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序詞

やまとうたは、人の心をたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花になく鶯、水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をもいれずして天地をうごかし、目に見えぬおに神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。
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シバ/ヒューストン

それは言葉よりも真実味があるだろう
嘘や虚飾よりも巧みな偽計
事実や願望よりも魅力ある現実
だから詐欺師の微笑を見てはいけない



安っぽい演劇にあるような湿気た走り方をしたなと自分で思った。

レルムはぽつんと立っていた。それを見て、レルムが一人で建物に立ち入ってから暫くして聞こえた断末魔がレルムのものではなかったことは確認できた。

「あ、先生」

なんでこいつは冷静なんだ。

ああ、機械だからか。

「声が、聞こえたから、来た」

焦ったよ。お前が叫んだのかと思ったよ。お前が死ぬのかと思ったよ。怖かった。助けてやろうと思った。だから走って駆け付けた。とは言わなかった。

レルムは俺を見て「人が居たんですよ」とだけ答えた。

そうは言われても。

近くをぐるりと見回しても誰もいない。

「声を上げたのはその人です」

冷静にそんな解説されてもね。俺にとって重要なヒントには思えないのだけれども、レルムが余りに真剣に説明したから「そうですか」と答えるしかなかった。

「それで、どこに行ったんだろうね。その人は」
「向こうの方です」
「向こう?」

レルムの視線を追うと、そこに、人影があった。

「あの人です」

レルムに目配せすると、レルムはなんとなくそう言うのだろうなと思ったことをそのまま言った。

向こうは無言だ。

「こんにちは。突然お邪魔して申し訳ない。水か食料がないかなと思ったんですけど」

向こうはそれを聞いて、ちらりとレルムを見てからまた黙った。

「レルム。何もないようだから、帰ろうか」

とても警戒させていることだけは痛いくらい伝わったから、俺としてはこの不可解な男を刺激しないことが最優先に思えた。テンマの手掛かりはここにもないと思って諦めるしかない。

「……」

しかしレルムは男のことをじっと見ていてその場を離れる気配がない。

「行くよ」、そう言おうとした時、男が口を開いた。

「水、あります」

若々しい声だった。

「あのー、ようこそ。人に会うのは久し振りで、それで、驚いて。えーと、それで、すみません、水、あります。まー、水しかないとも言うんだけど。幸いここには水だけはありますよ」

男はそう言って微笑んだ。

「助かります」

他になんて言うべきか、どこまで説明するべきか、俺にはまだ判断できない。

男が歩き出したので、俺とレルムは付いて歩いた。

「なんでこんな辺鄙なところに?」
「研究の一環です」
「そうですか。えーと、あ、すみません、お名前伺いましたっけ」
「申し遅れました。クロスと言います」
「はあ、クロスさん。私はヒューストンと言います。またなんの研究ですか、こんな砂漠で」

分かってて聞いてんのか、こいつは。

探られているのか、俺達は。

「研究と言っても、義肢について、ちょっと」

ヒューストンは興味深そうに「へえ」と頷いた。レルムをちらっと見ると、特に不審な動きもしていないので安心して嘘を吐くことができた。

「あー、じゃあ、目的地はここですか」
「やはりここが“観測所”ですか」
「そーですよ。こんな有様ですけど、かつては義手も義足も造っていた研究所がここです。『観測所』ってゆーのは大戦中の頃の名前ですけど、あのー、もしかして、その頃の研究資料をお探しですか」

しまった。

名前が変わったのか?

「実を言うと、その頃にここで働いていた知人がいまして。彼が言うには、『最高の義肢が、ここにある』、と。それでどうしても来たくなったんです。思い付きですよ」
「なーるほど」

ヒューストンは何度も頷いて見せた。

「水と食料も欲しかったのは本当ですけど、もし、当時の研究資料が残っていれば、ぜひそれも見たいんですが」

ヒューストンが立ち止まることはない。

「ここの資料は原則公開されてますから当時の資料ってゆっても大したもんじゃないんですよね。『観測所』にあったものが欲しいなら、それはもうないですよ。持って行かれちゃって」
「誰に?」
「さあ。強盗団にでも奪われたのかも」

『強盗団』?

