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アクアの中から出られない

仕事に行きたくない〜行きたくない〜〜行きたく〜〜〜〜ない!!!
と思っていても行くしかないのだけど、
気分がのらない〜〜
でも来た〜〜

って、バイトさんに愚痴をこぼしたら、
「私も今日は来たくなくて、いつも飲まないコーラを買ってしまいました……」
とコーラをごくごく飲んでいた。
(・c_・`)←そっかーの顔です

魚の話をしてほしいなー

仕事で、休みの前の日は色々と書き置きを残して帰るのですがその書き置きを書いているときが一番いきいきしてるし素直な自分になっていると思う。書き置き大好きです。
前のバイト先で、「あの人は言葉にしたがる人だからねー」と言われる人がいましたが私もですかね。

今日お風呂に入ったあと、もりもり小説書きたいぞ!と急に思った。書かないけど。
そう思えているのは健康な証拠かなと思います。


こう、考え事というか、期待はずれをぼんやりと受け止めていたら、雨が地面にたまってきて、車のなかにいてもこのまま沈んで溺れてしまいそうだなあと思いました。
言葉に表さないからって全然気にしてないわけじゃないんだなー。人間だからー。

けれどそれは逆もしかりで言葉にされないからって何ともないわけではない……。
わからないでしょ?わからないことにしておいてください。

話のつづきをまた聞ける日はくるのだろうか。
私の日記、曖昧すぎて何のことかわからないし、どこからどこまでが関連しているのかわからないと言われます。全てわかられても私、倒れてしまう……。

雨の音を聞きながらお風呂に入ってました。雨は嫌いですが音を聴くだけなら好きですよ。
金木犀、やっと、香りはじめたのにもう散ってしまうのだろうか。




活版印刷はロマンですよね
ナイスシングスはいつも表紙が素敵なんですけど、今回は特別よいですね。書店で並んでいてもぱっと目に止まる。
姉を誉める妹を誉める紙面の優しさみたいなものを感じました。(読んでください)



自分より歳上の人があまり載っていなくて、広く考えればちっとも大した差はないんでしょうけど、今の私にとっては一歳の差がとても大きいんだなーと思いました。あいかわらず本の作りは好きです。きれいな色づかいですよね。

〈まるで水槽(アクア)を泳いでるみたいね〉

PVがわりかし幻想的で好きです。



雨もそのひとつですが、「とざされる場所」を思うときこの本が懐かしくなったりします。

刺々の予感

ン屋さんで以前お買い物をしたとき、店員さんと気まずくなったことがあります。
何があったと具体的に言うのはさけるけど、お互いに問題があったというよりはそのときそのお店が混んでたのが悪かったんだと思っています。忙しいとはココロをなくすと書くから仕方なかったんだ。
この前そのパン屋さんに行ったら同じ人が会計をしてくれて、それはそれで気まずかったです。でも優しかった、のかお互いに気を遣っていたのか、気まずかったですね。

そういう時だったんだなと今なら思うことができるから大丈夫……。

私にも時たまそんなことがあったりします。
客観的に自分を見下ろして、夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろして、夏終わりましたね。すみません。遠まきに自分の状態をかえりみたときに、なぜかわからないけど気のふさぎがちなときがあります。
心当たりがあるわけでもなく、でもなぜか元気が出ていない。我ながら不思議だなあと思います。どうしてーー?って自問してもわからないのだ。自分のことなのにわからないことがあるなんて。

反対に、体がのらないなと思うときもあります。気持ちは元気だけど、体がついていかない。老化ではなく!
思うような力が出ない。
私の知り合いの人は、つらくて、でも、もがけばもがくほど溺れていく感じがするの、と以前に言っていました。こういうことなのかな。

そんなときは人と話しているときに、というよりそもそも喋りたくない。ずっとではないけど、きている連絡に知らないふりをしてみたりとどめておいたり。いつもなら助けるところを助けない。
誰かと話すと傷つけそうな気がする日でもあったりするのですそういうときは。
傷つけるような言葉が、口から出てしまいそうな日。

貝のように黙りこむということじゃないですよ。普通に会話はしますけど、
いつもなら十まで喋るところを七くらいでやめとこうかなみたいな。残りの三が悪いことを思っているというわけでもなく、ただ口から出る言葉はいつもより選べないかも、気持ちが刺々しくなっているのかも。みたいな。
だから人とは喋りたくないけど言葉にしたくないわけではない。

刺々しくなっているつもりもないのに、そうなる予感がするのが不思議です。疲れているのかな?

