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紫陽花のむれからはずれて生きている

おしまいの夏

という題を付けたら、とても私らしいと言われたことがありました。私は瀬尾まいこかな……。




仕事の終わりにふらふらしていたら職場の人に遭遇して、一緒にコーヒー屋さんに向かうことになった。しかし……我々はたどり着けなかった。コーヒー屋さんが消えていたのだ。
そういえばこの前来たとき、カレンダーにでかでかと「Summer vacation!」と書かれていた日付に今日があった気がする。こんなにアイスコーヒーが美味しい時期にSummer vacationをとるなんて!
改装工事のため一時閉店らしい。
私たちもそこで解散した。

家の近くに寄合所のようなところがある。
私の住んでいるところは実は地元ではそこそこ歴史が浅い集落なのだけど、一応私が生まれる前からその建物は存在していたから四半世紀ものではあるはず。昨日その建物が忽然と姿を消していることに気がついて、
「こっ、これがミステリでよく見る(見ない)動く館……!!」
とひとりであんぐりしていた。三日前はあったのに、今はあとかたもなくなっている。
子ども会で使った畳の部屋も、雨宿りをした狭い軒先も、寒さをしのぐために隠れた電話ボックスも、全てが私の記憶のなかにしかもうない。二階建てなのに一度も二階にあがったことがなかった。

紫陽花の歌(和歌)にまつわる何かに携わった記憶がうっすらあって、でも何をどう学んでどう話したのか思い出せない。当時のゼミの先生にメールを送って聞いてみたいほど気になっている。それはなにか、私にとっては魅力的な内容であったような気がする。忘れてしまったけど。


おしまいの夏と名づけるくらい、消えていくものに心を寄せる私もいるけど、消えることは憂鬱だし怖いことだと嫌がる私もいる。


京都にあじさい専門店があるというようなことはずっと覚えていられるのにな。


今はもう手元にない本で、どうして手放してしまったのだろうと少し後悔している。記憶がなくなっていく話だった(と思う)。








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