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視力が悪いほうが月は大きく見える

怖い夢を見て過呼吸になりました
すごい……ゴム人間みたいなのがバク転しながら追いかけてくるの……関節ないし顔色真っ白なの………

という夢を見ました。過呼吸も夢です。
現実の私はいたって元気です。
感覚がすごく生々しかったけど現実にはしてない……きっとしてない……寝過呼吸なんて……

まったく益のない話題ですが、私が今月見た印象的な夢をご紹介します。

■道路に無数のチョココロネが落ちている夢
……大小さまざまなチョココロネが道に散乱していて、私はそれを眺めながら家まで帰りました。よく近所の光景が夢の中の舞台に登場するのですが、私の家の近所は細い坂道が多くて、その坂を抜ける(広い場所に出る)までがストーリーの切り替わるリミットになっているような気がします。坂を抜けること自体が夢にかせられたひとつのテーマのようです。

■スムージーを売る夢
……最近このシチュエーションの夢をよく見ます。たいてい職場の人と一緒に販売していますが現実の私はスムージー屋の店員さんではありません。でもスムージーは好きです。でもだいたい途中で作り飽きて「もう帰りたい……」と呟いています。

■体育の授業に出られない夢
……これは最近というよりも以前から頻繁に見ます。私は高校生で、一日の一番最後の授業に体育の時間があてられていて、それをサボろうとしたり何故かトラブルに巻き込まれて間に合わなかったり、まともに体育の授業を受けることができずに夢からさめることになります。

三番目の夢で、私はよく授業を休んで保健室に行こうとします。
自分で分析するに、おそらく私が夢の中の世界
に求めている本当の目的は体育の授業を休むことではなく「保健室に行く」ということなんだろうと思います。その時間が体育の授業ばかりなのは、休んだとしてもそのあとの影響が大きくない科目だからです。

でも私は、その体育さぼろうシリーズ(?)の夢の中では、保健室にもまともに行けたためしがありません。いつも保健室にたどり着く前に夢が終わってしまう。いつも憧れはあるのにずっと遠い世界です。


母が一時帰宅(なんだこの言い方)するよと父から連絡がありました。喧嘩したんですね。
(私の)気が重いですね。私はわがままで協調性がないため常々ひとりっ子で生まれてきてよかったと思っていますが、家族の問題につきあたるときょうだいがいればなぁ、といつも思います。
責任を転嫁したいというわけではなくて、家族がもうひとりでも多ければ気がだいぶ紛れるでしょ。三人だとどうしてもバランスがとれないときがあるのです。こちらにその気がなくても。

母のために買ってある本があるので、机の上にそれを置いておきました
ブックセラピーです。なんやなんや。

私の先輩でセラピストの方がいるのですが、来られた方のカウンセリングをしながらその人にあったアイテムや音楽を選んで、そういう雰囲気づくりからセラピーを始めるそうです。


じゃあ私はあなたにあった本を選んで、あなたを待っています。


人の話に感情移入しきれないというか、私は会話という手段の効果をどこかであきらめてしまっているんだろうなと母と電話していて思いました。
かわいそうだね、って言ってあげることは可能だけど、心を込めて言葉に移すことができない。心底思っていることでも。
もっと上手くできる私ならもっと簡単に救ってあげられるんですかね。私は私の言葉にそんな効果を感じない。

それに会話をあきらめてしまっているのは私のほうだけではないんだな。

母に対してだけではなくて、他の誰かと話しているときでもそんな風に思ってしまうことがある。いつもではないけど。
みんな本当に言ってほしい言葉があって、でも私はその求める言葉をあげられなかったり、伝えても私からの言葉じゃ駄目なときがあって、気持ちはある程度汲んでいるつもりでも、言語活動の時点でこけてしまうことが多いです。
ディスコミュニケーションだよ。

