あなたのことが好きです…」
もっと支配してください。
好きです。
あなたといると大切なものを思い出せるのです。それが何かと問われれば掴み損ねてしまうけれど、それは私だけでは忘れていくものだということは確かです。
好きです。
「無茶だなあ」
セシカはまだ笑っていた。
何かを犠牲にしなくとも得られるものはあるらしい。
私はその時、確かに何かを得た。
幸福感とか、温かみとか。
セシカを閉じ込め折檻し生気を失った姿にしたのは私だけれど、変わらずまた笑ってくれると知ってしまえば好きにならずにはいられない。その健気さを、純真さを、守りたい。
セシカは恐怖や不幸を受け付けない。
人間の生死を誰よりもその肌で感じてきたはずなのに、セシカは生命の力強さを信じている。
ああ、あなたが好きです。
セシカが人を好きになることがあるならば、私はそこにいたい。彼の幸せや歓喜に巻き込まれたい。
私を愛してくれないと困る。
言葉で拒否されても彼が笑っているのを見ると忘れてしまうのだ。希望を見させられるのだ。
これ以上ない程の光。
それに私は包まれたい。
ルーセンはあまり目立たない男だった。急に執務室に現れたと思ったら、俺を見て笑ったのだった。
『趣味変えたんですか?』
あの頃は俺も笑顔を返した。
「なんで俺にしたの」
「俺はお前を買ったわけじゃない」
ルーセンは冷たく言った。
「そうだっけ?」
ロトはあらゆる物を売る仲介をする商人だった。戸籍があったりなかったりする人間を売る仲介もしていた。
俺も商品見本の一つだった。
「ただの気まぐれで人間一人を養おうという気になると思うか?」
「経験がないから分からない」
「買ったわけではないって言ってるんだ」
ルーセンは俺を睨んだ。
感情が底辺を這っているルーセンに睨まれると悪夢を見そうだ。表情に変化があるわけではないのにけっこう怖い。
「そんな怒んなくても…」
悪魔に憑かれた人間、て感じ。
「次にパブロフに捕まったらもう助けてやれないぞ」
「いいよ、別に」
だから怒ることないじゃん。
「俺と来たこと後悔してるのか?」
「そうじゃなくて。てかパブロフには捕まってたとかでもないし」
監禁されていたけれど、逃げようと思えばチャンスは何度かあった。食事も貰っていたし、腕も歯も簡単に生成してしまえる俺にとってあれは拷問とも言えなかった。
むしろ楽しかったと言ってもいい。
「……」
ルーセンはまだ俺を睨んでいる。
「じゃあさ、ソロウにいても連れ出した?」
「お前、ソロウにいたことがあるのか?」
「例えば、」
人体実験をするパブロフより陰険で、人身売買をするロトより酷薄。
捕まったら、最期。
「…さあな。連れ出したかもな」
「本当?」
「嬉しそうだな」
嬉しいに決まってる。
「……狩れなくてごめんね」
せっかくルーセンの目に敵う筈だったのに、俺はまだ期待に応えることができていない。
ルーセンは目を逸らした。
「そのつもりで連れて来たわけではない」
そうは言っていても分かる。
首狩りの資格を取得した夜にルーセンは珍しく機嫌よく酒を用意して俺と遅くまで飲んだ。俺はこの人の息子なのだと、その時は恥ずかしくも実感してしまった。
俺だってできるなら狩りたいのだ。
「俺はロトのこと好きだったんだよ。家族みたいに扱ってくれたし」
「そうか」
ルーセンは手元に目を落とした。
あんたのことも家族みたいに思ってるよ、とは言えなかった。
セシカを見間違えるわけがない。ずっと探していたのだから。
私の心はセシカに囚われていた。
セシカがパブロフに来てから面倒を見るように言われ、彼に夢中になるのにそう時間はかからなかった。麻薬のように理性を失うことはないのに、むしろ理性を押し付けられているような気さえするのに、酷い依存作用があるらしい。
頭で理解させられる。
私はセシカが好きだと。
