話題:連載創作小説
破格の申し出を固辞する店主。しかし彼女は、それを受けて尚且つ、いささかの躊躇いもないように云い放った。
「お気持ちは判りました。しかし、それでも私の提案は変わりません。これは修理代というよりは資格の問題なのです。貴方にはこのピアノを所有資格がある。私はそう判断したのです」
「ですが…私はご覧の通り、しがない一人の楽器職人に過ぎません。弟子も居ない。そんな私にこのピアノが相応しいとはとても思えない。勿論、修理はします。楽器職人としての誇りにかけて。しかし、私の仕事はそこまでです」
店主は店主で食い下がる。が、老貴婦人も退き下がる気配を全く見せない。それはまるで、二つの強い高気圧が真っ正面からぶつかり合う不思議な天気図のようでもあった。
どちらの圧力が強いか。強い方が相手を圧しきる事が出来る。そして二人の場合は僅かながら老婦人の気圧の高さが優っていた。
「それは重々承知しています。だからこそ、貴方にこのピアノを託したいのです。このピアノは、楽器を大切にし、音楽を愛する者の手によって受け継がれていかなければならなりません。そういう約束なのです」
唐突に出てきた“約束”という言葉に店主が反応する。
「…約束ですか?」
「そうです。今からおよそ百三十年前、当時の当家の主とこのピアノの持ち主との間で交わされた約束です」
「楽器を大切にし音楽を愛する事が、このピアノを所有する唯一の資格である…そういう事ですか?」
「その通りです。実際、当家はこれまでそのようにしてこのピアノを守り続けて来ました。しかし…」
彼女はそこで一度話すのを止め、息を深く一つ吐いた後、話の先を続けた。
「残念な事ですが…先の戦争(第二次世界対戦)の混乱でこのピアノは一度所在不明となってしまったのです。どうにか再びその所在を掴み、取り戻したのが昨年。ですが、ご覧の通り、ピアノは激しく壊れていました。何とかしてこのピアノを元通りの美しい姿にと私たちは強く願いました。しかし、現在の当家は斜陽の一途を辿っています。借財は膨らみ、それに連れてよからぬ者達の出入りも増えて来ました。このままでは、このピアノが今後がとても不安です。それはつまり、もはや当家にはこのピアノを所有する資格がないという事です」
「その約束は、そこまでして守られるべきものなのでしょうか?」
「私はそう考えています。約束は守られなければならない」
二人の間に一時の沈黙が訪れる。それを最初に破ったのは楽器職人の方だった。
《続きは追記からどうぞ♪》
「そこまでして約束を守らしめるもの…それは“貴族の誇り”のようなものでしょうか?」
「判りません。…が、もしそうであるならば…その“貴族の誇り”を貴方の“楽器職人の誇り”に託したい。それが私の願いです」
その声は抑揚を抑えた静かなものだが、そこには有無を云わせぬ力強さがあった。
楽器職人はしばらく難しい顔をしながら腕を組んで考えていたが、やがて、その腕をほどくと老貴婦人の目を真っ直ぐに見据えて云った。
「…根負けしました。どこまで出来るのかは判りませんが、この話お引き受けさせて頂きます」
老貴婦人の表情に安堵の色が浮かぶ。
「お引き受け下さって有り難う。…修理が終わった時、もしも当家がこのピアノを守れる状況であるならば、その時は引き取りに参ります」
その言葉に店主が頷く。
「ですが、もしもそういう状況でなかったならば…」
「はい。その時は私が責任を持ってこのピアノをお預かりします。そして、それが出来なくなった時には、同じように、楽器を大切にし音楽を愛する者の手にこのピアノを委ねるつもりです」
「それを聞いて安心しました」
そう云うと老貴婦人は、ようやく心の荷を下ろしたかのような安らかな表情を見せた。極めて気丈に振る舞ってはいたが、ここ数年は精神的にもかなり追い込まれていたに違いない。店主はそう思った。
「それでは、私どもはこれで失礼させて頂きます…」
彼女は最後に、片足をもう一方の足の後ろに置く貴族式のやり方で、敬々しく別れの挨拶をした。
やがて、老貴婦人と四人の従者を乗せた銀色のシトロエンHトラックは太陽の光を反射させながら裏通りの曲がり角に消えて行った。
店主は店の戸口で“もう二度と会う事は無いかも知れない人たち”の姿を見送った後、閉店時刻にはまだかなり早かったが扉のプレートを【CLOSED 】へと裏返し、そのまま奥の工房へと引き返した。
「さて、何処からどう始めたものか……」