でも、それはそれでエゴですね。私の言葉であなたを救う!とか求められてるわけではないのだろうし、ただ聞いてあげるだけでいいんだろうな。

って思っても、否定されることもあります。
普通に励ましただけなのに、いつもそうやってあっちの肩を持つんだよねみたいな。
そういうこと言われるの嫌いなので余計にどう話せばいいのかわからないんだな。

日記だし愚痴をかいてもいいんだよ(おのれを励ましている)


だからやっぱり、ひとまず言葉より本を選んで並べるだけしておこう。


ここまで書いておいてあれなんですけど、他人の話を聞くのは好きです。逆に尋ねられるのは駄目です。ディスコミュニケーションだよ。
私が自発的にぺらぺら話すのを聞いたことがある人はご自分の包容力に自信を持ってください。(謎の締め)


〈君たちが死んでも…みんなそれを忘れる…〉
山田玲司『スーパースーパーブルーハーツ』

ダメ男で猫派の謎多きカウンセラーと、やる気はあるけどカウンセラーとしては何もかもダメな助手くんが、子どもたちの心の傷を救おうとするお物語。
精神に傷を抱えた子どもたちのあいだで流行っているのは「ブルー」という青酸カリ入りのペンダント。現実にはアウトだけどこういうの好きです。
話の流れとしてはお助けマンもので、助け方は自体はそんなにヘェーって感心するようなものではなくオーソドックスな(プレッシャーになる義務からサボらせたり外で遊んで楽しませたり)手段で描かれいるため、目新しさはあまりないです。
しかも助手役を務める主人公の言動がいちいち登場人物たちの心を逆撫でしていくのがはじめはとても腹立たしくて、おまえは……おまえはそれでもカウンセラーの卵かーーッと……思うのですが、その性格の瑕疵が物語後半で大きな意味を持ってくるのでその構成はちょっとハッとさせられました。
あと、ヒロインの子が〈あいつら死んで欲しい〉と言った直後にカウンセラーさんの口から飛び出す〈俺が殺そうか?〉という台詞は好きでした。……私の趣味です。


〈血の味を覚えた動物だね〉
持田あき『スイートソロウ(2)』


一巻を買ってからいつのまに半年も時が流れていたのか。意外と早く二巻が出ていて嬉しかったです。

全部読んでもう一度読み返したとき、そういえば〈伝言〉がテーマだったんだと思い出しました。だから二巻でも、ひとつめの話では「伝言板」、ふたつめでは「伝書鳩」(!)、最後はストレートに「伝言」という手段を用いて物語が進められています。でもこのシリーズのもうひとつのテーマは「夢」なんじゃないのかなーとぼんやり思いました。みんな夢を追いかけてるよね。
持田さんの話にはよく「時の流れ」がモチーフとしてあらわされているのですがこの『スイートソロウ』と、おそらく代表作であろう『おもいで金平糖』シリーズの二作ではそれがより顕著な印象を受けます。追いかけても戻れない過去の切なさ、または進んでいっても確証のない未来への不安、そういう「時の流れ」に沿った心の葛藤についてはデビューした当時から本当に突出した表現力を持っている作家さんです。

しかし、この二巻でも『おもいで金平糖』でもはたまた『花めぐりあわせ』でも思ったのは、話のスケールを大きくしすぎないほうが個人的には好きなんだけどな、ということ。
具体的に示すなら戦時中のエピソードであるとか、『スイートソロウ』二巻の「ハミングバード」のテーマの描きかたとか。
表現がドラマティックなので設定までドラマティックにしたり大河的なエピソードを挟むよりは、等身大のささやかな傷みや幸福を丁寧に書いた方がずっとずっと持ち味が光ると思うのです。特に時代物は、持田さんの雰囲気には合っているけどどうしても浮いて見えてしまうところもある。
『おもいで金平糖』と『スイートソロウ』はどちらもある水準以上の絵と話で、今回も外れはないけど「蝶々くらべ」や「グッド・バイ」とか「ソプラノ」、「おもいで金平糖」(シリーズ第一話)を思い返せばどこか物語と読者の距離が遠くにある。