セシカが私だけのものだったなら、そうはならなかったのかもしれない。
彼が平等にすればするほど私の何かが締め付けられる。しかし平等だからこそ惹かれる。その未知の純真さに、既知の冷淡さに、自分だけのものにしたい欲望を掻き立てられる。
肩を抱いてくれたら満足したのに。
有り余る能力に嫉妬すらできない。
セシカは淡々とにどんな困難も克服し、媚びるでもなく、もちろん無邪気などでもなく、ただ私を見て笑うのだった。それは確かに楽しんでいるのではないかと思わせるような自然な笑顔だった。
不気味と言うならそうなのだろう。
優秀だと言われてここへきた全ての人に絶望を見せ、その支配的な優越の上から向ける笑顔に、それなのに、私は救いを覚える。
それは救い以上の光明。
セシカは逃げようとはしなかったが、ロトに会いたいと突然に言うことがあった。
子どもみたいに。
人間みたいに。
楽しい思い出を語るように「会いたいなあ」と言われ、それならばと会わせてしまおうとするのを何度となく思いとどまった。
パブロフにとってのセシカは他のどんな意思にも優先して捕捉しなければならない。
捕まえたら離してはいけない。
彼は確かに『神』だった。
抵抗したのはたった一度だけ。
その一度が私たちに与えたダメージは計り知れない。
どうして分からないのだろう。
俺はなんでもできるのに。
暗記ができる。演奏ができる。計算ができる。彫刻ができる。痛みを感じない。治癒できる。拷問に耐えられる。死ぬことを恐れない。
俺には『できない』ということがなかった。
『できない』時は、死ぬ時だった。
気付いた時にはロトのところにいた。自分がどこで生まれてどう生きてきたのかを俺は知らない。憶えていない。
監禁されたら全てが無意味だった。
パブロフはロトを満足させるからそれなりに好きだったけれど、俺はパブロフに嫌われているらしかった。
せめて人間として扱って欲しかった。
人間ではないのだとしても。
俺は分かった。
ロトに会えず、一人で泣いていた時に分かった。
俺のできるどんなこともロトを喜ばせるだけのものにはならなかった。目の前にいる監視者も時々現れる調教者も喜ばせることはできなかった。そういう人間の大切な部分を俺は知らずに自慢げに生きてきたことが分かった。
『できない』ことが悔しかったのではない。
『できない』ことを認識できないことが悲しかった。
喜ばせるって、なんだろう。
人間らしさって、なんだろう。
頂上にあるもの。
ルカがそうだと気付いたのは、一緒に暮らすようになってけっこう経ってからだったと思う。
理由はないけど支配的。
探せばその理由は多かっただろうけれど。
武器を造って、それよりもっと酷い仕事をして生きてきた。血で汚れきった手で小さな命を拾ったのは、気まぐれでも気の迷いでもなく、それが私の運命だったからだ。
私だけがルカの手を引いて歩けるように本気で感じられた。
パブロフにルカの存在を気付かれたのは、私の人生で最大のミスだった。
彼との記憶は私にとってどういうものなのだろうか。
『いいよ、怒られても。お前の分も俺が怒られてあげる』
彼が笑うと救われる。
セシカは何をされても平気だった。恐らく死ぬ時も彼なら笑う。痛みを感じないだけではなく、もっと人間として必要なものが沢山欠けていたのだろう。
人間に不要なものは、沢山あったのに。
コンプレックスの塊みたいな人には言いようのない不快感を覚えるけど、誰もがジャックのようには生きられないことも知っているよ。僕だってそうだ。
ひんやりと冷たい湧水を想像して手を浸すと思っていたより生温かくて、ジャックに触れた時に感じたのはそういう裏切られたような感覚だった。身を切るくらいに冷たくてもよかったのに。それでも触れたいと思う人はたくさんいるはずだから。
知らない方がいいこともあるよね。
