シュール掌編『ケンちゃんと私』第10夜【真冬の月とレモンスカッシュ】


話題:SS

通り道にある自動販売機が少し気になっている。何処にでもあるようなドリンクの自販機。[奥さまは魔女]ふうに言うならば、「ごく普通の町にあるごく普通の道のごく普通の自動販売機、でもただ一つ違っていたのは──たびたびレモンスカッシュが売り切れになる事だったのです──」

注目して欲しいのは、この“たびたび”という部分。売り切れのランプがずっと点灯したままなら「ああ、(人気がなくて売れないから)補充していないんだな」と納得出来るが、“たびたび売り切れ”になるのは、つまり、その都度補充はされている事になる。補充→売り切れ→補充→売り切れ。この繰り返しにより“たびたび売り切れる”状況が出来上がるという訳だ。

ここで疑問。

レモンスカッシュってそんなに人気あるのだろうか?

私の周りを見る限り、需要はあまり無いように思える。オレンジエードには勝てるとしても、せいぜいジンジャーエールといい勝負だろう。それでも、真夏ならば、百歩譲って、人気が高まるとしても、真冬はどうだろう。すぐ隣の[はちみつレモン]は売り切れにならないのも引っかかると言えば引っかかる。

……とは言え、レスカが好きで好きで仕方がないという人だっているだろうし、そういう人なら季節に関わらず飲むだろう。たまたま、そういう人がこの道をよく通るのかも知れない。

そんなふうに自分を納得させ過ごしていた或る晩。真冬らしい底冷えのする夜で、何気なく見上げた星空がとても綺麗だった。しばし冬の星座に心を奪われていた私であったが、ふと、月の色がやけに蒼白い事に気がついた。この顔色、ひょっとして具合が悪いのかも知れない。気を失った月が、このまま地球に落下してきたら大変な事になる。何か自分に出来る事はないのか?

沈思黙考、数分。不意に妙案が浮かぶ。奇しくも目の前には例の自販機の姿がある。幸いな事にレモンスカッシュは売り切れていない。よし、これならいけるかも知れない。私はレスカを1本買うと、缶をこれでもかというほど振った。そして缶の口を月に向け、気合いと共にプルトップを強くひいた。

プシューーー!!!

物凄い勢いで吹き出たレモンスカッシュの噴水が(私の視界の中で)月に吹き掛かる。すると……心なしか月が黄色味を帯びて来たように見えた。ならば、もう1本。プシューーー!!……やはり、うっすらとではあるが間違いなく黄色くなっている。もう1本。更に1本。おまけに1本。ついでに1本。駆けつけ3本。こうなるともう止まらない。体が勝手にレモンスカッシュを買い、振り、月に吹き掛ける。

気がつけば、実に18本のレモンスカッシュを月に吹き掛けていた。もはや月はすっかり元気を取り戻し、黄色を通り越して黄金色に輝いている。

もう大丈夫だろう。これで月が地球に落ちてくる心配はない。私は安堵の息を漏らした。汗をかいたので、何かさっぱりした物が飲みたくなった。コーラを買うつもりが、体が勝手にレモンスカッシュのボタンを押していた。そして、取り出し口に缶が落ちるのと同時にレモンスカッシュは売り切れとなった。

もしかして……此処に至り思う……この自販機のレモンスカッシュがたびたび売り切れになるのは、こういう事だったのではないか。月の色を心配した人間が私のようにルナティックになり何本ものレモンスカッシュを月に吹き掛け続ける。そして最後に自ら祝杯をあげ、売り切れとなる。ためしてガテン。これなら合点がゆく。隣の[はちみつレモン]が売り切れないのは、炭酸が入っていなくて月まで【黄色】を飛ばせないから。

日常のちょっとした謎が解けてご満悦の私。見上げれば、お月さまもご機嫌な顔で輝いていた……。


追記──長い間行方知れずだったケンちゃんから連絡があった。近々帰ってくるそうだ。戻って来たら、今まで何処で何をしていたのか、是非とも訊いてみなければいけない。


〜おしまひ〜。





シュール掌編『ケンちゃんと私』第9夜【昔の名前とパラフィン紙】

話題:SS



私の部屋には古い机がある。アンティークというより単に古くたびれているだけの机は、一番上の抽斗(ひきだし)だけが鍵の掛かる造りになっており、その中に綺麗に折り畳まれた一枚のパラフィン紙が仕舞われている。その独特の折り畳み方は、見る人が見れば懐かしさを覚えるだろう。ひと昔前の病院で処方される内服用の粉薬は、丁度こんな形でパラフィンの薬包紙に包み込まれていた。

薬包紙!では、私の机の抽斗の中にある薄青いパラフィン紙の中に入っているのは矢張り粉薬なのだろうか?

