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紙の上の深海

最近読んだ本の話をします


〈普段はいい人なんだけど/戌飼さん絡むとしっとりとしてめんどくさいんだよね〜〉
磯谷友紀『海とドリトル』




磯谷ワールド今回の舞台は研究室でございます
なぜその台詞を引いたかというと一番印象に残ったからです。

【あらすじ】
大学生の七海は傷心旅行に訪れた富士山で、登山ではなくクジラの調査を目的にやってきた研究者の二人組と出会う。
好奇心から二人の活動に同行した七海は本物のクジラと遭遇し、海の生物が暮らす世界に魅せられる。
それから季節が巡って春、かの研究者二人が在籍するゼミを編入生として尋ねる七海の姿があった。


ひょんなことから海洋動物の世界、および研究ライフ、おまけで研究室ラブの沼に足を突っ込んでしまった七海嬢。
クジラのくだりだけで充分おもしろいんだからそんなに恋愛を全面に出さなくてもな〜と思うのですが、しかたないね。少女漫画だものね。
『本屋の森のあかり』は恋愛パートが話のメインとしてうまく機能していたのでよかったけどはたして今回はどうなるのだろう。急に好きになって急に展開してしまった!
でも磯谷さんの書くちょろい女子はリアリティがあるなとも思う。

進行としては戌飼さんが好きということになっているけれど、戌飼さんとの未来に幸せが見えてこない(暴言)。
それを傍観している先生のキャラがなかなかよくて、描写を見る限りなにかこれからひともんちゃくあるような……単純に戌飼さんと幸せになる話ではないと思う。
先生を見ていると『本屋の森のあかり』の緑くんを思い出します。だいぶマイルドな緑くん。

表紙かわいいですね。磯谷さんのカラーはあいかわらず素敵です。
なんとなく次の巻で終わってしまう気がしなくもない。終わってほしくない。


・ ・ ・


〈もっとも、日記とはそもそもそういうもので、理解できない部分が、いちばん重要なことでもある。〉

吉田篤弘『針がとぶ』


京都で買ってた本です。やっとちゃんと読みました。

【あらすじ】
親しくしてくれていた伯母が亡くなり、〈わたし(ユイ)〉は彼女の遺品整理を母から任される。伯母の持ち物の中に一枚だけあった真っ白なジャケットのレコードを再生すると、必ずB面の最後で針がとんだ。針がとぶその一瞬に〈わたし〉が感じとったものとは……。ばらばらのようでどこか繋がりあっている、七篇の不思議な短編集。

〈柚利子伯母さん〉の死から始まる冒頭の一篇は、喪失の話。淋しくはあるけど「さようなら」というよりは「グッドバイ」と軽やかに去っていく印象。
七篇のなかで最も丁寧に人物の心の動きが描かれていた。他の話はもっとふわふわ、というか、わかってもわからなくても、どちらでも。というような雰囲気を持っているのに対して、これはとても細かいところまで主人公の感情が綴られている。だからこそ〈針がとぶ〉瞬間が読んでいる私たちにとっても特別な、哀しい一瞬になる。
ようは七篇でこの話が一番好きです。ちょっと吉本ばななの『キッチン』と並べてみたい。どちらも喪失から語られる物語。

七つの話はシチュエーションも話の雰囲気も何もかもばらばらなんだけど、読んでいるとあっこの人はさっきの話に出てきた……とか、この言葉はあの話の……というふうにつながっている部分がある。それは見つけにくいささやかな箇所なんだけど、じーっと読んでいると最後できれいに収束するのだ。

七つといってもじつは大きく二つに分けることができて、ユイちゃん(とその周囲)パートとクロークパート。ユイちゃんパートが私は好き。というかそちらのほうが読みやすかった。

駐車場に「月面」・猫に「コクテン」と名付けたり、天使が常夜灯に恋をしたりそういうセンスがすごく好きです!

〈掌などに書き残したくらいでは何の役にも立たない。かならず、そこからこぼれ落ちているものがある。その、こぼれ落ちてしまったものの方にこそ何かが含まれていたのではないかということ。〉

七つのうちの一つの話、「少しだけ海の見えるところ 1990ー1995」より。

子どもの頃によく体験したことで、ビデオテープを持っていない(親が)ときに限って撮りたいものが出てくる現象があって、たとえば習い事の試合とかでとてもいい形で実力を発揮できたのに、そういう場面に限って記録に残っていなかったり、あとから見直すすべがなかったり。
日記にしても本当に何かが起きた日は何も書くことができなかったり、一番言いたいことを残しておけなかったり。

