話題:創作小説
かれこれ、もう一週間になるだろうか…
どうにも頭がボ〜ッとして仕様がない。
そこで仕方なく、バスを60本ばかり乗り継ぎ、首から上の分野にかけては世界一と名高い、この総合病院へとやって来たわけだ。
たかだか頭がボ〜っとするぐらいで、わざわざそこまでするのには勿論理由がある。
実は二年ほど前、私は【脳みそボヘミアン症候群】という世界的にも極めて症例の少ない珍病にかかり、開頭手術を行っているのだ。
幸いにも手術は成功し、以来、ボヘラリンチョンな症状に悩まされる事はなくなったが…ここに来ての突然の不調、もしかして【脳みそボヘミアン症候群】が再発したのではないだろうか!?
そんな危惧が、わざわざ遠くの総合病院まで足を運んばせたのだった。
正直、外来である上、特殊な症状でもあるので、かなり待たされるだろうと覚悟していたが、意外な事に、私の名前が呼ばれたのは受け付けを済ませてから僅か5秒後の事だった。意外と空いているようだ。
【鶴の間】と書かれたプレートが掲げられている診察室のドアの前に立った私は、コンコンと軽くノックをした。すると…コンコン♪と向こう側からも何故かノックが返って来た。私としては、てっきり『どうぞ』と声が掛かり、『失礼します』と中に入る予定だったのだが…
仕方なく、もう一度コンコン♪とノックをする。ところがやはり、返って来たのは、コンコン♪というノックの音だった。
トイレじゃあるまいし、何だこの無駄なノックの応酬は!?
そう心の中でツッコんでいると、ガチャリ、ドアが向こう側から開けられ、白衣姿の初老の男が顔を覗かせた。恐らく、彼が担当の医師に違いない。
『まあまあ、どうぞ、入って入って入って』
『はあ…失礼します』
いまいち展開に納得いかないが、
こんなところでブーたれていても仕様がない。私は医師に云われるがまま診察室の中に入り、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
『では…』
『はい』
医師は私の方に向き直り、キリッとした表情で言った。
『オペは明後日という事で』
『ちょ、ちょっと待ってください!!!』
初診で、問診の一つもなく、カルテすらないのにいきなり“手術”なんて、フライングにも程がある!
『あ、大丈夫ですよ。ノープロブレム♪』
『でも…』
『日帰り手術なので、パジャマは用意しなくても大丈夫です』
『いや、パジャマの心配なんて誰もしてませんよ。私、症状の事とかまだ何も言ってないのに、いきなり“手術”ってのは…』
『なるへそ。それも一理あるか…』
『いや、確実に二理以上あると思いますが』
『うむ。では、改めて伺います。どこがどんな感じなんですか?』
またアバウトな問診を…。
しかしまあ、“まずは櫂より始めよ”とも言うし…。
『えっとですね…どうも先週あたりから頭がボ〜ッとした状態が続いてまして…』
『…判りました。では明後日、開頭手術を行いましょう』
『いやいやいやいや、ちょっと待って下さい!』
『あ、大丈夫ですよ。ノープロブレム♪ちゃんと麻酔してから頭開きますから』
『当たり前ですよ!! そういう事ではなくて、頭がボ〜ッとしてるだけで“即”開頭手術は、さすがにちょっと気が早いのでは?』
『まあ、それはそうなんだけども…頭蓋骨を開いて直接中を診た方が確実なんだよね』
『そうかも知れませんけど、頭蓋骨を開くのって体に掛かる負担が大きいじゃないですか?』
『いや、そうでもないのよ。今は高性能のレーザーメスもあるから、握力も殆どいらないしね』
『貴方じゃなくて私の体の負担です!』
『あ、そっちの方ね。大丈夫大丈夫、ノープロブレム♪ちょっと頭蓋骨を開けて、脳みそ…あ、医者の間では“おみそ”って呼ぶんだけど…まあ、ちょっと専門用語になって難しいだろうから、今は普通に“脳みそ”って呼ぶけど…』
『いや、全然難しくないですけど』
『とにかく、そうやって脳みそをいったん取り出して、三日ぐらい預からせて貰えれば、完璧に検査出来るから』
『えっ!脳みそを取り出す!?』
『そうそう♪』
『そんな事したら、頭の中、空っぽになっちゃうじゃないですか!?』
『そうだけど、たかだか三日間の話だから、特に問題はないでしょう』
『いや、これ以上無いぐらいの大問題ですよ!!』
『そうですか?…いや、困りましたねぇ…取り敢えず、湿布は出しておきますが』
『いや、湿布はいらないんです。それよりも、MRI 検査をやって貰いたいんです。最新鋭の超高性能MRI があると聞いて、遠路遙々来たんですから』
『でもね〜…頭がボ〜ッとしてるってだけでMRI を使うのはちょっと大袈裟というか…』
『頭蓋骨を開ける方が、より大袈裟だと思いますが』
医師は腕組みをしながら、難しい顔でしばらく考えていたが、やがて、意を決したかのように言い放った。
『…判りました。では、MRI 検査をやりましょう』
『良かった。いや、有り難うございます』
『で、検査日の予約なんだけれども…希望する日時とかある?』
『いえ、特に無いですけど…なるべく早い方が嬉しいです』
『では、5秒後という事で 』
『それは早すぎます!』
『“善は急げ”と言うし…』
『急ぎ過ぎです』
『なるへそ。“急いては事を仕損じる”という訳か…判りました。では、もしも私達が来世で再び巡り逢えたとしたら…二人が初めて出逢った、あの思い出のメタセコイアの樹の下で…MRI 検査をやりましょう』
『…もう少し早い方が良いです』
『では、“一時間後”は?』
『最初からそう言って欲しかったです』
『ではでは、一時間後に【幽玄の間】で』
『幽玄の間?』
『あ、MRI 検査室の事です』
何だか、老舗旅館みたいな病院だ。この病院、本当に大丈夫なんだろうか?
どうにも不安が拭いきれない私ではあったが、何はともあれ、最新式の検査をやって貰えるのは有難い。私は、医師に向かって軽く一礼をし、【鶴の間】こと診察室を出たのだった…。
前編終わり。後編へ続く。