話題:バレンタイン

「義理チョコはあるのに人情チョコがない不思議になぜ皆は気づかないのかナ…」

そんな事をブツブツと呟きながら《敷布団コタロー君》はバレンタインムードに染まる街をひた歩いていました。

さて、冒頭のたった三行の台詞で判るように、コタロー君は天下御免の中学二年生だと云うのに全くモテません。

「どうして僕はこんなにモテないのかナ?」

シャツの裾もしっかりと片方だけズボンの中に入れているし、スニーカーの紐もカッコよく半分だけわざと解いている。なのにモテない。

「“恋愛小説”と云うのはつまり、ジャンル的にはSFになるんだろうナ」

ああ、せめて、こんな風にブツブツ呟きながら歩くのをやめれば、彼とてもう少しモテそうなものを…。

「今朝の寝癖は、ちょっとミラノ大聖堂っぽくてお気に入りなんだナ」

とまあ、今日も今日とてこんな調子ですから、どうやら今年のバレンタインもチョコは望み薄のようです。

ところが…

コタロー君が町で一番カッコいいと思っている電信柱に差し掛かった時の事です。電柱の陰から学園で一番のふにふに系女子である《爪楊枝モモコ》さんが不意に姿を現したものですから、コタロー君はビックリ仰天してしまいました。

あまりにも驚いたせいで、コタロー君の寝癖はミラノ大聖堂からタージマハール廟へと変化してしまったくらいです。

すると、「ナマステ」、コタロー君の頭を見たニコールさんが云いました。

「ナマステって…ナマコステーションの事かナ?」。コタロー君が更にモテなくなるような返事を返します。返事を返す。見事な意味の重複です。

モモコさんは、ニコールキッドマンと金平糖を足して2で割ってお湯を掛けて風邪を引いたような難解な数式を持つ素敵な女の子です。そんな子が『恋愛はSFだ』と言い切るコタロー君にいったい何の用があると云うのでしょう?

「えっと…何かナ?」

すると、モモコさんは“いかにもチョコが入っていそうな小箱”をコタロー君に差し出したのです。

しかし、金輪際チョコなど貰った経験のないコタロー君。にわかにはピンと来ません。

「その箱は…パンドラの匣?それともビックリ箱?まさか、目安箱…いや、百葉箱…アンケート箱じゃなさそうだけド」

「チョコだよ」

ガビーン!です。

まさかまさかのマッカーサー総督。

「えっ、本当にチョコなノ?」

「本当にチョコだよ」

この瞬間、コタロー君にとって恋愛小説のジャンルはSFからノンフィクションへと変わり、同時に寝癖もタージマハール廟からアンコールワット遺跡へと変化しました。どうやら少しずつ寝癖も日本に近づいて来ているようです。

「でも…義理チョコでしョ?」

ああ、もう!折角のチョコ、素直に喜んで受け取れば良いものを…例えそれが99%義理チョコだと判っていても。そう、コタロー君はいつも一言多いのです。

ところが、なんとモモコさんはコタロー君の言葉に対して全く意気消沈する様子もなく笑いながら「ううん、義理チョコじゃないよ」と云いました。

「えっ、義理チョコじゃないノ?」

「違うよ。義理チョコでも人情チョコでもないし、麦チョコでも義務チョコでもないよ」

「人情チョコってあるノ?」

「あるよ」

コタロー君は、人情チョコが無いと信じ込んでいた自分が少し恥ずかしくなりました。

「他にもね、敢えて恋敵と一緒にチョコを共同製作して渡す“呉越同舟チョコ”なんていうのもあるわよ♪」

ガビーン!
どうやら世界はコタロー君の遥か先を行っているようです。そして…一緒に共同製作する…またしても意味の重複が炸裂しました。

「チョコって色々あるんだネ。ちいっとも知らなかっタ」

しかし、コタロー君は白木屋の店員ではありませんから喜んでばかりもいられません。問題はこのチョコの種類が何か?という事です。

「まさか本命チョコだとは思わないけど…このチョコって何チョコなノ?」

モモコさんは優しい顔で云いました。

「これはね…」

「これハ?」

「これは…“生類憐れみのチョコ”だよ」

生類憐れみのチョコ!

江戸時代に時の将軍が発令した“生類憐れみの令”がチョコとして復活していたとは!

「じゃ、私帰るね。バイバイ」

役割を終えたモモコさんは、さっさと帰ってしまいました。

その時でした…

「ようやく見つけましたぞ」

上の方から声がしたので見上げると、電信柱のバケツ型変圧器に座る忍者の姿がありました。

あっ!と思う間もなく、忍者は軽やかな身のこなしでシュタッと電柱から飛び降り、コタロー君の腕をギュッと掴みながらこう云ったのでした。

「さ、さ、早く戻りましょうぞ…我らが時代に」

コタロー君には何が何やらチンプンカンプンです。

「どういう事ですカ?」

「貴方様は次の将軍…つまり、江戸幕府第5代将軍となられる筈のお方…それがひょんな事から、姿形や名前を変えられ、この時代、いわゆる未来へとタイムリープさせられてしまったので御座る。恐らくは、世継ぎ争いのライバルの仕業によって」

よく晴れたバレンタインの日に空から忍者が降ってくる。青天の霹靂とはまさにこの事です。

「て事は、僕は本当は…徳川綱吉?」

「その通りで御座る。しかし、拙者が来たからにはもう大丈夫」

「で、あなたは誰?」

「江戸お庭番衆頭目、服部0・5蔵で御座る。さ、元の時代へ早く戻りましょうぞ」

「ちょ、ちょっと待ってくださイ。いま僕が消えたら家族や友達が心配してしまウ…」

「それは大丈夫で御座る。歴史の修正能力により、敷布団コタローなる人物は初めから存在しなかった事になるかと」

「なら、OKでース♪」

そうして二人は江戸時代へと戻って行きました。

しかし…

二人は肝心な事をすっかり忘れていました。そう、それは…コタロー君がモモコさんに貰った“生類憐れみのチョコ”を持ったまま江戸時代に戻ってしまった事です。あの時代には存在しなかった筈のチョコを二人が時代を超えてテイクアウトしてしまった為に、その後の歴史はグダグタな物へと変更されてしまいました。

例えば、新しい歴史ではゴディバが日本の老舗チョコメーカーとなっていたり等々。

しかし、元の歴史を覚えている者は一人も居ませんから、特に問題はありません。

そして、徳川綱吉として無事に第5代将軍の座についたコタロー君は、生涯で貰った唯一のチョコと次第に薄れゆく未来の思い出、そしてモモコさんの笑顔に万感の想いを込め、世の中に“生類憐れみの令”を発したのでした…。

それにしても不思議なのは…

モモコさんに貰った“生類憐れみのチョコ”が無ければ、コタロー君つまり徳川綱吉が“生類憐れみの令”を発する事はなかったでしょう。

ところが…

徳川綱吉が“生類憐れみの令”を発したという歴史が無ければ、モモコさんが“生類憐れみのチョコ”をコタロー君にプレゼントする事もなかったはず。

卵が先か、オムライスが先か

答えは卵。当たり前です。

しかし、“生類憐れみの令”が先か、“生類憐れみのチョコ”が先か…この奇妙な歴史のパラドックスには、どうやら誰も答えられそうにありません…。

《終わり》。


ああ、予想外の長さに(/▽\)♪