話題:創作小説

一時間はあっという間だった。
というのも、その時、偶然にも待合室で[エアサプライのフィルムコンサート]が開かれていたからだ。お陰で退屈する事もなく、検査までの時間を過ごす事が出来た。

【幽玄の間】ことMRI 検査室は、【飛天の間】ことレントゲン室と【朱雀の間】ことボイラー室の真ん中で、場所を探すのには苦労しなかったが、一歩足を踏み入れるなり、私は思わず呆気にとられてしまった。というのは、検査室の中央に床と天井をぶち抜く形で、一本の巨樹が立っていたからだ。

『皆さんね、驚かれるんですよ』

部屋の中にいた医師なのか技師なのかよく判らない白衣姿の男性が、声をかけてくる。

『これは?』

『ああ、メタセコイアですよ』

『…何故、メタセコイアがMRI 検査室の中に?』

私は当然の疑問を投げかけた。

『いや、それは逆です』

『逆?』

『何故、メタセコイアが立っている場所にMRI 検査室が?と聞くべきなのです』

『はあ…それはつまり、もともとこの場所にはメタセコイアの樹があって、それを残す形で病院を建てた…そういう事ですか?』

『その通りです。さ、雑談はこのくらいにして、検査の方に入りましょう。では、メタセコイアの前までお進みください』

『…メタセコイアの前?』

『はい。メタセコイアの樹をくり抜く形でMRI の機械を設置してあるんです』

見れば確かに、メタセコイアの樹の中央部分がくり抜くかれていて、そこに、例のトンネルみたいなMRI 装置が嵌め込まれている。
なんだかピンポンパンのような風景だ。

『では、仰向けの状態で寝てください』

『…宜しくお願いします』

こうして、MRI 検査が始まった訳だが…はっきり言って、どこが最新式なのか私にはサッパリ判らなかった。ごく普通のMRI 装置。ただ、一番奥まで進んだ所で、私の顔のちょうど真上になるトンネルの内側に【あなたのこころがきれいだから なんでもきれいにみえるよだな】と、何故か“相田みつを”の詩が書かれていた。…もしかして、最新式というのはこの部分を指すのだろうか?

『はい、お疲れさまでした。撮影した画像は直接【幽玄の間】に送っておきますので、詳しい話はそちらで聞いてください』

検査を終えた私が再び【幽玄の間】へ戻ると、そこには先程の医師がいて、私の顔を見るなり『画像、もう届いてますよ♪』とにこやかな表情で言った。

早っ!!

検査室を出て、そのまま真っ直ぐ来たのに、画像の方が私より先に届いてるとは…

早っ!!!

『まあ、お掛けください』

『はあ…』

言われるがまま、先程と同じように椅子に腰をおろす。

『で…これが、貴方の脳みそ…あ、私たち医者の間ではちょっと高度な言い方で“おみそ”と呼んでるんですがね…』

『それは先程聞きました』

『そうでしたか』

『ええ。それより…今さっき撮ったばかりで、ずいぶん早いですね』

『まあ、最新式のMRI ですからね、撮影しながら転送してくるんてよ。それも、光よりも速い速度で』

『光より速く?』

『ええ。そういう訳で実は…このMRI 画像、あなたが初めてこの部屋に入って来た時には、もう既に私の手の中にあったのですよ』

『はいっ?』

『いや、だからね…光より速い速度で送られて来たせいで、あなたがこの病院に来るよりも前の時間にあなたの脳みそのMRI 画像が私のデスクに届いてしまったのです』

『…という事は…私がここに入って来た時、先生はもう検査結果を知っていたと?』

『そうです。だから問診をする必要もなかったのです』

なるほど、一応筋は通っている。しかし…

『でも、既に画像があるんなら、その時に診断してくれれば良かったじゃないですか?わざわざ一時間も待ってMRI 、というか、
メタセコイアの中に入らずに済んだ』

『いや、それは駄目です』

『どうして?』

『検査していないのに検査結果だけが存在しているというのは、明らかに矛盾している。これではパラドックスが起きて、下手をすると宇宙の崩壊まであり得る』

何だか非常にややこしい話になってきた…。

『そういう訳で、私は既に診断を済ませていたけれども、あなたには検査を受けて貰う必要…いや必然性が在ったのです…宇宙的な辻褄を合わせる為に』

『う〜む…なんか非常に胡散臭い話ですが、まあいいです。納得する事にします。それより、診断の結果を教えてください』

『勿論です。では、画像を見ながら説明していきましょう』

そう言うと医師は私の脳みそのMRI 画像と思われる写真をデスクに掲げ、バックライトを点灯させた。

『こ、これは!?』

私は驚愕した。そこに在ったのは、未だかつて見た事が無いような美しい写真だったからだ。脳みそであろう部分は桃のような淡くも優しいピンク色で、それが幻想的な白い輝きの中に浮き上がっている。そして驚くべき事に、何故だか、シドニーのオペラハウスが脳みそと重なる形で映し出されていた。

