本日のフェイド・アウト。


話題:とりあえず、言わせて


俳優の筧利夫さんをカケイトシオと仮名で書いた後、苗字と名前の頭文字を入れ換えると…トケイカシオ、つまり【時計 CASIO】になるという暗号的発見をしたものの…

――――――

フェイド・アウトと言えば…

一昔前、仕事や飲み会などの会合で自分だけ一足早く帰る時に『すみません、自分、ここでドロンさせて貰います』と言ったものですが…最近、そういう言い方をする人は殆んど居ないような気がします。

まあ、昔はそれだけ日本に忍者が数多く居たと、或いはそういう事なのかも知れません。

という事で、本日はこの辺でドロンさせて頂きます♪

〜おしまひ〜。




余裕の織姫、楽勝と彦星。


話題:七夕


さて本日は、日本全国津々浦々の笹マニアと短冊フェチが待ちに待った【七夕祭り】でした。

言う迄もなく【七夕】は、織姫と彦星が一年に一度の逢瀬を叶える日。年に一日しか逢えない恋人。【七夕】は願いの叶う日であると共に、切なさの代名詞でもあります。

しかし、どうでしょう?果たして【七夕】は、我々、人類が考えているような切ない日なのでしょうか?

「一年に一度しか逢えない」と聞くと、如何にも切ないようですが、歳を取れば取るほど一年の過ぎるのが早いのもまた大概の事実。思うに織姫と彦星は、二人ともかなりの歳である事は恐らく間違いないでしょう。

つまり、この二人からしたら一年など“あっという間”。故に、毎年七月七日しか逢えないとしても当人たちは“つい昨日逢ったばかりのような感覚”なのでは無かろうか、と推測出来る訳です。

もし、織姫と彦星が蝉だったら、これは切ないです。蝉にとっての一年は、“永遠”という言葉に置き換えても良いでしょう。こうなると、もう観念の世界です。

しかし、もしかしたら不老不死かも知れない織姫と彦星からすれば、一年など刹那に等しいのかも知れません。

そう考えると【七夕】は少しも切なくはない。けれども、そんな事を考えている私は存在として少し切ない。恐らくはそういう事なのでしょう…。


〜おしまい〜。



再放送の女王。


話題:詩人の一行日記

フ〇テレビの昼間は明らかに【ランチの女王】の再放送に頼り過ぎな気が…。

★★★

*【ランチの女王】を【王様のレストラン】に代えても可。(* ^ー゜)ノ



人生でうっかり呑み込んでしまったスイカの種の数を私は知らない。


話題:超どうでもいいこと



陽射しや空気の薫りに初夏を感じるようになって来ました。

「昼間、縁側に腰かけて西瓜(スイカ)を食べたくなる」のが夏の始まり。あくまで個人的な気分のお話。言うなれば心の夏、その訪れです。恐らくは幼い頃からそうして来たせいで、そんな情緒が私の中で育まれたのでしょう。

スイカの大きさは、8分の1ぐらいの半円形大きめカットの物が良い感じ。それを豪快にかぶりつき、種を口から庭に向けてマシンガンのように発射するのが“最も絵になる縁側におけるスイカの食べ方”だという気がします。

また、その際に、塀の上を歩く猫と風に揺れる風鈴、その二つの存在があると、より一層、夏の情緒を味わう事が出来るでしょう。

では最後に、良いスイカの見分け方をお教えしておきましょう。

見分けるポイントはズバリ、スイカを叩いた時の音にあります。

スイカを外側からコンコンと叩いた時、内側からもコンコンと叩き返してくるスイカ…更にコンコン叩くと「入ってまーす」と返事をしてくるスイカ…それが中味の詰まった美味なるスイカです。


〜おしまひ〜。


時代は回るが回さない。


話題:なんとなく*


最近、何となく思った事。

『チャンネルを回す』。そんな言い回しを耳にする機会が本当に減ったなあと。統計を取った訳ではないけれども、昔は『チャンネルを回す』と『チャンネルを変える』、この二つの言い方は半々ぐらいに出現していたような気がします。

まあ、今のテレビはチャンネルを回さないタイプの物が殆んどなので、そういう事物の変化に伴って表現が変わってくるのは当然と言えば当然なのですが。

昔は、例えば、6チャンネルと12チャンネルとか4チャンネルと10チャンネルはとても遠い距離にあり、変えるのがちょっと面倒臭かった…。早く変えようと勢いよくチャンネルを回すと、チャンネルのダイヤルがもげて芯棒がむき出しになったりして。

仕方なく、芯棒を工具のペンチで摘まんでダイヤルを回しチャンネルを変える…そんな感じで一時期、テレビの前にペンチが備え付けられていた事もありました。意外とこういう(ペンチが大活躍していた)家庭は多かったようです。

“回す”と言えば、電話もそう。かつては『ダイヤルを回す』と当たり前のように言っていたのが、今はほぼ言わない気がします。ま、今の電話はクラシックモデルとかでない限りダイヤル自体ありませんからね。

そう考えて行くと、昭和は《回す時代》と呼べるかも知れません。流行歌の歌詞にも『ダイヤル回して手をとめた』(小林明子さんの【恋におちて】)なんていうのがありましたし。やがて、それが《押す時代》へと移り、現在は《触れる(タッチ)時代》に。

これから先は果たして《何の時代》になるのでしょうか?

〜おしまひ〜。





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