話題:創作小説

不確定性の霧が濃度を増しながら窓から忍び寄る深夜。モキチと名付けられた人のキモチを夢想しながら黙ってジッと自分の手を見つめていると、左手の小指の先に何やら糸屑のような物がついているのに気が付いた。非常に細くて蝋のような白色をした糸屑だ。いや、糸屑と云うよりも化学繊維に近い感じだろうか。

ハテ、これはいったい?

訝しく思いながらも糸屑を取り払おうと端を軽く引っ張ると、瞬間指のひらにヌメリとした妙な感触が広がった。目を近づけてよく見ると、どうやら私が糸屑だと思っていたのは自分の指先からほつれた指紋のようだった。

指紋の端が剥がれている?そんな馬鹿なと思いつつも試しにもう少し引っ張ってみると、あろう事か指紋はいとも簡単にスルスルスルとほどけてゆくではないか。

指紋がこんなに簡単に剥がれる物だとは知らなかった。剥がれた指紋は小指の先からぶらぁんとだらしなく垂れ下がっている。

そう言えば昔、これに近い光景を見た事があるような気がする…。そうだ。アヤトリだ。指先からだらしなく垂れ下がる指紋はアヤトリに使う紐によく似ているように見えた。

この調子で左右の指の指紋を十本とも剥がせば、もしかしたら自らの指紋でアヤトリが出来るかも知れない。そう思うや否や私は左右十個の指紋を猛然と且つ慎重に剥がし始めていた。どの種のリビドーかは知らないが、それは極めて衝動的な行動だった。

親指人指し指中指薬指小指―右手に移って再び、親指から順繰り指紋を剥がしてゆく。夜の静寂に肉体から解放されてゆく指紋たち。ゾワゾワとした感触が指先から背中に伝わり思わず生温かい吐息が漏れる。途中で指紋が切れないか心配だったが、思ったよりも指紋は強靭らしく摘まんで引っ張ったぐらいで切れてしまうような事は無かった。

難なく十指の指紋を無事に剥がし終えた私は、垂れ下がる指紋の端と端を結び始めた。勿論、左手の親指の指紋には右手の親指の指紋をという形で対称させる。正直、これには少し苦労したが何とか指紋を切らずに結び終えた私は実に数十年ぶりとなるアヤトリを始めたのだった。

ほうき。はしご。取り敢えず簡単な物から。両の人差し指を立てるマレーの構えからの子豚、嵐雲。構えを戻してからヒュッテの骨組みへ移行し、そこから強引に東京タワー、日本橋。そして少し緊張しながらカロリン展開を使い天の川を組み上げてゆく。

久しぶりとは思えない順調な出来映えに気を良くした私だったが、夜というのは思考や情動の歯止めが効かない時間帯…(ここは一つ新しい技を開発するべきではなかろうか?)と、指先のロマンチックが止まらない。

イメージを広げ、膨らませ、頭の中でソリッドな形にする。そして最終形から逆算してのアプローチ開始。私は次々にアヤトリの新しい技を生み出していった。新東京スカイツリー。シャルル・ドゴール空港7番滑走路に着陸しようとするコンコンルド飛行機。投球前にストレッチ運動をする前田健太のマエケンサンバ。

これらの恐らくは相当難易度が高いであろうアヤトリ技を続々と成功させていった私だったが、ベートーベンの[運命]の楽譜を組み上げようとしてついに失敗してしまう。流石にこれは複雑過ぎた。私の技量を遥かに超えていたのだ。


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ただいま体調が若干下降気味につき、後編がやや遅れたり或いはグダグダで終わる可能性がある事を何とぞご了承下さいませ(/▽\)♪