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おーおめでとう!


久しぶりにブログをのぞいたら!わーおめでとう!!
私も小説書きたい〜〜

なんだか最近予定通りにいかない 半分も
お仕事が……

そう思って、冷蔵庫に貼ってある「今年の運勢」(母親が書き置いていった)をながめてみればそこには「予定通りにいかない 半分も」の文字。おーあたってる!


今日は三人で、ぬいぐるみを抱いて座っていたんですよ。私の仕事場にはぬいぐるみがあるんです。
ドアの前に人影もないとき、私が「ああもうすぐ○○さんが来ますね」と言ったら「なんで?」と聞かれたので「波動でわかります」と返して、するとドアが開いて本当にその人が入ってきたんです。
驚いたふたりに「えっ……本当に……わかるの?」と真顔で尋ねられました。わかります。あることをしたので。電話で呼び出したり事前に約束したりは、していませんよ。


「鮮やかなもの」が好きです。

わたしに答えて

今日は友達の誕生日なんですけど、職場のひとの誕生日でもあって、そして知人にも今日お子さんが誕生したので、なんだか誕生日がいっぱい。

「ラベンダー、知っていますか?」
そう言ってその人は私の目の前で、ラベンダーの香料が入った小瓶の蓋をあけようとする。そのとき液体の飛沫が私にふりかかって、部屋も私もラベンダーの香りに殴られてしまった。
「ごめんなさい」と言って、その人が帰ったあともラベンダーの香りが強く残っている。ラベンダーの香りには精神の安定作用があるんですよと言っていたことを思い出す。
携帯を見るといくつか連絡が届いていて、私はそのうちのひとつにあえて返事をしない。いつかはするけれど今はしない。ラベンダーの香りがきつい。明日もこの部屋を訪れたら同じ香りがするのかしら。それともわずかに薄まって私を出迎えてくれるのか、まるきり消えてしまっているのか。

ということが本日あって、ラベンダーの花言葉を調べました。
〈沈黙〉
〈疑惑〉
〈私に答えてください〉

そして、驚きの事実。ラベンダーが誕生花になるのは……七月十日。
今日だ。
おーこわい。どこまで仕組まれていたんだこれは。


「どうやってストレス解消するの?」と職場のひとに尋ねられる。趣味のことをする、本屋に行く……本当にそれだけかと言われるとそうではないけど。
「お前にはなにも関係が無いことで、本来お前が気にすることではないことだ」とも言われる。そう、最近いろいろある。しかしその人の言うとおり私は本当はほぼ関係しない。けれどなぜか渦中にいて、介入したことを反省する。
知人がしていた水槽の話を思い出す。その人の家にはひとつの水槽があり、熱帯魚と、なにか忘れたけれど大きな魚、貝と海老が同居している。
そのまま、ほうっておくと互いに数を調整しあってなんとなくうまく共生するのだと言う。

私もそんなふうになればいいのかな。水槽と同じで何かが欠けてもなんとかなる。

この前見たベタにまた会いたいし、あのとき会った猫にまた会いに行きたい。

そういえば今日はプレゼント!と言ってケーキをもらった。私の誕生日みたいじゃないか。ちがうよ。

『スピン』

ラベンダー色の本を一冊。
同性愛、スポーツ競技、家庭不和などいろいろな問題が描かれているけれど、続けてきたひとつの競技から自分の人生を離すという決断の重みがすごくリアルに表現されているなあと思います。好きとか嫌いでは表せない気持ちがあるよね。
グラフィック・ノベルというんですねこういうの。



新井光史『花の辞典』

このシリーズやっぱり素敵です。


辻村深月『噛み合わない会話と、ある過去について』

最初の話しか読めてないんですけどなんか湊かなえっぽくなったな(偏見)


宝井理人『テンカウント(6)』

三月に出ていた!終わっていた!
一巻のただならぬ空気が好きだったなあ。なんだか危険だぞ、このやりとり。っていう。

たまにはうれしい日

土曜日、ある人を道端で偶然に見かけた。
そのときは見なければ良かったとタイミングの良さを呪ってけっこう落ち込んだ。

三日後の今日、あるきっかけで冬に書いた小説を読み返した。私が書いた言葉のなかにその人が出てきていた。
正確には、私の心のなかにいる人々を織り混ぜて綴った、そのなかの一人として物語にあらわれていた。

