気になーーる名前。


話題:超どうでもいいこと


少し気になっている人物がいる。アメリカの俳優【サム・ワーシントン】だ。ただし、気になると言っても、彼のルックスや存在感、演技力が気になっている訳ではない。ましてや、出演した作品など何をか言わんや。正直、そっくりさんを何人か集めて写真を並べ、「さて、どれが本物のサムでしょうか?」と聞かれたら、まず判らないだろうと思う。つまり、キムタク風に言うならば、(照れくさそうに頭をかきながら)「ぶっちゃけ、サムの事よく知らないんだよね、オレ。つうか、最近、外人の顔ぜんぶ同じに見えるんだよね」という感じだ。

(ファインディング)ニモ関わらず、何故に彼の事が気にかかるかと言うと、それはひとえに奴の名前にある。彼→奴へ。ここで1階級の降格だ。

気になるのは「ワーシントン」の部分。どうして「ワーシントン」と長音記号「ー」を入れて長ったらしくするのだろうか。普通に「ワシントン」で良いのでは、と思ってしまう訳です。蓮舫議員風に言うなら、「ワシントンじゃあダメなんでしょーか!?」という具合。この「ワーシントン」、番組表などで見る度に、文字の据わりが悪いと言うかどうしても間延びした印象を持ってしまう。取調室の刑事風に言うなら、「意地張ってないで、さっさと“ー”取って楽になっちゃえよ、な」と言ったところか。

もっとも当人に言わせれば、

サム「いやいやいや、“ー”が有るか無いか、そこ物凄く大事よ。はっきり言ってワシントンとワーシントンは全くの別物だからね。“ー”を取るなんてとんでもない。むしろ逆にもっと増やしてワーーーーーーーシントンにしたいぐらいだわ」

となるだろう。いや、ならないか。そもそも片仮名表記の話などする訳ないだろう。でも、そんな感じの事を言いそうな気はする。

で、言われてみれば確かに確かに、「ー」の有る無しで印象がガラッと変わるというのはある。例えば、インドの霊廟【タージマハール】寺院から「ー」を取ると【タジマハル】になり、いきなりお婆ちゃんっぽくなるのはカレー好きやお婆ちゃん子の間では割と有名な話だろう。他にも、【ブルースリー】は【ブルスリ】で、何だかブルガリの偽物みたいになってしまう。スターウォーズに登場する【ヨーダ】は【ヨダ】(与田)となり、ジェダイの騎士から中日の投手へと大変身を遂げる事になる。【ヨーダ】は“フォースの力”を使ったが【ヨダ】の方は“フォーク(ボール)の力”で活躍した、というちょっと上手いオチもつく。ちなみに、ヨーダを【マスター・ヨーダ】とすると「ー」引き後の姿は【マスタ・ヨダ】となり、【ますだ・おかだ】みたいに少し漫才師っぽくなる事を付け加えておこう。

ところで、中には「ー」の有無で変わった印象が頭の中で関連付けられてしまうばもある。例えば【リンカーン】と【林間】だ。“林間学校”という言葉を聞く度、鬱蒼とした山林の中にリンカーン(元合衆国大統領)が居て生徒たちに演説をぶっているような絵図が浮かんできて仕方ない。夜はリンカーンと枕投げをしたり怪談をして過ごすのだ。そして、そんな風に一夜を過ごした生徒たちが翌朝目覚めると……なんと、皆、顔がリンカーンみたいに極度の面長になっているという。面長の面長による面長の為の林間学校、それがリンカーン林間学校だ。もちろん、顔が上下に伸びるだけでなく男女問わず髭も生えてくる。どこまでがモミアゲでどこからがヒゲなのか判らない、そんな髭の生え方。名付けるならば円周髭か。