欠損しているパーツもたくさんありそうだ。恐らくは特殊な工具と特殊な素材の部品が必要となるだろう。先ずはそれを見極める事。そして、手を尽くしてそれらを調達する。サン=ドニ地区へ足を運べば何とかなるかも知れない。孤高の楽器職人はそう算段をつけた。
彼はかつて低所得者層の集まるフランス屈指の工業地帯であるサン=ドニ地区で隠遁者のようにひっそりと店を構えていた事がある。そこで工場に勤める何人かの技術系職人と知り合いになった。彼らはプロだ。特殊な工具や部品でも、彼らに頼めば何とかしてくれるに違いない。
幾らか光明が見えてきた。しかし、まだまだ問題は山積みだった。
これは、一生に一度の大仕事になりそうだ…。
目の前で不思議な存在感を放ち続けるオールド・プレイエルを見つめながら、孤高の楽器職人は身の引き締まる思いに包まれていた。
―Unplaged 2 AB 完―
〜12へ続く〜。
ストUの選択画面!まさにそんなぶつかり合いかも(笑)ヾ(*T▽T*) あの画面て、内圧がメチャメチャ高いよね(*≧∀≦*) あー、なんか久々にプレイしたくなって来たぞ♪
で…時代がね〜…何て言うか、ますます損得勘定で物事を考えるようになって来てる気がしてさ…バレンタインのチョコも「三倍返し希望」とか…『そりゃ、ちょっと違うでしょう』みたいな(・┰・)
この場面は時代的にも少し古いし、そういう意味でも現代の刹那的かつ現世御利益的な資本主義経済に支配されたものではない生き方みたいなものをちょっと打ち出したかった、っていうのはあるかなf(^_^;
幕末の志士じゃないけど、物事をもっと長いスパンで見ていて、己が守るべき矜持は何かを心得ている…みたいな感じでさ♪f(^^;
やっぱり、そういう個人の損得を超えたものが無いと時代を超えて受け継がれて行かないと思うのよね♪
この物語の中で1837年製のプレイエルは時を超えて受け継がれた訳だけれども…そこには色々な人たちの強い想いがあって、残されるべくして残ったのだという事を伝える為にも、この《アンプラグド》の章は重要だった(//∇//)まあ、そのぶん難しかったけど(笑)
正直、もっと上手い描き方があったんじゃないか?と今でも思っているけど…【ガラスの仮面】みたいに中断する訳にもいかないので、取り合えず形にはしてみた(汗)(´▽`;)ゞ
老貴婦人の立ち振舞いに薫りを感じて貰えたのは嬉しい♪(/▽\)♪ちょっとホッとした(笑)
「リストランテ/パラディーソ」、なんか名前聞いた事あるな♪早速探して読んでみますわ♪(〃⌒ー⌒〃)ゞ
二つの強い高気圧が真っ正面からぶつかりあう不思議な天気図
この比喩初めて聞いた!!凄い斬新!!V(☆▽☆)Vスト2のプレイヤー選択画面が思い浮かんだ♪世界地図を背景に・・1Pに唇をキッと結んだ貴婦人のグラフィック、2Pに鋭い目つきの叔父さんのグラフィック(仲代達也)
低気圧の争いならありふれている・・自分の利益を守るために自分の誇りを捨て、相手を攻撃する。でも高気圧の戦いは、相手の利益を尊重し、自分の誇りを守る為に戦う。得を捨てて徳を取れ、って言葉を思い出しました(微妙に間違った解釈してるかも・・汗)
とにかく自分の為じゃなく相手の為に戦うのって、気高くてカッコイイなって思いました!
気丈に振舞っていた貴婦人が見せた安堵の表情
宝塚のトップスターと重なって見えた。39度の熱があっても重い衣装を着て歌い踊り2時間の長丁場を演じ切る。そして舞台の袖に入った途端崩れ落ちる・・強靭で気高い精神・・
貴婦人が貴族式の挨拶をした時、サマードレスの微かな衣擦れの音がしてクチナシの馨り
がこちらまで薫ってきたから不思議・・***
130年の時を越えて・・
自分は三十余年しか生きてないけれど、若さの補助を失ってから(笑)、この世に存在し続けるのってそれだけで結構骨が折れるよな〜とつくづく思う(笑)
この世に存在し続けるには、強い意志と美しい心が必要だと最近思うようになった。そういう気持ちで生きていけば【運】って不思議と後からついてくる♪♪
このプレイエルも美しい心と強い意志を持っているからこそ、第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜けて貴婦人の元に再び帰ってくることが出来たのだと思う***
前回の章はオノナツメさんの「リストランテ/パラディーソ」に雰囲気が似てると思った♪一巻完結なんで良かったら読んでみてくだサイゼリア〜♪♪