わかりませんなー。
なんとなく今日はそんな日でした。

ずっと同じ日々のローテーションなのに、いつも顔をみてお疲れさまです、と言ってくれる子、みんなえらいなあと今日は思っていました。疲れているのかな?

体調もどちらかというと中の下くらいなのがいけないんだ。気になることもあるし今度病院に行きたい。



絵がごりっとしててちょっとしゅんとしました……ほら!口悪い!

ぬるぬるケーション

傷しました。
……口の中を。舌でふれると、のりっとする。

この前はお休みをとって京都に行ってきました。懐かしい人と会ってすごく楽しかったです。ほんとに楽しかった。
変わらないねと言われたしみんなも変わってなかった。京都の街は少し変わっていた。それは少し寂しいような。
思い出のままにしておけばずっと綺麗でいられるけど、思い出にしたくなくて京都に行っているフシはあるかもしれないなーー。
目の当たりにしてしまうと京都は私の記憶の中の姿からどんどん離れていくことを実感しつつ、さらっと今に馴染んでまた歩けてしまう。いけずな街ですね。

京都で、小さな図書室をおいている場所があるのですが、最後にそこへちらっと寄りました。
どこからきたの? とカウンターに座っていた奥様に聞かれたので香川ですと答えると、近くにいた学生さん(バイトの人)に香川の人だよ! と紹介されました。(??)
この子は××大の子! あっ……私は××大学でした。
とやりとりをすれば、学生さんは提げていたネームプレートを見せてくれて
「カワベです!」(※仮名)
と名乗ってくれました。名乗ってくれたということは、ということで私も、
「ナカムラです!」と名乗り返しました。
(※実際は本名を名乗っています)

すごくないですか
もう、死ぬまできっと会わないのに自己紹介きちんとしてくれたの、すごくないですか。すごくないですかね……。
ありがとうって思いました……私の話、謎ですね。

図書館も好きですが図書室がやっぱり好きですね。


最近は短歌をときどき作っています。小説を書くのと、それ以外の散文を書くのと、短歌を作るのとでは短歌が一番向いてないなと思います。難しい。
でも歌が最もストレートに、リアルタイムな自分の内面が出ているような気もします。だからどれも見せられません。
何かどうにか気持ちを整理したい!というとき、日記を書く元気はなかなか出ないので短歌を作ってみたりします。


周りの人としゃべらないコミュニケーションをしてみます。
基本的にあまりしゃべらないのですが、言葉に出さなくても伝わってしまう瞬間が生きていたら何度かあって、そういう瞬間を日常のなかで発見することにはまっています。わざとしゃべらないということではなくて、声にする前に伝わることがあったら、それを覚えておく、みたいな感じ。



友達がうたってくれた歌です


まだ途中までしか読んでいませんがうまく言い表せないですねー

秘密もなにもない

はほんとにわくわくしますね

これは――私がたまに行くお店のブログにあった一文です。ほんとに秋はどうしてこんなにわくわくするのでしょう。だんだん涼しくなってきて、長袖も黒を着るのにも不自然な季節ではなくなって、いいかんじですね。秋はだんだんと秋になっていくところ好きです。

最近は元気だったり元気でなかったりしますが、夏よりはすべてましです。また今年も知らぬまに曼珠沙華がさいた……。秋だ!


〈「お守りフォルダ」を作る〉
文教社編集部『お仕事のコツ事典』

厚さに対して中身がぎっしりしている本が好きなのですが、そういう意味でも良かったしイラストが可愛いのも良かったです。可愛いと言ってから言うのもあれなのですが、私が書く自画像に似てるので親近感をかってに抱いています。いやこちらのほうがずっと素敵なんですけどね。

これは、これ

と並べてみたくなるのですが、こちらはまだ読んでおりません。かしこ。

〈だから 私は言葉をあきらめられない〉
  

あいかわらず素敵な作品でした。日常ものだけど間延びしない。一巻では森田さんが素敵な話だとばかり思っていましたが、こうして続いてみるとリタ先生のキュートさも光ってますね。「こいつら幸せそう」とは作者のお言葉ですがほんとに幸せそうだし、人を幸せにするタイプの幸せだと思います。



