ふと気付いた。否、そう言ってしまっては嘘になる。気付いた要因は幾つもある。
祖母がこんなことになって、家の中が荒れて、その呪詛のようなものがいつもの如く私を取り巻いて、社会に出た私の身体が精神が崩壊し始め、絶妙なタイミングで私が帰省する。此処で漸く幕開けの準備は調ったのだ。そして、私は気付く。私は自分がまだ世界を知らないことに。
呪いの言葉を吐く祖母と自分の姿が反吐が出る程にぴったりと重なった。それは気付かない振りをしていただけで、私がこの家を出てすぐに薄々勘づいていたことではあったが。私の性質は嫌になるぐらい祖母と瓜二つである。他者への妬み、羨望、僻み、蔑み。私を構成する成分はほぼ祖母のそれと一致する。他人を羨み、羨むが故に貶し、自分を正当化し、悲劇の主人公振って世を悲観する。
祖母に対してひっそりと抱いていた嫌悪は正に同族嫌悪。認めたくなかったけど、それは動かしようのない真実。
さて。その真実に気付いた時、私は更に重要な事実に気が付いた。このままでは私は絶対に幸せにはなれない。それはもはや確信に満ちた予感だった。
ことあるごとに私の口から零れ落ちる呪いの言葉は確実に私の人生を蝕んでいく。絶望に魅入られた女がどんな末路を辿ることになるか。私はそれを知らない訳ではない。堕落した先で野たれ死ぬ羽目になるのだ。
もしも、私が天涯孤独の身ならそれでもよかったのかもしれない。私だけが野たれ死ぬのなら、何も問題はなかったのかもしれない。
しかし、現実は小説のようにはいかない。私には私を生み育てた母親が居る。時には姉と慕い、時には友と親しむ妹が居る。それは変えようのない事実であり、目を背けることのできない現実である。
そして、左目の視力を失い、いつ全盲の寡婦となるともしれない母の頼る先は最早私しか居ないのだ。幾ら考えても、言葉を尽くしても、この事実は明るい未来に続いているとは思えず、力ない小娘である私の心を暗澹とした思いで埋め尽くされる。
そこで私は決意した。意を決する他、なかった。見たくない現実から目を背け続けるには私はもう大人になりすぎてしまった。私は現実で生きなくてはならない。それ以外に方法はない。何の為の方法か、目的は何か。それは唯一つ。母を守る、それのみだ。
そして私は自分の現実に焦点を合わせて考える。今のままでは駄目だ。今の財力では目的を果たせない。なぜか。それは給与、昇給、賞与、勤続年数、仕事内容、そういったもののバランスの悪さ、効率の悪さの為に。私は今の会社を踏み台にして次にいかなければならない。女手一つで世間を渡り歩いていかなければならない。そうなると男の元で働くのでは限界がある、と考えた。それではやり手のキャリアウーマンを探すべきだ。それを私の指標としなければならない。
しかし、今の私ではまったく歯が立たない。自分を哀れがるだけの悲劇のヒロインは世の中には認めてもらえないのだ。少なくとも人間一人を一生養う金など稼げるべくもない。
そこで私は更に考えた。私はまず世界を知るべきだと。人間のことは大抵わかったのだ。大抵の人間の意識や思考は読めるようになったし、ほとんどの人間が底の浅い輩だということもわかった。だけど、今現在の私はそう言った人間と同等の立場でしかない。上から目線を気取ってみても所詮は私も同じレベルなのだ。彼らに対して失望し、恨み辛みを口にして自分を絶望に浸しているようでは、まだ駄目だ。私はその上をいかなければならない。彼らの人間性を理解した上で、私は敢えて彼らと同じ高さに立ち、同じように穏やかな、言い換えれば平凡な人生を送っている自分を演じなくてはならない。そうして初めて、私は少しだけ現実世界での幸福に近付くのだ。
闇を好み、絶望を愛す自分の性質は嫌いではない。三つ子の魂百迄と言う。最早この性格は変えようがないのだ。そうではなく、たった一つ処世術があるとすれば、それは私が偽の仮面を完璧に身に着け、偽の自分を演じきることのみだ。
他人を見下し、嘲る表情をそのまま顔に出していては私はただの人間のままなのだ。私は自分に失望したくない。人生に失望したくない。世界はもっと面白いものだと信じている。
自分の人生をゲームだとしよう。誰でも簡単に乗ることができる単純で明快なゲーム。上がりは自分で決められる。最高に楽しい青春時代を上がりに定める奴も死ぬ時に最高の人生だったと思いながら息を引き取ることを上がりに定める奴もいるだろう。そして私はまだ上がりを定められずにいるけれど、とにかく目先の目標は決まった。
その為に私はまずは演じることから始めなくてはいけない。皆の望む自分ではなく、自分の望む自分を演じなくてはならない。
呪いが私を飲み込むのではない。私が逆に呪いを食い物にしてやるのだ。世界がどんなにくすんで見えても、私はきっと生きていかなければならないのだから。誰もこの現実からは逃げられない。