答えは否。そこにあるのは粉薬ではなく一握の砂であり、同時にそれはケンちゃんからの渡航土産でもあった。特に美しいというわけでもない。ケンちゃんはそれを或る小国――国の名前は最後まで教えてくれなかった――の蚤の市で手に入れたと言っていた。

海外まで出掛けておいてお土産がコレかい?不服を隠し切れない私にケンちゃんは「これは今でこそ砂としか呼びようのない代物だけど、昔はそれ以外にも別の名前も持っていたんだよ」と何やら含みのある言い方をした。

どんな名前だい?

「渚」。間髪入れずケンちゃんはそう答えた。

渚?

「そう、渚。いや、それだけじゃない。他にも砂浜とか浜辺とか、包括的な意味合いで海と呼ばれたりもしていた」

ケンちゃんの話に拠ると、この一握の砂はかつては美しい海の美しい砂浜だったという。しかし、海は消失し、後を追うように渚も消えてしまった。海を失った砂浜を砂浜と呼ぶ者はなくなり、それは単に砂と呼ばれるようになった。

「海は、それを海と知る者が居て初めて海となるだよ。渚も然り。ほら、渚という字はサンズイに者と書くだろう?そして、海を海と知る為には陸というものを知っていなければならない。部分と全体――いや、それではまだ半分だけれども――兎に角だ、海は相対的な意味合いにおいて海なのだね」

相変わらず、人を煙に巻くような物言いをする。

「でもね…」ケンちゃんは一呼吸置いて先を続けた。「科学ではまだ実証されていないけど、砂には物事を記憶する能力があるのだよ」

パラフィン紙で包まれた一握の砂。かつては渚と呼ばれていた砂。この砂は今でも自分が海の一部であった時の事を覚えているのさ、ケンちゃんは言う。そして、この砂は、失われた海の失われた渚に残された最後の砂なのだ、と付け加えた。

湖や内海が消えたという話なら聞いた事が無いではないが、彼の口ぶりからするとどうやら消えたのは外海であるらしい。太平洋、大西洋、インド洋…外海が消えたなどという話は未だかつて聞いた事が無い。いったい、何がどうなれば外洋や外海が消失、消滅するような事態が起こるのだろう。

このパラフィン紙の中の砂が失われた海の残滓だというのは、ケンちゃんならではの詩的メタファーなのかも知れない。これは単なる砂でしかなく、実体上はさしたる意味を持たないのだ。そう思った。しかし、そう思いながらも其れは現在、鍵の掛けられた机の抽斗の中に大切に仕舞われている。内緒話のように。

「砂はすべてを覚えているよ。波の音も潮の香りも、人々の喜びも哀しみも、かつて自分が渚と呼ばれていた頃、其処で起こったすべての出来事をね」

もしも、世界の海が全て消えてしまったら、私はこのパラフィン紙の包みを開き、一握の砂を抽斗の中から再び世界に戻そうと思っている。砂がすべてを覚えているのならば、この砂が撒かれた場所から、もう一度、海を甦らせる事が出来るかも知れない。そう考えたからだ。でも、そんな事にならないのが一番いい、何と言っても。

私の部屋には古い机がある。その机には鍵の掛った抽斗があり、その中にはパラフィン紙に包まれて、海が一つ入っている。


【第9夜終了】。

シュール掌編『ケンちゃんと私』第8夜【飛躍と蛇口】。

話題:突発的文章・物語・詩


人が高く跳躍する為には必ず一度、膝を折り曲げて身を屈める必要があります。それと同じで人生で大きな飛躍を見せる時も、その前には必ず、低く屈み込むような忍耐の時期があるのです。

