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だから夢に出てきたのね(今年のまとめ)

久しぶりに夢に出てきた人がいて、何でだろうと思っていた矢先に現実の世界でその人の話を聞くということがありました。だから夢に出てきたのね。
この日記、元旦の記事が初夢のはなしなので夢の話から始まって夢のはなしで一年を終えるのも良いかなと思います。まだ一日あるけど。

今年読んで一番良かった本を毎年決めているのですが今年はなかなか難航しました。でも決まりました。

小説
梓崎優「スプリング・ハズ・カム」
(アンソロジー『放課後探偵団』に収録)


漫画
乙一『山羊座の友人』


エッセー
長田弘『私の好きな孤独』


ちなみに去年の一位は
小説:レイ・ブラッドベリ『華氏451度』


漫画:清家雪子『月に吠えらんねえ』(※一巻のみ)


同率一位で天野こずえ『ARIA』


エッセー:谷川俊太郎『ひとり暮らし』


でした。


なお今年の日記には書かなかったけれど印象的だった本もたくさんあります。
ありますがここで全ては書ききれない……だからこまめに日記をつけるのは大切なんだね。

本当は一日一記事をめざして書いていたのですが(下半期もめざしてはいたのです)、なかなか私がそんなにきっちりしていなかったのでまばら〜〜なブログになりました。
でも百記事は越えてるはずだから百冊くらいは本のはなしができたと思うので幸せです(*´∀`*)←しあわせの顔文字

その、日記の余白にある書かれなかった本の中からひとつ『金色のコルダ』を今ここにあげます。

金色のコルダは、ご存じのかたも多いとは思いますがいわゆる女性向けアドベンチャーゲームの大御所作品ですね。この漫画はそのメディアミックスの一環であり、公式コミカライズであり、長期に及ぶ人気連載作品でもあったわけです。

私はこの原作のゲームはプレイしたことがないのです。でもこの漫画は以前友人の家で読んだことがあって、今年のはじめに、本当にいちばんはじめくらいに揃えてきちんと最後まで読んだという感じです。
コルダはもちろん主人公をとりまく恋愛模様のあれこれがメインにはくるのですが、恋愛、いわゆる「他人への愛」とならぶもうひとつ大きな主軸として「音楽への愛」が根底のテーマとしてあります。それが良いんですよね。
主人公は最初音楽のことは何もわからなくて、ただ突然与えられた魔法の力で音楽の才を得てまわりの人を魅了するのですが、だんだん、自分自身の力で音楽の世界に挑戦したいと思うようになってくるんですね〜〜ヒカルの碁みたいなね〜〜ひとつの趣味に対して、次第に芽生えてくるやる気と愛着!
恋愛以外にそういう友情・努力という要素も丁寧に描かれているのがこの作品の最大の魅力なのです。
勝利がないのは、コルダがヒカルの碁と違うひとつのポイントでもあって、ヒカルは与えられた力を無くしてもそこそこ強くて通用もしていたのだけど、このコルダの香穂子ちゃんにはその即戦力的な才能がなかなか開花しないからなんですね〜〜。
魔法の楽器を失ったあとも意気込んでバイオリンを続けるものの、演奏は思うようにできないし戦友(攻略たいしょ……恋愛対象でもある男性陣)たちには「音が固い」「ひどい」演奏だとがっかりされたり心配されたり。うまくいかないけど香穂子ちゃんはその評価も受け止めて進んでいこうとするのです。
読んでるとがんばりたいなーと思わせてくれる、私のなかではそういう気持ちにさせてくれる作品でもあります。
「前の演奏とは違うけど嫌いじゃない」っていうことをひとりの男の子が香穂子ちゃんに言うのですが、甘くないけど冷たくもない、素直な評価で好感が持てますね(何?)。

キャラとしては柚木先輩が良かったですね。彼はたぶん香穂子と同じくらい、はじめと終わりとでは変化があった人。香穂子のことだいぶ好きなのだろうけど一緒にはいないだろうし本当の気持ちも言うことはないのだろうなという感じも含めて良かったです。

香穂子さんが男の子ふたりと腕を組んで「両手に花」と言ってのけるシーンがふっきれていて好きです。すがすがしい。

今年の一番は別にあげてしまったけれど、二〇一五年に読んだ!という点で、コルダはその象徴的な本だったように思います。コルダはなかなか熱い作品だから読んでみてね。
こんだけ書いてしまったけど私、コルダのこと前に書いていたりしないよね?