ここに存在しないものの中にそういう大切な記憶がたくさん混じっていたということは、ある。
ほんとーに大切なものは目に見えないって王子が言ってたけど、触れることも見ることもできないところに置いてきてしまったものはたくさんあると思う。
そんなことを思いました(まとめ)。


そういう「見えない」ものにはいくつかの種類があると思っていて、
『海とドリトル』のように「知らないから見えないもの」や、
『針がとぶ』のように「残せなかったから見えないもの」、
そして次にあげる作品のように
「記されていないから見えないもの」があると感じている。

・ ・ ・

〈僕らは気づかないふりをするのが得意だ。/気づくということは、自分の位置を確かめるということだからだ。〉

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』


なぜいまになって読んだかというと、いまからでも読んでおきたいと思ったのと、ミステリ小説なのかなと思っていたからです。

【あらすじ】
バレー部のキャプテン、桐島が部活をやめたらしい──。桐島の存在は、そんなに近くない。やめたからどうということでもない。けれど、登場人物それぞれの日常には確かな変化が訪れていく。青春群像劇。


話の核心にさらっとさわるので追記に書きます。



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甲子園に連れてって

前田さんが来ました。
前田さんというのは大学時代の友人です。友人。貴重な関係です。
この曖昧meな私が、臆することなく実名を出して紹介できる。そういう意味でも稀少な方です。

前田さんが来た日は休みで、一緒にうどんを食べたりお風呂に入ったりしました。
その次の日から仕事でした。今日やっと慌ただしい諸々が終わりました。疲れました。世間の人はいつも五連勤(なおかつそれ以上)していてすごいですね──話がそれました。
前田さんのことはまた改めて書こうと思います。前田さん教習がんばってね。

前田さんと別れた次の朝、台風が去って代わりにポストに一通の手紙が入っていました。ちゃんと読みました。もうすぐお返事したためます。

だいぶ久々に本を読みました。
長田弘『私の好きな孤独』

京都で買った本です。
好きだと感じる一節が沢山あって、栞では足りないので花の付箋を挟みながら読みました。付箋のなかに紛れて一枚だけ、叡山電鉄の乗車券が入っています。一乗寺駅の。
一乗寺から海を渡りこんな田舎にやって来て、この本も大変だなと思います。

エッセー集です。まとまりがないようであるテーマたち。

街角で見かける風景、何でもないような日常、群衆。色、音、形。
普段見過ごしている景色の中に本当は私たちの琴線に触れているはずの何かがあって、気づいてはいるけど表現として組み換える前に取りこぼしてしまう──という核心を見事に映し出して教えてくれる。そんな良質のエッセーでした。

例えば私は「地下鉄」という手段がどうしても苦手なのですが、存在としては嫌いではありません。でもこれだけ言っても何がどうなのかわからないでしょ。

〈誰もがいる。そして、誰もがいなくなる。プラットホームとは、そうした場所だ。/プラットホームでは、誰もが無口だ。ぽつんと立っている。(中略)
どんなに近く傍らに立っている人についても、どんな人なのか、たがいに知らない。どこでどんな日々をもつ人か、知ることもない。/プラットホームでは、誰もが誰に対しても、誰でもない人間なのだ。〉

(「駅で」より)

こういう文を読んだときに、だから苦手で、だから嫌いではないのかなと思ったりしました。感情を人の言葉に丸投げするわけではないけれど、知るよすがにしてみたい。

エッセーだけど所々掌編のようでもあり、一篇の詩のようでもあり。リアリティと浮遊感を背中あわせで持つ不思議な本でした。

あとこの本、最後が「青」についての話で終わるところがすごく好きです。すごく良い。

〈海の青さに、こころを染めたいときがある。「海を見にゆく」という言い方が好きだ。海の色を見に、海にゆく。〉

(「われらをめぐる青」より)

めっちゃ良くないですか。最後の一文もめっちゃ良いんですよ。ここには引かないけど。
読むと孤独になれます。よい意味で。
開くたび好きだと思うので逆に本を閉じてしまいます。そのうち慣れるでしょう。

さて漫画の話をします。これが書きたかったのにここまで何で遠回りしたのか。

甲子園に行きたくてそういう漫画を読んでいます。

河原和音『青空エール(1〜7)』

七巻まで読みました。

小野つばさは昔見た野球応援の光景に憧れて、経験がゼロにもかかわらず吹奏楽の名門・白翔高校に入学した。その入学式当日、つばさは山田という男子と出会う。
彼は野球部の選手として、甲子園を目指し白翔に来た一人だった……。