さて、この話、一体どう〆めたら良いのだろう。もはや【サム・ワーシントン】などどうでも良くなっている。という事で、次の言葉で〆めようと思います。

リンカーン大統領及びワーシントンつながりで浮上するのが【ジョージ・ワシントン】。もし彼が【ジョジ・ワーシントン】などという名前だったら恐らく大統領にはなっていないだろう。せいぜい補佐官、いや、町内会長、いやいや村長(むらおさ)、その辺が関の山か。やはり、名前における「ー」は重要だ。

そしてもう一つ……「挿し絵などで見かけるリンカーン大統領のアゴ髭の先っぽの方のハネ方、次元大介のソレと似てる気がして仕方ない」……これを〆めの言葉としておこう。


〜おしまーひ〜。

いつか壁を抜ける日。


話題:おいおい、まじかよ…

一万回、壁に激突すると、その内の一回は壁をすり抜けて向こう側に行けるらしい……。ずいぶん前、そんな話を小耳に挟んだ事がある。あ、そうそう、小耳と言えば、子供の頃私は耳たぶを指で丸めて耳の穴に格納する技を持っていた。手を離しても耳たぶは耳の穴に収まったまま、というスタイルだ。しかし、いつの頃からかそれが出来なくなってしまった。寂しいので現在は耳たぶの代わりに木耳(きくらげ)を耳穴に詰めて昔を懐かしんでいる……などと言う事はない。が、耳たぶ格納術の話は本当だ。

さて、話とリクライニングを元に戻そう。

壁のすり抜け。話の信憑性は不明だけれど、どうやら理論上はそういう計算になるらしい。一万回に一回は激突する事なく壁を通り抜けられると。何でも、そうでないとブラックホールの存在が説明出来なくなってしまうのだとか。理屈はさて置き、その話を聞いた時、私はこう思った―「ふむ、世界もまだ捨てたものではないな」―と。何故、壁をすり抜けられると世界が捨てたものではなくなるのか、その理屈もまるで解らないけれど、兎に角そう思ったわけです。

以来、人目がない所で時々、素知らぬ顔をして壁に激突し続けているのだけれど、正直、ただの一度も成功した試しがない。ことごとく壁に弾き返されてしまう。

体が壁をすり抜けるイメージはそれなりに持っているつもりだ。一見すると堅固な壁も原子や分子レベルで考えれば隙間だらけで、イメージとしては網戸を思い浮かべて貰えると良いと思う。その網戸の隙間を自分の体の全粒子が通り抜けられれば“壁抜け”は成功となる。判りやすい総体的イメージとしては、自分の体を蚊柱(小さな虫が数百数千集まって遠目からは一つの大きな塊に見える物体)として、その蚊柱が竜巻のように移動しながら目の粗い網戸を通り抜けるような感じだ。蚊(虫)の一匹一匹は網戸の目よりも小さいので、壁(網戸)に阻まれる事なく体(蚊柱)は向こう側へと到達する。逆に言えば、壁抜けに成功した時、自分の体の(分子レベルで存在する)隙間を壁の粒子がすり抜けている事になる。可逆性を持つすれ違いだ。

といった具合に、イメージも理屈も(それなりに)持っているにも関わらず、未だ壁抜けに成功しないのは、やはりまだ何処かに照れがある、と言うか、信じ切れていないから、なのだろうか。仔鹿のバンビみたいにピュアな瞳と気持ちで、けれん見なく壁に激突する必要があるのかも知れない。

何れにせよ、ブラックホールの存在を証明する為にも、伝説のイリュージョニスト[デビッド・おカッパ頭フィールド]として、これからも壁抜けに挑戦してゆくつもりなので、もし成功した暁には必ずやこの場所で報告させて頂こうと思っている。皆様も、何となく通り抜けられそうに思える壁や扉を見つけた際には是非、壁抜けに挑戦してみては如何だろうか?


〜おしまひ〜。



一学期、二学期、そして氷河期。


話題:妄想を語ろう


いったい、この寒さはどうした事でしょう。寒いというより冷たい、を通り越して痛い。息まで凍りつくようです。さすがに、これはもう限界。すみません…

ちょっと一旦、冷凍庫から顔を出していいですか?

