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最近話してなくない?


だれが?
―――あなたとわたし。

そんな会話をして、お仕事おさめでした。明日からお仕事はじめです。しかたない。

いまは天城を越えているところです。紅白ですね。
天城の前は宇多田ヒカルがロンドンからうたっているのをみました。人工知能搭載の歌唱人形みたいでドキドキしました。宇多田さんは生きててくれるだけでいいなと思います。

かぜをひきました。
あたまがいたい……今年読んだ一番の作品をまだ書いていませんね。でも前にあげた日記をつけている方々の本三冊でいいような気がしてきました。

明けましておめでとう、はそこまで好きな言葉ではないけれど、よいお年を、はかえって好きすぎて色々な人に言いたくなります。よいお年を。

田中美穂『わたしの小さな古本屋』

本を読む、本を書く、その外側に本を売る、買う、貸す、借りる、出逢う、別れるなどがあって、本屋さんという経験は本屋さんでしかできないんだよなと思いました。読むのでも書くのでも図書館とも違う。うまくいえないですけどね。

人間と人間との純なやり取りだけではなくて、本の動きのなかに、なにかしら本の意思があるような気がするときもあります。(本屋さんのはなしね)
私たちが本を売ったり買ったりしているはずだけど、本が人を動かしているときもあるような……
そういうことを、この店主さんも感じているんだなっていうのが嬉しかったです。(これは本の感想ね)

本棚のなかに消えてしまいたい………………………………来年は、もっと頭のいい人になりたいです。あともっとワルくなる。

よいお年を。




知的不良!

絶対であって絶対ではない

今年読んでいちばんよかったで賞をきめようと思ってたんですけど先に最近読んだやつをあげていきますね

須藤佑実『ミッドナイトブルー』

短編集。絵がきれいです。あと青の二色刷がきれいです。お話は八割ほほえましく、二割せつない。夢で会う話が好き。あとナース。
表題作は宇多田さんの『二時間だけのバカンス』をなんとなく思い出します。



びっけ『ヤギくんとメイさん(1)』

郵便局を舞台としたお仕事もの。手紙好きには嬉しい漫画ですね。彼氏の話が好き。



濱田浩輔『パジャマな彼女。』

本屋さんで偶然足元にPOPが落下してきて存在を知ったのですが、まさか、今になって新装版が出るとは思いませんでした。書き下ろし読んで暗くなりました(ほめてます)。



きゆひこ『たそがれ、君に会いに行く』

BLですがBLだから買ったわけではなく筆談ものだから買いました。水槽の中と外で筆談するふたりのお話。他のお話が意外とせつないものが多くておお……となりました。にいみさんはかわいい



三木有『ぎなた式(1)』

予想よりずっと面白かったです。学園もののノリも、個人的には好き。あさひなぐより好きかも。


石田拓実『カカフカカ(1〜4)』

半年くらい前にちらっと読んでずっと忘れられなかったので買いました。許せないひとには許せない話なんだろうなと思います。このひとの漫画は、ぬわぬわ……と話が進んでいく雰囲気がよいと思います。ふわふわ、でもぬるぬる、でもなく、ぬわぬわ……。
トモくん、ドン引きしてしまった。大丈夫なのか?

あとこれってもしかしてだんだん脱げていく感じなのか(表紙)


ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜(4)』

これが出ると冬がきたのかと思います。一年に一冊しかでない。もうよくわかんなくなってきましたが冷川さんは可愛いので読みましょう。



河内遥『リクエストをよろしく(2)』

これもなんかわかんなくなってきました。波よ聞いてくれのほうが好きかな。



持田あき『初めて恋をした日に読む話』

不可もないですが可もない感じです。ちょっと幼いのがね。でも不可もないので次を待ちます。



『ミステリーボニータ1月号』

ふと読んだらキージャックが連載復活しててびっくりしました。うれしい。



CLAMP『カードキャプターさくら クリアカード編』

絵がCLAMPだ!と思いました。(※まえもCLAMPです)よりCLAMPになってました。今さら新連載って大丈夫なのかと思いましたがそんなにかわりなくてよかったです。とーやくんイケメンすぎる。