ふたりの名は罪悪(百合ミステリを考える会)

詩歌は好きだけどそこにこめられた詩情をわかる・わからないで語ることは好きではない。
冒頭から何を、という感じだがあとで拾うのでとりいそぎ個人の意見を。

あるきっかけで、少女と少女のあいだに巻き起こるホワイダニットという現象についてのんのんと考えていた。(どういうこと)
危害を加えるために事件を起こすのではなく、相手に対する肯定的な何らかの動機によって銃の引き金に指をかけてしまう、そんな事件および関係性について。いわゆる「百合ミステリ」という分類なのだろうか。

ここから下はかるいねたばれがあるよ!
私が百合だと感じたミステリをあげていくよ。







そういう作品としては(だいぶアバウトなくくりだけど)北山猛邦の「さくら炎上」という短編がなんとなく浮かんでくる。


百合度……★★★
物語性……★
罪悪感……★★★

まあ百合といえば、と言わなくてもたぶんこの作品のふたりはいわゆる「百合」というそれに近いとおもう。その点では動機もいい感じ。ただ、感情に対して行動が行きすぎているきらいはあるかも。動機が見せどころだけど動機のおかげで最後の最後、非現実的なところに足がついているかんじ。
同じ作者の作品なら、「恋煩い」のほうが少女と少女の関係性としてはリアリティがあるかもしれない。

百合度……★
物語性……★★
罪悪感……★★★(★)

この結末もある意味、一抹の百合だと私は思って……思うこともある。

相沢沙呼「チョコレートに、踊る指」


百合度……★★★(★)
物語性……★★★
罪悪感……★★★

チョコレートはいい百合ミステリ。百合をはずしても、そもそもの作品としての完成度が高い。私にはそう見える。トリックと動機と物語のバランスがうまくとれている、ような気がする。私にはそう見える!
やや百合の比重が強いといえば強いか。

北村薫『秋の花』



百合度……★★
物語性……★★★(★)
罪悪感……★★★(★)

こちらはミステリにとどまらず文学作品として非常に高いところにある作品なのでなんだかあれなのだけど、ここにいてもいい作品だとはおもう。
誰が何を、どうして、どうしたのか、すべての要素が繋ぎ目のないなめらかな線になっている美しさ。ある。
少女と少女だからこそ生まれた物語という雰囲気。ただ、美しすぎることが逆に唯一の瑕といえるかも。もっともっとどろどろと、汚れていたほうがより現実味をおびたはず。(あえて、なのだろうけれど)

今野緒雪『マリア様がみてる 〜ウァレンティーヌスの贈り物〜』


百合度……★★★
物語性……★★
罪悪感……★★

マリみてシリーズは良質な百合ミステリでもあるのですよ
この話では、主人公の祐巳さんがあこがれの「お姉さま」が校内に隠したカードを探すというデート争奪戦に参加します。(商品が一日デート権)
祐巳さんがアタリをつけた場所からはどれだけ探してもカードは出てこなくて時間切れを迎えてしまいます。けどお姉さまの話ではカードは祐巳さんの予想通りその場所に隠したというのです。おそるおそる、再びそこを暴いてみるとカードは平然と置かれていてーーー。

いったいなぜ?
そのホワイはのちのち明きらかになるのだけど、とてもよい少女小説。明快かつほろ苦い。ホワイだけでなくフーダニットとしても楽しめます。


『ロサ・カニーナ』もホワイダニットとしては素敵です。

マリみてでミステリちっくだと言われるのは『いばらの森』ですが私はあまりそうは思わないかな。フーダニットではある。

マリみて十六年くらい前なの冷静に考えてやばくないですか。


桜庭一樹『少女には向かない職業』


百合度……★(★)
物語性……★
罪悪感……★★★

桜庭さんは『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、『七竈』『赤×ピンク』『推定少女』『読書クラブ』が好みなのです。でも百合ミステリとしては、この作品が一番に浮かんでくる。ミステリのつくりとしては『砂糖菓子』のほうが好きなのだけど。
たぶん少女ふたりの連帯感というか、もっと重い、運命共同体というか、つまりは読んだあとにのこる罪悪感が最も重いからだ。
ちなみに桜庭作品の構成で一番いいなと思うのは『私の男』だったりします。

サガン『悲しみよこんにちは』


百合度……★
物語性……★★★
罪悪感……★★★(★)

えっ?と思われるだろうか。
私としては読んでいるとき「えっ?なんでそんな?」と思う主人公の行為があって、あとから考えると女と女の複雑な関係性をよくあらわしていた物語だった。だからある意味百合だといえる(いいたい)。
読後に見るタイトルの余韻がたまらないくらい好き。朝ごはんの場面が好き。百合かんけーねぇ。

