絶対に言葉をくれない人から置き手紙を貰うという夢を見た
今日は途中から頭がぼうっとしてきて脳の半分が曇り硝子のような感じになってしっちゃかめっちゃかでした。
雨が降って濡れた地面が歩くたび光をぬるぬる反射して気持ち悪くなる。
帰ると母が部屋を少し模様替えしていて、古い本がいくつも掘り出されて棚に並べられていた。
そこでなんと二十五年くらい前の
『Olive』と『装苑』を発見!
初めてOlive読みました
バブル全盛期なのに今見ても普通に可愛い服やきこなしがもりもり
なかでも「アイデアで手作り、私だけのジーンズ」というページがとても夢があって
たとえばオーバーオールの作り方が載ってるんですがそれが
「Gジャンの胸の部分を大きめに切って、洗濯機にかけます。/それをぶかぶかジーンズに安全ピンでとめて、サスペンダーでつなげるだけ。/新しいオーバーオールを買う分、お小遣い、倹約できるね。」
(『Olive1990年2/3号』より)
ひょー!やってみたい!
句読点がこまめに打たれる、先生が生徒にこそっと書いた手紙のような独特の文章も雑誌の雰囲気をよく引き立てています。
この日ほんとに疲れたんだけど少し元気になりました。
突然はじめます
本当は購読したいけど(心の)敷居が高くて買えない雑誌特集
・かみのげ
・かつくら(活字倶楽部)
・ビデオサロン
・美術の窓
・S-Fマガジン
・歌壇
・大学への数学
そして
詩とファンタジー
でも今回は買いました『詩とファンタジー』
特集「詩人になりたかった穂村弘」が決め手でした。
穂村さんの詩が五篇、有名なイラストレーターの絵と共に載せられているという豪華さ。
〈蝶は知らない/雪を/ローソンの店員は知らない/真夜中のコピー機に乗せられた詩を〉
(穂村弘「知らない」より一部抜粋)
自分で詩歌をうたう人や、読んで思いを乗せる人や、世の中のコンビニのコピー機には実は数えきれないほど誰かの詩や歌が刷り込まれているんでしょう。
私も真夜中コンビニにお世話になるような歌人になりたかった。
穂村さんってほむほむとか呼ばれていてふわふわメルヘンな世界を描いてはいるけど本当はものすごく切れるナイフみたいな部分を持っていて、人の言動の奥に潜む感情の揺らぎに敏感なのにひどく冷静にその深層をとらえている。
それなのに「知らない」という詩を書いてそれを読む私たちは知らないということすら知らずにいて、詩を読んではじめてそのことたちに意識を向ける。
でも穂村さんだけじゃなく本当は誰でも知っていて気づいていて心の中では何らかの評価を下していてそれを言ったり黙っていたりするだけで皆はきっと見た目よりずっと多くのことを判断していて
そういうのが耐えきれず恐ろしくて私は何もかも知らないふりを続けたくなります。(唐突)
詩というものに明るくはないのですが載っている他の詩も読みました。
たとえば短歌や俳句なら定型があるからある程度のテンポにのせて心に取り込むことができるのだけど、詩は最後の一行の最後の一文字までそのエネルギーや毒を持続させるのが大変そう。
構成のバランスにより精密さが求められるように思う。
この日記もたまに行間を空けたり画像をはさみこんだり普通の文章のルールからは外れることがあって、それはポエム的性質に寄りかかっているからなのだろうと思う。
ファンタジーを持つことによって飾りをつけて、その雰囲気に甘えている部分がある。
〈シモオン、お前の妹、雪は庭に眠ってゐる。/シモオン、お前は私の雪、さうして私の恋人。〉
(ルミ・ド・グウルモン「雪」より一部抜粋)
表紙の絵と共に載せられていた詩です。
これも素敵だった。雪を引き合いに出しているのに最後にまるで雪を殺してしまうようなところが。
まったく話が変わるけど
『詩とファンタジー』の対極にあるようなこの本が今読みたいです。
『アルピニズムと死』
端的なタイトルに背表紙を見るたびどきっとするんです。
話題:本の感想
先輩から話しかけてきたのに、私が話し始めると聞こえないふりをしてあっちに行って
それを見ていた同級生の男の子がひどいなと怒ってくれて
同級生の女の子はひどくやる気になっていて
悲しい気持ちになったり
でもこの男の子は私にはこんなに優しくなかったことを思い出して疑問に感じたり
そもそもこの部活はこんなに真面目に活動している団体じゃなかったのにと思い出したとき目が覚めた