椎橋寛『東京季語譚訪』

季語が「みえる」お話。雰囲気とてもよいのですが主人公のシスコンぶりがすごいというほうが気になったりします。



水谷フーカ『Cl1/菜園モノクローム』

はじめが青の二色刷、こちらは緑の二色刷。緑の髪の毛をもつ男の子とそのまわりのお話。



有川浩『レインツリーの国』

少しずつですが読んでます。かけひきがすごいな……とちょっと引きながら読んでます。
言葉に熱をこめるのってこわいな、って思うんですが、私もそれをしているんだな、とも思う。

目的よりも、手段(言葉のやりとり)のほうに熱がこもってしまうのは危険なんだけど、そうなるのはしかないかな……とか。もっと素直にきゅんきゅんする話でしょうか。
でもあるよ、言葉をうまく投げ返すことのほうに酔ってしまっていること。


日記をつける女たちB存在したい透過したい

髪の毛をのばすために、カッターでめちゃくちゃに髪の毛を切っていました。めちゃくちゃ、慎重に、大胆に。

……夢です。日記をつける女たちそのさんです。

三冊目はこちら。

〈日記はどこか、未来の自分に宛てた手紙のようなところがある。〉

文月悠光『洗礼ダイアリー』


ふづき・ゆみ  というこのかた、一九九一年生まれ。私と同い年。職業は、詩人さんです。

これは十月くらいだったと思います。偶然みつけて偶然読みました。内容はみずみずしい(私がいうのもあれですが)言葉で綴られる二十四歳の女の子(私がいうのも略)の、背伸びしていない日々のできごと・思い出をつめこんだエッセイ。

みずみずしいけれど、たんたんとした、落ち着きのある端正な言葉。読み心地がさらさらしています。お水をのむようだ。
この表紙の、このままの空気です。挿画もありますが、文体とあっていてとても素敵な一冊になっている。さしこまれる箇所が、またよくわかっている。

エピソードのひとつひとつがとても具体的に書かれていて、どうしてこんな昨日のことのように覚えていられるのかと思いきや、文月さんは昔からずっと日記をつけているかたみたいです。

〈文字にすれば、どのような言葉も残り、日記の世界においては「本当」になるのだ。〉

(文月悠光『洗礼ダイアリー』「日記帳のわたしへ」より)


これはよい文学少女エッセイですので、ここで無駄に引用するよりは、一冊まるごと体感してみるのがいちばんよいと思います。私は「布団のドーム」が好き。あと山手線のやつ。

さて、あとがきにこんな一文があります。

〈富山のある旅館の宴会場で、歌人を志す学生たちが、歌について議論を交わしたり、じゃれ合ったり(?)の大宴会を催していた。私を含めて全員が学生短歌会(という短歌を作るサークル)に所属しており、この日は、プロの歌人たちとともに富山へ吟行に来ていた。〉

あっ、と思った。これは二〇一三年のことだとある。私は彼女と同い年なので、そのときは大学生だったのだが、そう、していたのだ。富山で。私は学生時代の一時期、ある大学の短歌会に籍を置かせてもらっていた。私はこの富山の合宿には参加しなかったのだが、同じサークルの人たちが行っていたのを覚えている。
彼女もそこにいたのだ。

そして、このあとがきはこう続く。

〈私は出たばかりの第二詩集を手に、浴衣姿の穂村弘さんと話していた。〉

(同上「あとがき」より)

ああ、と思った。あっ、ではなく、ああ。
ああ、違うのだ。

私はこの本を読んで、本のなかでは、同じだったのに。
本が好きで、言葉が好きで、日記をつけて、バイトが思うようにいかなくて、まわりの目が気になって、一九九一年に生まれて、本のとなりで寝て、同じだったのに。
違うんだ、と思った。

彼女は学生時代にもう二冊、本を出して、穂村弘の隣で話をしている。
ばかな失望だとわかっている。比べる意味がないのに、でも「あとがき」の中の彼女はあまりにも遠くにいた。
でも日記のなかでは、やはり同じままそこにいる。