石持浅海『わたしたちが少女と呼ばれていたころ』

百合度……★★
物語性……★★
罪悪感……★★

よくも悪くもドライな作品だとおもう。登場人物に対して客観的な姿勢を崩さないし、ウエットになりきらないから百合にもなりきらない。そんな感じ。ミステリとしてはよくできた短編集だと思います。感情にまかせずこまやかなロジックで丁寧に謎を解くところが◎。

百合を語るまえにおまえの百合の定義を説明しろよと思われてそうですが、自分でもわからないので詳細は省きます。が、しいていうなら「好きにおさまりきらない罪悪感」かなと思います。
それを説明するにあたって急にBLのはなしをします。

私がBLっぽいと思って、なおかつ好きだと思うものってたいてい無意識のうえに成り立つ関係性が描かれているのです。
それに世間一般でBLの二次創作がつくられるものも、元の作品すべてが公式のBL漫画ではなくて、普通の漫画の空白の部分からBLを想像したものがとても多い。
本人たちが自覚しないままに関係性がどんどんできあがっていく、そういう現象が多く起こるのがBLの世界。

でも百合の関係性では、少女はどこかで相手に対する想いを自覚している、そんな描写がはっきり書かれているものが多いように思います。
コンプレックスだったり好意だったり、精神的なつながりが重視されるからというのが特徴かなと。
気持ちを自覚しているからこそ、共犯者、もしくは罪人としての罪悪感がどこかに潜んでいるのが百合かな、と個人的にはおもうのでした(完)。

ただし自覚と罪悪感のあるBLも私は好きです。


心のうごきが繊細に描かれる百合は、ミステリ作品との相性もよいといえます。うまくかけば上質な物語、かつ意外な真相、深みのある謎解きに結び付くからです。
ただ、上記のレビュー(?)でも幾度かふれたとおり、百合をミステリに置き換えるときにはバランス感覚が非常に重要になってきます。
恋は盲目なのに解決は論理的にしなくてはならない、この相反するふたつの魅力をどこまで同じ線上に導くことができるかの勝負。

推測できない、説得力のない、あまりにとっぴな感情の動き(動機)だと、それはよいミステリだとは言ってもらえないからです。

でも私は、動機に合理性を求めるのが好きではないのです。
詩歌も物語もそうだけど、感情をわかる・わからないの○×クイズみたいに判断されるのが嫌いなのです。個人的な意見です。


「この詞のここはこれこれこういう意味でこういうときのこういう気持ちをあらわしていてだからそうした背景をふまえて」みたいに一語一句詳細に暴いていくのがいやなんだーーー


というのは最早わがままなのだけど。

ただ物語としては、
はじめから終わりまで読んだときに、つながっているものがないといけないと思う。
好きなことを好きなタイミングで書く、それは物語ではなくてただ好き勝手書き散らした言葉の集合体に過ぎないし、誠意でもない。

だから、合理的なものがよいとかいう話ではなく、ひとつの動機があるならそれをその感情から巻き起こる行動とともに、一連の流れとして書ききることが要なのだろう。
あるいはひとつの行為の奥に、かならずその原因があり、そこにいかにすとんと、しかし魅力的にたどりつくのかということ。

百合の話じゃなくなっている……


恋は盲目を地でいく百合ミステリというのがたまにあって、ハッ、というよりはっ?とさせられる、サイコパスな物語もあります。

百合度……★★
物語性……★
罪悪感……

なかなか百合なのに完全に無意識です。罪悪感もないです。かといってドライでもない。すごい。
終盤の彼女の「はっ?」な行動は好きだし、その直後の彼女の「……え?」な隠蔽もすごく好きです。


百合度……★★★
物語性……★★★(★)
罪悪感……★

自己愛が強くて夢みがちな思春期の自分勝手さがリアル。少女と少女の関係って実際そこまで尊いものじゃなくて、こんなふうにエゴとエゴで出来ている部分が殆どだとおもう。



つかれました。

夕暮れはいつも

映画『orange』を観ました。

原作は読んでいません。

後悔を消すため、というより好きな人が自ら死へ向かっていくのを止めて救ってほしいと、未来の自分から過去の自分へ手紙が届くというSFラブストーリー。

時空系ファンタジーに弱いので泣くかもしれないと思って観ていたのですが、
途中でリレーのシーンがあって、そこでしたたか泣きました。
未来からの言葉に従うのではなく、自分たちで考えた最善の策を選ぶっていう選択が良かったんです。

