髪を切るだけじゃ足りなくなってきて/ねえ/なんか怖いの
――望月花梨『緑の黒髪』
いづみと悟郎は血のつながらない、再婚した親の連れ子どうしのきょうだい。
かつて長く伸ばしていたいづみの黒髪を、ある日突然悟郎が切った。いづみはその時期から髪の毛を伸ばすのをやめて、ことあるごとに短く切り揃えるようになっていく。
悟郎とのきょうだいとしての関係を守りながら、自分の心のバランスを取るために……。
髪の毛を切ることで心の本当の声を捨てて、均衡を保とうとする女の子の話です。
春なのにしょっぱなから暗い題名ですみません。もう三月一週間終わりました。早いです。ちょっと待ってほしい。
しばらくぶりに書くのでなんかもうここの書き方がわからないしどこから報告すべきかもわからないのですがとりあえず私も髪を切りました。気分を整えたくおもい。髪も気分も重かったし!
先月言ってた試験はパスしました。それもあって髪切った!それ以外もあったしこれからもある!
人体にたまったいらない亜鉛(のようななにか)は髪の毛から外へと抜けていくそうです。
今回ばっさり切ったらけっこうスッキリしました。本当はずっと伸ばしていてこれからも伸ばすはずだったんですけど切ってしまったのは、いづみさんほどの思いはないけど髪を切ることで自分の中の何かを捨てて守りたかったんでしょう(すごく適当)。
次はもっとショートにしようかな。
失恋して髪の毛を切る歌があるんですけどかつて失恋した女の子にこの盤を貸したら次の日髪の毛ばっさり切ってきてアワワとなりました。さすがにごめんという感じでした。
でもこの歌と『緑の黒髪』の心境はまた違うものだと思う。
『緑の〜』のほうが絶望的。
しーなりんごにも同じく髪を切る的な歌があってそちらのほうが近いかも。切るのではなくて切らなきゃ、というところが。
あともうひとつあるのが、春がくるまでの物語だということですね。ちょうどいまの季節くらいの。
五月病はさまざまな良くないものが木の上や空気中から人体へと降り落ちてしんどくなる病だという話を聞いたことがあります。
あたたかくなってきて次第に、花粉や、そういうなにかがもやもやと空気中に生まれてみんなの体や精神が脅かされていくのを見ると春だなぁと思います。気がふれてしまいそうな季節じゃないですか。「櫻の樹の下には」とかまさしくザ・春という雰囲気の物語で好きです。あれもある種、髪にまつわる話です。
緑のはそんな意識して読んでなかったけど(主となるテーマなのに……)私が好きな「切迫したあねおとうとモノ」でしたね。望月先生の話はあねおとうとがひそかに多いですね。
あねおとうとといえば、
掲載されているキキララのイラストで、キキとララのツインズ(二人はあねおとうとの双子)がひとつの服のなかに二人で入っている構図のものがあって。
意訳すると「仲のよいふたりが同一化するともっと幸せに」というコンセプトがあるらしく。というか合体という言葉が使われていましたね。ふたりがきょうだいであるということを考えると危険な気もしますけど〜〜ってそぶえさんが話してました。キキララは小さい頃から好きだけど、こんなにシリアスな気分で二人のことを見たのは生まれてはじめてでした。
髪を切ったとき、床に自分の髪が落ちていて、それが踏まていく光景を見ました。不思議な気持ちになりました。
髪の毛って切られたらそれでもう終わりなのかな。終わりだけど終わりって思いづらいのはそれが自分の死体みたいなものだからでしょうか。
以上!
〈夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ〉
(与謝野晶子)
この歌好きです。
話題:少女漫画