話題:画材
私は趣味で絵を描いている、いわゆる【アマチュア画家】と云うやつで、特にプロ志向もないのだが…
描いた物が増えるにつれ(ここは一つ、個人の趣味といった感じで小さな展示会でも開いてみようかな)とまあ、そんな気持ちになっていた。
だが、展示するとなると問題が一つある。
【額縁】の数が足りないのだ。
流石に、如何にヘタクソな絵と云えども額縁なしで飾る訳にはいかないだろう。
然るに現在、所持している額縁は4つ。展示会では、少なくとも20枚の絵を飾りたいと考えているので、差し引き、16の額縁が不足している事になる。
そこで先日、古道具屋も兼ねている町の小さな画材屋へ赴き、取り敢えずサイズだけ考えて“安い順”に16個の額縁を買って来たのだった。
立派な額縁が欲しい気もするが…何せ、額縁に収まるのは、私の描いた絵だ。
印象派や野獣派ならぬ【ヘタクソ派】と云う新派を旗揚げしたかのような私の絵では、立派な額縁に位負けする事、必定である。
そんな訳で、【枠】でさえあれば良いと買い集めた16個の額縁だが‥その内の15個は特に問題はなかった。
つまり、逆に云えば、残る1個には問題がある事になる。
これが、どう表現すれば良いのか…兎に角、他の額縁とは明らかに違っていたのだ。
いや、見た目は何の変哲もない只の安っぽい額縁である。
簡素な直線のみで構成されたスクエアなタイプで、恐らく素材は合板。そこに金色の塗料が吹き付けてあるのだが、それも、所々が剥げ掛かっていたり、剥げていない部分にも塗りムラがあったり…とまあ、ろくな物ではない。
ところが、
いざ、その額縁に絵を収めてみると、どういう案配か、信じられないぐらい中の絵が美しく映えるのである。
最初に、その額縁に収めたのは【クニャクニャした鞄を持ち歩くオジサンみたいなオバサン】と云う、自分の中では傑作の部類に入る作品だったのだが‥
その額縁に収めた途端、もう、どう見ても“世紀の大傑作!”としか思えない作品に変わったのだった。
ところが、額縁から外して“素の状態”で改めて見直してみると…ああ、がっかり!…作品【クニャクニャした鞄を持ち歩くオジサンみたいなオバサン】は、極めて凡庸な一枚の素人絵に過ぎない事がよく判る。
つまり、絵画自体には何の変化も起こってはいないのだ。
試しに次は、駄作中の駄作【きっと何かがモジャモジャしてる】を問題の額縁に収めてみたところ…
これまた“史上最大の傑作”としか思えない作品に早変わりしたのであった。
どうやら…この額縁には“中に収めた物や、枠を通した先にある物”を問答無用で美しく見せる性質があるようだ。
まさに【魔法の額縁】である。
これはまた、とんでもない幸運が舞い込んできたものだ。
もし、展示会を“展示即売会”にすれば、この額縁に収められた作品には、かなりの高値が付く可能性がある。いや、ほぼ間違いなくそうなるだろう。
いや、待てよ‥
私は考え始めていた。
高値が付けば、絵画としての評価が高まり、同時に画家としての私の評価も上がるだろう。
しかし、絵画と共に【この額縁】を失わば、私にはもはや“評価に耐え得る作品”を提供する力はない。
ならば‥
売る際には額縁から外して、中の絵だけを渡す事にするか。
いや‥額縁から取り出されたが最後、たちどころに作品は魅力を失い、売買契約はキャンセルされてしまうに違いない。
考えれば考えるほど、事態は八方塞がりであった。
やがて、考える事に疲れた私は、ほとんど放り投げるような形で【その額縁】を無造作に部屋の壁に立てかけ、この問題はしばらく考えないでおく事に決めたのだった。
それから、モヤモヤしたまま過ごす事数日。
ある日、私のもとに、警察から一本の電話が掛かって来たのである‥。
「とにかく、署の方まで来て欲しい」との事なので‥素直に従い、署を尋ねてみると‥
どうやら、私の留守中、部屋に空き巣が入っていたらしい。
ところが、そう云われても部屋から無くなった物は何もない。
私が、担当の刑事にその事を告げると、刑事は渋い表情で、私の前のテーブルの上に、変な物を置きながら、こう言ったのである。
「どうやら空き巣は、貴方の部屋から“これ”を盗んだらしい」
それは、どこからどう見ても“単なる綿ボコリの塊”だった。
狐につままれたような顔の私に、刑事は言葉を続けた。
「いや、私にもサッパリなのだが…とにかく、空き巣が言うには“この綿ボコリが非常に美しい物に見えて、もう脇目も振らずに綿ボコリだけを盗んで逃げた”と」
あっ、もしかすると‥
私に、或る考えが浮かぶ。
この“綿ボコリ”は、例の壁に立てかけた額縁の後ろにあったのでは無いだろうか?
それなら、その空き巣の行動にも頷ける。
「で‥どうします?‥被害届の方、出しますか?」
勿論、私は“被害届は出さない”旨を刑事に告げ、警察署を後にしたのだった。
━結末@━
それにしても‥家への道すがら、私は思っていた。
“美しさ”とは、いったい何なのだろう?
