話題:創作小説


指紋は複雑に絡まり合い、容易にほどけそうに無い。それでも、どうにかほどこうとすると、事態は更に悪化してしまった。最早、何処がどう絡まっているのかすら判別がつかない。

やはり、剥がれ掛けのカサブタや笹くれと、ほどけ掛かった指紋は幾ら気になろうとも、そのまま放にして置くのがベストなのだ。

我に返った私は、すっかり途方に暮れてしまった。このままでは明日からの生活に支障をきたす事は明らかだ。

しばらく思案に明け暮れるも、気持ちばかりが先走っているせいか、焦燥感が募るばかりで解決法は一向に見つからない。手袋をすれば指先から垂れ下がる指紋を隠す事は出来るが、まさか朝から晩まで手袋を嵌めたままという訳にもいかないだろう。

仕方なく私は最終的な手段を取る事にした。つまり、ハサミを使って両手十指の指紋全てを指から切り離すのだ。

私は手近にあったハサミを取り、指にくっ付いている根元の部分から次々と指紋を切り離して行った。

呆気ないほど簡単に切れてゆく指紋たち。やがて完全に肉体から解放された十指の指紋は、単なる糸屑へと成り果てた。問題はこの後だが、思い切って燃やしてしまう事にした。もう随分と長い間私の一部であった存在なので、燃やすのはいささか忍びない気がしたが、切った髪や爪を床屋から持ち帰ったり、いつまでも取って置いたりしない事を思えば、焼却も妥当な処分であるように思えた。

禁煙して以来長らく使っていなかった灰皿を戸棚の奥から引っ張り出し、その中に丸めた指紋屑を置く。古いジッポーの蓋を指紋の消えた親指で勢いよく跳ね上げると、カチッという独特の金属的な音が深夜の部屋に響き渡った。その極めて小さな音は、静寂のせいか、部屋全体を支配する絶対者の如き揺るぎない存在感を持っていた。

場を支配する音。およそ拳銃など手にした経験を持たぬ私だが、拳銃の撃鉄を下ろす時はこんな感覚になるのではないだろうか、不思議とそんな事を思った。

もう久しく使用していないライターなのでガス(オイル)が残っているか心配だったが、シュポッと音を立てながら小さな赤青の焔(ほのお)が芯に灯るのを見るに至り、その心配が杞憂に過ぎなかった事を理解した。

かける言葉も見つからないまま、私は灰皿の中に丸めて置かれている指紋の屑束に焔を近づけた。

毛髪が焼ける時のような嫌な臭いが立ち昇る事を想像しながら指紋を燃やし始めた私だったが、予想に反し、焔を纏った指紋は不思議な芳香を発しながら燃えていった。その香りは、一言で云うならば“とても懐かしい”香りで、それ以上の説明は不可能であるように思えた。

その時に初めて私は、いま自分が燃やしている物が紛れもない自分自身の分身である事を知った。いや、分身というよりは残滓だろうか…。

そして、そう思った途端、私の中で不安がむくむくと頭をもたげて来るのが判った。経緯はどうあれ、私は指紋を全て失ったのだ。日常の中で拇印を押す必要に迫られる事はそう無いとは云え、“指紋の無い男”というのは、やはり不気味だ。指紋という或る意味絶対的な拠り所を失ったせいで、存在としての不確定性が否応なく増している…それが現在の私の状態なのだ。

果たして私は今までのように暮らして行けるのだろうか、このまま指紋を持たずに。



灰皿の中、指紋はとうに燃え尽きていた。


【後編へ続く】。

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後編は恐らく数日後となるでしょう♪ヽ(´▽`)/

何故なら、続きはこれから考えるから。そして、現在、執筆エネルギーが非常に低いから(i_i)\(^_^)

という事で…もしかしたら後編の前にライトなネタ記事が挿入されるかも知れません。何卒ご了承下さいませ( ロ_ロ)ゞ