「げんじつは変わらない」
3歳の幼子は
「ずっとこのまま」
ぽつり、と言い
「ここでいいの」
冷えきり赤く腫れたちいさな両手を
「ずっといたら、だいじょうぶ」
やわらかな首に添え
「■■がここにいたら、みんな、いたいことされないもの」
一度 思い切り絞めた
(恐らく、笑んでいた)
「げんじつからはにげられない」
幼いあのこは知っていた
「■■は、このまま、おおきくなるの」
産まれてから3年で
理解してしまっていた
(何故、このこは)
(いつ、どこで?)
(こんなことばを)
(まだ3歳のおさない女の子が)
(これが夢ならどれ程良いか)
(紛れもなく意味を理解しているんだ)
(何故)
(何故?)
有り得ない事ばかりだった
「でもね、あのね、」
「■■は、ないないになるの わかる?」
有ってはならない事ばかりの現実が
すべての現在 この一秒と生命
どこに居るんだい 今
所詮 被虐児の思考回路
産まれながら「普通」と称される性質と程遠かった手前が過ち
そう自覚、認識した二十数年前
あれだけ世間一般や普通や常識を文字通り叩き込まれて識りながら
関わりを持ってくれるひと、それぞれのひとつひとつのいのちに対し なるべく見合うような思考や言動を心掛けようとも
それはどうやら多面的とは映らずに
浅く軽いと認識されるらしい
墜落した概念
引き裂けた観念
守りたかったものは決して自分ではない
自意識過剰、被害妄想、そう呼び呆れ笑うのだろうか
吐血が咲くしろいベッド 床 壁 冷たい掌
下血と嘔吐と幻覚を繰り返す
機能しない声帯は喉から枯れた呼吸音しか流さない
平熱に約4℃プラスされた身体で
脳の独裁を無理矢理引き剥がそうと欠けた歯で無意味な抵抗
割れた爪は 存在同様に鬱陶しい
生きすぎた
トーションレースで首を絞め結う夜毎
いつだって13段目から墜ちられる現実
知らぬ間に気付けば殖え纏わりつく殻