思ってたよりピュア路線だったし思ってたより本格的な吹奏楽ものでした。ついハルチカシリーズを思い出してしまう。
あと意外と展開が早くて驚きました。もう!? ってなったけどその引っ張りでかえって物語が良くなった感じ。
水島くんのほうが好きだけど水島くんにフラグは立ててほしくないです。

「どれだけ時間があっても結局ずっと好きなこと(部活)をしてると思うよ」というような台詞(意訳です)が印象的でした。

感情の推移が丁寧に描かれていてわかりやすいです。先が気になるよ〜
しかし現時点で十八巻まで出ています!(どうしよう)


ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』

一回戦が終わるところまで読みました。
はじめミハシくんのグズグズ加減にドン引きだったのですが途中からドラマチッチーーとーーめられそぉにーーないーー
という感じでした。ドキドキ止まらなかったです。
劇的ではなくギリッギリの攻防だからこそ緊張感がすごいです。ひとつ回が終わるたびに監督と一緒に「ふぅ〜〜ッ」となります。西浦のマネさんが可愛いです。
榛名さんと一回戦のピッチャー顔似てないですか。途中まで同じ人だと思ってました。そういえば昔アニメ見たときも同じこと思ってたのも思い出しました。(内容忘れてた)
余談ですが、おお振りのアニメが地上波でかかってたクールって傑作ぞろいで、とくに
・おおきく振りかぶって
・鋼鉄三国志
・ワールド・デストラクション
この三作品に関しては「三大気弱主人公」と心のなかで枠組みを作っていました。どの作品も好きでした。ワールドデス以下略以外のふたつは大きいお姉さん向けでした。ワールドデス以下略は叩かれもするけどめちゃんこ面白かってんで。
ちなみに同じ時期に『隠の王』もかかってましたね。アニメの独特な色使いとOPが大好きでした。しゃーらーーっ
ピンクのお兄さんの回が好きです。

話がそれました。

おまけです、私の好きなやきう漫画。

冨樫義博『レベルE』

いや、思えば第一話から野球漫画だったよね……?
あの地方大会決勝の話たいへん好きです。ふざけてるけどきちんと青春ものとしてしめてるし。

江口寿『すすめ!パイレーツ』

真おにいちゃんの完全試合の話が好きでした。あれもわりとシリアスやったやん!

青山剛昌『四番サード』

「甲子園に連れてって!」ときたら私のなかではこの作品!


南波あつこ『太陽は君に輝く』

女子マネさんの話です。
南波さん出てきたときあまりの絵の可愛さにみんな衝撃を受けたんですよ〜〜ほんとに!

三浦衛里子『高校球児ザワさん』

都澤理紗(ザワさん)は高校球児。……女子の。
はっきり言いますザワさんは傑作なのでぜひ読みましょう。面白くて切なくなります。傑作です。

「ザワさん」のイントネーションが私、たぶん間違ってる(キャラバンと同じ発音で呼んでたけどおそらく尼さんのほう)。


最近あんまり本買ってなかったけどまたこうして本の話ができてよかったね。
私、本屋に入った瞬間にそれまで欲しいと思っていた全ての本を失ってしまうんです。
あれが欲しい、こんなのが読みたいと決めて来たはずなのに棚の前に立ったときに何もかもわからなくなってしまう。


〈古本屋というのは、ふしぎなのだ。こんな本が欲しい。そう決めて探しにゆくと、だめなのだ。まず見つからない。〉

(長田弘『私の好きな孤独』から「古くて新しい」より引用)

古本屋だけじゃない。実体としての本屋というのは、そういう所のようだ。
本屋に長くいるとつらくなってくる。本当に欲しかったものって何だったんだろう、こんなにいて、どうしてわからないんだろう。早く帰ればいいのに。でも帰りたくない。見つけてから帰りたい。

本と人との間にもコミュニケーション能力は試されている。




最近読んだ漫画

ウェンディーを探せ!

・十三歳

久しぶりに映画を観ました。
『魔女の宅急便』



小豆島で撮影が行われていたらしく、途中で普通にジャンボフェリーが出てきて笑いました。
セットや衣装はレトロな雰囲気になっていて、女子学生たちが着ていた赤い制服が可愛かったです。小豆島が城崎みたいだった。
作中に出てくる島の地図はそのまま小豆島の地形でした。そして瀬戸内海はやっぱりいいもんです。

映像は特撮ばりにCGが使用されていて、カバちゃんがやや怖かったです。カバちゃんのイラストはやる気がまるでなくて可愛かったです。
キキちゃんは野暮ったい感じがそれはそれで良いと思いました。白い部屋着で出歩く場面が多数登場するんですがあれ下着なんじゃ……アニメではずっと下着だと思っていたんだけど……