僕の目前で弱々しく泣くジャックは、それでも慣れてしまえばどうってことはなかった。裏切られたのは事実だけど、そういう一面を知ってしまったからこそ抜け出せなくなってたのもまた事実だから。
理想そのものである方が近くに居難い。ピノがそうだもの。
僕はどちらでもないけど。
自由を自由として自在にするジャックにとってピノがどれだけの重みをもって足枷となったのか僕には想像もできない。遡及すればするだけジャックは恍惚として罰を受け入れるけど、そんなことがジャックにとっての救いだと考えたことは一度もないよ。罪の色だけが濃くなっていることにも気付いていたもの。
ジャックの話してくれたことは他の誰も知らないことだとすぐに分かったけれど、だからといって僕だけがジャックの特別であるわけでもなかった。
僕は鞭や枷でしかないのかな。
フォルテは俺を休ませてくれる休憩所みたいなものだ。少し強いくらいの風が吹き付けて、少し強いくらいの日差しが地面を照り付けるのを、フォルテはほんの少しだけ和らげる。それら全てが爽やかに健やかに俺を優しさで包んでくれる。
綺麗なものは、きらきら光って眩しいから嫌い。
レリイが俺に求めるものは何もない。なんの見返りもなくあいつは俺について回る。楽しいとか何かを共有する感覚だとか、そういう一切を犠牲にしたんだ、あいつは。そういう馴れ合いと引き換えにレリイは俺とほとんど一体となって、時間を逆行して抱き締めてくれた。あいつがあくまで傍観者だったなら、俺は何にも耐えられなかった。
不必要な優しさだったとしても。
温かいものは知っていた。それは家族がきちんと教えてくれた。だからこそレリイの怖ろしいほどの温もりをも知ってしまった。
例えばフォルテが今でも入院したままで、あるいは退学して実家で療養することになっていたら、俺はレリイと2人きりでいたのだろう。自然の流れのままに腐乱するのを喜んでいたのだろう。肉体の崩れ堕ちるのを祝福していたのだろう。
赦されたいと思ってしまえば全てが俺と敵対していく気分がした。
どうしてレリイだったのかは分からない。ただそこにレリイがいて、その時に一番にほしかった言葉をくれた気がした。
どういう天気だっただろう。じめじめとした雨の日だったか、うんざりするような暑い日だったか、うっそうとした曇りの日だったか、それともそのどれもだったか。俺が跪いて無様に泣いたそのすぐ隣に虫の干からびた死骸が転がっていたことしか憶えていない。
不憫だなあ。
俺は期待していた。ピノの繊細な美しさがピノ自身の弱さであることを。ピノの緻密な美しさがピノ自身の脆さであることを。
ピノが最後にくれるものが、あの美しい笑顔でも、あの残虐な言葉でも、あの冷ややかな目線でもなくて、どうして優しい許容だと少しでも思えたのだろう。自分のしてきたことも忘れて。
不憫だなあ。
ジャックは誰かに依存している。
俺の部屋に来なくなる事があるから、その間に何処に居るのかは分からなくても誰かに支えられている事は分かる。ジャックにとって俺が精神的な支えになれない事は悲しいけれど仕方無い。それだけの価値しか無いという事なのだろう。
ジャックの隠し事は俺には見抜けそうにない。
例えばジャックの方から感謝の言葉を告げてくれるのならば、俺はその倍以上の罵倒があっても満足できる。例えばジャックの方から好意の伝わる態度を取ってくれるのならば、俺はその倍以上の叱責があっても甘やかし続けられる。
でももし、ジャックの俺に対する思いが嫌悪でしかなかったらどうしたらいい。それはやはり、何も無かったかの様に手放すしか無いのではないだろうか。
俺はいつだってジャックから離れる準備をしている。
僕に跪く姿は無様だけど愛おしいって思うんだ。汚いものと同化していくみたいに堕落してゆく。
人間ってそういうものでしょう?