でもあとがきを読むと、でも日記を読むと。
どうして嫉妬しているんだろう。嫉妬だよねこれ。

北村薫の「円紫さんシリーズ」の「私」に対する気持ちと似ている。私は、なりたかった私を彼女たちに見てしまいそうになるのだ。ばかなことに。

日記をのぞいてばかりの私は……もうどこかに消え去ってしまいたい。


学生のうちにもっと短歌つくりたかった。
その光景に、私も存在していたかった。






日記をつける女たちA愛されたくない選ばれたい

友人と流れるお寿司を食べに行きました。

「今日が普通だとするとこの前(の私)はこの辺(めちゃくちゃ下のほうをなでる)って感じだった」
「底辺?」
「底辺。こいつ本当にやばいなって」

と言われました。クリスマスしんでた……。

日記をつける女たちそのにです。
今回はこちら。


〈お〜い中学時代の私〜!/14年経っても一人で交換日記してるぞ〜!!〉

永田カビ『一人交換日記』


これはこれです(どれだ)

永田カビ『さびしすぎてレズ風俗へ行きましたレポ』


なんかpixiv(いんたーねっとのまんが・いらすととうこうさいと)にものすごいルポ漫画があがってるぞ!みたいな情報がまわってきて、読んでみるとものすごくやばくて(しかも当時まだ前半部分しか公開されておらず多くの読者がヤキモキもんどりうった)衝撃をうけた漫画の、作者さんの、新作ルポ漫画です。

『さびしすぎて〜』は、孤独や虚無感が限界を超えた独身女性漫画家(二十八歳)がレズ風俗へ行く……という、ルポ漫画…………なんかタイトルからして情報がね、過多なんですが、レズとか風俗とかは取っ払ってもよくて、ようは人の抱える孤独をとことんつきつめた傑作ノンフィクションなんです。
のちに本屋さんでめちゃくちゃ売れてました。

それで、pixivにはpixivコミックという無料で漫画の連載作品が読めるサイトがあるんですけど(※今はシステムが少し変わって、アプリをとらないと読めないものもあります)そこに永田さんの新作エッセイが連載され始めたんです、それが『一人交換日記』ですね。

前作は「さびしい」→「風俗いく」みたいな、ワンシーンを切り取った感じだったのが、今回は連載だからかわりと長いスパンで永田さんの日常を知ることができます。
引っ越したりデートしたり、色々ある。色々あるから色々考えてる。考えすぎてまるで哲学書だよ。

考えてる永田さんは微笑ましく痛々しく、心の動きが生々しくて読んでいる私まで追い詰められていく。サスペンスに近いかもしれない。

〈なんかもう/よくわからない。/まとめると、/悲しい。〉

私、この連載ずっとリアルタイムで読んでいたのですが一ヶ所、とても衝撃をうけた言葉があります。

〈やっぱり依存先を増やさなきゃいけないんだ…/「依存先を増やしてそれぞれの依存度が低くなった状態」/つまり自立!!!〉

(永田カビ『一人交換日記』「9通目」より)

まじか!?って思いました。まじでいってんのか!?って……。でも自分でも何がそこまで引っ掛かったのかうまく言えないんです。とりあえず「依存」というワードが引っ掛かったんだとは思う。

よりかかる人との関わりかたの名前が、「依存」だと私は思ってないんだろうと思う。日本語がへんですね。「依存」することが他者とのベストな関係性だとはとても思えない。
「関わる人を増やして、一ヶ所に固執しすぎない」という言い方ならもっとすんなり理解できたかもしれない。
私、依存をよいことだと思ってないんだなとこのまんがを読んで気づきました。
あと、私は依存するなら一人のひとだけにしたいと思うし、それほどの気持ちが「依存」なんじゃないかと思っている。こういうところがあれなんだよな……。

このことについて今日、ちがう視点から考えることができたんだけど今は忘れました。依存という言葉はあまり使いたくないけどよりかかれる場所はいくつか持っておいた方がベターではある、とかそういうことだったと思う。

依存はリスクが高いんです。だから、依存しないほうがいいよ、って感じで引っ掛かったんでしょう。
イは依存のイ!