私は「ハミングバード」(この巻の第二話)に関しては、ちょっとどうかなあ、と思ってしまった。テーマがというよりも、そのテーマの表現方法が、手放しでこれは良い!とはどうしても思えなくて。

「夢の夢こそ」の話は最後の方の怒濤の感動シーンよりも途中に描かれた〈あの子の笑顔すごく苦手だった/学校はいつもほんとうにつらかった〉の回想シーンのほうが好きです。
それと、「物を作るには質のいい孤独が必要なのさ」はよい台詞でした。

「海辺のSALLY」はサリーさんの設定がなくてよかったのでは。サリーさんはまた別にサリーさんだけの話でもよかったのでは。主人公の手遅れ加減は愛らしかったです。
あと、〈東京から新幹線で3時間10分〉という舞台はやっぱり晴れの国らしい。
はじめのころ「いや、四国という可能性も……」と期待したけどよく考えたら(よく考えなくても)四国に新幹線通ってなかったわ……。

ぐちぐち書いたけど作品としてのレベルは高いです。
次の巻ではもっともっともっと私の期待を裏切ってほしいです。
煙草を吸っている表紙、今の時代ではとても貴重な存在ですよね。

おわり


最近買った漫画

パンを食べるときは牛乳があるといい

曼珠沙華が咲いていると悲しくなる。
咲くまでは心待ちにしているのだけど、赤くすらっと伸びた姿を見るとつい裏切られたような気分になる―――あの花は、いつも私の知らない間にひらく。

連休の最後は私も珍しく休日で、遅く起きて洗濯と朝食をもそもそと済ませる。
どうして最近日記を書かないの、と聞かれたことを思い出しながらシャツを干した。書くことはある。書こうと思えばいつでもある。でも書くことができない。書こうとしてそのまま、寝てしまうのだ。前はそれでも起きてから続きを書いていた。今はもうそれをしない。しようという気持ちが起こらない。
その気まぐれが一過性のものなのか、慢性的なものなのかは分からない。それは、これからの私が決める。それでもこんなに暗く話すようなことではない。ただ単に怠けているだけ。
でもそれは、長い長い目でみつめれば死に至る病なのかもしれない。


部屋の片付けをしていると缶の中から海で拾った硝子が出てきた。海が見たいなぁと思いをはせる。京都にいたころは海を見に行くことが簡単には出来なかった。今は車を走らせれば三十分とかからずに浜辺につく。幸せなことではあるけれど、その事実に気がふさぐこともある。
できることが増えるということは、できないことが減って、「しないこと」が増えていくということだ。どうして海で拾う硝子は青いものが多いのだろう。


今日は髪を切りに行く約束をしていた。
ゆきがけに、曼珠沙華の群集を窓越しに見つけた。また、知らないうちにあんなにも咲いてしまった。中にはもう色が白んで枯れかかっているものもある。私は曼珠沙華の蕾を見たことがない。思い出せる範囲では一度も。
でも蝉だって今日は鳴いている。むかし一度だけ夏の終わりに遭遇したことがある。
夏休み明けの教室にいたとき、蝉が突然それまでとは比にならないような大きな音で鳴き出した。大げさだけど窓が割れるようなけたたましい音で、それまで騒いでいた悪ガキも隅でしんとしていた私も皆が一瞬、その音に心を奪われているのが分かった。
しばらくするとぱたりと音が鳴りやんで、その日以来、蝉の音を聞く日は無かった。夏はこれで終わったんだなぁと、はっきり悟ることができたのはあの夏たった一度きりだ。
今日は蝉も鳴いているから、夏はまだ生きている。


