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帰宅の極意

今日は県外にも行ったし忙しかったけど、そこで会った人にはすごく驚いてもらったり喜んでもらったり嬉しかったし、戻ってきたらこうしてご飯食べてあとは帰るだけだし、悪いことはなにもない!
って、いっしょにご飯を食べていた人が言ってた……そうか。
嬉しさに戸惑って寄り道するんじゃなく、嬉しい気持ちのままおうちに帰るっていう、そういう考えもあるのか。
目からうろころころ。

私も今日は直帰しました。まっすぐおうちに帰れるのってすごいことなんだよ。そして嬉しいこと。今日の私はよくがんばりました。


〈まっしろい紙をみると/書かずにいられない/まっしろい雪をみると/踏まずにいられない/まっしろいことが/わるいみたいに〉

(「雪」より)



たまたま見つけて借りた本。
ふつうに生きていくことにためらいがあるんだけど、こんな気持ちに近いのかなと。

瞳には戻らない

この日は県外から友達がきてくれていて、ふたりでご飯を食べていました。同じ座敷に、まったく知らない幼い女の子がいて、なぜか三人で二十分くらい遊んでいました。(もちろんご両親も近くにいました)

そのちっちゃい子も、県外から香川に旅行に来ていた旅行者で、つぎは大阪で会おうねと言ってさらりと別れました。帰りしなにラムネをひとつぶくれた。

次にいつ会えるかとか、これからもう会えないかもとか、そんなことよりも彼女たちが、今このとき目の前で楽しんで、笑っていてくれることが何より嬉しかった。でもそれって私らしくない、不思議な感情だなとも思い。
笑ってくれるだけで私も嬉しい。でもそれが私らしくない。
この夜は一人になったあとなんだかとても家に帰りたくなくなって、寄り道して帰りました。



「くるみ」みたいな一日だったなーと思って。
よく聴くと、子ども生まれたのかな?と思うようなアルバムになっていますね。


「花を埋める」がいいと思う。なんとなく新美南吉のスタンスがわかってきた。欠落が埋まりそうで埋まらないんだ。


もちろん嘘です

朝、バスに乗って香川に戻り、お家に帰ってご飯を食べるとなんだかぐーすかと寝てしまい、気づけば夕方がきていました。

買い物でもいこうと思っていたけどよく考えると今日は習い事があるのだ……お盆は終わりだ!

週に一度は体を動かすようにしているので、まったく余裕がなかった去年よりは、まだ体がちゃんと動けているような気がします。
さぼろうと思えばさぼれる(さぼる日もある)のですが、今日はちゃんと練習しました。

「でも、さぼれるくらいがちょうど良いと思いますよ」と言ってくれた人がいたなあ。あの言葉いいなあ。と思い出しつつ。

げんき?と聞かれて、病気です。と答えてから慌てて、嘘ですよ。と続ける。つまらないことを言うなよ。




人を傷つけることで自分を傷つけてそんな自分を晒すことで、生きようとするのはよくない傾向だと思うんだ(群像の感想です)……また今度書きます。





白ご飯の日常

新美南吉の「かげ」という掌編があるのですが、先日それを読んでけっこうな衝撃をうけました。
午前中に読みましたがしばらくショックをひきずっていた……。



青空文庫では読めないみたいですね。私はこの本で読みました。(また別に絵本もある)
からすが、自分の影とはしらず、地面に浮かぶ黒い鳥の姿とおいかけっこをするお話です。

終わりの方に、からすが影にむかって言う
「いっしょだった」
という台詞がでてきます。

私の心にはこの言葉が、このうえなく悲しいものとして響くのだけど、理由はうまく言えません。
ただ、とても孤独で、ひたすら淋しい言葉のように思えます。
「いっしょだった」と言っていても、それはいっしょじゃない。
はじめから、まっつくつい(※1)であることはいっしょじゃない。
私はそう思っているから、ただただこの「いっしょだった」という確信がつらい。
「ごんぎつね」だって、わかりあえないお話じゃないですか。最後にわかるけど。
「かげ」を教訓めいた話だと、いう人もいると思うけど、私は「ごんぎつね」にもある、なにかしらの不一致性からくる切なさみたいなのを感じるのです。

いま思い出しても落ち込むんだなあ。みんな読んでね。


※1……「全く同じ」ということの讃岐弁。


さてさて。
いろいろと思うところはあるのですが。
日記を書いていた方が、今よりはライフバランスがよくなりそうな気がするので、がんばってまた書いていこうかなと思います。ふりだしに戻って。

お盆は京都にいました。調子があんまり良くなかったので、家族といてちょうどよかったと思う。ほとんど何もしないで、たまに本屋をのぞいたり、怒られたり。葉書を書いたり。
お休みがあるっていいことだわ。明日帰ります。

いろんなところで、ささやかな何かに助けられて、いつもよい方向へ行けてるんだよ。って母が話していて、そうですねと思った。
いまの私は白ご飯みたいな感じで、どんな言葉でもさほど考えず自分の上に乗せてみてしまうんだけど、このことは本当にそーやなと思いました。ごめんなさい。いま眠いんです。

以下最近の本たち


arちゃん、今月号のあおり文は
「たった1人でいいの」


さんかく窓、まさかの夏発売!(※2)
今回は、たったひとりを信じている、というお話でしたね。


このね、雷鳥社からでてる辞典シリーズはとってもよいですよ。本の作りが。


お遍路特集でした。家族にあげようと思って。


これはねー、香川のとある古本屋さんに行ったとき「ウチの店、これに載ってんだよ!」と店主さんが頁を指差して教えてくれたので買いました。
せっかく京都にきたのでここに載ってる誠光社さんにもはじめて行ってきました。うむうむ。


※2……いつもは冬に(だけ)出ていた。



・・・おまけ・・・


『うどんの国の金色蹴鞠』、やっとアニメを最後までみました。よい作品でした。おまけがいつもシビアで、でも本編とびみょうにリンクしてるの笑う。アニメの最後はうまくまとまってましたね。せつないけど。


最近読んだ本

きずあと予言


転職しました。(春に)
こんにちは。

どんな仕事なのか、行きつけの歯医者さんに言わせると「ごほん、ごほんの龍角散だな!」みたいです。
前も今も、ご本(Book)に関連するお仕事です。うまいこと言ってるよね。私はしあわせものですね。

ずっと日記書いていなくて、もしまた再開したら、題は「きずあと」がいーなーとだけ思っていました。なんとなく。こいつあいかわらずだなって感じするでしょう?

おもしろいことはたくさんありましたよ。その逆もたくさんありましたけど。

心のなかで考えていることが予言みたいになってしまうことが、あるんだなあと思ったの。


今日は職場の人に「実は私、児童書が大好きなの」と告白されてすごく……ではないけど、ちょっと裏切られたきもちでした。はやく言ってよう!



読みやすい長さで、読みやすい不思議なのがよいと思います。


たぬ可愛い。とてもたぬ可愛い。茂市久美子さんの作品はすてきですね。


食わず嫌いしていたけどものすごく素敵な話だということをこの前しりました。最後の一文が、なかなかこれ書けないよねえと思う。すごく優しい言葉。




十年ぶりくらいにこの人の本読んだけどいけるやん!
一番最初の話が好き。乙一の「未来予報」と同じ好きを感じる。表現よりも先に、そこになくてはならない存在としている、みたいな関係性。




胸が痛くなってちゃんと読めない。風がぬるいんだよ!




「わるくち、しまいます」でびっくりするほど泣いた私って……。
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