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詩とファンタジー

突然はじめます

本当は購読したいけど(心の)敷居が高くて買えない雑誌特集


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そして
詩とファンタジー


でも今回は買いました『詩とファンタジー』
特集「詩人になりたかった穂村弘」が決め手でした。
穂村さんの詩が五篇、有名なイラストレーターの絵と共に載せられているという豪華さ。


〈蝶は知らない/雪を/ローソンの店員は知らない/真夜中のコピー機に乗せられた詩を〉


(穂村弘「知らない」より一部抜粋)

自分で詩歌をうたう人や、読んで思いを乗せる人や、世の中のコンビニのコピー機には実は数えきれないほど誰かの詩や歌が刷り込まれているんでしょう。
私も真夜中コンビニにお世話になるような歌人になりたかった。

穂村さんってほむほむとか呼ばれていてふわふわメルヘンな世界を描いてはいるけど本当はものすごく切れるナイフみたいな部分を持っていて、人の言動の奥に潜む感情の揺らぎに敏感なのにひどく冷静にその深層をとらえている。

それなのに「知らない」という詩を書いてそれを読む私たちは知らないということすら知らずにいて、詩を読んではじめてそのことたちに意識を向ける。



でも穂村さんだけじゃなく本当は誰でも知っていて気づいていて心の中では何らかの評価を下していてそれを言ったり黙っていたりするだけで皆はきっと見た目よりずっと多くのことを判断していて
そういうのが耐えきれず恐ろしくて私は何もかも知らないふりを続けたくなります。(唐突)



詩というものに明るくはないのですが載っている他の詩も読みました。
たとえば短歌や俳句なら定型があるからある程度のテンポにのせて心に取り込むことができるのだけど、詩は最後の一行の最後の一文字までそのエネルギーや毒を持続させるのが大変そう。

構成のバランスにより精密さが求められるように思う。

この日記もたまに行間を空けたり画像をはさみこんだり普通の文章のルールからは外れることがあって、それはポエム的性質に寄りかかっているからなのだろうと思う。
ファンタジーを持つことによって飾りをつけて、その雰囲気に甘えている部分がある。


〈シモオン、お前の妹、雪は庭に眠ってゐる。/シモオン、お前は私の雪、さうして私の恋人。〉

(ルミ・ド・グウルモン「雪」より一部抜粋)

表紙の絵と共に載せられていた詩です。
これも素敵だった。雪を引き合いに出しているのに最後にまるで雪を殺してしまうようなところが。


まったく話が変わるけど
『詩とファンタジー』の対極にあるようなこの本が今読みたいです。
『アルピニズムと死』

端的なタイトルに背表紙を見るたびどきっとするんです。



話題:本の感想



















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