タカミ・カラさんのエピソードは無理に入れなくてもよかったのでは。わろたで。

折れたほうきをメッキで直してくれるところと、フクオさん(パン屋の主人)が熱唱しながらほうきに乗るところ、魔法が使えなくなって自転車の練習をするところ、が好きです。
あと、魔女だからこそのお届けものとして「普通の手紙」かと思いきや実は「呪いの手紙」でしたと明かされるところがあって、なかなかトリッキーだと思いました。


・二十四歳

「信頼してないけど応援はしてる」というようなことを言ったのですがけっこう残酷な言葉かなと後から思いました。どう思いますか。(きくなよ)


・十四歳

アンチヒロイン体質とでもいうのか、素直にひたむきになれない女の子というのがたまにいます。
逆に正統派ヒロイン体質のひたすらまぶしい子もいて、アンチヒロインの子が「あのひと(正統派の子)と私は違うんです」って言っていて、その気持ちはわからないこともないけど、違っていることと後ろを向いて出来ませんって言うこととは別なんやでと思いつつあまりうまい言葉が見つけられませんでした。
それが諦めてもいいようなことならがんばらなくてもいいよって言えるけど、そこは諦めても突き放してもだめな段階だったので悩みました。
それにたぶん、言ってもわからないだろうなと思いました。その子が悪いということじゃなくて、他人から言われてすぐにわかるようなことじゃないと思う。自分で実感してやっとじわじわ浸透してくること。

書いてて自分もすごくダメージを受けました。


・二十五歳

aikoのライブDVDも観ました。

『有楽町で逢いましょう〜Love Like Pop Vol.6〜』


冒頭からaiko泣いてて、
「なんか〜今回のライブではめっちゃ色んな人に迷惑かけたし〜でももう二十五歳やし〜グスッ、なんか、かっこよく『じゃねっ』とか言って退場しようとか思っててんけど〜、」
とぜんぜん二十五歳の風格じゃないし、可愛げはあるけどブスだし(未来比)、ジーパンだぼだぼだし、髪バサバサだし顔パンパンだし(未来比)、aikoやべえな……となりました。歌はうまい。
aikoも二十五歳のときはこんな感じだし(歌はうまい)もっと力抜いていいかなと思いました。ありがとうaiko。
マル秘映像があるんですがそこにたどり着くまでにクイズに答えなくてはいけなくて楽しいけど腹立ちました。そしてたどり着けませんでした。ごめんねaiko。



・年齢不詳

今日の夢は
・アクセル踏み切って転落
・明晰夢のように思えるけど夢のなかで新しい知識を手に入れたから夢じゃないんだろうなと判断したもののやっぱり夢でした

という苦痛のパーティーでした。
だいたいの内容が昨夜に読んだ『怪物王女』に起因しています。


アニメは旧版のほうが好きです



エム

しにたい。

しにたくないけどいきていたくないのよ
と思いながら書いてたら充電が無くなって、死はこんなにも不意にやってくるのだと実感した。

〈ガーベラの首を両手で持ちあげておまえ一番好きなのは誰〉

俵万智『サラダ記念日』より



本屋にこの本があって、帯に引用されていたのが
〈万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい花いちもんめ〉
という一首で、それだけなのに何だかショックを受けてしまった。感銘とはまた違った感情で、
〈君がほしいと言われたことがない〉というほうの衝撃だった。

サラダ記念日は飛び石をぽんぽん跳ねていくような素敵な歌で、私も私のくらしを追求していけばいつか日常にそんな鮮やかな発見があるかもしれない、とどこかで期待していたかったのだけど。
〈万智ちゃんがほしい〉と言われたことのある万智ちゃんと私ではあまりに前提が違う。

……帯の一文からここまで思考が飛ぶのだ。


小説と短歌の世界は近くにありて似ないもの。
小説を書く作業はつまるところ己の孤独をつきつめていくことだけど、歌はどこかにその歌を宛てる誰かの存在があったほうが詠みやすい気がする。内容にもよるけれど、小説執筆よりも相対的。
小説は逆に制作過程のどこかで他者を排除するような気がする。偏見だよそれ。

創作という点に関してはフィードバックのあり方の違いも大きい。短歌は歌を発表すれば必ず何かしらの反応が返される。歌会がその最たる機会だと思うけど、ひとつの歌があればその場に居合わせた人はその一首に対して、みな何かしらの感想や、推察や、論理を持って、持つだけではなくて、それをぶつける。
小説は……反応が返されることもあれば、全くなにもないこともある。無くても、それそこ孤独に書き続けても許される世界というか。これも偏見だろうか。

そしてこれは本当に偏見が入るけど、学生の活動に関してのこと。
小説は基本的に匿名で、顔が出ることはあまりない。写真を撮っても内輪だけのものになることが多い。内側へのベクトルが大きい。
対して短歌は実名を出すことも、写真を出すこともそれほどいとわない。結社とかもあるしけっこう他者ありきの活動が多くて、個人だけではなく団体活動としてのウエイトも大きい(と思う)。何より恋人がいる人が多かったし、恋をしている人も多かった。というか、好きという感情をみんなけっこうオープンにしていた(ように思う)。外側を巻き込んでの内側。……?

