シュール掌編『ケンちゃんと私』第9夜【昔の名前とパラフィン紙】

話題:SS



私の部屋には古い机がある。アンティークというより単に古くたびれているだけの机は、一番上の抽斗(ひきだし)だけが鍵の掛かる造りになっており、その中に綺麗に折り畳まれた一枚のパラフィン紙が仕舞われている。その独特の折り畳み方は、見る人が見れば懐かしさを覚えるだろう。ひと昔前の病院で処方される内服用の粉薬は、丁度こんな形でパラフィンの薬包紙に包み込まれていた。

薬包紙!では、私の机の抽斗の中にある薄青いパラフィン紙の中に入っているのは矢張り粉薬なのだろうか?

答えは否。そこにあるのは粉薬ではなく一握の砂であり、同時にそれはケンちゃんからの渡航土産でもあった。特に美しいというわけでもない。ケンちゃんはそれを或る小国――国の名前は最後まで教えてくれなかった――の蚤の市で手に入れたと言っていた。

海外まで出掛けておいてお土産がコレかい?不服を隠し切れない私にケンちゃんは「これは今でこそ砂としか呼びようのない代物だけど、昔はそれ以外にも別の名前も持っていたんだよ」と何やら含みのある言い方をした。

どんな名前だい?

「渚」。間髪入れずケンちゃんはそう答えた。

渚?

「そう、渚。いや、それだけじゃない。他にも砂浜とか浜辺とか、包括的な意味合いで海と呼ばれたりもしていた」

ケンちゃんの話に拠ると、この一握の砂はかつては美しい海の美しい砂浜だったという。しかし、海は消失し、後を追うように渚も消えてしまった。海を失った砂浜を砂浜と呼ぶ者はなくなり、それは単に砂と呼ばれるようになった。

「海は、それを海と知る者が居て初めて海となるだよ。渚も然り。ほら、渚という字はサンズイに者と書くだろう?そして、海を海と知る為には陸というものを知っていなければならない。部分と全体――いや、それではまだ半分だけれども――兎に角だ、海は相対的な意味合いにおいて海なのだね」

相変わらず、人を煙に巻くような物言いをする。

「でもね…」ケンちゃんは一呼吸置いて先を続けた。「科学ではまだ実証されていないけど、砂には物事を記憶する能力があるのだよ」

パラフィン紙で包まれた一握の砂。かつては渚と呼ばれていた砂。この砂は今でも自分が海の一部であった時の事を覚えているのさ、ケンちゃんは言う。そして、この砂は、失われた海の失われた渚に残された最後の砂なのだ、と付け加えた。

湖や内海が消えたという話なら聞いた事が無いではないが、彼の口ぶりからするとどうやら消えたのは外海であるらしい。太平洋、大西洋、インド洋…外海が消えたなどという話は未だかつて聞いた事が無い。いったい、何がどうなれば外洋や外海が消失、消滅するような事態が起こるのだろう。

このパラフィン紙の中の砂が失われた海の残滓だというのは、ケンちゃんならではの詩的メタファーなのかも知れない。これは単なる砂でしかなく、実体上はさしたる意味を持たないのだ。そう思った。しかし、そう思いながらも其れは現在、鍵の掛けられた机の抽斗の中に大切に仕舞われている。内緒話のように。

「砂はすべてを覚えているよ。波の音も潮の香りも、人々の喜びも哀しみも、かつて自分が渚と呼ばれていた頃、其処で起こったすべての出来事をね」

もしも、世界の海が全て消えてしまったら、私はこのパラフィン紙の包みを開き、一握の砂を抽斗の中から再び世界に戻そうと思っている。砂がすべてを覚えているのならば、この砂が撒かれた場所から、もう一度、海を甦らせる事が出来るかも知れない。そう考えたからだ。でも、そんな事にならないのが一番いい、何と言っても。

私の部屋には古い机がある。その机には鍵の掛った抽斗があり、その中にはパラフィン紙に包まれて、海が一つ入っている。


【第9夜終了】。

シュール掌編『ケンちゃんと私』第8夜【飛躍と蛇口】。

話題:突発的文章・物語・詩


人が高く跳躍する為には必ず一度、膝を折り曲げて身を屈める必要があります。それと同じで人生で大きな飛躍を見せる時も、その前には必ず、低く屈み込むような忍耐の時期があるのです。