…と、テレビの人が言っていたので、事あるごとに低く屈み込んでいたら、膝に水が溜まってしまった。

冷水機の水が美味しいと評判の病院で診察を受けた結果、どうやら私は「貯水池の体質」である事が判った。

医者の話では、すぐに手を打たないと大変な事になる可能性があるらしい。

医者はそれをトイレが詰まった状態に例え、その流れで、詰まる可能性の低い昔ながらの“ぼっとんトイレット”が如何に優れ物であったかを懸命に説いていたが、正直それは私の心には響かなかった。

ともあれ、手術は必須のようだ。

私は訊ねた「いつやるか?」

すると「いつでもいいですよ」

普通に答える医者の言葉が、何故かとても新鮮に聴こえた。

翌日。

無事に手術を終えた私の膝には、左右に一つずつ水道の蛇口がついていた。

これで、いつでも膝に溜まった水を体外に排出する事が出来る。

膝に蛇口のある生活。

Life with the faucet on the knee.

それは思っていたよりずっと快適なものだった。

通勤電車の車内や路上で、膝の蛇口から出た水を美味しそうに飲む私。それを羨ましそうに眺める膝に蛇口を持たない人々。

しかし、決して独り占めはしない。喉が渇いている人には、膝の蛇口を捻って惜しみなく水を与えて上げる。中には、私の膝に手を合わせ拝んでから水を飲む信心深い人もいる。

歩くルルドの泉。

そう呼ばれる日も恐らくは近い…。


《続きは追記からどうぞ♪》





more...

シュール掌編『ケンちゃんと私』第7夜【夜のチャックと蟹のスパゲティ】。

話題:突発的文章・物語・詩

夜にチャックがついていた。

もう少し正確に言うと、夜空にチャックがついていた。チャックはズボンやジャンパーのチャックのチャックだ。

夜空が星々の輝きを縫いつけた黒い天鵞絨の布のように見える時、夜の天幕があたかも手の届きそうな近さに思える事がある。そして、ごく稀にではあるが、実際に手が届いてしまう場合が存在する。

その夜はそんな夜だった。

夜空のチャックは北斗七星の少し右側にあり、長さは20センチくらい、燻したような銀色をしていた。当然、チャックの一番上には引き手の金属具があって、それを摘まめばチャックを上げ下げ出来るようになっていた。つまり、そのチャックを使えば自由自在に夜を開けたり閉めたりする事が出来る訳だ。

その夜のチャックは閉じていた。開ける事は簡単で、事実、私は夜のチャックに一度は手を掛けていた。しかし、開ける事はしなかった。

開けなかった理由を説明するのはとても難しい。どうしてもスパゲティを食べたくない昼があるように、その夜はどうしてもチャックを開けたくない夜だった。そうとしか答えようがない。

ところが森のフクロウの言い分は少し違っていて、「君は森の木々を揺らす夜風のざわめきに吹かれて不安になったのさ」。彼に言わせるそういう事らしい。

どちらが正鵠を射ているかは別として、結局、私は夜のチャックを開ける事はしなかった。そして、以来、夜空にチャックを見る事はなかった。


先日、可愛らしい縞リスがクルミを持って訪れそうな樹木めいた雰囲気を持つオープンテラスの小さなカフェで久しぶりに彼女と食事をした。彼女はそれをランチだと言っていたが、ランチと呼ぶには7分ほど遅いように私は感じていた。

彼女は蟹のスパゲティを注文し、私は蟹のスパゲティではない物を注文した。そして、料理が届く迄の暇潰しに私はあの夜の話をした。夜空にジャンパーのチャックがついていた話だ。彼女はハンガリー土産のクルミ割り人形のように黙って私の話に耳を傾けていたが、聞き終えた途端、少し呆れたような表情をみせ、こう言ったのだった。

「ねぇ…恥ずかしいから、そんな事、絶対、他の人に言っちゃダメよ」

(でもね。そうは言うけど、これは本当の話なんだよ)私はそう言い返そうとした。けれども、それより早く彼女の発した次の言葉が私の元に届いたので、私はそのタイミングを逃してしまった。

