話題:妄想を語ろう



地球人に成り済ましている宇宙人の間で大好評との噂もある《馬鹿(うましか)市観光ガイド》、第1回目の前回は市内屈指のパワースポットである【ロズウェルの丘】を紹介致しました。

さて、第2回目となります今回は、この世にオギャアと生まれたからには一度は足を運びたい美容室の名店【ビューチー毛呂山】を紹介したいと思います。

昭和の薫り漂うレトロな個人商店が軒を連ねる馬鹿(うましか)駅北口の目抜き通り(通称・二の腕ぷるんぷるん通り)を北へ直進してゆくと、商店街の中程に一際目を引く巨大で女性の顔絵が描かれたアーティスティックな看板を見つける事が出来ます。

看板の顔絵は確かに何処かで見たような顔ですが、思い出そうとしても決して名前は出て来ません。それもそのハズ、その顔は浅田真央さん、荒川静香さん、安藤美姫さん、伊藤みどりさん、渡部絵美さん、といった女子フィギュアスケートの有名選手五人の顔をベースに、スパイスとしてモナリザの顔を合成した非実在の人物のものだからです。この顔、長時間見つめ続けると造型の不自然さに少し気持ちが悪くなってくるので注意が必要です。

そんな看板からも判るように、ここのオーナー美容師である毛呂山毛呂子(けろやまけろこ)さん(45)は女子フィギュアスケートの元選手で、馬鹿市ではその存在を知らない者はいない程の有名人。親兄弟の名前はド忘れしても毛呂子さんの名前を忘れる事だけは絶対にないと迄言われる、まさに伝説的存在なのです。

毛呂子さんとフィギュアスケートの出会いは彼女が7才の時。偶然、観光で日本を訪れていたロシアのアレクサンドロ・ヘッポコスキー氏が馬鹿市営スケートリンクで滑る毛呂山毛呂子ちゃんの姿に一目惚れ、フィギュアスケート選手としての才能を一目で見抜いた彼は自らコーチ役を買って出た……それが毛呂子印の馬鹿(うましか)伝説の始まりでした。

当時の毛呂子ちゃんについてヘッポコスキー氏は次のように語っています。

「目の輝きが少女漫画を超えるぐらいキラキラとしていた。スケーティング自体はお世辞にも上手いとは言えなかったが、それを補って余りある目力の強さと表情の豊かさが彼女にはあった」

ヘッポコスキー氏は母国ロシアのみならず、ヨーロッパや北米でも指導経験のある人物で、そのコーチとしての実力は、「何人もの五輪メダリストや世界選手権代表を“輩出してもおかしくない程”」と迄言われています。

そんなヘッポコスキー氏の元で毛呂子さんは猛練習を重ね、次から次へと彼女ならではの独創的な技を編み出して行きました。例えば、ジャンプして一回転する間に8回もの瞬きを行う[ぱちぱちエイト]、スピンをしながら日光東照宮の三猿(見猿、云わ猿、聞か猿)の姿を真似る[三猿来](トリプルサルコー)など。それらは毛呂子さん体質や特性を見極めたヘッポコスキー氏が居たからこそ完成し得た技だと言えるでしょう。ただ、惜しむらくはいずれの技も加点対象とはならず、むしろ逆に減点されていた節もあり、順位に結びつく事はありませんでした。

結果、40才で引退するまでの33年間に渡る競技生活での最高順位は11才の時に参加した[馬鹿(うましか)市民大会]における36位という若干寂しいものであったが、それを踏まえてなお、ヘッポコスキー氏はこう熱弁する。

「あの目力の強さは、これまで私が見てきた全ての選手の中で間違いなくナンバー・ワンである」

その後、ヘッポコスキー氏は母国ロシアへと戻り、何人もの五輪代表選手を育て上げる事を夢見る生活を送っている。

皆さまも馬鹿(うましか)市を訪れた際には、女子フィギュアスケート界のレジェンド毛呂山毛呂子さんの美容室[ビューチー毛呂山]に足を運んでみては如何でしょうか。毛呂子さんの得意技を活かした名物〈イナバウアー洗髪〉は必見です。

ただし、イナバウアー状態になるのはお客さんの方なので毛呂子さんのイナバウアー姿を見る事は出来ません。悪しからず。


〜おしまひ〜。