石が飛んできそうですね。

さて、そんな背景の違いがあるからこそ、住みやすい属性みたいなものも知らず私たちの中に潜在しているのでは、と思った。
〈万智ちゃんがほしい〉という日常を持つ万智ちゃんはそれこそ短歌の人。

帯の一文からどこまで思考が飛んでんだ。


でも途中で考え方が変わる。
〈万智ちゃんがほしい〉という文のパンチが強すぎて目がいってなかったけれど、結句の〈花いちもんめ〉という部分。
ここを考えるとこの一首は、満たされているというよりむしろ孤独な一首なのかもしれない。

〈万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい花いちもんめ〉

言葉を素直に受けとると

〇〇〇〇〇〈万智ちゃんがほしい〉

●●●●●〈万智ちゃんはあげない〉

というフォーメーションで事態は進んでいるはず。

縁談が決裂して、それまでと変わりない誰かと歩幅を合わせて肩を組んでいたとしても、〈万智ちゃんがほしい〉と、パーンと告げてくれる声のほうに心はひかれている。自分を求めてくれる誰かを待っているのに、だからといって期待にそって進んでいくわけではない。
そう考えると、これはけっこうリアルな歌で、私の予測よりもはるかに近いところから誰と一緒でもなくひとりの心で〈万智ちゃん〉はこの歌を詠んだのかもしれない。

花いちもんめは何の例えなのか、はたまたそうでないのか、ということはあまり大きな問題ではない。

ただ、〈心だけついていきたい〉はちょっとあざとい。それをばらしてしまうところもかなりあざとい。
それが肝なんだけど。

〈万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい〉の流れがあまりに強い、そう思いませんか。とてもしたたか。
そういうところで〈万智ちゃん〉が近いなんて幻想は弾きとばされて彼女は彼方。


……めんどうくさいでしょ。
書いてて気持ち悪くなってきた。




今日の夢は
・中学生になる
・多部未華子、いちごのワンピースでいちごスイーツのお店にいく。(ただし定休日)
・学生の間に宮沢賢治記念館には行っとくべし!という雑誌の見出し。

の三本立てでした。岩手か……。

さわ、よわ、サラダ。

★ ★ ★

茶話がわりにどうぞ


「新幹線に顔が付いてるキャラクター」の名前を尋ねられる。

……?


ぱっと浮かんだのはこれ。
いま調べて知ったけどこの子シンカンセンっていうの……そのままなの……
でもテレビに出てるとのことでたぶんこの子ではないみたい。

次にたどり着いたのは

シンカリオンくん。(今日初めて知った)
これは近いのでは!

……ところがもっと「かわいい」らしい。えっじゃあやっぱりシンカンセンなのか?

さらに「かわいくてカラフル」とのこと。
……??新幹線??(混乱)


落ち着け!顔がない!!


顔はあるけど新幹線ではなく機関車だと思う!


?????


……あっ。
あっあっ。




☆ ☆ ☆


夜話のおともにこんな歌

「もっと話そうよ目前の明日の事も」って言うのが宇多田さんち
「誰か楽しい話を聞かせて」と投げるのがゲスの乙女さんち
「少し話をしよう今日が終わるその前に」と声をかけるのが持田さんち
「じゃあ無言のままでもいいこのまま途絶えないならいいたまに聞こえてくるのなら息遣いや大きな溜め息でもいい」と張り詰めているのがaikoさんち
「ことばを手にした我等は果たして青き賢者か」?と問い始める東京事変さんち。

……「この味がいいね」と君に言われているのが俵さんち。歌詞のなかにそれを突然放り込むのが私。

うちのサラダボウルは空っぽです。



★ ★ ★

ジャンプのはなし

こっちのサラダもなかなか熱かったですね。
最近毎週ジャンプ買ってる(ちゃんと買ってる)んです。
このごろ一時期よりはだいぶ面白くなってきてるよ。
雑感をかくよ。掲載順はうろ覚えだよ。


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