赤と白の格子柄のテーブルクロスの上を滑って届いた彼女の二番目の言葉はこうだ。

「今は、ジャンパーのチャックなんて言わないの。ブルゾンのファスナーって言うのよ。ね、恥ずかしいから人前でそんな話したらダメだからね」

どうやら彼女にとって、夜空にチャックがついているかいないかは取るに足らない事であるらしかった。

夜のチャックなのか、それとも夜のファスナーなのか。蟹のスパゲティなのか、蟹のスパゲティ以外の物なのか。夜のチャックの向こう側には蟹のスパゲティ以外の何かが存在し、夜のファスナーの向こう側には蟹のスパゲティが在るのだろうか。

判らない。余りにも判らなさすぎて、何が判らないのかすら判らなかった。

こういう、横歩きに最適な日は無性にケンちゃんに会いたくなる。ケンちゃんならば何かしら気の利いた言葉を返してくるに違いない。

しかし、当のケンちゃんは一昨日から行方知れずとなっている。

今は夜のチャックよりもその事の方が少し気がかりだ。


〜第7夜終了〜。


★★★★★

『ケンちゃんと私』シリーズは忘れた頃にやって来る(笑)。そして…話題書き「パスタ」で投稿しようとして寸前で思い止まる私がいるのです…。




虚構と日記(土)。


話題:みじかいの


―――――

【土曜日】

押し入れの中の整理をしていて、古い日記帳を見つけた。

これは確か…。そう、かれこれもう二十年も前に、ケンちゃんが書いた日記だ。当事、ケンちゃんは自分が書いた日記を毎日私に送りつけて来ていた。そして代わりに私の日記をぶんどっていった。彼は「交換日記だ」と言っていたが、本来、交換日記とはそういう物では無いだろう。

しかし、まあいい。私もケンちゃんも共に三日坊主で直ぐに日記をつけるのに飽きてしまったから。

以来、今の今まで完全にその存在すら忘れていた。

ケンちゃんの古い日記。懐かしくなり、頁を捲る。あの頃、ケンちゃんはどんな毎日を送っていたのだろう…。

日記は月曜日から始まっていた。


【月曜日】

ポカポカ陽気のせいか急にアパートの引っ越しをしたい気分になり、駅前の《メトロン不動産》という怪しげな不動産に行く。

―これはまた、テキトーな事を。昔も今も駅前にそんな名前の不動産屋が在った事は無い。完全な虚構ではないか。まあ、ケンちゃんらしいと言えば、ケンちゃんらしいが。

次いで火曜日。

【火曜日】

「晴れ、のち、テトリス」という気象庁の予報がまさかの的中。正午を回った辺りから全国的にテトリスのブロックが降り始める。

―テトリスって何やねん!なんか、二十年前という時代、歳月を感じさせる。

【水曜日】

午後出勤の為、正午少し前ぐらいに駅へ向かって歩いていると、駅に程近い商店街の通りにけっこうな数の人だかりが出来ている光景に遭遇した。昔ながらの商店が軒を列ねる、普段は落ち着いた雰囲気の通りが何やら緊張感漂う只ならぬ空気に包まれている。

―あ、思い出した。確かこれはケンちゃんが「挽き逃げ事件」と単に駄洒落を言いたいが為に書いたものだったはず。

【木曜日】

午前6時。会社の仮眠室で目を覚ます。しまった。仮眠をとるつもりが本格的に朝まで寝てしまった。

―この辺りからケンちゃんに疲労の色が見える。そろそろ日記に飽きて来たに違いない。


【金曜日】

午前3時、竿竹屋の声で目を覚ます。こんなに朝早くから、随分と仕事熱心な竿竹屋だ。感心しつつも起きるにはまだ早いので再度眠りにつく。

―ここまで来ると、もはや破れかぶれとしか言いようが無い。しかも途中から半ば強引にSFに持って行こうとしているし…。

次の【土曜日】を読もうと頁を捲る。しかし、そこから先は全て白紙となっていた。どうやら金曜日で力尽きたらしい。

たった五日間の日記帳。それも全て虚構の出来事ばかりが書き連ねてある日記だ。

しかし、こうして、この古い虚構の日記を読んだ事は紛れもなくリアルそのものの出来事。

私は日記帳の白紙頁に一日分の日記を書き足した。


【土曜日】

押し入れの中の整理をしていて、古い日記帳を見つけた。


―――――――

「虚構と日記」は、カテゴリ【ケンちゃんと私シリーズ】です。という事で…取り敢えず、おしまい♪(/▽\)


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