中学時代の夢を見ていた
もうひとつは大切なハンコをなくして怒られる夢だった
現実で今日、職場にいつも置いてあるハンコがなくなっていて焦った。色々どきどきした。
おしゃれには疎い私ですが実は毎月『装苑』を買っています
この号の林檎ちゃんよかったよ
そこに連載されている「雑誌の人格」というコーナーが好きで毎月楽しみにしています。書籍化されるのかなーと思っていたら
されていた。
今日書店で発見して買ってしまった……。
偏見といえば偏見だけどなんとなくわかる、的を射ているところもあってくすりとする。
2010年からの連載なので今は廃刊になった雑誌も何冊かあって寂しい。
もう一冊これも買いました
「首吊って/首吊って/ばらの花輪で首吊って/ばらの香りに包まれて/わたしは美しい死体になるの/そして誰も気付かない」
(「空がこんなに青いとは」より)
表題作もどれも耽美ではあるけど高校生らしい切実さを伴っていて泥々ではなくさらさらしていた
「信号ちかちか」の工藤さんはとても胡散臭いけど嫌いじゃない
『娚の一生』はすごいとは思うけど
そこまで特別な感情なくて(たぶんカイエダさんのエゴみたいなのが好きになれない)遠ざかり気味だったけど『薔薇姫』はよかったです。
今より九十年台のころの絵が個人的には好み。短編追いかけてみたい。
深く考えずレジに持っていったけどどう見てもび……いえ いいんです 内容良かったからいいの
私が小学四年生だったときの九月十二日にクラスの子が先生に、
「日本はこれから戦争するの?」というようなことを尋ねていたのを今も覚えているんだけど今日同じような気持ちになった。
この写真のタイトルです
手を噛んでくださいとお願いする夢を見た。
掌を噛まれたのにどうしてか胃もたれを起こしているという内容だった。
いつも切ってもらっている美容室のブログが最近更新されてなくて、おかしい……と思っていたら新しく移転してなんかスタイリッシュになっていた。
前は近所の兄ちゃんが書いてるような軽い文体、小文字絵文字踊るくだけた文章、内容もプライベート全開何でもありだったのに!
文章はビジネス風に統一されてサービスか商品のことばかり書かれている。
もうあのころのフリーダムなブログは読めないのかな……社会的にはもちろんこちらが正解だけどさ……
さて
母帰る
会ったら話したいことを胸のうちにたくさん溜めておいて、一から全部話してみる。
きっとこれは可笑しく話すことができる
この話は喜んでくれるはずだと、
想定は現実的に立てているのに言葉にするといつも思い通りにならない。
心の中にあるものを文字や声として形にすると本来の姿とは大きくかけ離れてしまう。この日記自体もまさに。
録音した自分の声を聞くと愕然としてしまうあの気分になる。
「想い出っていうのはね/他人に話すと減ってしまうんだよ」
ぴんとくるものがあった。
大切な思い出なのに、言葉にすると小さくどうでもいいようなものになっていくようで怖い。
形のないものに形をつけるということはもとあった絵を上から塗りつぶして別のものにしてしまうということだ。
かといって放っておけばあとかたもなく忘れていくから、消えてしまうくらいなら変わってでも残す方がいいんじゃないか。
書き留めておかなければ私は三時間前に見た夢も覚えていられない。
書いていないけど水曜はひとの悲しい気持ちを耳にして、木曜は先生から届いた葉書を見つけた。どちらも覚えていたいのに時間がたてば頭から抜け落ちていく。
上の台詞を言った晴おじさんの設定はわりと衝撃的だった
よかったのか当時のりぼん
柊あおいの書く男の子は脇役のほうがぼくは好き
サッカー見てせつなくなった
がんばろうね
夢を二度見たけど忘れてしまったね……
お休みの日に限っていつもより早く起きてなぜか妖怪ウォッチを観ていた
意外とジバニャンが出ない!
意識がしだいに遠のいて気がついたときにはお昼が来ていて、DVDのメニュー画面がそこに……(寝)。
どこかに出掛けるのもおっくうだったので午後はのんびりしました。
夕方から高校へ行って部活におじゃまする
後輩(ご近所さん)に「先輩のことたまに(近所で)見ますよ」と言われる
私(パジャマでゴミ捨ててるとこ見られてたらどうしよう……)
そのまま習い事へ
ちびっこがいつの間にか「せんぱい」と言えるようになってて変に感激した