絵画であれば黄金分割、音楽であればコード進行など、数式化、理論化された“美”もあるが…それも或る意味、一つの【共感覚的な額縁】と呼べるのでは無かろうか?
いや、それにしたって…まず最初には“美しい”と感じる感覚があって、その原因を探っていった結果として理論やら原理に行き着いたはずである。
結局のところ、最初に“美しい”と感じた感覚の正体は何も判っていない事になる。
…これは、なかなかの難問だ。
そんな事を考えていたせいで、うっかり自分の家の前を通り過ぎてしまった私は、そのまま成り行きで寄ったコンビニでクリームパンを買い、家へと戻った。
部屋に戻った私は、先ほど買ったクリームパンを食べようと、雑な感じで二つに手で割った。
そして、片方を口へ運ぼうとして、またもや、或る考えに捕らわれてしまった。
二つに割ったクリームパンの断面…
こんな感じで無造作に千切られた断面を“美しい”と感じる人間もいれば、逆に、包丁でスパッと真っ直ぐ切られたような断面を“美しい”と感じる人間もいるだろう。
私は、ますます“美や芸術”が判らなくなっていた。
私は結論を出した。
展示会で【この額縁】を使うのはよそう‥と。
不思議なもので、そうと決まれば途端に気が楽になる。
それにしても…
私は、部屋の片隅に立てかけられた【例の額縁】を眺めながら思っていた…
何とまあ美しい“部屋の片隅”なのだろう‥。
━結末@終━
━結末A━
警察署からの帰り、私はより一層の確信を得ていた。
部屋の綿ボコリですら美しく見せる【あの額縁】は、想像以上の物だ。みすみす手放す訳にはいかない。
私は知恵を絞りに絞り、展示会に関して或る一つのアイデアを捻り出した。
そのアイデアとは、こうである。
展示会場の入口のドアに穴を開け、そこに【あの額縁】を嵌め込む。勿論、額縁には絵を入れない。
そうして、来場者には“額縁を窓として”窓越に作品群を観覧して貰うのだ。
これで、どの絵も“美しい作品”として展示する事が出来る。
費用はかさむが、それは仕方ないだろう。
そして‥
〜展示会開催の日〜。
結果は、予想通り“賞賛の嵐”であった。それにしても、来場者がことごとく“美男美女”である事には驚かされたが、よく考えれば、それもそのはず。
私は私で、展示室の中から“額縁の窓”越しに来場者たちを眺めているのだから。
しかし‥
開催が進むにつれ、それとはまた別の問題が起こり始めていた。
それは‥
(ねぇねぇ!部屋の中に居るあの人、メチャメチャ格好良くない!?)
(格好良い――!!)
絵画よりも“私の美しさ”の方が評判になってしまったのだ。
当然それも“額縁効果”に拠るものに違いなかった。
いつしか私は、展示室から一歩も出られなくなっていた。
残された手は、ただ一つ‥。
以来私は、外を歩く時には必ず【あの額縁】を自分の顔に嵌めるようになった。
【顔の額縁】越しに眺める風景は常に美しく、出会う人々も美男美女ばかり…逆に、街を行く誰もが、私の顔を見た途端、ハッと息を飲むように立ち止まったりもしていたが…
はっきり云って、バカバカしい事この上ない。
誰もいない部屋に戻って【顔の額縁】を外す時、私は心の底からホッとした気持ちになるのであった…。
━結末A終━
《全編終了》。
ありがとうございます
やっぱり、同じストーリーであっても、感じ方や受け止め方は、十人十色でしょうし‥その中にある共感覚的な部分で通じ合いながらもストーリーは幾重にも分岐して行くのでしょう
短編、昔読んだ事がある物でも、改めていま読み直してみると また違った感想を得る事が出来るかも
恐らく、その辺りが正解でしょう
やっぱり、はっきりとした輪郭は、物事の大きな判断基準になりますから
服装に関して云えば、心の乱れが服装に出る事はよくあるし、逆に気に入った服を着たり、髪型を変えたりする事で気分が変わる場合もけっこうあるし
と云うか
ショップの店員で、穴の開いた服着てるって
あ、有り得ない
久しぶりに 短編小説を読みたくなってしまいました
短編小説って 読み終えた後『主人公のその後』を考えてしまうのですが
みのさんのお話は いつも 読みながら たくさんの『その後』を想像してしまいます
歩いて来た路はひとつだけど 自分の前には たくさんの道がある
『選ぶのは自分』
久しぶりに 本棚を掃除してみます
額縁てぇやっぱり絵を最大限に整えてうちゅくちく見ちぇる最終的にゃアイテムと思いマチュピチュ
勿論絵自体立派にゃのをもっともっと良ちゃを引き出ちてあげる役割をちてると思いマチュピチュあるいわまたちょうれにゃい絵れも良く見ちぇる
人間にも言えると思いマチュピチュまごにも衣装と誰が言いまちたか人も服をキチンと着るとちょれにゃりにチュテキに見えるてことれちょ内面テキにゃことわちゃて置き