…と、テレビの人が言っていたので、事あるごとに低く屈み込んでいたら、膝に水が溜まってしまった。

冷水機の水が美味しいと評判の病院で診察を受けた結果、どうやら私は「貯水池の体質」である事が判った。

医者の話では、すぐに手を打たないと大変な事になる可能性があるらしい。

医者はそれをトイレが詰まった状態に例え、その流れで、詰まる可能性の低い昔ながらの“ぼっとんトイレット”が如何に優れ物であったかを懸命に説いていたが、正直それは私の心には響かなかった。

ともあれ、手術は必須のようだ。

私は訊ねた「いつやるか?」

すると「いつでもいいですよ」

普通に答える医者の言葉が、何故かとても新鮮に聴こえた。

翌日。

無事に手術を終えた私の膝には、左右に一つずつ水道の蛇口がついていた。

これで、いつでも膝に溜まった水を体外に排出する事が出来る。

膝に蛇口のある生活。

Life with the faucet on the knee.

それは思っていたよりずっと快適なものだった。

通勤電車の車内や路上で、膝の蛇口から出た水を美味しそうに飲む私。それを羨ましそうに眺める膝に蛇口を持たない人々。

しかし、決して独り占めはしない。喉が渇いている人には、膝の蛇口を捻って惜しみなく水を与えて上げる。中には、私の膝に手を合わせ拝んでから水を飲む信心深い人もいる。

歩くルルドの泉。

そう呼ばれる日も恐らくは近い…。


《続きは追記からどうぞ♪》





more...

シュール掌編『ケンちゃんと私』第7夜【夜のチャックと蟹のスパゲティ】。

話題:突発的文章・物語・詩

夜にチャックがついていた。

もう少し正確に言うと、夜空にチャックがついていた。チャックはズボンやジャンパーのチャックのチャックだ。

夜空が星々の輝きを縫いつけた黒い天鵞絨の布のように見える時、夜の天幕があたかも手の届きそうな近さに思える事がある。そして、ごく稀にではあるが、実際に手が届いてしまう場合が存在する。

その夜はそんな夜だった。

夜空のチャックは北斗七星の少し右側にあり、長さは20センチくらい、燻したような銀色をしていた。当然、チャックの一番上には引き手の金属具があって、それを摘まめばチャックを上げ下げ出来るようになっていた。つまり、そのチャックを使えば自由自在に夜を開けたり閉めたりする事が出来る訳だ。

その夜のチャックは閉じていた。開ける事は簡単で、事実、私は夜のチャックに一度は手を掛けていた。しかし、開ける事はしなかった。

開けなかった理由を説明するのはとても難しい。どうしてもスパゲティを食べたくない昼があるように、その夜はどうしてもチャックを開けたくない夜だった。そうとしか答えようがない。

ところが森のフクロウの言い分は少し違っていて、「君は森の木々を揺らす夜風のざわめきに吹かれて不安になったのさ」。彼に言わせるそういう事らしい。

どちらが正鵠を射ているかは別として、結局、私は夜のチャックを開ける事はしなかった。そして、以来、夜空にチャックを見る事はなかった。


先日、可愛らしい縞リスがクルミを持って訪れそうな樹木めいた雰囲気を持つオープンテラスの小さなカフェで久しぶりに彼女と食事をした。彼女はそれをランチだと言っていたが、ランチと呼ぶには7分ほど遅いように私は感じていた。

彼女は蟹のスパゲティを注文し、私は蟹のスパゲティではない物を注文した。そして、料理が届く迄の暇潰しに私はあの夜の話をした。夜空にジャンパーのチャックがついていた話だ。彼女はハンガリー土産のクルミ割り人形のように黙って私の話に耳を傾けていたが、聞き終えた途端、少し呆れたような表情をみせ、こう言ったのだった。

「ねぇ…恥ずかしいから、そんな事、絶対、他の人に言っちゃダメよ」

(でもね。そうは言うけど、これは本当の話なんだよ)私はそう言い返そうとした。けれども、それより早く彼女の発した次の言葉が私の元に届いたので、私はそのタイミングを逃してしまった。

赤と白の格子柄のテーブルクロスの上を滑って届いた彼女の二番目の言葉はこうだ。

「今は、ジャンパーのチャックなんて言わないの。ブルゾンのファスナーって言うのよ。ね、恥ずかしいから人前でそんな話したらダメだからね」

どうやら彼女にとって、夜空にチャックがついているかいないかは取るに足らない事であるらしかった。

夜のチャックなのか、それとも夜のファスナーなのか。蟹のスパゲティなのか、蟹のスパゲティ以外の物なのか。夜のチャックの向こう側には蟹のスパゲティ以外の何かが存在し、夜のファスナーの向こう側には蟹のスパゲティが在るのだろうか。