それは強ち嘘でもないのかもしれない。

ドアノブにあった、血。

廃墟みたいな建物。

研究者も今目の前にいる一人だけ。

「こんな場所で強盗ですか」

ヒューストンは曖昧に笑うだけで肯定も否定もしなかった。



【ヒューストン】
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モンハン学園/骨の髄まで焼き尽くす恋

ケルビは帰ってしまった。

残されたのは僕とアグナコトル。僕達はケルビの心を引き留めることができなかった。好きな人に相手にされないことがこれ程悲しいことだとは知らなかった。

胸が引き裂かれる思い。

喪失感。

心は千々に刻まれ散ってしまったのです。

女々しい僕は惨めに散ったその心をちびちび拾いながらアグナコトルを見る。

「ねえ」
「何かな」

なんでだろう、アグナコトルは僕みたいには傷付いて見えない。

「アグナコトルって、ケルビのこと好きなの?」

答えは知っているんだけれど、アグナコトルの口からその答えを聞きたい。潔癖で勤勉で恋愛からは程遠いアグナコトルの固い口から。

ほんの一瞬だけ迷って、アグナコトルは口を開いた。

「好きだよ」

殆ど迷わず言った。

あっさり認めた。

なんだか拍子抜けする。

あっさり認めてアグナコトルは爽やかに微笑んだ。気品あるその笑みを見て僕は思わず笑い返した。

「ケルビって綺麗だしさ、あんな性格だけど、ライバルとかいたら、どうする?」
「どうってこともないけど」
「放っておくってこと?」

アグナコトルは僕を見た。

こういう時に気付かされる。炎の宿る力強いその目は僕の肉をあっさり焼いて、その細い顎は硬い骨さえ穿って食べるだろう。アグナコトルは捕らえる側の生き物だ。微笑んでくれたって、優しく声を掛けてくれたって、彼は僕とは全く別の存在なのだ。

アグナコトルは僕を見た。

優しく厳しく隙なく僕を見た。

「馬鹿なのかな、君は」

アグナコトルは僕に一歩近付いた。

「ライバルとは恋敵のことだろう。それはつまり恋敵とは敵のことを意味しているね。それでは君は放っておくという訳か、敵を。俺にはそんなことは有り得ない。俺なら敵を見たら骨の髄まで焼き殺す」