いえ、なんかピノが見当たらなくて。座敷わらしが勝手に食べてしまったのでしょうか。もしくは小さいおじさんか。でも、あれですよね、ピノってたまに、凍り過ぎてメチャ硬くなって、付き添えの(プラスチックの)爪楊枝の歯がまるで立たない事がありますよね。個人的にはそういうピノを“強ピノ”と呼んでいるのですが、皆さんはどうでしょうか。似たような感じで強パピコとか弱ガリガリ君なども……。

さて、それはそれとして、つい先日、正確に言えば十一月の二十四日、あろう事か東京の都心部に雪が降りました。それなりに長く生きているワタクシ――(ただし、心は永遠に十六歳の夏を駆けめぐっている。一方、肉体はと言えば、齢三千年のミイラと化している)――にして、十一月の雪というのは初めての経験です。前代未聞。宮本亜門。ちょっと常識では考えられないテンション及び刈り上げの爽やかさです。はっきり言ってあり得ない。たとえ部活と勉強が両立するとしても、十一月と雪はこの東京では両立し得ないはず。ただし唯一の例外があって、それは、そう、氷河期です。

あな、大変!すわ、一大事!マンモスだった頃の記憶がたちどころに甦って参ります。歌って踊れるマンモスとしてデビューが目前に迫っていたあの日、突然訪れたまさかの氷河期。そして、あっという間の絶滅。ツンドラ氷河の下で氷づけの姿となりながら、薄れゆく意識の中で思いました。ああ、今度生まれ変わったら絶対にハワイへ行こう。それが無理なら、常磐ハワイアンセンターでもいいや……。


あのような絶滅はもう二度と経験したくありません。もしも、この寒さの正体が氷河期であるならば、今のうちに徹底した氷河期対策を講じておかねばなりません。例えば、いつもより一枚多く着て出掛けるとか、生野菜のサラダを温野菜に変更するとか。しかし、それよりも、まずはこの寒さが氷河期のせいなのかを確認する必要があるでしょう。という事で気象庁に電話をして確かめてみました。

私「もしもし、気象庁?一つ訊きたいのだけど、この寒さってやっぱり氷河期に突入したって事で間違いないのかな?」

気象庁「んなアホな!」

ホッ。どうやら絶滅の心配は無さそうです。ちなみに、[気象庁]というのは高校時代からの友人です。いつも天気ばかり気にしているのでそういうあだ名がついたと。とにもかくにも、お天気大魔神こと気象庁君の鶴の一声で氷河期ではない事が判りました。

となると(ダック)、十一月の東京に雪が降った事をどう説明すれば良いのでしょうか。宇宙の法則により十一月の東京に雪が降る事はあり得ないので、恐らくは何処かに嘘があるのです。[十一月]か[東京]か[雪]、その何れかが偽者、成りすまし、フェイクに違いありません。

まず[東京]は本物でしょう。勝手知ったる街並みを見間違う訳がありません。[雪]も恐らく本物。実際、空から降ってくるのをこの眼で見ていますし、道路に積もった雪を路肩に寄せ集めている人たちの姿もありました。幻覚の可能性も0ではありませんが、それを言い出すとキリが無くなるので取り敢えずはそれは置いておきます。となると(ダック再び)、必然的に怪しいのは[十一月]であるという結論が導き出される事となります。

考えてみれば確かに、[十一月]というのは目に見えません。人々が勝手に十一月と言っているだけで、地球本体や成層圏、或いは宇宙に[十一月]と書いてある訳ではないのです。雪と違って道路に[十一月]が積もっているのを見た事も無ければ、除雪車ならぬ除十一月車や、雪ダルマの代わりの十一月ダルマなどという話も聞いた事がありません。もし、誰か(他の月)が十一月に成りすまししていたとしても私たちがそれに気づくのはとても困難だと言えるでしょう。

「十一月の東京に雪が降った」

このあり得ない出来事も[十一月]が嘘であるならば何とか説明がつきます。例えば、東京に雪が降ったあの日、二十四日だけは[十一月]では無かった。あの日だけが異常に寒く、その前後が温暖だった事は二十四日の特異性をはっきりと示しています。ならば、成りすましていたのは何月か。最も可能性が高いのは[二月]でしょう。何故なら、二月の東京(の都心部)に雪が降るのはよくある事だからです。

今年の11月24日は、実は来年の2月の何れかの1日が化けていたものだった!

