花咲いて、散る頃に


あやこさんとは私が高校一年の時に女子寮で出会った。あやこさんは私の一つ上の二年生で、いつも長い髪をふわふわと揺らしていた。私の住んでいた女子寮では一年生と二年生が同室で、三年生になったら受験のこともあるし、晴れて一人部屋になれる。あやこさんは私の同室の先輩だった。
この同室の先輩が厄介で、やっぱり運の悪い子は性格の悪い先輩にいびられて退寮することもあった。新入寮生は寮生活の何から何まで同室の先輩に教えてもらうので、怖い先輩に当たりませんように、と私たちは入寮する前から神様に祈っている始末だった。
私は三十数名の新入生の中でもピカイチの当たりを引いて、みんなから随分羨ましがられた。と言うのも、私たちの寮には三年生、二年生それぞれに御三家と呼ばれる人物がいて、ばからしいけれど、その方々は本当にいろいろな意味で別格だった。そしてあやこさんは二年生の御三家のうちの一人だった。
登校するのも、料理をするのも、お風呂に入るのも、勉強するのも私はいつもあやこさんと一緒だった。きれいなあやこさんと一緒に居られることが誇らしかった。

ただ、あやこさんは時々、夜に帰って来ないことがあった。その日は晩ご飯も私一人で作って食べ、お風呂へも一人で行った。夜中まで待っても帰ってこなくて、そんな日は豆電球だけつけて一人で二段ベットの下に横たわる。そうしてあやこさんが戻ってくるのを待つつもりなのだけれど、私はいつも気が付いたら眠ってしまっていて、朝目が覚めて慌てて上の段を覗き込むとあやこさんがすーすーと小さく寝息を立てているのだった。
「どこに行ってたんですか」と聞いても「ナイショ」なんて言われて教えてくれなくて、私が一人で拗ねていると駅前の可愛いケーキ屋さんで私たち二人が「世にも美味しいガトーショコラ」と呼んでいるケーキを買ってきてくれるから、私は仕方なく機嫌を直す。本当は気になって気になって仕様がないけど、しつこく縋るとあやこさんを悲しくさせるみたいだからやめることにしたのだった。だから今では、あやこさんの夜遊びがあった日は形だけ拗ねてみせてケーキを買ってきてもらう。私もあやこさんも「世にも美味しいガトーショコラ」が大好きだから、それでいいのだ。


だけど、ある日私はあやこさんの秘密を暴いてしまった。鬱陶しく雨の降る冬の終わりの頃だった。もう少ししたら卒業式で、あやこさんは三年生に、私は二年生になる。そんな時期だった。
二、三日前は随分暖かかったのに、この雨のせいで気温がぐんと下がった。私はしっとり濡れた服に閉口しながら大股で自分の部屋まで歩く。軽く開いた扉の前にあやこさんのスリッパがあって私は少し気持ちを持ち直す。

「ただいま帰りました」

そう言いながら扉を押し開く。そして私は「あっ」と声を上げて鞄を取り落とした。部屋の中であやこさんが背の高い髪の短い人と接吻を交わしていた。あやこさんが背の高い人の肩を軽くトンと押してちょっとだけ笑う。

「ゆう、ほら、りんちゃんが帰ってきた」

ゆう、と呼ばれた人はちらりと私を振り返ってなんと言うか、ひどく野蛮な顔をした。

「…ああ、時間切れ、か」

扉の前で突っ立ったまま茫然自失としていた私は、蚊の鳴くような声をなんとか絞り出して呟いた。

「な、なにしてるんですか…」
「ナイショ」

背の高い人はひらりと身を翻して私の体をそっと押しのけ様にからかうように耳元で囁いた。その時ようやく、その人が三年生の御三家の一人だと気付く。短く切った髪の間から覗いたきゅっと尖った良い形の耳がなぜだが脳裏に焼き付いた。

振り向くとあやこさんはもう素知らぬ顔で学校の鞄から教科書を取り出して課題に取り組む準備をしていた。私は何か言ってやりたい気持ちになったけど、唇がわなわなと震えるだけで一向に言葉が出てこないのだった。
勉強机に教科書と参考書とノートを広げ終わったあやこさんがようやく扉の前に立ち尽くしたままの私の方を見て何とも言えない顔をする。

「世にも美味しいガトーショコラ買ってくるから、そんな顔、しないの」

「な、何…してたんですか…」

もう一度さっきと同じことを聞くとあやこさんはちょっとだけ首を傾げて「そうねぇ」と言った後、けろりとした顔で
「ディープキス」
と口にした。きっといつもみたいに、さっきの先輩みたいに「ナイショ」て言うんだ、と思っていたから驚いたのと悲しいのと悔しいのと恥ずかしいのとよくわからない興奮で私は頭の中がぐるぐるした。
そのまま自分のベットに倒れ込んで気が付いたら朝だった。起き上がると喉が痛いのと寒気がして、それをあやこさんに伝えると「だから昨日、そんな格好で寝たら風邪ひくわよって言ったのに」と怒られて不味い風邪薬を飲まされた。

その雨の日の後、幾日が寒い日が続き、いきなり暖かくなって桜の蕾が慌てて開き始める頃に卒業式がやってきて、背の高い、髪の短いゆう先輩はたくさんの後輩に花束をもらって卒業し、もちろんその夜、あやこさんは帰ってこなかった。

それからすぐに部屋替えがあって、ついにあやこさんとはあの日のことを話すことなく離れてしまった。今度は私が新入寮生と同室になる番だった。とてもあやこさんのようにはなれないと半分自棄になりながらも出来るだけ頑張ろうと思っていたら、まだ慣れない制服を着て居心地悪そうにしているその子から「あの…、先輩が御三家って聞いてて…わたし、その…すごく緊張してるんです」と言われてしまった。

そう言えば、あやこさんと一緒に過ごしたあの部屋を出る時にあやこさんから「これ、ゆうからりんちゃんにって」と桜の花びらを象ったピンズをもらった。どこかで見たことがあると思ったが、その時は思い出せずそのままにしていたけれど、今考えるとあやこさんの制服の胸元に同じピンズが留めてあったのだった。

あのピンズはそう言う意味か、と今更気付いたけれど、御三家に選ばれたことよりも、あやこさんとお揃いのものを身に付けられることの方がよっぽど嬉しかった。

桜が散ったら「世にも美味しいガトーショコラ」を買ってあやこさんの部屋にいってみよう。そして、あの日のことも聞いてみよう。あの日、扉の隙間から見えたあやこさんの美しい横顔を思い出しながらそう思った。



おしまい