圧倒された。

なんてことを言うんだ、と思った。

その言葉が余りに真に迫るものだったから、僕はアグナコトルの落ちたところまで引き摺り落とされてしまいそうで怖くなった。

アグナコトルが秘める火焔は敵を殺すに足るだろう。

『恋に落ちる』とは言うけれど、アグナコトルは正にそれだ。

アグナコトルは恋に落ちた。

落ちた場所は焦熱地獄。恋の火焔に焼かれる辛苦は終わりなく果てしなく続いていく。アグナコトルはその火焔を、自ら生んで育てている。

他人を殺す程の業火。

害がない訳がない。

『好き』だと言う少し前、一瞬だけ逡巡したあの時にもアグナコトルは焼かれていたんだ。あの炎に。歪んだ眉根が物語る。

圧倒された。

圧倒的に圧倒された。

「焼き殺したら、きっとケルビは逃げちゃうよ」

それはせめてもの抵抗だった。

僕では敵を殺せない。

情けないんだけども、格好悪いんだけども、僕はケルビを守るような頼もしい存在ではないし、剰え敵を駆逐してケルビを強奪しようなんて考えたこともない。

見てよ、このか細い腕を。

ほら、牙だって生えてないよ。

ケルビも同じだ。

虐げられて然るべき存在なのだから、アグナコトルが敵を焼き殺すのを喜ぶ筈がない。

アグナコトルは炎に焼かれて苦しむかのように苦々しく僕を見た。それはちょっと怖くもあり、近付き難く美しくもある。

「それは困るね。俺はケルビがそんな臆病で見栄のない奴だとは思わないけれど」

それもそうです。

ケルビは例え死を覚悟する程の絶対的な恐怖に遭遇したとしても、きっと怯えないし逃げないだろう。ましてアグナコトルの業火ぐらいでは、きっと。

「なんか、アグナコトルの新たな一面を知った気がする」

僕が言うとアグナコトルは微笑んだ。重い頬肉を引き攣らせたような笑い方だった。

「ケルビを好きになるなんて、俺にとっても自分の新しい側面を思い知らされた気分だよ」

苦しそうだった。

僕と同じだ。

破られた心をちびちび集めてはまた挑む。

惨めな自分から目を逸らして顔を上げる。

ケルビに圧倒されたい。あの暴力的な正義に叩きのめされたい。けれどその欲望の熱はチョコレート菓子を溶かすような甘美な恋心ではない。

骨の髄まで焼き尽くす、地獄の業火。

ケルビを好きになるっていうのは、それくらい息苦しい、と思った。


【骨の髄まで焼き尽くす恋】
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森田 光/白い夢

繋いだ同級生の手が男らしくて驚く。

長身で強面の男性の手を引いて警察官から逃げる僕。その直前に僕はその人の前で泣いてしまったことも忘れてはいない。情けないったらない。

どうにも説明できない状況だ。

「お前、大丈夫か」

僕の背中にはそっと手が添えられた。

それもまあ当然と言えば当然のことかもしれない。

僕は泣く程感情が高まった直後に全力疾走したおかげで、運動不足の身体が悲鳴を上げて息が切れて変な呼吸音は鳴っているし脂汗は出るし、運動したというのに悪寒がして指先が冷たくなっているし、そんな風に明らかに普通じゃなくなっていた。

不良に心配される僕。

やっぱりどうもよく分からない。

「……」

返事をするのも億劫だ。

けれども僕は身体に鞭打って歩く決意をした。これ以上心配を掛けたくないから。あとは今一緒に居るこの時間が途轍もなく気まずいから。

それに身体が痺れるくらい疲れてる。

ああ、寝転びたい。

「どっかで休むか。走って俺も疲れたわ」
「い、いい。あの、大丈夫だから」

とても大丈夫には見えないだろう。

「満喫行くか。あそこに見えてるし、もう少し歩けばもっとあるかもしれねえし。まあどれも一緒か」

断ったのに、話しが続いている。

また断った方がいいのかな。どうしよう。帰りたいのに。

それに、なんか、見られている気がする。直視できないから確認はできないけれども視線を感じる。こんなに直ぐ近くに立っているから当たり前か。じゃあどうしたらいいんだろう。

なんだろう、この状況は。

背中に置かれた手はさっきまで僕と繋がれていたのだっけ。いや逆の手だったかな。

なんかよく分からなくなってきた。

これってどういう状況なの?

なんでこんなとこに居るんだろう。

身体が重い。

「横になりたい」

あ。吉田くんは?

遊ぼうって言ってたのに。

なんでこんなことになったんだろう。

「あー、じゃあホテルで休む?」
「へ?」

上擦った僕の声に、向こうの方が驚いたかもしれない。僕だって驚いたくらいだし。

「横になれる」

な、なに?!

横になるってなに?!

「あ、ぼ、ぼ僕は、あ、えっと、えっとあの、あ、ああいや、あの」

ホテル?!

横になる?!

えええ、横になる?!

「歩けるか?」

背中にあった手を腰に回されて、身長差の為に彼の身体が僕に覆いかぶさる体勢になった。

わ!

え!

な、なん?!

なんで?!

「帰ります」、とそう言おうとしたとき、僕の視界は真っ白になった。ただの立ちくらみかと思ったけどそうではなく、視界が真っ白のまま身体から力が抜けて立っていられなくなった。

ホテルは嫌だ!

帰りたい!

もうやだ!

そして僕は気絶した。

ゆらゆら揺れて目を覚ます。

……背負われている。

おんぶ、だ。

エレベーターに乗っている。目的の階らしいところで降りたら、そこはホテルみたいな場所だった。

「……」

ほ、ほて、ほほホテル?!

え!

え?!

カードをかざすとロックが解除された。軽い屈伸で僕を背負い直すと迷いなく部屋に入っていく。そして僕はベッドに下ろされた。

「あ、起きた」

目が合った。

どうしたらいいの?

