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非実在同好会

机の引き出しから一冊のノートを見つけた。
装いは普通の大学ノートだが、表紙にポスカで〈No.1〉と記してあるところからもうだいぶ危険な香りがする。
内容と字体から、中学生の頃に記したものらしい。
字がずいぶん可愛い子ぶっていたりポスカを使っているあたり、当時の私はまだひたむきに女生徒らしくあろうとしていたようだ。(当時はポスカがマストアイテムだった)

日付は十年前の秋になっている。
二頁目からさっそく絶句した。


〈総合文化部【そうごうぶんかぶ】〉

  はじめに

 Q1 総合文化部って?
 A1 学校生活を楽しむための部活。

 Q2 活動内容は?
 A2 何でもいい。
   個人で活動してもいいし、
   チームで活動してもOK。

(略)

 Q5 活動場所は。
 A5 図書室と保健室と教室。……

(以上原文ママ)



やばい。

こうして入力するだけでも相当くるものがある。軽い気持ちでとんでもない爆弾を拾ってしまった。

救いは友人も巻き込んでいることだろうか。これが自分だけの遊びではなくて良かった。

転記はしないが前述のQ&Aコーナーのあとにルール設定、書き方についての頁が続き、その次からようやく活動記録が始まっていた。
要は交換日記を部誌っぽく書いているだけだが、おそらく当時は本気で部活動に昇華したかったのだろう。

私の頁(活動記録)はこのようなものだった。
〈わっぷーの一日〉
〈活動目的・わっぷーが前の席になったので〉


…………わっぷーって誰!?
(そしてそれは目的ではなく動機という)

わっぷーなどという人物はクラスに存在しなかった。それは確かだ。
そんな風に呼んでいた子を私は知らないし、狭い教室でクラスメイトが呼ばれていて気づかないわけもない。しかし〈わっぷー〉は私の前の席だったとある。だったらなおさら知っているはず。さらに記述によるとずいぶん親しげに会話もしている。

非実在同好会に続き、非実在同級生まで。
……私はノートを前に頭を抱えた。

記述によれば、
・わっぷーの一人称は「オレ」
・でも彼氏がいる
・単純に仲の良い友人、という存在ではなく複雑な思惑がある関係らしい(私にとって)。

……男の子かと思いきや女の子なのだろうか。隣の友人の頁にも登場しているから、実在の誰かではありおそらく女子だ。

書かれている他の事象から時期を推察するにこのノート自体は、私がある友達と気まずくなっていた頃のようだ。けっこう大きく揉めたので、私の欄にも友人の欄にもその余波がかいま見えている。
でもわっぷーはその友達でもない。なぜならその子はそのまま名前で登場しているから。


何となくこのあたりで目星がついた。

わっぷーというあだ名の生徒は実在しない。
しかしここに書かれたわっぷーは実在する。
私はこの当時いまでも思い出せるほどの揉め事をしていた。


一人の同級生が浮かぶ。
彼女は入学当時からの友人であり、喧嘩した子との共通の友人でもあった。
きちんとした可愛いひとだったので、オレなんていう一人称はそのときふざけて言っただけだろう。

私はその子と仲が良かった。
けどたぶんこの時期は喧嘩のこともあり彼女もどっちつかずでいようとした結果なのか、私に強くあたることが多かった。
私はそのことに不満を抱えていたらしい。というか抱えていたのだろう。悪口こそではないものの、どこか愚痴めいているというか、努めて明るく書いているのに、底に何かが潜んでいるような文章になっている。自分の書いたものだから余計に判ってしまう。せきららに。

うしろ暗い思いがあるからこそ、私は彼女に架空の名前を付けて登場させたのだ。わっぷーという人物を思い出そうにもはじめから、どこにもいるはずがなかった。


彼女のことが好きだから嫌いになりそうでどうにかしたくてノートに書いた。
……のだと思う。


なお活動記録自体は三頁、わずか一周で終了していた。みじけぇ夢だったな。
それも妥当かもしれない。これは皆でまわっていくはずの一冊だったのに、私が個人的な捌け口として使用してしまったのだから。
活動記録としてのノートは、最初からすでに破綻していた。

引き出しの中の爆弾は爆発したあと、さらに苦しい煙を撒き散らしていく。中学生のころっていちばん生きるの大変だったな〜
と唇をかむ。

わっぷーとは高校進学で離れて、はじめは長電話してたのがいつの間にかしなくなって、大学生のとき一度だけ連絡を取りあって再会した。

喧嘩した子にはあれから十年たってもまだ会える気がしない。




今日は母の誕生日です
おめでとう




帰宅部を選択した結果、研修部という謎の雑用部に入部することになる話。
なお研修部は実在したそうです。



雨の降る日も学校には行っていましたが教室よりは保健室が好きな時期もありました。


こんなことは実際よくあって、よく書けているけど、上の作品もこの作品もどうしても最後は理想論になってしまうのがもどかしく感じる。















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