話題:言葉遊び

──大丈夫だろうか?

時刻は待ち合わせ時間である午前10時を既に40分過ぎています。【ふつつか商事】営業部主任・友利(58)は心配になってきました。共に取引先に出向く予定の部下=新入社員の小松島が来ないのです。場所は駅の南口を出た所。それなりに乗降客の多い大きな駅ではありますが、新宿や池袋に比べれば遥かに小さく、決して分かりにくい場所とは言えません。ましてや彼は、学生時代に海外ボランティア活動で世界中を飛び回っており、その経験と実績が採用の決め手になったと聞きます。ならば尚更、地理には明るいはず。方向音痴の訳がありません。

何度か携帯に電話してみましたが応答はなし。と言う以前に繋がりません。電波の届かない場所にいるのでしょうか。或いは電源をオフにしたまま寝坊でもしているのか、と自宅にも掛けてみましたが誰も出ません。或いは1時間程度の遅刻など海外ではザラで日本人が時間に真面目過ぎるのかも知れない──友利はそんな事を思い始めていました。

そんな友利の携帯に着信音が鳴り響きました。小松島からです。

『おい、どうした?ずっと待っていたんだぞ』パワハラにならない程度の強い口調で友利が窘(たしな)めると、『えっ?僕もずっと待っていたんですけど』。思わぬ言葉が返って来ました。

『いや、一通り見て回ったけど君はいなかったぞ』

『えっ、いますけど』

ざっと周囲を見渡す友利。

『いないけど』

『いますよ』

話がまったく噛み合いません。『……小松島くん、一応確認するけど南口にいるんだよね?』。すると、受話器の向こうからハッと息を呑む音が聴こえて来ました。いや、受話器はありませんが。

『待ち合わせって北口じゃなかったてすか?』

やはり!待ち合わせにおけるすれ違いの王道パターンです。考えてみれば待ち合わせの日時は口頭で2回告げただけ。一昨日の午前中、書類に判を押す際に1度。その日の帰り際、エレベーターの中で1度。昨日は友利が終日接待ゴルフで出社しておらず話をしていません。メールの1通でも打っておけば良かったのでしょうが、それは後の祭り。(せっかくの休みに仕事のメールは鬱陶しいかな)と友利なりに気を使ったのですが、結果的にはこれが失敗でした。それでも、危機は寸前で回避されました。

『じゃ、南口を出た所で待ってるから』

『了解です。すぐ向かいます』

今から合流すれば十分間に合います。やれやれ。ホッとしかけた友利ですが、5分が過ぎ、10分が過ぎ、小松島は一向に姿を見せません。やがて20分が過ぎました。これはちょっと変ではないか?不安になった友利が再度電話をします。

『はい、小松島です』

『あ、僕だけど……ねぇ、さっきから待ってるんだけど、どうした?何かあった?』

訊ねる友利に、小松島が怪訝そうに答えます。

『もうとっくに南口に着いてますけど……部長どこに居るんですか?』

そんな馬鹿な。一通り見渡せる場所にいるので彼の姿を見逃す訳がありません。

『本当に南口にいる?』

『はい。間違いありません。南口です』

……となると(ダック)、考え得る可能性は1つ。つまり、二人は別の駅にいる。信じがたい事ですが、それ以外に答えはありません。

『もうひとつ確認したいんだけど……』

『はい』

『君、どこの駅にいる?』

核心をつく友利の質問。と、次の瞬間、友利の人生観を引っくり返す衝撃的な一言が小松島の口から発せられたのです。

『……キンシャサですけど』

キンシャサ!!