判らない。余りにも判らなさすぎて、何が判らないのかすら判らなかった。

こういう、横歩きに最適な日は無性にケンちゃんに会いたくなる。ケンちゃんならば何かしら気の利いた言葉を返してくるに違いない。

しかし、当のケンちゃんは一昨日から行方知れずとなっている。

今は夜のチャックよりもその事の方が少し気がかりだ。


〜第7夜終了〜。


★★★★★

『ケンちゃんと私』シリーズは忘れた頃にやって来る(笑)。そして…話題書き「パスタ」で投稿しようとして寸前で思い止まる私がいるのです…。




虚構と日記(土)。


話題:みじかいの


―――――

【土曜日】

押し入れの中の整理をしていて、古い日記帳を見つけた。

これは確か…。そう、かれこれもう二十年も前に、ケンちゃんが書いた日記だ。当事、ケンちゃんは自分が書いた日記を毎日私に送りつけて来ていた。そして代わりに私の日記をぶんどっていった。彼は「交換日記だ」と言っていたが、本来、交換日記とはそういう物では無いだろう。

しかし、まあいい。私もケンちゃんも共に三日坊主で直ぐに日記をつけるのに飽きてしまったから。

以来、今の今まで完全にその存在すら忘れていた。

ケンちゃんの古い日記。懐かしくなり、頁を捲る。あの頃、ケンちゃんはどんな毎日を送っていたのだろう…。

日記は月曜日から始まっていた。


【月曜日】

ポカポカ陽気のせいか急にアパートの引っ越しをしたい気分になり、駅前の《メトロン不動産》という怪しげな不動産に行く。

―これはまた、テキトーな事を。昔も今も駅前にそんな名前の不動産屋が在った事は無い。完全な虚構ではないか。まあ、ケンちゃんらしいと言えば、ケンちゃんらしいが。

次いで火曜日。

【火曜日】

「晴れ、のち、テトリス」という気象庁の予報がまさかの的中。正午を回った辺りから全国的にテトリスのブロックが降り始める。

―テトリスって何やねん!なんか、二十年前という時代、歳月を感じさせる。

【水曜日】

午後出勤の為、正午少し前ぐらいに駅へ向かって歩いていると、駅に程近い商店街の通りにけっこうな数の人だかりが出来ている光景に遭遇した。昔ながらの商店が軒を列ねる、普段は落ち着いた雰囲気の通りが何やら緊張感漂う只ならぬ空気に包まれている。

―あ、思い出した。確かこれはケンちゃんが「挽き逃げ事件」と単に駄洒落を言いたいが為に書いたものだったはず。

【木曜日】

午前6時。会社の仮眠室で目を覚ます。しまった。仮眠をとるつもりが本格的に朝まで寝てしまった。

―この辺りからケンちゃんに疲労の色が見える。そろそろ日記に飽きて来たに違いない。


【金曜日】

午前3時、竿竹屋の声で目を覚ます。こんなに朝早くから、随分と仕事熱心な竿竹屋だ。感心しつつも起きるにはまだ早いので再度眠りにつく。

―ここまで来ると、もはや破れかぶれとしか言いようが無い。しかも途中から半ば強引にSFに持って行こうとしているし…。

次の【土曜日】を読もうと頁を捲る。しかし、そこから先は全て白紙となっていた。どうやら金曜日で力尽きたらしい。

たった五日間の日記帳。それも全て虚構の出来事ばかりが書き連ねてある日記だ。

しかし、こうして、この古い虚構の日記を読んだ事は紛れもなくリアルそのものの出来事。

私は日記帳の白紙頁に一日分の日記を書き足した。


【土曜日】

押し入れの中の整理をしていて、古い日記帳を見つけた。


―――――――

「虚構と日記」は、カテゴリ【ケンちゃんと私シリーズ】です。という事で…取り敢えず、おしまい♪(/▽\)


虚構と日記(金)。


話題:SS



―――――

【前夜譚・木曜日の夜】

明日は待ちに待った二日ぶりの休日。という事で、深夜、録画が溜まっていたNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」をまとめて視聴。いつもより夜更かしの午前2時に就寝。明朝は早起きしなくても良いので大丈夫。余裕余裕。