あとこの場面の直前に五人ほどで体育のマットを持ったまま会話するシーンがあるんですが
「いや重たいしマット下ろして話せよ……」と思っていたらそのマットが意外な伏線になっていて、ナマ言ってごめんなさいという感じでした。

それと、これは原作の表紙を見たときからずっと気になっていたことなのですが、
翔くん(死んだ人)がいない未来での菜穂(主人公)と須和(仲が良かったグループのひとり)のあいだには子どもが生まれているんです。
でも菜穂はもともと翔のことが好きだったから、翔が生きていたらその未来では須和と結婚しなくて、須和との子どもも生まれてこないかもしれない。
この問題にはどういう答えを出しているんだろう、と映画を観る前から悶々としていたのですが、観て解決しました。そーいうことやったんか。でもそれを踏まえて考えると未来の人たちはあまりに切ない。

あと、まず何がどうなって手紙が時空を遡ったのかも気になっていたのですが、これも観て解決しました。そーいうことなら仕方ないね。


起こってしまった過去は決して変えることができない。でも、未来を変えることはできる。
だから手紙は過去に届いたんですね。未来が変わっても過去は変わらないの。


ラストに高校生の菜穂が未来の自分に向けてある一言をつぶやくのですが、それがちょっとじーんときました。世界の転換!という感じがあった。



手を振って背中を向けて走り出す夕暮れはいつも世界の終わり(あお)

赤いコートは夕焼けの海

雑貨屋さんに行ったらりぼんのグッズコーナーがあって
『グッドモーニング・コール』のメモが売っていたのでつい買ってしまったのだ

私もこの赤いコートのイラスト好きです


この表紙と、『ひつじの涙』(日高万里)
の主人公のケイさんが赤いコートを着ているイラスト(イラスト集を持っている)を見るたび、赤いコートが欲しくなるんです。

この前読んだ雑誌に赤いコートのスナップが載ってて可愛かったけれど、赤いコートを着こなせる年でもないんだなぁ   あを

スイマーで売ってるちゃちくて可愛いヘッドフォンを買いたい。


赤いコートで検索をかけるとこの本が出てくるのですが
懐かしすぎていま困惑しています
この話ぐう好きだったの……忘れていたけれども(おい。

赤いコートが手に入らないからあれこれ画策して生地から作ってしまうんだよ!
ひつじの毛を刈って、毛糸を自分たちの手で赤く染めるっていうのがすごく好きだった。






何でもないと底なしの世界に潜る指 赤いコートは夕焼けの海(あお)






話題:少女漫画


最後だから

……と夢の中で言われた。

なるほど最後とは免罪符にもなるんだなと思った……夢の中で。

また別の夢の中で、右膝が激痛に襲われた。
その後いまになって私の右膝にはあかい痣ができている。夢から覚めたときにはまだ無かった。

このごろの私はそういうことに関して敏感になっている。

思った事象に関することをすぐ後で他人の口から聞くことになったり、気になった人やものがそう時間を置かずになんらかの話題として出てくる。それが以前にも増して、今月はずっと鋭敏になっている。

偶然といえば偶然に違いないし、一人が思うことは三十人が思うという。
けどタイミングがよく合う、そんな月だと思う。

スポーツ等で信じられないほど調子が良くなる時期のことをゾーンと呼ぶのだという。そしてゾーンを過ぎた選手はスランプに陥りやすい。
だから私は今の状態を手放しで喜べないのだ。

人と言葉を介してコミュニケーションをとっていても「わかる」瞬間がときどきある。

もうこの人からはしばらく連絡が来ないだろうということがわかるし、この人は額面通りの言葉が欲しいのではなくて、また私からその言葉を受けとりたいわけではないのだろうということがわかる。また反対にいま私にこれを言ってほしいのだろうということもわかる。
感情の起伏や、誰それに対する思いの質が微々たる部分ではあるけれどわかる。
手応えと文面の顔色でわかる。

わかるということが欺瞞でも今月の私だからわかる、そう信じこんでいる。



みんな身分や所属をある程度明かしているのにそんなに何もかも言葉にしてしまって怖くならないの。でも言葉になってしまうのかな。


ドリカムのうたをきくとこの人たちは電車が、駅がある街で生きているんだなということがわかります

いや今日きいてたから……


今日は三時間くらい体を動かしたのでもう疲れました。疲れましたが楽しかったです。本当は昼には終わるはずなのに不可抗力で夜からになったので色々憂鬱でした。

私がしていることの名前を明かさないのは、狭い世界なので調べられたらすぐに足がつくからです。知られたら終わりだっちゃと仁王先輩(テニス)が言ってた。

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