今までの漢数字表記がいきなり英数字に変わるほどの衝撃です。しかし、何はともあれともさかりえ、十一月の東京に雪が降った事の説明は何とかついたと言えるでしょう。ワタクシのこの推測が正しければ、来年の二月の何れか一日は“とても二月とは思えないほど暖かい日”になるでしょう。そして、それこそが、そう、本当の[11月24日]なのです。


という具合に、力わざの着地をもってスッキリ解決。冬の空気の冷たさが頭に身体に心地いい。さてと、またピノでも探すと致しますか。


〜おしまひ〜。




踏み切り屋ケンちゃん。


話題:妄想を語ろう

踏み切り、遮断機の手前に埋まっている小さな石柱がニョキっと気になって仕方ない。いや、違う。地面からニョキっと飛び出している石柱が気になるという話。里程標と言うのだろか。石柱というより杭に近い。材質は恐らく粗めのコンクリで、くすんだような暗い灰色は地蔵や石仏を彷彿とさせている。うっかり間違えて地上に頭を出してしまったモグラのような中途半端な顔の出し方にも拘らず、妙な存在感をもっている。怪しい。恐らく単なる石杭ではあるまい。きっと何かの謎が隠されている。

謎を解く鍵は、やはり、その高さか。踏み切りが開くのを待つ間、つい片足を乗せたくなる絶妙な高さ。これまでに数え切れない程の人達が、見えない力に誘われる形で問題の石杭に足を乗せたに違いない。そして踏まれた石杭は、上方からの圧力により、ごく僅かずつ地面に埋まっていったはずだ。

もしも、それが何かのスイッチ(ボタン)だとしたら。そのようにして日本中にある全て路線の全ての石杭が完全に埋まった(全てのボタンが押し切られた)時、恐らく何かトンデモない事が起こる。それが、踏み切りの里程標(←うろ覚えで適当に言っているだけなので、そんな名称じゃなかったらスミマセン)に仕掛けられた秘密。

では、何が起こるのか?
私が思うに、それは……

@夜空に銀河鉄道が出現する。

A賢治ではなくアニメの方の銀河鉄道999が出現する。

Bむしろ、銀河鉄道999を唄ったゴダイゴが完全復活する。

C同時に後醍醐天皇も復活する。

D逆にアメリカの五大湖は消える。

Eそして小太鼓ブームが起こる。

Fなんか収拾がつかなくなってきた。

Gよし、読者に催眠術をかけてこの部分の記憶を消してしまおう。せーの…

Hビビデバビデブー♪

Iいや、それ古過ぎるでしょ。マハリクマハリタ♪テクマクマヤコン♪ウーヤーター♪これでOK牧場。

Jいやいや、アナタ、今のも十分古いから。て言うからそもそも催眠術じゃないし。

K……ああ、ついに自分の中で二人の自分による対話が始まってしまった。こうなると更に収拾つかなくなるんだよなあ。

Lハッハッハ、大丈夫。私が何とか致しましょう。万事、三人目の私にお任せあれ。

Mうわぁ、三人目まで出て来ちゃったよ。ほんと、どうしよう。

Nウオッホン。いや逆に、このカオスのお蔭でここまでの内容なんか誰も覚えていないなず、と四人目の私は考えるがな。

Oまさに瓢箪からコマ…の発展形で、瓢箪からコマネチだね。

P何人目でも、いちいち出てくるものが古いな。

Qんでば最後にダメ押しの一言。

Rあったかいんだからぁ〜♪&……

Sてじな〜にゃ♪そして……

A@まいう〜〜♪

AAよし、これで読者の半分は気を失ったに違いない。この隙にシャラっと話を進めてしまおう。


【続きは追記からどうぞ】

more...