鏡越しに、お仕事どうですか、という質問が飛んできた。連休中の美容室は意外なことにお客さんが少ない。今日はおうちでゆっくりする人も多いですからね。と言われて、近所の家に停められていた車の数がいつもより多かったことを思い出す。みんな今晩帰っていくのかな。
鏡の人へ、だめですね、と答えると何かあったんですか、言ってくださいよと優しい声が鏡の向こうから飛んでくる。
言ってもいいならいくらでも言いたいけど、たぶん小一時間かかるよ。それにそれに……

思い出してもちょっとおかしいのだけど、やや考えた結果、私は、もうやめましょう、と言ってしまった。この話、もうだめです。
へ?とすっとんきょうな声が飛んでくる。だめなんですか。だめです。
そのあとも、最近お買い物しましたか? とか聞かれる。それもだめです。
髪の毛、だいぶよくなってきましたね。と言われて、それも、やめましょう。と言葉をどんどん狩っていく。そういう日なんですね。鏡の向こうの人はひとつも態度を変えずに言う。
私は心の中でごめんねと謝りながら、雑誌を開いて腕がまた疲れていく。

色々とおかしいところはあるのだけど、いくら私とはいえ誰に対してもこんな非常識なことをするわけではなくて、他の人から同じことを聞かれたら答えたくなくても、なんとか普通に、差し障りなく答えると思う。

答えなくてもこの鏡の向こうの人はたぶん分かってくれてるだろう、と信じた上で駄々をこねている。言葉にしないので、そこまで伝わるはずもないのだけど。

結果、前髪がひどく短くなって私はしばらく落ち込み、帰りの車を発進させることができなかった。
人に甘えてコミュニケーションを怠ったむくいが、こんな形できてしまった。ちょっと反省した。でもこれは、コミュニケーション不足だけで説明できることでもないぞ。きっとない。

前髪事件は帰り道のあいだも、私の心にしばし暗い影を落とした。もっと本当のことを本当のままに伝えられたらどんなに楽になるのだろうか。愚痴だって今日の希望だって話題だって好きなものも最近したあれやこれも何でも頭で考えたまま口から出ていけばいいのに。どんな場所であっても。

心が刺々しくなっているなあ、と思いながら家に帰る。前髪はスイッチだったんだ。前髪のことがつらいんじゃなくて、つまりは私の生きざま全部がつらい。

夜、ふと小腹が空いたので小さな菓子パンを口にする。反射的に牛乳がほしいな、と思う。しかし本日の冷蔵庫にその姿はない。
パンを食べるときは牛乳があるとより美味しい。でも牛乳が無くともさして問題はない。より良いだけで、そこに必然性は存在しない。
曼珠沙華も、咲くまでの過程を私は知りたいけれど、知らなくとも花はきちんと咲いていてそれを素直に綺麗と思えるほど、私の心も乱れはしない。
それらと同じで、言葉もまた、その全てを費やさずとも世界は成立してしまう。

でも、だから、
その後に続く結論をまだ定められない。
人と関わっていくことの絶望は曼珠沙華を見つけてしまったときの感情と似ている。



〈今の私はあなたの知らない色〉

私なら、新婚旅行のあとに嫁さんにこんな歌作られたら泣きますね(畏れで)。


〈大体あんな2人が続くわけないじゃんか/あほらし〉


磯谷友紀『海とドリトル(3)』
万里子さんこわすぎ
でも私もあの二人は続かないと思う(おい)
というかあの二人が続くことで幸せになれる人があまり多くないのでは……読者も含め(おい)。

先生が、どう関わってくるのか気になるけどあと一巻で終わるらしいのではたして丸くおさまるのか
あの二人は続かないと思ったけど連載も続かないだろうなと思ってたけどとりあえず三巻で終わらなくて良かった……
面白いのになー、 せめてあと二巻くらい続いてもいいのにな。
「死に至る病」とか「深く潜ったペンギンは光を見たか?」とか、サブタイトルの付け方とその使い方が好き。表紙のペンギンもかわいいのだが、その隣でさりげなく七海ちゃんと先生のツーショットということに気づいてニヤリとする。