つかコハルにょお店にょ宗教ババァにゃんてぇ服やさんにょ店長ちてるにも関わらぢゅがくって穴にょあいたカディガンとか袖がほちゅれたセタとか着てくるれちゅニャリン論外にもいい加減にちていったらっきたいれちゅニャリンよん
お客様にお洋服をイイれちょてぇ売る人が見本ににゃらにゃくちゃいけにゃいのに穴にょあいた服てぇ常識にょ範疇れぇキチンと着ていったらっきたいれちゅニャリンよん
そうなんだよねぇ
結局、私もそうなんじゃないかって思うのよ
まあ、絶対的な物と相対的なもの(心など)の関係性なんだろうねぇ
と言いながら、書いてる内に色んな小テーマが噴出して来た気がして…それで夕べ 書き終えられなかったという
一応、結末は2つ用意したけど…多分、もっと色んな結末があると思う
で……
褒め過ぎだから
いや
でも、そういうふうに感じて貰えたなら‥
最高―
峰フジッコのお豆ちゃん
ゴージャスなのか素朴なのかサッパリ判りません
で…
そうなのです
最初は、あくまで美しさとは何ぞや?みたいな感じで書き始めたのですけど…
書いてる内に、色々な小テーマが噴出して来て
私もやはり固定観念や自分の経験上のリアリティなど 様々な「枠」‥或いは「フィルター」のような物を通して世界を眺めているような気がしてきて‥それで、額縁に引っ掛けてみたのでした
轟二郎
恐らく 二度目だと思いますが‥当ブログは エコとリサイクルを推奨しておりますので、何度でもどんどん使ってくださいませ
あ、鋭い
共鳴という言葉が出てくるところ、素晴らしいです
美を絶対的なものとするか、それとも相対的なものと考えるのか
その辺りもテーマの1つだったのでした
そうですねぇ
もし、目の前にある全ての物が問答無用で美しく見える世界があったら‥ちょっと怖いかも知れません
やっぱり、色々なふうに感じるものがあって、その中から内奧にあるものを探ってゆく‥そんな美の感じ方が正しいような気がします
そうなんですよねぇ
まあ、私はあまり画材屋や額縁屋には縁がありませんけど たまに複製画なんかで安いの欲しいなあ〜なんて、覗いてみると…中身より額縁の方が高いなんて場合も稀にあって
あと、絵の具とか塗料、スプレーなんかにも惹かれるのですが…使い所がない
しろのらさんのジオラマ 羨ましいです
なるほどぉ〜…
読み進めて行くうちに、徐々に胸を締め付けられていった…
自分でも、不思議なんだけど…
正論 言えば、真実のままが一番ラクなのではないかと思うけど…
そう、一つに括れない
人の気持ちや…
色んなモノあるんではないか?と思う…
まぁ、一つ はっきり言えるのは…
これ書いたトキノっちすげぇ〜〜〜〜〜〜〜
ほんと、すごいと思うよっ
やばっ、感動っ
なんとも言えない、不思議な世界に連れてってくれてありがとう
なんか今、現実の世界じゃないトコロに居る気分だもんっ
わぁ〜、不思議っ
気持ちが遊泳してるみたいっ
優れた作品って ここが凄いんだよねっ
現実で、落ち込んでいても…
悩んでいても…
そっから離して全然違う世界へ連れてってくれるっ
そして、気持ちを澄ましてくれるっ
だから、トキノっち作品に触れ合うのもっ
小説読むのもっ
映画観に行くのも
舞台観に行くのも…
やめられまへんなぁ〜
別世界に連れてってくれて
トキノっちメッチャありがとうっ
ルパぁン
今からその額縁
奪いにいくわよ〜っ
by 峰フジッコのお豆ちゃん
こんばんは
これまた奥深きお話
額縁が象徴しているのは、様々なものを指している気がして。
先入観であったり
前評判であったり。
ひとの顔に額縁に関して言えば、通常みんな一歩家から外に出たら、「マイ額縁」に顔をはめ込んで一日を過ごしているのかもしれない…
…などと
考えは止まりません
相変わらずの豊かな発想に
驚き桃の木轟二郎前に使ったかしら
それにしても
クニャクニャした鞄を持ち歩くオジサンみたいなオバサン
見てみたいです(笑)
感動
それは
何に対して感じるかではなく
自分の中の
何かに共鳴するのでしょうね
いつも
深さに感銘いたします
おやすみなさい
みているものが
あらゆるものを
美しく感じるなら
ドラえもんの
どこでもドアみたい
に伸ばして
地球にはめ込んで
おきたいですね
みな美しく
きれいなものばかり
の中で暮らして
いたなら
今の世界に
必要なものが
ずいぶん減少する
に違いないですね
(^。^;)(笑)
つまり
娘のツケマが
床に張り付き
恐怖におののく
こともなくなります
そして
見た目だけの甲乙
がなくなれば
本当の美しさを
感じたり学んだり
していけるかも
知れませんね
三回間違えたらドボン
奇遇ですね
最近額縁屋に行ってきたばかり
たしかに高価でした
自分で作りたくなりましたよ