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静かな駅

のところ北枕で寝ているとなぜか落ち着く。
それとは関係なく、祖父が引っ越しをするらしく手伝いのために父が頻繁に家に戻ってきている。
私の家は少々へんなので、祖父に対する私の感情はいたってドライなところがある。はじめから関心がなかったわけではなく、一応それなりの理由はあって、私なりに出した結論としてもう十年近く顔を見ていない。ここまで言っておいて今さらではあるけれど、祖父のことが嫌いなわけではない。

というわけで父が今回も帰ってくるというので駅まで迎えにいく。夜十一時をまわって、一番大きなターミナルのはずなのに駅周辺はおそろしいほど静かだった。ゾンビが出てくる前夜の街のようだ。信号機の「まもなく信号が変わります/青になりました/まもなく信号が変わります/赤になりました」という無機質な声だけが響いている。海が近いのでかすかに潮の香りがする。あとは何もない。夜は眠る街。

父に「引っ越すの?」と尋ねる。
「家賃が安くなるからね」と答える彼に
「香川に帰ってこないの?」と聞くと、しばらくの沈黙が返ってきた。
じつは父と母も今度引っ越しをする。それは香川の話ではない。遠い未来ではないがいまはまだ帰ってこないという。私はまだしばらく家守りだろうか。

帰ると葉書が届いていて、末文に「いませんでした」と書かれている。
いませんでした、よく言われる。行ってみたけど、いませんでした。見てみたけど、いませんでした。答えはふたつある。いましたよ。いませんでしたね。
わずかな瞬間でも私のことを探してみたりする人が存在するのかといつもおどろく。言葉だけならそれはそれで、けど「いませんでした」と言うくらいには認識されてることにまたおどろきはする。
いましたね、と言われることもあって、見られていることもあるという発見にいつまでも慣れない。
いるんですか? と聞かれることもある。そりゃーいるときもあるしいないときもあるよ。
祖父がいまどこで暮らしているのか知らない(部屋の片付け父がしてるということは家にはいないらしい)のだけど、父がぼそっと「じいちゃんも日記を付けてたよ」という。部屋で見たそうだ。「読みたい」と反射的に答える。あのひとも日記なんて書くんだな。
「持って帰ってきて」
「なんで」
「読みたいから」
「そりゃいかんでしょ」
「でも読んだんでしょ?」
「だって何なのか確認しないといけないでしょ」
「はい」

人の日記を簡単に読むものではない。父が全面的に正しい。
でも人が書いたものにはひかれてしまう。






活版フェチ(?)……文字フェチにはたまらない一冊。これを買うときに「装丁よりも組版のほうにひかれます、文字が好きなんです」とアツく語ったら聞いてくれてたその顔が引いてた。





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