『これが私が脳みそですか!?なんとまあ美しい!!』

『でしょう…いや、これ、かなり時間をかけて加工したんですよ、フォトショップでf(^_^)』

『加工!?…というか、何でこの終盤に来て、突然“顔文字”使い始めるんですか?』

『あ、顔文字はなんとなく。で、加工は…だって、あなたの脳みそ、なんか変な影みたいなのあったりして美しくないんだもの。だから、影とか余計なもの消しといた。で、去年のオーストラリア旅行で撮ったオペラハウスの写真を透過度85%で重ねてみた(//∇//)』

『余計なもの消しちゃ駄目でしょ!? むしろ、このての写真はそういう余計なものが肝ですから! ありのままを見ないと!』

『なるへそ。それも、一理あるか…』

『百理以上あると思います』

『判りました。では、レタッチ前のオリジナル画像を特別にお見せしましょう』

医師はデスクの引き出しの中からー枚の写真を取りだして、先程の物と差し替えた。

『ちょっとこの部分を見てください』

医師が指し示した部分を見ると、ちょうど脳みその真ん中辺りにかなり大きな影が映っているのが判った。

『これは?』

『このままでは判りづらいので、特殊処理を施して鮮明化した物に差し替えます』

医師が再び写真を差し替える。そこには信じられない物が映っていた。

『…こ、これは!?』

『そうです…ビックリマンチョコのシールです。まあ、私たち医者の間では“クリビツマンチョコ”と呼ばれているのですがね』

『…なんかもう“残念だ”としか言い様がありませんが…何故、私の頭の中にビックリマンシールが?』

『そこでお聞きしたいのですが…以前、開頭手術をした経験ありませんか?』

『あります。二年前に【脳みそボヘミアン症候群】で頭を開けました』

『やはり。クリビツマンシールは、その時に医師が貼ったのでしょう。で、問題はですね…シールが剥がれかかっている、という事なんです』

『つまり、頭の中のビックリマンシールが剥がれかかっている事が、頭がボーッのする原因だと?』

『間違いありません』

『で、どうすれば治るんですか?』

『開頭手術をします。そこで、大脳皮質…私たち医者は“おみその皮”と呼ぶのですが…そこを綺麗にしてシールを貼り直します』

『それで治るんですか?』

『スーパーゼウスに誓って、治ります』

『…開頭手術ですか』

『そうです。では、一時間後に【不死鳥の間】で』

『不死鳥の間?』

『あ、手術室の事です』

『ちょ、ちょっと待ってください! まだオペをすると決めたわけは…』

『でも、もしシールが完全に剥がれてしまうと【脳みそボヘミアン症候群】が、【脳みそバタリアン症候群】に移行する可能性があります』

『判りました判りました。でも、二三日考えさせてください。さすがに今日はちょっと疲れました』

『そうですかあ…判りました。それでは、今日はお帰りになってけっこうです。…あっ、湿布は20枚で大丈夫ですか?』

『湿布はいりません』

こうして、私の診察は終了した。

病院から出た私は考え込んでいた。まさかビックリマンシールが出てくるとは思わなかったが、兎も角、原因が判ったのは良かった。しかし…また開頭手術を行うのは…

思わず天を仰ぐ。

梅雨の晴れ間の青空は、初夏を思わせる爽やかなスカイブルー。綿菓子の雲は手を伸ばせば掴めそうなほど近い。

なんて清々しい、なんて気持ちの良い午後だろう。

ん?……清々しい?

その時、私はようやく気づいた。

いつの間にか、頭がスッキリとしている事に。

そして、ある一つの考えが頭に浮かぶ。

そうか…そういう事か…。

つまり、私は病気ではなかったのだ。ただ、慢性化した日常に飽き、尚且つ、疲弊していたのだ。
それが、この病院での有り得ないほどの馬鹿馬鹿しい刺激と緊張で、再び脳みそが活性化したのだ。

私は、バス停に向かう足を止め、ゆっくりと振り返った。

が…

そこには、病院はおろか建物は一つもなく、延々と広がる緑の野原に大きなメタセコイアの樹が涼しげな陰を作っているばかりであった…。



【終わり】。