なんて言うべき?

寝た振りをしても事態が好転することは無いだろうから、これで良かったとは思う。でも彼の視線には耐えられない。

「あ、かかか帰ります」
「は? 何言ってんの? 休んでけよ」

なんでこうなったんだろう?

なんで?

なんでなんで?

起き上がって帰ろうとしたら立ちくらみがした。正確には上体を起こしただけなので立ちくらみではないかもしれないけれど、起きていられなかったから目を瞑って右手で身体を支えた。大丈夫、直ぐに治る。

でも、それは突然。

強い力でベッドに押し倒された。

何?

くらくらする。

目を開けると、顔があった。綺麗な顔。

直ぐにそれは彼が僕に跨って僕の両肩を押さえ付けているからだと理解した。僕よりずっと大きい身体が上にあるから、蛍光灯の光が洩れ注いでくるようだった。

虎だと思った。

黄金に輝く毛並みを持つ美しく恐ろしい猛虎が、僕を見下ろしている。

「お前さぁ、俺の名前わかってる?」

質問だった。簡単な質問。

名前?

名前。

「……」

それは答えられなくて当然だろう。僕は吉田くんの友達であって目の前の不良っぽい同級生とは友達ではないし、僕が彼に「森田光です」と自己紹介したことはあってもその逆はなかった。

僕はサイキック男子高校生ではない。

知りようがない。

僕の両肩を押さえ付けていた両手が今度は僕の両腕を掴んだ。怒らせてしまったのか少し痛いくらいにその手に力が込められている。

怖い。

正直、怖い。

「名前を覚えてほしけりゃ自分から名乗れ!」とは言えない僕は、そっと目を逸らした。

「俺のこと怖いの?」
「……」

怖いよ。でもそんなことは言えない。

「こういう場所で、何するか、知ってる?」

虎の目は、きっと僕を見ている。舐めるように、僕のことを見ている。

「なあ、聞いてる?」

聞いてる。聞いてるに決まってる。

「風呂に入ろうぜ。もう湯は張ってあるから」
「な、ななに」
「知ってんだろ。初めてなの?」
「ちちちち違う」
「へえ。意外。じゃあもう遠慮しなくていいんだ」
「違う!」

何が違うんだ。

僕は頭の中ではすらすら言葉が出るのに、口からはおかしな吃音ばかりが出てくる。

彼は何がしたいの?

何をしたいの?

「ふかみ、くん」

僕が言うと彼は手で僕の腕を押さえ付けるのを止めた。大きくてごつごつした男らしい手は丸で僕のことを優しく包容するかのように僕の頬をゆっくり撫でた。

こんなのはおかしい。

「なんだ。名前知ってんじゃん。焦らすのうまいね」

違う。

何もかもが違う。

それでも彼が心底安堵したように、母の胸で眠る子供のように安心した表情を見せたから、僕は途方に暮れてしまった。

「悪い、変なこと言って。全部忘れて。あー、せっかくだから俺はちょっと寝るわ。あんま寝てなくてだりぃ」

大きな身体が寝転んでベッドが軋んだ。解放された僕の身体は途端に軽くなった。

「お前、帰っていいよ」

そう言われて僕はゆっくり上体を起こした。

虎を見る。

閉じられた眦の裏には、あの鋭い眼光が今も光っているのだろうか。

「僕と友達になりたいの?」

なんでそんな不遜なことが言えたのか、それは僕にも分からない。

僕は虎を見る。

虎も僕を見た。

「……」

今度は、黙るのは向こうの番だった。

「意地悪されるのは慣れてるんです。クラスでいじめられてたから。本当に嫌われてるなら、分かりますよ」

僕のことを嫌っている人、影響されている人、楽しんでいる人、詰まらなそうな人、そういうのがなんとなく分かるようになった。

この虎は、そのどれとも違う。

「ああ」

彼の溜め息みたいな相槌は、なんだか大人っぽかった。

「寝よ」

僕はそう言って薄い掛け布団を捲って中に潜った。中はひんやり冷たくて気持ちいい。

暫くすると大きな身体が隣に並んだ。体温が伝わってきて温かいから緊張してた筈の心がリラックスできてうとうとする。

「森田、俺の名前呼べよ」
「ん?」
「寝ぼけてさっきの忘れる前に、俺の名前」
「んー、名前しらない」
「はぁ?」
「自己紹介しないもん」
「俺がってこと?」
「んー」
「深水譲。譲でいいよ」
「ん」