実はねーーーまだ読んでないんです!
でも最終回だけ読んだ!なぜかというと釣巻さんに釣られて買ったITANに載ってたから……読んでしまったの……
最終回でドッヒェーとなることがあるんですが、まあ裏切りといえば裏切りだし、念願といえば念願なんだろうなと思います。私はまあ、嬉しいけど喜んではいけないような、難しい気持ちになりました。そうですねーきちんとすべて読んでから、また考えてみよう。でも、おつかれさまでした。この私が飽きずに一巻ずつ、ちまちま買い続けた稀有な漫画でした。そして私の母が飽きずに忘れずに読み進められた稀有稀有(二倍)な漫画。

石田拓実『トライボロジー』

これはですねーー
『海とドリトル』を読んでからキャンパスラブ(?)という分野を知ったのでそういう意味で気になって買ったものです。工学系リケジョの女の子のお話ですね。まあ同じ研究室のなかでいろいろラブが繰り広げられていくのですよ。ちょっとした仕掛けみたいなのが途中まであるのですがそれにはちゃんと気づきました。
この人の漫画はぬるっとしてますね。ぬるっとしてるしぞわっとします。それが良さってことですよ。
いわゆる「構想より早く連載が終わってしまった」という終わりかたなのですが、わざとモヤっと終わってるところがいいなと思いました。かえって生々しくていい。大団円ではなくて、予感めいた終わりですね。ただハッピーな予感とは言い切れなくて、これからそう動いても、そこにもうそれはないかもしれない。という感じです。
うまくいかないね。いくかもしれないけど、それはそれで別のところが壊れるんだよ。うまくいかない。


〈そしてすこしは愛されたくて〉

サン=テグジュペリ『夜間飛行』
これは、少し前に「夜」が舞台の本をまとめ買いしたときに買ったもの。わーっと本を買ってしまったそのときに心が荒んでいたのか余裕綽々だったのかはもう思い出せませんが、買った本たちは見事に「夜」の名のもとにテイストがまとまってくれていて、嬉しかったです。黄昏から夜への描写ももちろん素敵なのですが、一番はこの「そしてすこしは愛されたくて」の一文に心ひかれたから手にとったんだと思います。そしてすこしは愛されたい。


今日はある人から電話があって、ある秘密を打ち明けられました。まあいずれ秘密でもなくなるんですけど。
今は秘密だけど、そのうち秘密じゃなくなるし、本当は一番にそれを言いたい人が他にいて、けどそのまえに私でクッションを置いてみる……という感じの打ち明け話でした。そうだよって実際言ってたし。
いいんですけど、それはそれで、ある一定の信頼あってこそのことだしいいんですけど、いいです。

昨日も友人と打ち明け話をいくつかしました。それは話してよかったなーという感じの打ち明け話に終わりました。
秘密を打ち明けられることもあれば人に秘密を話してみることもあるし、秘密なんて話す仲でもない人もいるし、
あーこの人には一生秘密を話すことないんだろうなーーと思う人にこそ、本当は打ち明けてみたいなあと思ってみたりもします。でもしないんだろうなあ。少し寂しいですね。






黄色い薔薇

知ってる眼がこちらを見ていると思ったら、懐かしい人が目の前にいた。
私はそっと名札を隠した。
実は半年くらい前にも一度ばったり会ったことがあって、そのとき彼は私の名前を思い出せなかったのだ。
「顔はわかるけど名前が出てこない」
と正直に言ってくれるところが、この人のいいところだと思った。

「この前、名前覚えてなかった」
とうらめしく言ってやる。
「ちゃんと思い出したわ」と独特の声が私の名字を正しく呼んだ。懐かしい響きだった。
私が名前のことにこだわるのは、昔この人に名字をからかわれたことがあったからだった。

