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知られる権利

自分のことを知られたくない。
つまりそれは君も他人のことを知りたくないんだというようなことを言われたような言われなかったような。

「愛される権利なんか無いと思ってるならそれは私より進んでないよ」
となら言われたことがあります
言ったのは前田さん(友人)です……前田さんすごいね!? えぐり抜くようなパンチだよこれ

「言葉で示す暴力だ!」とそのときは前田さんと笑いました。愛される権利が無いとは思ってないですよ。

もう少し大人らしくスマートに自分のことを述べられる人になったほうがいい。
以下『菩提樹荘の殺人』の軽いねたばれが唐突に始まります。トリックや犯人は明かさないよ!










〈聞いてみたいが、ついに知ることがないままになってもかまいはしない。〉

有栖川有栖『菩提樹荘の殺人』から


文庫のほうの装丁が好きなので。

この一文は、このシリーズにおいてけっこう重みのある言葉じゃないのでしょうか。
ずっと知りたいと思っていたことが、知らなくてもいい、という思いに変わるときって何なんだろう。
ここでいう知りたいことは、シリーズを通してずーーっと謎として置かれたままにされてきたことで、ずっと追いかけ続けてきた秘密なんですけど、この作品で初めて〈知ることがないままになってもかまいはしない〉という考えに転換されるんです。
ひとつの区切りというか結論にも近い言葉なのでこれがもうシリーズ最終回でも良いくらい。そもそも「菩提樹荘の殺人」には例えばカレーだとか初恋の思い出とか火村の抱える秘密とかそれまでに出てきた「過去」の部分が多く描かれています。(トリックや犯人の部分は関係なく)今までをふり返るような雰囲気がある作品です(あとがきによると作品集のテーマとして「若さ」を意識したためらしい)。
その最後を締め括るのがこの言葉なのでえっ……最終回かな……という気分になるのですがto be continued です。

逆にこの話で終わらせることもできたはず。
これで終わってたらそれはそれでいい締めなんじゃないのかな。
けどこれでは終わらないみたいなので、また違う展開がこの先には待ち構えているのでしょう。そしてたとえ火村のことをこれからも知れないままだとしても、アリスは火村の相棒でいるということなのでしょう。いやフィルターをはずしてもそういうことなんだと思うよ私は!

これまでの話ではアリスが火村の本当の心を「知らない」ということが二人の関係のネックになっていて、でも知らないからこそ火村が危うい存在になり目を離せない部分があって、また知らされないことへの固執みたいなものもあったと思うのですが、菩提樹荘ではついに知らないままでも……って言ってしまってますね。
知らなくてもいい、ではなくて知らないままでもいい、のがみそですね。


諦念のようにも聞こえるけどこの場合はそうじゃないんでしょう。あまり熱く語るのもあれなので続きはどこかのお酒の席で熱く語ります。

前に読んだときはこの言葉そこまで引っ掛からなかったのだけど、今回読み返すとけっこうなこと言うてんなぁと感じました。

〈私たちは、いつも同じところで絶句する。〉

ここもいいですね。知らないことが二人をつなぎとめていたんだけどもう知らなくても大丈夫になったのかな。

そもそも火村の闇が明かされないのは有栖川先生もその真相を知らないからで知ったら明かされるであろうというのは有名な話で、けどもうこれ知らないままでもいいって言っちゃったね……。



ただの感想を言いたいのに私が書くとそれっぽく見える気がします。大丈夫ですか?
そういうことじゃないです。

(`・ε´・ )この感想は美しくない!






わたしの死体

を切るだけじゃ足りなくなってきて/ねえ/なんか怖いの

――望月花梨『緑の黒髪』



いづみと悟郎は血のつながらない、再婚した親の連れ子どうしのきょうだい。
かつて長く伸ばしていたいづみの黒髪を、ある日突然悟郎が切った。いづみはその時期から髪の毛を伸ばすのをやめて、ことあるごとに短く切り揃えるようになっていく。
悟郎とのきょうだいとしての関係を守りながら、自分の心のバランスを取るために……。


髪の毛を切ることで心の本当の声を捨てて、均衡を保とうとする女の子の話です。
春なのにしょっぱなから暗い題名ですみません。もう三月一週間終わりました。早いです。ちょっと待ってほしい。
しばらくぶりに書くのでなんかもうここの書き方がわからないしどこから報告すべきかもわからないのですがとりあえず私も髪を切りました。気分を整えたくおもい。髪も気分も重かったし!
先月言ってた試験はパスしました。それもあって髪切った!それ以外もあったしこれからもある!

人体にたまったいらない亜鉛(のようななにか)は髪の毛から外へと抜けていくそうです。
今回ばっさり切ったらけっこうスッキリしました。本当はずっと伸ばしていてこれからも伸ばすはずだったんですけど切ってしまったのは、いづみさんほどの思いはないけど髪を切ることで自分の中の何かを捨てて守りたかったんでしょう(すごく適当)。
次はもっとショートにしようかな。



失恋して髪の毛を切る歌があるんですけどかつて失恋した女の子にこの盤を貸したら次の日髪の毛ばっさり切ってきてアワワとなりました。さすがにごめんという感じでした。
でもこの歌と『緑の黒髪』の心境はまた違うものだと思う。
『緑の〜』のほうが絶望的。
しーなりんごにも同じく髪を切る的な歌があってそちらのほうが近いかも。切るのではなくて切らなきゃ、というところが。

あともうひとつあるのが、春がくるまでの物語だということですね。ちょうどいまの季節くらいの。
五月病はさまざまな良くないものが木の上や空気中から人体へと降り落ちてしんどくなる病だという話を聞いたことがあります。
あたたかくなってきて次第に、花粉や、そういうなにかがもやもやと空気中に生まれてみんなの体や精神が脅かされていくのを見ると春だなぁと思います。気がふれてしまいそうな季節じゃないですか。「櫻の樹の下には」とかまさしくザ・春という雰囲気の物語で好きです。あれもある種、髪にまつわる話です。

緑のはそんな意識して読んでなかったけど(主となるテーマなのに……)私が好きな「切迫したあねおとうとモノ」でしたね。望月先生の話はあねおとうとがひそかに多いですね。
あねおとうとといえば、


掲載されているキキララのイラストで、キキとララのツインズ(二人はあねおとうとの双子)がひとつの服のなかに二人で入っている構図のものがあって。
意訳すると「仲のよいふたりが同一化するともっと幸せに」というコンセプトがあるらしく。というか合体という言葉が使われていましたね。ふたりがきょうだいであるということを考えると危険な気もしますけど〜〜ってそぶえさんが話してました。キキララは小さい頃から好きだけど、こんなにシリアスな気分で二人のことを見たのは生まれてはじめてでした。


髪を切ったとき、床に自分の髪が落ちていて、それが踏まていく光景を見ました。不思議な気持ちになりました。
髪の毛って切られたらそれでもう終わりなのかな。終わりだけど終わりって思いづらいのはそれが自分の死体みたいなものだからでしょうか。
以上!


〈夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ〉
(与謝野晶子)

この歌好きです。

話題:少女漫画

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