自分が生きて体感してきたものがひとつの話になって、それはもしかしたら、私を知らない誰かにも見られるときがあるかもしれない。
今日、書いたものを読み返していて、恥ずかしくてもんどりうちそうにもなったけどあのときの自分として、この文が書けて良かったなーと思った。し、この前あの人を見かけたのもなにかのなにかだと(なんだよ)と思った。
どんな瞬間でも事象でも、自分の中には結末への道筋が一本、ある意味お守りのように心に置かれていて、その危機感がこういう日記や書く文章に影響を与えて、私そのものを形成する鍵になっているみたい。

とにかくなんとなく私の言葉で、私を少し延命させられたような気がした。むなしいかな?
でも嬉しくなってアイスを食べたよ。夕方から雨が降ると言っていたのに降らなかった。

そういえば今日は出水に採水に出かけた。そのあとはりきって仕事に戻ったのに、自分の書いたものをついつい読み返すことになってしまいやばい吐きそうだーと思ってまるで仕事が手につかなくなってしまった。

宇多田ヒカル『初恋』

『Fantome』がけっこう好きだったので今度はどんなんかなあと半信半疑で買ったら……
こ、こ、これはーーーー
才能パーペキ大復活だーーーー

ただひとつ言えるのは、『ペンギン・ハイウェイ』を劇場で観てこのなかの「Good Night」が流れてきたら私はきっと涙どばどばになると思う。それくらい「Good Night」の出来は素晴らしい。
前作は生と死のはざまに立つようなアルバムだったけれど(そこが良かった)、今作はあくまで立ち位置は生の中にあるままで、さまざまな愛を歌っているような感じがします。(そこがよい)
パクチーの歌ってなんだ……と思っていたらとんだ名作だよ……なんだこれ……

〈これは今回のアルバムの全ての曲に通じるんですが、「長い冬が終わる瞬間」というのは、それが良かろうが悪かろうが、"全てはいずれ終わる"という考えに繋がっていて。〉

(ブックレット『うたマガVol.7』「宇多田ヒカルスペシャルインタビュー」より)



今日買ったCD

いは依存のイ

やることなすことが裏目に出て、自分のなかで困難が一周まわった感覚がした。
……ら、とたんに本が読めるようになった。

自分の放つ感情から距離を置いて、自分ではないものにその揺らぎをゆだねる行為に、移行していく自覚があった。
この前まで本は邪魔なもので、私や他人の言葉を遮る文字の羅列にすぎなかった。でもいまは、自分のなかに存在するものを映す媒体として私は本を利用している。
本がかわいそうだと思う。でもずっとこうして本を読んできたような気もするし、私が何をどうしても、本は私自身には含まれない。本とはしょせん他人と同じだ。


高石宏輔
『あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知』


この本は一ヶ月ほど前に買っていたもので、きっかけは

高石宏輔『声をかける』


この本を読み終えて、この人の書くものがもうひとつ読みたいと思ったから。
でも一ヶ月前から手にしていたのだから一ヶ月早く読んでいれば良かったのかもしれない。と思うけど過去は変えられない。しかたがない。

〈そのときに今までに感じないようにしていた無力感と孤独感が身体の中に満ち満ちてきた。結局僕は何もできないし、誰も助けてくれない。それらを感じることを僕はずっと避けていたのだなとふと思ったとき、なんだか開き直ってすっきりした。〉
(『あなたは、なぜ、つながれないのか』より)

なんか昨日と今日はこんな感じだった。逃避ができなかった。でも、逃げ道がないことで自分はだめなんだということを、確かめざるをえなかった。


〈たとえば、なんとなくネットを見る代わりに、読みたい本を読むだけでも随分違う。〉
(同上)

これは逆のことを言われたことがある。
テレビ見てる?と尋ねられて、見ていないと答えた。
すると、テレビドラマや、バラエティや、映画や、そういうただ、だらだらと流れてくるものを受動的に見ることが生活の中において大切なのだとその人は言った。
そういう「何も考えなくてもいいもの」がないと、身体と心がいつも張りつめたままになってしまうのだと。
どちらも正しく、相対することなのだと思う。

