知ってる眼がこちらを見ていると思ったら、懐かしい人が目の前にいた。
私はそっと名札を隠した。
実は半年くらい前にも一度ばったり会ったことがあって、そのとき彼は私の名前を思い出せなかったのだ。
「顔はわかるけど名前が出てこない」
と正直に言ってくれるところが、この人のいいところだと思った。
「この前、名前覚えてなかった」
とうらめしく言ってやる。
「ちゃんと思い出したわ」と独特の声が私の名字を正しく呼んだ。懐かしい響きだった。
私が名前のことにこだわるのは、昔この人に名字をからかわれたことがあったからだった。
黙っていればまともなのに、しょうもないことを言って笑わせようとすることが好きな人で、私はまあ、しょうもないことを常にしょうもなく言ってのけるそのマメさがかえって好きだったのだけど、私のようなマイノリティはまれな存在だったようだ。はじめのほうは彼もなかなかまわりに受け入れられなくて、苦戦している様子を何度か見かけた。
珍しく声を荒げる姿に遭遇したとき、大人の男の人もこんなふうに感情のコントロールがきかなくなることがあるんだと知った。他人との温度差に苦しんだり迷ったり、弱ったりすることがこの人にだってあるのだということも。
マイノリティな私は彼のしょうもない一々につい笑ってしまい、それは彼にも知られていたと思う。しょうもない言い方で名字をからかってきたので、反撃してやったような気がする。お互い笑いながら争っていたのだが。
はじめはうまくいかないことも時間が解決してくれるらしく、彼はすっかりまわりに馴染んでむしろ中心的な存在にさえなっていた。私は接する機会も減って、だんだん会話もしなくなった。けれど時おり聞こえてくるしょうもない言いぐさは相変わらずで、ほっとするような好ましいような、さびしいような気分だった。
彼はもう私の名字をからかうことはないのだろうと、大勢のなかでいきいきと笑うその姿を見て思った。
彼は今、新しい職場にいるという。環境は変われど職種は変わらないため知った名前の同僚も何名もいるらしい。懐かしい名前をその口からいくつか聞いた。
そのあと他愛もない話をして彼は帰っていった。色々たてこんでいると聞いたこの前よりもいくばくか元気そうだった。
私は彼から黄色い薔薇の花を一輪、貰ったことがあった。
とはいえときめくような話でもなんでもなくて、あるフォーマルな場で彼が人から貰った花束のなかのひとつを、餞別としてその場にいた私にお裾分けしてくれた、というだけのことだ。
もうその頃私たちは滅多に顔も合わさなかったのだが、その黄色い薔薇は大切に持ち帰った。接する機会も特になかったからこそ、薔薇をくれたことが何かのなぐさめのように懐かしく、嬉しかった。
その黄色い薔薇の受け取りが、彼との最後の思い出だったような気がする。
……特別な花だと思っていたわりにはすっかり頭からとんでいて、彼が帰ったあとにそのことを思い出した。
黄色い薔薇のことを覚えていますかと聞いてみたら面白かったのかなと思ったり、この日記をいっそ見せてみたら……と思ったりしたけど実際にはありえないことだろう。どちらも私が悲しくなるだけだ。
「さっきの人誰ですか?」
と、アルバイトの子に尋ねられる。黄色い薔薇の人だよ、とはもちろん答えなかった。
「さっきの人はね」
新しい職場のことを話してくれたとき、遊びにいってみたいなと思った。それを許してくれるような話し方だった、というのは私の思いすぎかもしれないが……。
「高校のときの先生ですね」
国語のテストで一度だけ二重丸をくれたことがある。羅生門の単元だった。その問題と私が書いた答えは、時が経ったいまでもきちんと覚えている。
…………というわけで今回の日記は推理小説っぽく書いてみました(ドーーーーン)
イメージ!イメージの話ですよ!
やらかしたというかヘタこいた感じになりましたね。いいでしょうまあ気にしない。
ちなみにフォーマルな場とは卒業式のことです。お察しですね!
このお花は赤いですね
私は黄色い薔薇でしたが、当時はそういうのが流行っていたのか(流行ってません)、何かのフォーマルな場のあとに先生から、胸につける赤い花を一輪貰っている子を目撃したことがあります。あれはなんかあれでしたね。私のいただいた黄色い薔薇よりもっと、こめられたものが重たそうな赤い花でした。
そして私は今日、別の人からなんと虹を貰いましたよ。虹の写真を見せてもらっただけです。
今日の虹はあのときの薔薇と同じたぐいの贈り物だと思ったのだけど、それを説明するのはもう面倒くさいから省きます。
装苑は、気になる小物はぜんぶ猫!というような特集が組まれています。先月号で小松菜奈さんが、シンプルなワンピースをがーんときて、ワンポイントとして猫のポシェットを首からがーんと提げていたのが可愛かったのでそういうのをしてみたいです。今月号の話ガン無視ですね。
この日記に出てくる出来事とはまったく関係なく、
〈黄色い百合よなぜ別れ際に咲っている〉
という歌詞がたいへんスキです。
ただならぬ可憐さを感じます。