話題:ふと思ったこと


【シェフの気まぐれサラダ】。

小洒落た洋食屋などでたまに見かけるメニューですが、何とも言えない魅力がそこにはあるような気がします。

言葉上で見れば「シェフ」が起点となり「気まぐれ」を経て「サラダ」へと到達する流れ。まるで、何処へ辿り着くのか判らないミステリートレインのような趣(おもむき)です。

しかし、現実問題として、本当に“気まぐれ”で作っているシェフは、ほぼ皆無でしょう。むしろ逆に“気まぐれ”と銘打ちながら、実はかなり入念に考え込まれ、きちんと下ごしらえされている。それが証拠に、かつて何度か複数人で同時に【シェフの気まぐれサラダ】を注文した事があるのですが、出て来た物は、きっちりと図ったように盛り付けも全て同じサラダでした。

【シェフの気まぐれサラダ】は決して気まぐれで作られてはいない。看板に偽り有り。これはいけません。

【シェフの気まぐれ風サラダ】ならばギリギリOK。更に【シェフ風の人の手作り風気まぐれ風サラダ風ー品】としておけば万全でしょう。

が…

それもこれも含めて、全てがシェフの気まぐれだという場合も考えられます。全員に同じサラダを出したのも完全なるシェフの気まぐれ。

やはり【シェフの気まぐれサラダ】は【シェフの気まぐれサラダ】のままで良いのでしょう。

また、「気まぐれ」の魅力を引き立たせるという部分において、「シェフ」と「サラダ」という二つの言葉の存在も大きいように思います。

もしも「シェフ」と「サラダ」の代わりに別の言葉が入ったら…

【パイロットの気まぐれ飛行】

【気象予報士の気まぐれ天気予報】

【坊さんの気まぐれ読経】

【国会の気まぐれ解散】

【研修医の気まぐれ外科手術】

ろくなものではありませんね。

〜おしまひ〜。