黙っていればまともなのに、しょうもないことを言って笑わせようとすることが好きな人で、私はまあ、しょうもないことを常にしょうもなく言ってのけるそのマメさがかえって好きだったのだけど、私のようなマイノリティはまれな存在だったようだ。はじめのほうは彼もなかなかまわりに受け入れられなくて、苦戦している様子を何度か見かけた。
珍しく声を荒げる姿に遭遇したとき、大人の男の人もこんなふうに感情のコントロールがきかなくなることがあるんだと知った。他人との温度差に苦しんだり迷ったり、弱ったりすることがこの人にだってあるのだということも。

マイノリティな私は彼のしょうもない一々につい笑ってしまい、それは彼にも知られていたと思う。しょうもない言い方で名字をからかってきたので、反撃してやったような気がする。お互い笑いながら争っていたのだが。

はじめはうまくいかないことも時間が解決してくれるらしく、彼はすっかりまわりに馴染んでむしろ中心的な存在にさえなっていた。私は接する機会も減って、だんだん会話もしなくなった。けれど時おり聞こえてくるしょうもない言いぐさは相変わらずで、ほっとするような好ましいような、さびしいような気分だった。
彼はもう私の名字をからかうことはないのだろうと、大勢のなかでいきいきと笑うその姿を見て思った。

彼は今、新しい職場にいるという。環境は変われど職種は変わらないため知った名前の同僚も何名もいるらしい。懐かしい名前をその口からいくつか聞いた。
そのあと他愛もない話をして彼は帰っていった。色々たてこんでいると聞いたこの前よりもいくばくか元気そうだった。

私は彼から黄色い薔薇の花を一輪、貰ったことがあった。
とはいえときめくような話でもなんでもなくて、あるフォーマルな場で彼が人から貰った花束のなかのひとつを、餞別としてその場にいた私にお裾分けしてくれた、というだけのことだ。

もうその頃私たちは滅多に顔も合わさなかったのだが、その黄色い薔薇は大切に持ち帰った。接する機会も特になかったからこそ、薔薇をくれたことが何かのなぐさめのように懐かしく、嬉しかった。
その黄色い薔薇の受け取りが、彼との最後の思い出だったような気がする。

……特別な花だと思っていたわりにはすっかり頭からとんでいて、彼が帰ったあとにそのことを思い出した。
黄色い薔薇のことを覚えていますかと聞いてみたら面白かったのかなと思ったり、この日記をいっそ見せてみたら……と思ったりしたけど実際にはありえないことだろう。どちらも私が悲しくなるだけだ。

「さっきの人誰ですか?」
と、アルバイトの子に尋ねられる。黄色い薔薇の人だよ、とはもちろん答えなかった。
「さっきの人はね」
新しい職場のことを話してくれたとき、遊びにいってみたいなと思った。それを許してくれるような話し方だった、というのは私の思いすぎかもしれないが……。



「高校のときの先生ですね」


国語のテストで一度だけ二重丸をくれたことがある。羅生門の単元だった。その問題と私が書いた答えは、時が経ったいまでもきちんと覚えている。



…………というわけで今回の日記は推理小説っぽく書いてみました(ドーーーーン)
イメージ!イメージの話ですよ!

やらかしたというかヘタこいた感じになりましたね。いいでしょうまあ気にしない。
ちなみにフォーマルな場とは卒業式のことです。お察しですね!



このお花は赤いですね
私は黄色い薔薇でしたが、当時はそういうのが流行っていたのか(流行ってません)、何かのフォーマルな場のあとに先生から、胸につける赤い花を一輪貰っている子を目撃したことがあります。あれはなんかあれでしたね。私のいただいた黄色い薔薇よりもっと、こめられたものが重たそうな赤い花でした。


そして私は今日、別の人からなんと虹を貰いましたよ。虹の写真を見せてもらっただけです。
今日の虹はあのときの薔薇と同じたぐいの贈り物だと思ったのだけど、それを説明するのはもう面倒くさいから省きます。
装苑は、気になる小物はぜんぶ猫!というような特集が組まれています。先月号で小松菜奈さんが、シンプルなワンピースをがーんときて、ワンポイントとして猫のポシェットを首からがーんと提げていたのが可愛かったのでそういうのをしてみたいです。今月号の話ガン無視ですね。


この日記に出てくる出来事とはまったく関係なく、
〈黄色い百合よなぜ別れ際に咲っている〉
という歌詞がたいへんスキです。
ただならぬ可憐さを感じます。
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