専門誌です。美容師さんがみる本。美容師さんからえた情報でその存在を知りました。
この号はちなみに「美容師と本」という特集があって、個人的に買いたくなりました。
出版社のHPでためし読みができるのだ。

硝子を割り続ける

久しぶりに恋愛小説なるものを読みました。
島本理生『よだかの片想い』


◇ ◇ ◇


あらすじ

アイコは物理を専攻している二十四歳の大学院生。
彼女の顔には生まれもっての大きな痣があり、その痣にまつわる過去の経験から、恋愛や派手な学生生活とは一定の距離をおいた日々を過ごしていた。
しかしある日「顔にアザや怪我を負った人」をテーマにした本の取材を受け、アイコの写真が本の表紙に使用されることとなる。
その写真を契機にした飛坂という若手映画監督との出逢いが、アイコの毎日を一変させていく……。

◇ ◇ ◇


お、同い年の、アイコ……そっか……。(二十四歳)



私ね、島本理生の小説好きなんです。
たんたんとした文体の内側にはとても強い、切実な感情があって、それが抑えきれずに決壊してあふれだしてしまう瞬間の表現がすごく好き。
私の好きな別の作家の表現を借りるなら(誰かはあえて言わない)島本理生の作品はいつも「匕首のような悲しみ」を携えていて、刃物でぱっくり切られたところのようにそれまでの空気と色が変わる瞬間があるんです。

ほんとうは、こうだったんだ。とか
あ、そうなんだ。というふうに気がついてしまう瞬間。
〈それ〉は例えば大きな悲しみだったり、離れた相手のことを今でも好きだと思う感情だったり、今まで気がつかなかった真実だったり、自分の中にあった本当の願望だったり、作品によって様々なかたちをとっているんですが、そのことがあらわになるとき、物語の世界の色が本当に変わる感じがします。そして胸が締め付けられるのです……。


この『よだかの片想い』にもやはりそういう瞬間が存在するのですが、ちょうど、と言うか、その場面で、部屋の硝子が割れているんです。物理的にね。

〈その瞬間、魔法が解けたように全身の力が抜けた。〉(文庫版 二二四頁)

〈……手の甲を見ると、直線状に血が滲んでいた。ガラスの破片でいつの間にか切っていたのだ。〉(同 二二九頁)


「匕首のような」とはちょっと違うけど、すぱっと切り傷ができたように、窓が割れてそこから景色が覗くように、ここで物語が大きく動きました。

あと、余談になりますが島本さんの作品って、おじさんや先生、年上の男性を好きになる話が多くて(けっこう多くて)、私はその点でも色々と考えさせられる(だから好きというわけではない)のですが、今回も出てきたのでまじか……と思いました。一度本を閉じるくらいには沈黙しました。アイコちゃんの研究室の先生でした。

はじめのころはね、あー島本さんって学生時代にきっと先生のこと好きだったんだなーと呑気に読んでいたのです。インタビューでも何やら大変な恋を経験されていたということをちらりと仰っていたので……。
でもこうも多くの作品がそうだと(私が知ってるだけでも片手では足りない)もう単なる恋愛感情ではなく、ちょっと違うところに本質があるような気がしてきました。年上の人、というよりはむしろ父性、なのなかなぁ。と思ってみたり。
だけど、島本さんはそれを壊すんですよ。年上の人がどれだけ特別な存在であろうが、必ずといっていいほど彼らと主人公とのつながりを破壊するんです。でもその崩壊こそが、前述したようにとても鋭く美しいから、好きです……。