美味しさの進化が止まらない(オマケ・香りの小袋付き)。


話題:気になること



スゴいですねぇ。

何がですか?

コンビニのおにぎりです。

何だかんだでもう十年以上、毎年美味しくなり続けているような気がします。『×××のおにぎりが更に美味しくなりました!』。そんなテレビCMのコピーはもはや時代の定型文と言って良いぐらいです。コンビニのおにぎり。通称コニぎり。いったい君は何処まで美味しくなれば気が済むのでしょうか。逆に言えば、十年前のコニぎりはどれほど美味しくなかったのか。十年前のコニぎりの味、いくら記憶を紐解いてみてもあまりにも漠然としていて全く思い出せません。シャリと海苔が心持ちベタッとしていたようなそうでもないような……。いや、これ以上無理に思い出そうとすると『そもそも昔はコンビニ自体なかったからね』という爺むさい回想話になりそうなのでやめておきましょう。

それにつけても、おにぎりというのは一体どれだけ“伸びしろ”のある食べ物なのだろう、と思ってしまう訳なのです。こんな調子で美味しくなり続けて行ったらば、百年後には我々の想像を絶するような味形になっているかも知れません。例えば、鮭のおにぎり。ご飯は炊きたてを好みの固さで握る事の出来るよう茶碗によそられた形で、具の鮭も贅沢に切り身を丸ごと一つその場で焼いたものが出され、加えて味噌汁とお新香、更にハッピーセット的に《鮭を獲る木彫りの熊の置物》なんかも付いたりして……あ、これは単なる“焼き鮭定食”ですね。いずれにしても、コンビニのおにぎりはこれから先も確実に進化し美味しくなり続けて行く事でしょう。

***

スゴいですねぇ。

何がですか?

冷凍食品の炒飯です。

これもコンビニのおにぎりに負けじ劣らじと毎年“炒め感がUPし続けている”ような気がします。逆に言えば十年前はどれだけ炒め感がなかったのか、と。そもそも“炒め感”という言葉自体が面白い。あくまでも炒められている“感じ”。つまりは錯覚、幻影、幻想。そして、もしもこんな調子で炒め感がUPし続けて行ったなら、十年後にはもう炒められ過ぎてしまい、炒飯の原形すら留めていない真っ黒焦げの炭と化しているのではなかろうか、と思わず心配してしまう訳なのです。何にしても、冷凍食品の炒飯の炒め感はこれから先もUPし続けて行く事でしょう。

***

スゴいですねぇ。

何がですか?

ハンバーグやウィンナー、肉まん等の挽き肉を使った食品です。

事ある毎に“ジューシーさがUP”しているような気がします。逆に言えば、十年前はどれだけパサパサして乾いていたのだ、と。この調子でジューシーさが増し続けて行けば、十年後には完全な“ジュース”になっていてもおかしくありません。「シャウ〇ッセンがついにドリンクになりました!」。コクがあり過ぎてむしろ酷。いくら“たくましく育って欲しい”と言えども丸大ハ〇バーグがそのままジュースになるのは、さすがに、わんぱくが過ぎると言わざるを得ません。それでも、やはり、これらの肉汁重視系食品は完全なジュースになるまで、そのジューシーさをUPし続けて行く事でしょう。


**おまけ・香りの小袋**

香りの小袋【ン】


各パートの冒頭の一行『スゴいですねぇ』に香りの小袋【ン】を混ぜ入れ『スンゴいですねぇ』にしますと“所ジョージさん風味”でお楽しみ頂けますのでお試し下さいませ。


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