本題に戻ると、この本では他人と「つながる」ときのポイントがいくつか書かれている。メタ認知という言葉は使われず「トランス」と表現されてはいるが、ようは内側と外側の両方からメタ認知的に自分自身と相手の状況を観察し知ることが大切なのだという。
筆者は他人から受けとる何もかもが気になり病んでしまう自分自身に悩んでいたが、「あなたはもっと繊細になれる」というカウンセラーからの一言によって変化が現れはじめたと述べている。

昔、友達といるときにその人の鳴らすボールペンのノック音が気になって仕方なかったことがある。
他のノイズも同時に聴こえているはずなのに、そのときは急かすような苛ついているようなそのノックの音だけが耳元へとりあげられていた。
「ノック音がうるさい」ではなく、相手の心理がせわしない動作に現れており、そこに過剰に反応している自分がいる、その状況を知るべきだったということなのかな。

〈自信のない人間、自分を弱いと思っている人間の強さを侮ってはいけない。/彼らはその弱さを使って他人を誘導することに長けている。〉(同上)

それなー。なんかこの感想書きながら寝てて、今起きたんですけど一度時をはさんでしまうとぜんぜんだめなように思えてしまう。




本の感想

もっと傷つけて

今日は本の感想

綿矢りさ『ひらいて』


部屋の片隅でこの本が「ひらいて」って呼んでいた……図書館で借りて、図書室が出てくるしサロメも聖書も出てくるけれど思春期の熱っぽくて歪な三角関係の物語。

あらすじ
「私」(愛)はある日、自分がクラスメイトの「彼」(たとえ)のことを好きだと気づく。しかし盗み見た手紙によって、「彼」にはすでに「恋人」(美雪)が存在することを知ってしまう。
私は断ちきれない彼への想いから、「彼の恋人」である美雪に接触し、友人として彼女と距離を深めていく。だが、その関係はしだいにゆがんだものになり始め……。

〈私は、乾いた血の飛沫、ひび割れた石鹸。ガスとちりの厚い層に覆われた惑星。〉
描写の半分くらいが「私」の精神世界なんですよね。それも妙に詩的な、夢見心地な、熱をおびた美しい文章で綴られた。こてこての。
「私」が、将来どうなるんだろうと考える場面でもその幻想的な文体はいかんなく発揮されていて、いやもう文学部行きなよ。絶対向いてる。くらいの。

わざと陶酔しているのだと思うんです。それは筆者じたいもそうだけど、「私」からの、「彼」そして「彼の恋人」に対する想いがそのポエジーな描写に表されてるんだと思う。とはいっても心から乙女めいたことを思うわけではなくわざと飾り立てているのではと。
そのことを考えるときだけは現実から思考が浮き上がって、けれど「好き」とか「もどかしい」とか俗っぽい一言で済ませるのではなくて、耽美な言葉をならべることで猥雑な自分と現実を隠している感じ。そーやって「私」のコントロールできない思考回路を守ろうとしている感じ。
そう、だからこの、陶酔の熱さと現実の冷たさ(私の恋は全然むくわれない)のアンバランスさがこの小説のみどころなんだろうなあ。

でも私はさりげなく出てくるこういうところのほうが好ましい。以下です。
〈なんだか矛盾だらけの生活だけど、その矛盾を解決する元気も手立ても、今の私は持ち合わせていない。〉

そうこれこれ。この素の感じ。でもこういうときあるよねほんとうに。生きていく上で。

おかしいくらいに「私」はままならなくなっていくんですけど、なぜか最後まで読んで私(この私は日記を書いている私のことです)は泣いてしまった。なぜか、というか、綿矢りさはちゃんとわかっているの。
「私」がなにを求めているのか。それがストライクで最後に持ってこられるので、私は泣いてしまったの。そうだよねーそれは泣くよねーって思いました。

鶴を折ってるんですよ。「私」は。
鶴の説明があまりないので???となる箇所があるのだけど、鶴はまあ……鶴のなかに「私」がこめられてるんだろうと思う。
鶴をひらいて。ひろげて。あなたのことをすべてひらいて、でも本当は私のことをまっさきにひらいて。私を知って。私を助けて。
そんな切実なタイトル『ひらいて』(たぶん肉体的な意味でもある)もよくできている今日の一冊『ひらいて』でした。
これは今度、本屋さんへ買いに行こう。
今日はおっさんみたいな感想になりました。

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