違う作品で、いくつもの年上の男性を書いて、何度でもその世界を崩壊させる島本理生の作品はある意味セカイ系では……と考えるとユヤタン先生(佐藤友哉)とはやっぱぴったりの相性なの……。
桜庭一樹が、キャラクターは何度でも殺しては甦り死なせては甦り、それは作品を変えてもひとつのテーマになっているかも、みたいなことをね、ある講演会でお話されていたのですが(何の講演会かはあえて言いません)そんなふうに島本理生の作品にも、なにかひとつの逃れられないテーマがあるような気がする。
……とまでいくと、邪推ですね。
『夏の裁断』はちらっと読んだけどあれもなかなか刺さりそうな、セカイ系の予感がしました。

ちなみに聞かれずとも教えてしまう、私が一番好きなそういう作品は『七緒のために』です。あれは読んでて胸が苦しかったけど、先生と私、という関係性としてはとても良くできた物語だったと思う。恋愛よりも、救済してほしいという切実な願望のほうが掘り下げられて描かれていたからかも。


そしておじさま関係なしに好きなのは『シルエット』です。

本当に切なくて困ってしまうんだけどすごく好き。最後の最後に感情がうわっとあふれる、とりかえしのつかなさが好き。雨がしとしと降り続けていて、少しやんで、でもまた降りだす、さっきより冷たく、みたいな。


なかなか『よだかの片想い』の話にならなくてすみません。
恋愛ものとして展開も読後感も良かったし島本作品のなかでもなかなかおもしろかったのですが、個人的にはそうでないところ、例えばアイコが『十四歳』を観て泣いた理由とか、病院から公衆電話をかけたときの飛坂さんとの会話とか、原田くんの言葉とか、恋愛以外の部分のほうが印象に残りました。
でも月夜に鏡を投げてくれるシーンはたいへん素敵でした。

島本作品はセカイ系かつホワイダニットなのかもしれない(怒られそう)

強くないって言うし、強くないの、確かにわかるけど、それでもアイコちゃんは強いと思う。かえって恋愛力高いよ。


ちらりと『リトル・バイ・リトル』めくったらめっちゃいい話やんこれ……ってなりました。言葉がひとつひとつ素朴で、しゅーっと胸の奥にしみこんでくる。




よだかは、この表紙のほうが好き。


焼きりんごパイ症候群

パフェです。
この前、退職された方と食べに行きました。

途中というかはじめのほうから私の様子がおかしくて(なに)何故こんなに緊張しているんだ自分……と思っていたけど、どうやら体調を崩していたらしい。発熱のときにあらわれる症状が出ていたので冷えピタ買って家に帰って早めに寝ました。
でもちょっと座ってただけで立ち上がったときフラフラになったし、顔の筋肉かちかちになってたし、人とテーブルはさんで喋るだけでこんなになっててどうすんだという感じがしました。熱出てるし。

いまその眠りから目が覚めたところです(夜中の一時)。これからまた寝ます。
何故か悲しい虚無感に包まれています。人と関わると最後はいつも悲しくなる……寝ようよ。






予知夢を見るドジっ娘警察官と、玄人臭すごい謎のヤンキーとのバディもの。ミステリぽく描かれているけどミステリではない。
いまのところ三巻が一番面白かったのでこのまま頑張ってほしい。

おまえが罪の意識を感じる必要はないよ

って、コンビニの店員さんがレジしながら言ってた。何があったの。
携帯さんも「レジ死ながら」って変換にあげてくるのやめて。

ローカル番組すら一週遅れで放送されていることを知り衝撃を受けていた夜更け。
部屋の隅から先月号のMOEが出てきたので読んでいた。(あらすじ)



先月号なんだけど一頁も読んだ記憶がなくて、たぶん先月は余裕がなかったというか、読んでる場合じゃなかったんだよ。
MOEって毎月三日ごろに出るので、今月号ももう出てるよね。まだ買ってないね。

〈お前はぼくの本当の友だちだね、ラスカル〉
   ―――『あらいぐまラスカル』より

世界名作劇場特集でした。
スターリンくんちょっと気になるのであった。
私がきちんと見ていたのは『母をたずねて三千里』、『ロミオの青い空』でした。
ロミオまた見てみたい。