―――――――

【金曜日】

午前3時、竿竹屋の声で目を覚ます。こんなに朝早くから、随分と仕事熱心な竿竹屋だ。感心しつつも起きるにはまだ早いので再度眠りにつく。

午前3時半、焼きイモ屋の声で目が覚める。この季節に焼きイモとは珍しい。驚きながらも起きる時間ではないので再び目を閉じる。

午前4時、豆腐屋のチャルメラの音で目が覚める。郷愁をそそられるが、正直まだ寝足りないので再び目を閉じる。

午前4時半、チンドン屋の笛と太鼓で目が覚める。この時代にチンドン屋は貴重だ。ちょっぴり嬉しくなるも、まだ起きる訳にはいかない。再び目を閉じる。

午前5時、大名行列の「した〜に〜したにっ」の声で目が覚める。恐らく江戸時代からタイムスリップして来たのだろう。家の前の通りは鎌倉時代から続く旧街道なので時々こういう不思議なものが通ったりする。表に出て大名を見てみたい気もするが、朝っぱらから道で土下座するのも切ない話なので、そのまま再び目を閉じる。

今日は会社の創立記念日につき仕事はお休み。こういうスペシャルな日は、昼過ぎぐらいにアクビをしながら、のこのこと起きるのが理想的な一日の始め方だ。さあ、このまま昼すぎまで眠るぞ。

午前5時半、ガシーン!という巨大な衝撃音で目が覚める。カーテンを開けて窓から外を眺めると、家の前の通りにアダムスキー型のUFOが墜落していた。いや、墜落ではなく不時着しているだけかも知れない。好奇心をそそられるも、迂闊に近寄って体に変な金属のチップを埋め込まれるのが怖いので見て見ぬふりを決め込んで再び目を閉じる。

午前6時、玄関のチャイムの音で目が覚める。こんな朝早くから誰だろう、訝しく思いながら玄関のドアを開くと、頭まですっぽり隠れる銀色(ラメ)の全身タイツに身を包んだ透き通るように肌の白い碧眼の若い女性が立っていた。頭からは先っぽが小さな球状になっている二本の触覚が飛び出ている。子供の頃、宇宙科学図鑑に載っていた金星人にソックリだ。

「どちらさまで?」。

「金星人です」。

やはり金星人だった。もはや疑う余地は無い。

「何の御用で?」

「故障したUFOを修理したいので、プラスのドライバーとガムテープを貸して欲しいのです」

「お安い御用です」

工具棚から所望された品を取り出して金星人に渡す。その際、互いの指先が軽く触れ、二人で顔を赤らめる。貴女も純情。私も純情。純情きらり。指先から始まる恋があってもいい。そんな事を思いながらも、まだ起きたくないので布団に戻り目を閉じる。

午前6時半、ゴォォォー!という重低音で目が覚める。窓から外を見ると、UFOが回転しながら地面から少し浮き上がっている。どうやら無事に修理が終わったようだ。点滅しながら飛翔したUFOが朝焼けの空に消えるのを見届けた後、安心して再度眠りにつく。

午前7時、またしても玄関のチャイムで目を覚ます。ドアを開くと、先程の金星人女性が立っていた。

「ドライバーとガムテの残りを返し忘れていました」

「ああ、別に良かったのに…」

「そんな…ダイヤモンドより貴重なガムテを頂くなんて事…とても出来ませんわ」

どうやら金星ではダイヤモンドよりガムテープの方が貴重らしい。本当、物の価値など曖昧なものだ。彼女からドライバーとガムテの残りを受け取り、再び就寝。さあ今度の今度こそ昼まで寝るぞ。

☆★☆★☆

午後7時、自宅の玄関前で目が覚める。何故私はこんな所で眠っているのだろう。しかも、何時の間にか午後7時になっている。鍵を出す為ポケットに手を突っ込むと、見覚えのない紙切れが一枚入っていた。紙切れは便箋で美しい菖蒲の姿が和彩で描かれていた。

―こうして貴方の記憶を消去せざるを得なかった事、どうぞお許し下さいませね。金星で貴方と二人共に過ごした3年間は、私にとって夢のような時間でした。モチャルンパの木陰でヘミャヘミャを食べた時の貴方の笑顔を、私は生涯忘れる事は無いでしょう。それでは、お体を大切に、いつまでもお元気で…。

金星人マヤ。

追伸…ポルッカプネプネはヒョーショージョーモノですよ(笑)―



便箋を読む限り、どうやら私は金星に行っていたようだ。それも3年間。しかし、その記憶は消され、金星へ飛び立つ前の日付、時間に運び戻されたのだろう。

書かれている内容は今となってはチンプンカンプンだが、恐らくそういう事があったに違いない。

便箋が夜風に切なく薫っていた。

仕方ないので、今日の日記は記憶が消される前の午前7時迄をメインに書く事にする。

それにしても…

眠い。

―――――――

残すところは土曜と日曜の二日分。それはまた明日以降のお楽しみという事で♪(o^−^o)
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