なんか、うるさい。

「譲」
「んー」
「なあ、お願い。呼んで」
「よー」
「ああ、おしい。譲だよ。譲」
「よー。んるさい」
「ごめん。でも名前呼んで欲しいんだ」
「じょー」
「……うん。おやすみ」

その日、僕は深水と抱き合う夢を見た。


【白い夢】
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人身事故

※人身事故について記載しています
※死を連想させる表現がございます
※ご覧になる際は、十分にご注意ください


記事本文は追記ページ(more>>)
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ルーセン/野犬の涙

「元気?」

俺の友好的な労わりに対してルカは馬鹿みたいに俺を睨んだ。そんなことをしても、何も生まれないのに。

「探しましたよ。まさかこんな場所で、こんな面白いことをしているなんて思いませんでした」

ルカは両腕の自由を奪う拘束衣を身に纏い、椅子に雁字搦めに縛り付けられ、口には猿轡を噛まされていた。見るからに貧相な身体は以前より増して弱って見える。

「ああ、でも、元気なようで安心しました」

ルカは動物が威嚇する時のような声で唸った。

「う゛うぅ」

悔しそうで、愉快だ。

「さて、私はこれからどうしようか迷っているところです。私は今日まで仕事でもないのにルカの為に色々と頑張りましたから。君を助けて、それから、どうしましょうか。まあ、まずは猿轡から」

俺はルカの猿轡を外してやった。

「御礼の言葉を、どうぞ」

ルカは野犬みたいに鼻に皺を寄せて俺を睨んでから一言。

「死ね」

ルカの髪がさらりと揺れた。

「君の口が以前と変わりなくて安心するね。その綺麗な歯並びが壊れてボロボロになっているんじゃないかと心配しましたよ。それに、まさかとは思いますが、そのつるつるの肌は、お風呂にも入れて貰っていたんですか?」

ルカは目を伏せてだんまりだ。

それは却って分かりやすい。

敵に捉えられて拘束されて縛り付けられて入る風呂がどれほど屈辱的であるかは想像に難くない。

「ここで二つほど聞いておくべきことがあります。ルカ」

俺の呼び掛けに答える様子はない。

「君の『セシカ』という呼び名は何?」
「……」
「君はセシカと呼ばれていますね。そして或る人は君のことを『神』とも呼んだ」
「そいつ誰?」
「名前は知りません」
「……」
「君が神なら私は大変な不敬を働いたことになるね。私は君のことを神様だなんて思っていませんでしたから」
「俺は『神』じゃねえよ。当たり前だろ」

ルカはまた動物みたいに唸った。

「はい。では次の質問です」
「何」
「君はここから逃げたいですか?」

ルカは俺を睨んだ。睨まれた、と思ったけれど、それは少しずつ色を変えていった。

「……」

ルカはここに居たいのだろうか。俺にはそれだけは分からない。ルカの心の中は知りようがない。目の前の事実から導き出される推定しか、知りようがない。

ルカは逃げようとした筈だ。だから厳重に縛り上げられている。

俺はルカに助けを求められたら助けるか?

答えは勿論、応だ。

ルカは不肖の弟子だろうが、それでも俺の弟子だ。助けを求められたら必ず助ける。ルカが既に死んでいたってきっと助ける。助からなくても、きっと助ける。

では、ルカが助けられることを拒否したら、それでも俺は助けるだろうか?

答えは。

その答えは。

「答えてください」
「……」
「ルカ。答えてください」

ルカの目から、涙が零れた。

「俺は、神様じゃない」

それだけ聞ければ十分だった。捻くれたルカの精一杯の自己表現は、確かに強く鮮明なものとして俺に届いた。

「うん。それで十分です」

ルカの涙を拭ってやると、それはとても温かかった。


【野犬の涙】
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