作品の紹介だけではなく、ゆかりのレシピを書いてくれているのがよいです。『赤毛のアン』に登場するたべものはやっぱりどれも素敵ですね。

明日(もう今日)はとあるところへ潜入しようと画策していて、絶対に正体がばれてはいけないので急きょ変装のための帽子を買いにいきました。発想がちゃちい。


スペースあまってるので、最近読んだ本をかくぞ。

木村衣有子『コーヒーゼリーの時間』


なかなかなかなか素敵な本でした。
一冊まるまるコーヒーゼリーめぐり。
もともと店頭では見かけていて、装苑(雑誌)に「文章も魅力的だよー」と取りあげられていたのをきっかけに購入。
ソワレとかちょこちょこ行ってたけど、そんなメニューがあるとは知らなかった。意外と文章量が多くて読みごたえがある。
真の珈琲好きは珈琲を固まらせることに抵抗がある、というような一文が印象的だった。

藤子・F・不二雄『エスパー魔美(3)』

これはね、むかしうちにエスパー魔美の漫画があったんですよ。それもなぜか三巻だけ。
いま思い出しても面白い内容だったんです。だから買い直しました。
SFとして、ミステリとして、はたまた学園ものとしてもゆるキャラものとしても(コンポコ可愛い!)どこから読んでも話の作りがたいへんしっかりできていて、魅力的。
高畑さんがいい味出してるんだなー。
物語はコミカルなだけではなくてブラックな面も時々かいま見えてはっとなる。それは他の藤子・F・不二雄作品においても同じなんですけどね。
残念ながらまだ全巻そろってはいないので、そのうちどうにか並べたいです。

雲田はるこ『昭和元禄落語心中(8)』

話が動いたようでそれほど動かなかったじれったい八巻。
個人的には八雲師匠への思慕がずーーーーーっと報われない萬月さんが不憫でよいです。これはよい片想い。永遠に報われずにいてほしい(おい)。
小夏さんの「ざまぁねぇな」の場面とても良かった。あの張り詰めた悲しい雰囲気好き。

ハシモト/松駒『ニーチェ先生(4)』

ニーチェ先生の影が薄くなりつつある四巻。表紙の箸折ってる理由を知ると、ニーチェ先生もまっとうに働いているんだな……とフクザツな気持ちになるのであった。


篠丸のどか『うどんの国の金色蹴鞠(6)』

うどんではなく郷土料理「まんばのけんちゃん」が活躍していた第六巻。ちなみにまんばのけんちゃんはそれほど美味しくはありません。美味しいというより懐かしい味。
ナカジのそんな過去なんていらなかったんやで!!って、私は思うんですけどね、みんなはそんなことないんですかね……。でもナカジが一番輝いてるよこの漫画。
次巻から新展開らしく不安がかくせない。どこに向かってゆくの。
今年の高松まつりはうどんの国の金色蹴鞠がイメージキャラクターでした。おつかれさまでした。ポスター素敵でした。

高橋康子『時をかけるヤッコさん』


これは母にあげるために買った本です。
ヤッコさんはスタイリストさんで、さまざまなアーティストと仕事をした(あるいは関わった)思い出のエピソードを綴っているのがこの一冊です。
私の母は忌野清志郎が好きで、この本にもちょろっと清志郎の記述があるので今回贈ることにしました。

ところで私は加藤和彦がけっこう好きなんです。
でも加藤和彦はある日ふいに自殺してしまったんですよね。ほんとに突然。
そんな加藤さんのエピソードも入っていたので嬉しかったです。でも自殺、とはっきり書くのではなく、〈同じ時代を生きたのだな、としみじみ思った。〉って書かれてあって、余計にせつなくなったわ。あの声が好きだったわ。



ちからつきる……

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