友利は脳天を雷神トールのハンマーでぶっ叩かれたような衝撃を受けました。

『待ち合わせってキンシャサ駅で間違いないですよね?』

気絶寸前で何とか踏みとどまった友利が告げます。

『僕が言ったのは……“錦糸町”だよ』

沈黙の時間。それを破ったのは小松島でした。

『錦糸町って……何でまたそんな辺鄙(へんぴ)な所で?』

友利がすかさず異を唱えます。

『キンシャサの方が辺鄙だと思うぞ』

キンシャサ市民が聞いたら怒りそうな一言ですが、近くにキンシャサ市民はいなさそうなので大丈夫。

『お言葉ですけど、キンシャサは首都ですよ。錦糸町は首都じゃありませんよね』小松島もひるみません。

『いや、首都だよ。東京だもの』

一応断りを入れて置きますが、錦糸町もキンシャサも、治安はともかく決して辺鄙な場所ではありません。この二人が議員だったら失言で辞職に追い込まれる事でしょう。

『……それは知りませんでした。てっきり千葉だとばかり。でも、どうして、花の都・錦糸町で待ち合わせなんですか?』

『花の都ではないけど、取引先の会社があるからだよ』

なんとつまらない、在り来たりな答えでしょう。弁解するように友利が言葉を続けます。

『常識で考えてみてくれ。キンシャサで待ち合わせする訳ないだろう。そんな話聞いた事がない』

断言する友利。が、小松島の反応は予想に反するものでした。

『ああ……僕、アフリカに居た時よくキンシャサで待ち合わせしていたので、自然にそう思っちゃいました。スミマセン、僕の聞き違いですね、きっと』

そうです。すっかり忘れていましたが、彼はNGOだかNPOで世界を飛び回っていたのでした。彼にとってキンシャサというのは身近な場所なのでしょう、ちょうど私達にとっての渋谷のハチ公前のように。

確かに、錦糸町とキンシャサは発音が似ているといえば似ています。舌っ足らずの友利の喋りに加えて、音質の良くないガラケーでは錦糸町がキンシャサに聴こえても不思議はありません。アフリカと日本なら接続が悪かったのも頷けます。非常識な新入社員だと半ば 呆れていまし友利でしたが、それは逆。発想や感覚がワールドワイドだからこその失敗だったのです。

さて、彼の世界人ぶりは世界人ぶりとして、問題はこの後どうするかです。小考の末、友利が言いました。

『……ところで君、今から1時間以内に来られるかな?』

これはジョークなのでしょうか。それとも天然なのでしょうか。小松島が探るように訊ねます。

『……あの、失礼ですけど部長、アフリカに旅行なさった事ってあります?』

少し間があって、

『ああ……国立博物館の古代エジプト展に一回行ったよ』涼しげに友利が答えました。

『えーと……上野はアフリカじゃないですよね』常識で反撃する小松島。

『あ、富士サファリパークにも行った事ある』負けじと友利。

『それもアフリカじゃないですよね』小松島も引き下がりません。

『そうだ!昔、TOTOの[アフリカ]って曲を友達にダビングして貰ったよ』魔球で攻める友利。

『それは、もはや旅行ですらないですよね……つまり、アフリカに行った事は無いと』やりとりに飽きた小松島が一刀両断の元に切り捨てます。

『まぁ、そういう事だ』こうなっては友利も敗北を認めざるを得ませ。

『日本とアフリカはかなり離れていてですね、今からチケット取って直ぐに飛んでも、そちらに到着するのは明日になるかと思います』

『今日中は無理か』

どうやら話はまともな軌道に戻ったようです。

『はい。申し訳ありません。キンシャサは何回も行った事がありますけど、錦糸町は一度も無くて、それで勝手に思い込んじゃいました。僕のミスです』

そうです。そういう人もいるのです。友利は改めて世界の広さを思い知らされました。考えてみれば、錦糸町とキンシャサ、このような美しい駄洒落が現実の出来事として起こるとは奇跡以外の何物でもありません。これは吉兆に違いない。内心、喜んでいた友利でしたが、ミスはミス、そこは上司として厳しく釘を刺しておかなければなりません。 

『こういう事がもう二度と起きないよう、これからはちゃんと確認を取っていこう。お互いにね』

無難にまとめ、ホッと一息ついた友利でしたが、その 直後、小松島の放った一言にまたしても脳天を直撃される事となるのです。

果たして小松島は何と言ったのでしょうか?

そう、彼はこう言ったのです……

『コンゴ(今後)気を付けます!』

コンゴ気を付けます!この駄洒落の畳み掛けは只者ではありません。何故なら、キンシャサはコンゴの首都だからです。もしや……友利は考えます……彼はこの一言の為にわざと錦糸町とキンシャサを間違えたのではないか?

そう言えば……この世には「世界の駄洒落化」を目論む謎の組織が存在している……そんな噂があります。本来は言葉上の存在である駄洒落を現実の出来事として引き起こし具象化する。そして、それを実行するエージェントは【駄洒落使徒】と呼ばれ、世界のあらゆる国々に及んでいる、と。もしかすると、小松島こそはそのエージェント=駄洒落使徒なのかも知れません。

友利は思わず身震いしました。しかし──友利は思い直します──もし仮にそうだったとしても、彼が期待のホープである事に変わりはありません。この事には触れず、彼には自由に行動して貰おう──友利はそう考えていました。

そして数日後。世界的銘菓・モケーレ・ムベンベ饅頭(まんじゅう)の独占販売権を獲得して帰国した小松島を見るに至り、自分の決断が正しかった事を友利は確信したのでした。


〜おしまひ〜。


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