はい。
この漫画は最終話で衝撃のラストをむかえます(pixivで読んだときすごく心配になった)。描かれていることの外側にこそ私たちの知らない大変な事実がある。それはとても、日記のもつ「らしさ」だな、と思います。描かれないところに絶望と弱さがあって、描かれなかったからそれは本当なんだなって思いました。永田さん死なないでね、と思うんですが、たぶん永田さんは死なないひとだと思います。未遂はこれからも幾度となくしそうだけど。

一人でかくれんぼしちゃいけないとか、夢を日記につけると気を病むとか、一人きりでしてはいけないことって意外とたくさんあって、一人で抱え込まなければ、なにもしなければ無事にすむことってたくさんあると思う。こんなに一人で考える必要って本当はないし、気にしない方がうまく生きていける…けど、一人で思うことが必要な人間もいる。誰かといるときでも。
早く交換日記の相手は見つかってほしいけど、彼女を支えて、見つめる、それがいちばん効果的にできる存在は、他ならぬ彼女自身でもある。


日記をつける女たち@傷つけられたい傷つけたい

本当に思っていること、願っていること、しようと考えていることを、打ち明けると、いつも誰からでも「あなたは危ない」と言われます。……おひさしぶりです。

むかし、好きだった人に告白したあと「大丈夫?死んだりしないよね?」って生死を心配されたことを今日ふと思い出したりしました。
……今年は特に、大丈夫? 危ないよ、ってたくさん、人から言われた年でした。告白はしていません。
私は自分が死ぬなんてこれっぽっちも思っていない(死にたいと思うことはよくあるけれど)のに、そんなに危ないよ、大丈夫?ばかり言われるから、もしかして突然死んでしまったりするのだろうか、と思ってしまう。私は本当に「あやうい」人間だと言えるのだろうか、そうだとは、私は必ずしも思わないのだけど……。

いつもと違う感じですか?
……そうでもないですか。

最近投げ遣りぎみです。
傷つきたい。傷つけられてみたい。傷つかずに傷つく方向へ自分を持っていってみたい。私の心なのに歯止めがきかなくなってきていて、でも傷つきたいのは他でもない私自身を防衛するため、みたいな。病んでますね。
でも元気なんですよ。元気は元気。本当なんだけどな……。



そういえばこれ読みました。表紙からばりばりきますね。

自分にとっての危険な読書、ってなんだろう。ね。こわい本なのか、内面を暴かれるような本なのか。優しすぎる本なのか。嫉妬してしまう本なのか。


この本のなかに人が幸せになるための方法が書かれていて、それはもうそれしか方法はないだろうというほど、完璧な答えではあるのだけど絶対に自分には成し遂げられない。とても危険で素敵な方法。その場面は初めて読んだときから今でもずっと、危険な読書体験として私の心をヒリヒリさせています。


ここまで前置きです。長いね。

今年が終わってしまう前にどうしても紹介したい本が三冊あって、それを書き留めておくために今回キーを打ち込んでいます。
三冊とも、揺らいでいる女性のエッセイです。
揺らいでいるとうのは例えばおのれの性だったり年齢だったり、理想と諦念とのはざまであったり、色々あるんですけど、とにかく不穏で不安定。

そんな彼女たちの共通点は〈日記をつけている〉ということ。

あやうい皆さんのエッセイだから今回は「あやうさ」について、長い前置きを書きました。

きちんと読んだものはきちんと感想を書きたいから読み終えてからも寝かせておくことが多いんですけど、だらだらしている間に年末がきてしまいましたね。ようやく紹介します。
今日は一冊だけです、おまたせ。

植本一子『かなわない』


これは新聞の書評に載っていたのを見て知りました。仕事中に見かけて、この本はなんだか良いかもしれないと根拠もなく思い、取りあげていいんじゃないかと、上の人に言ってみたところ……

