洒落た都会の昼下がりのカフェ。

エミリーは少し困ったような顔をしながら、親友のナタリーに話し掛けた。

「私の彼氏…ナルシストで困るのよね」

愚痴とも相談とも付かない彼女の言葉に、涼しげな表情でナタリーが返す。

「あら、別に良いじゃない。別にナルシストで困る事なんかないでしょ?」

ところが、その言葉にエミリーは首を振った。

「彼の家‥もう本当に、あちこちの部屋が鏡だらけで‥遊びに行くと、まるで【鏡の国のアリス】になったような気分になって疲れるのよ」

「へぇー、そうなんだ‥鏡、何枚くらいあるの?」

「数えた事ないけど‥全身鏡から手鏡まで、もしかしたら百枚以上あるかも知れない。しかも“俺の美しさが歪むのだけは耐えられない”とか言って、高級な鏡しか置かないのよ」

「それはまた…なかなかのナルシストね」

「でしょ?‥私、彼こそが世界一のナルシストだと思うの。あの、鏡へのこだわりよう‥まともじゃないもの」

しかし、エミリーの言葉を聞いたナタリーは、何故か鼻でフンと軽く笑った。

「あら、何か可笑しいかしら?」

笑われた事に少しムッとしながらエミリーが尋ねる。

「ああ、ご免なさいね‥いえ、実は私の彼氏‥もっと凄いナルシストなのよ」

それは、エミリーには信じ難いものだった。

彼氏以上のナルシストがこの世に存在するとは、とても思えなかったのだ。

「まさかそんな…それじゃ聞くけど、貴女の彼氏の家には鏡が何百枚あるのかしら?」

ナルシスト比べ。

くだらない意地の張り合いだとは知りつつも、相手に負けたくないと云う潜在的な想いが恐らく二人の中にあるのだろう。


エミリーの表情には(彼氏以上と言うなら証明してみなさいよ)といった感じの挑発的な色が少し浮かんでいる。

しかし、それを感じつつも、ナタリーは涼しげな表情を崩さぬまま、おもむろに口を開いた。

「鏡はないのよ、一枚もね」

意外な答えに、エミリーは反射的に言葉を返していた。

「それ‥全然ナルシストじゃ無いじゃない!」

突っかかる口調の親友に、ナタリーはニヤリと笑いながら言った。

「彼が言うにはね…」

「言うには?」

「鏡を見てしまうと‥“あまりの自分の美しさに耐え切れなくなる”‥だって。だから、家の中には鏡を一枚も置かない事に決めてるみたい」

言葉を失っているエミリーに、ナタリーは更に追い討ちを掛ける。

「鏡を百枚以上も家に置けるなんて…幸せな事だと思うわ」

何の価値もない戦いではあるが、これにてひとまず決着は付いた。

負けたエミリーは少し悔しそうに、勝ったナタリーは少し誇らしげに珈琲カップを口に運ぶ。

すると其処へ、妙齢の男性ギャルソンが料理を持ってやって来た。

燃えるような金髪に、深い海を思わせる碧い眼…そのギャルソンのあまりの美しさに、思わず二人はハッと同時に息を飲んでしまった。

アドリア海のアドニスを彷彿とさせる件の美青年ギャルソンは、洗練された手つきで二人の料理をテーブルに置きながら、静かに口を開いた。

『あの…少し宜しいでしょうか?』

ハープのような透明感あふれる声…青年はその容貌のみならず、声までもが美しかった。

『先ほどからのお話が偶然、耳に入ってしまったのですが…』

「はい」

「何でしょう?」
青年の美貌にうっとりしながら二人が言った。

『お二人とも先ほどから“ナルシスト”と仰有っていたようですが‥』

「ええ‥」

「ナルシスト‥可笑しいかしら?」

美貌の青年ギャルソンは、少しはにかみながら言葉を続けた。

『ナルシスは【Nursis】…そこに“人”を表す【ist】が付けば…【Nursis-ist】…つまり、発音は【ナルシシスト】としなければならないのです』

二人は感じていた。

恐らく、世界一のナルシスト‥いや、ナルシシストはその青年に違いないと。

そして更に思った。

もう一度、英語をちゃんと勉強し直そう‥と。

町山エミリー 28歳 信用金庫勤務。

河上ナタリー 29歳 スーパーのレジ担当。

二人のお昼の休憩時間は、もう間もなく終わりを告げようとしていた‥。



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