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箱には鍵をかけたまま


今日は途中からお仕事をさぼりました。
……いやいや、きちんと休みをとりました。
人生にはこういう時間も必要なんだ。

今日はある人と久しぶりに話をした。
このごろ人の気持ちに引きずられるようなことが多くて苦しいんだけど、自分からも歩み寄りすぎたのかもしれない。
助けてあげたいけど何もできないなーと思っていたけど、「介入しすぎることで心を閉ざしてしまうこともあるよ」って言われた。そっか。いつもはもっとうまくできるはずなんだけど、最近できない。引きずられるし、当事者のように思ってしまう。でもそれは違うんだよね。

その人から、「今いるところでは(心の)箱の鍵は、かけたままにしておこうね」とも言われた。箱を開ける場所を間違えないようにって。
そうなんだよな。
箱の中を知ってほしいけど、知られたら私は終わってしまうんだよな。だから開けないほうがいい場所ではそのままにしておきたい。その私も本物だし。

そういえばこの前職場で
「あなたの本性だって、本当のところはわからないものね」
と言われた。どきりとした。
本当はそうじゃない、本当はそうじゃない、を繰り返しながら生きているってやばい。
でもそれはみんな同じだと思う。

ここからはこのごろ読んだ本









↑こういう系のをいくつかよみ。



↑これよかったです。



桜木花道は、今の自分が確実にできることを確認してから試合に臨んでいると書いていてなるほどー。


通訳のイトがひたすらかっこいい。



「10人に相談したら12人から反対されました」っていう相談がツボすぎる。


思ってたよりは爽やかだった。ゴミしか出てこないけど。しかし、まどか一択なのになぜこうもうまくいかないの。


きょうだいのいちゃいちゃぶりにわりと引いたんですけど、普通あんなもんなのでしょうか。

おまけ(本以外)

中村獅童は悪い男を演じるのうまいなあ(そこかい)



お前いつまでaiko(しかも夏服)聴いてるの?って思わない?私は思う。
インタビューでaikoが『夏服』から17年経ったと答えてて驚きを隠せないのでまた聴き直してます。真夏というよりは季節の変わり目って感じ。



Shiggy jr 好きなんです。


話題:最近読んだ本

本なんてどうでもいいんです

どうもこんにちは。
いま何を書いても滅したいみたいな文章になるのであまり長くは書きませんが(滅しもしませんが)久しぶりに記します。

今日、水槽のある空間にいたんですがそこのおじさんが水色のコンパクトを取り出して「ベタ(魚)がね、これを見ると怒るんですよ」私に渡してきたんです。
「やってみますか」って。何をしろと。
「ベタは縄張り意識がすごいから、鏡に映った自分の姿でも敵だと思って怒るんです」
なぜ怒らせるの?と思いつつ、小さな水槽に水色の鏡をくっつけてみる。近寄ってくる青い魚。揺れる赤いひれ。
「たまには怒らせて、ひれを運動させてあげないといけないんです。美しいベタを僕は育てたい」
詩人だなあ。ベタは怒るとひれが、わーっと立つみたい。けれど私の鏡攻撃にはあまり怒りを露にしなかった。
「お見合いをさせるときもね、ついたてが要るほどなんですよ」

鏡を見て怒る。恋をするときも怒る。正確には、敵だと誤解して怒っているのだろうけど。
でも怒ったほうがより美しい姿になる。なんてこった。

私ね、最近他人に自分の姿を見てしまうんです。
頭ではわかっているんだけど、他人だと。でもその人(知人)の取る行動や至る思考が私と似ていることが多くて、だから理解できるし助けてあげられると思っていたんだけど想定より悪い方へ進んでしまった。
わかってあげられる(と思っている)のに見ていると自分のようで苦しくなる。でも自分と違うということも知るたび苦しくなる。
私のときは誰も気づかなかったのにとも思う。なんてこった。心が狭すぎ。

本なんてどうでもいいんです、と先日言ってしまった。本なんてどうでもいい。あなたに助けを求めているのに他人の言葉で私を救おうとするなんてひどい。なんてこった。私がよくとる方法なのに私はなんて勝手なことを思うのか。

「本なんてただの紙の束ですから」
っていうのは『金魚屋古書店』の名台詞でしたね。また本の言葉を借りてしまう。

芳崎せいむ『金魚屋古書店』

本なんてただの紙の束、と言ったあとに皆が口をあんぐりさせるのがミソだよね。普通の人は「そうだよねー」っていうはず。

田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』

主人公が、うちらは死んだんや、ってぽつりと思う場面が好きです。わかるような思い出が自分のなかにあります。
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