「いらない。タバブックスってどこだよ」

……私ね、むちゃくちゃ腹が立って、じゃあ買ってやるよ!読んでやるよ!と思って自分で購入しちゃったんですよ。京都の丸善で。丸善かよ!って感じですけど……

だから四月くらいにおそらく読んで、もう八ヶ月ほど経ってしまっていますね。

植本さんのこと私は何も知らなくて、この本から得られた情報しかないのですが、

・カメラマン
・既婚者(夫はラッパー)
・以前、育児エッセイを出した。
・子どもは二人いる

という女性。

このひとは日々のことを日記に書き留めており、日記とみじかい散文を一冊にまとめたものがこちらの本です。

およそ三年ぶんの日記がとじられています。植本さんは女としても母としても揺らぎまくっていて、ぜんぜん完璧じゃない。ぜんぜん不安定。
育児に悩み、ご主人とは離婚したがっていて、夫とは別に恋人もいる。仕事も右往左往、母親との関係もあやうさをともなっていて、心身ともにぎりぎりの生活。
どこからでも読むことができて、どこから読んでも心がぐらつく、そんなエッセイになっている。

〈こんなことまで書き始めて。私は誰に何を知ってほしいと思っているのだろうか。〉

(植本一子『かなわない』「2014年」より)


私は植本さんとは感覚が違う。
はっきり違うな、と思うのは、例えば子どもがいるのに恋人もいるところ。何よりそれを正直に書いてしまうところ――だって夫の名前も、子どもの名前も出しているのに。
そして〈石田さんと結婚するには妊娠するしかないと思い妊娠にこぎつけたが〉――――こういうことを、隠さないところ。何もかも、隠していないところ。

違うけど、この日記は誰しもに〈ありうる〉ものだとも思う。夫がいて子どもがいて、好きな人がい……たとしても、私なら日記にそのことは書かない。書いたとしても公表しない。
でも結婚すればもう好きな人ができないか?と言われるとノーとは答えられない。
この人みたいに部屋で暴れたこと、好きな人とお風呂に入ったこと、母親とうまくいかないことを、私は本にしないだろう。日記は都合の悪いことは書かなくてもいいし、忘れたい思い出は残さない方がいい。でも残さないからといって、ないわけではない。私にだって植本さんの日常みたいなことはある。私でなくとも誰にでもある。みんななら隠してしまうことまで、この日記には良くも悪くもすべてが詰まっている。
私たちが言わないでいるだけのことを、この日記は臆せず言葉にしてくる。
だからこれを読む私たちは決してこの本に「かなわない」のだろうと、思うのだ。

〈書かなければ何も残らずに、全ていつか忘れてしまうのだろうかとも思った。/私はやっぱり、今年も書くかもしれない。そして書くことで誰かを、母を、傷つけるかもしれない。〉

(同上「2013年」より)


彼女は自分のことを守りながら多くのものを傷つけようとしているし、人を傷つけることで自分が傷つこうとしているし、自分が傷つくことで自分やまわりの何かを守ろうと必死になっている。
傷つける自分と傷つく自分には、とても嫌気がさしている……けど、それよりも上回る思いがあるんだろうなと思う。
それってなんなんだろうね。考えずに言うと自己愛なのかなと思うのですが、日記の中の言葉を借りるなら「孤独」や「甘え」なのだろうか。

〈「甘えるって何?」/彼の返事には少しの怒りがはらんでいるように思えた。/「甘えるって……しんどいとか、辛いとか、素直に言えることかな?」/私はそう思っていた。/「違うよ」/彼の目にはすでに怒りがあった。/「甘えるっていうのは、例えば好きな人からもらった指輪をめちゃくちゃにして捨てることだ」〉

(同上「誰そ彼」より)


傷つきたいとか、傷つけたいとか、ただめんどうな言いまわしをしているだけで、結局その対象にどうにかしてほしいだけなのかもしれない。それが甘えだというのは、その通りだと思う。この会話に植本さんは(読んでいる私も)ショックを受けているけど、たぶんこう言われたことも心のどこかでは嬉しかったんじゃないかと思ったりする。……私ならそう思う。

でもね、植本さんは偉いと思いますよ。ひとりで働いているし、子どもも育てているし、生活をしているし。私は子どももいないし結婚もしてないし、彼女にはかなわない。
そして彼女の望みは半永久的にかなわない。かなわないと、とりつかれているあいだはたぶんずっとかなわない。
でも「かなわない」ということが私たちを何よりも生かしていくのだと思う。かなえるためにとか、追いつくために、ではなくて永遠に手の届かない「かなわない」なにかを拠り所にして生きているのだ。彼女は……おそらく私も。



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